第16話 無断外泊再び


 「シャル、どうしたの?」

 隣の自室で休憩を取っていたアデルは、寝ているシャルの話し声が聞こえて様子を見に来た。捲れた掛布団と汚れて丸められ床に落とされたシーツ、脱ぎ散らかされた衣服とタオルに空になった水桶、コップ、水差し。開け放たれた窓から風が吹き込み、もぬけの殻になった部屋に冷たく寂しい空気が通り抜けていった。

 「シャル!シャル!どこ!どこへ行ったの!シャル!」

 恋人が姿を消したことに取り乱し、半狂乱になりながら名を呼び探し回る。そんなアデルの声に気づいて、ステラとエステルもシャルを探し回るが酒宿のどこにも居ない。確かにそこにあったハズのベッドの温もりはもう、すっかり冷めきっていた。その事実がアデルの心の痛みに追い打ちをかけ、取り返しの付かない後悔が再び胸を貫いた。

 

 不精髭を剃って、戦闘に耐えうるだろう服装に着替え終えた後、武器として欲しい道具を考え直した。その調達のためゼリエ公爵の別邸を尋ねた際、美咲からアンドレの訃報を聞いた。何故、家族を残して、みすみす死にに行くような真似をしたのか。美咲が引き留めても無駄だったそうだ。

 「アンドレさんのことはすみませんでした」

 「戸にあなたが謝る事ではありませんよ。大太刀、お借りします」

 「敵討ち、するんですか?」

 「そう言う訳で心算はありません。オレはオレの都合で親方、アンドレさんに生きていて欲しかったのですが、アンドレさんはご自身の理由で死地に赴いたのでしょう」

「虎徹さんも戦う人ですから、いつか死ぬのが分かっていて戦いに臨むことがあるでしょう。その時は、本当に犬死だけは止めてください。知り合いに死なれるのは、結構困ります」

 「犬死は辛辣っス、師匠。本人にとってはなんかこう!アレな感じな」

 「どれだけ自尊心と満足させた所で犬死は犬死です。正直なところ、まだ死なれても悲しいとか寂しいと言う実感がないんです。やるべきことが終わってから感傷に浸ることにします」

 「師匠は生きて帰ってきますよね」

 「十分な勝算を得られたから、大丈夫です」

 「ウソにしないでくださいね、その言葉」

 「約束しますよ、必ずこの大太刀を返しに来ます。一応、あなたはオレの弟子第一号ですしね」

 「マジっスか!?」

 「正直、師匠と呼ばれて悪い気はしませんでしたよ。弟子一号」

 「冗談がマジになった!こう言うの押しかけ師匠って言うんですかね?」

 「どうでしょう?その気があれば本気で色々教えますよ。虎徹さんになら」

 「いやー、遠慮したいです。師匠はマジでスパルタじゃないですかマジ勘弁っス」

 「惜しい才能なのにそれは残念」

 「こんな決戦前に駄弁っている相手がワタシでいいですか?えーっとご家族とかいらっしゃるでしょう?」

 「まだちょっと会いにくいんですよ。顔を見るのも怖い」

 「ちゃんと、奥さんの誤解を解かないとダメっスよ」

 「まだ結婚はしていませんから奥さんではないです」

 「それじゃ仲直りに、改めてプロポーズするってのは、どうです?ほら女の子は自分を一番にしてくれる人に弱いから。理屈でいくら説明しても分かってくれないなら、ノリと勢いで情熱的に気持ちを伝えればきっと何とかなるっス。多分、きっと、おそらく、メイビー」

 「頼りない助言ありがとうございます。失敗しても笑わないでくださいね」

 「振られたら、町長に責任もって慰めてもらうように掛け合うっス」

 「それいいですね!首を刎ねてせめてのも慰めにしましょう」

 「うわ!エグッ」


 「いいのか?行かせてしまって。あの顔色の悪さ、尋常ではないぞ」

 「止めても無駄だと思うよ、おじさんの時もそうだったもん。自分から死にに行く人を、言葉でどうにか出来ないよ。救うには、自分も死地に行かなきゃ。ワタシには荷が重いよ」

 「虎徹、お前はオレの護衛だ。許可なく傍を離れるなよ」

 「分かっているよ。寂しがり屋だぁパトくんは」

 「ふん、寂しがっているのはお前だろう。やはり愛刀がないとしまらないな」



 エステラとステラが居なくなったシャルを探しに出ていき、一人酒宿に居残るように言いつけられたアデル。シャルが居ない。シャルが自分に何も告げずに去っていく。このまま居なくなる。会えなくなる。そんな言葉がずっと頭の中でぐるぐると駆け巡って、過呼吸を起こして倒れた。袋を渡され、何とか呼吸を整えることは出来たがまともに動くことさえ出来ない。ずっと椅子に座ったまま視界が明滅を繰り返すまま過ごしていた。

 「ただいま」

 「シャル!」

 声を聞いただけで、飛び跳ねて走り出していた。扉の向こうに確かにシャルがいる。いつも通りの日課のような出迎えだ。それは自分の心が作り出した幻覚かもしれない。幻でもそんなことはどうでもいい。ただひたすらに抱締めて欲しかった。抱き留めれた感触は、幻ではなかった。泡沫の夢の様な時間だった。言葉を発する前に引き剝がされ、地面に下されていた。また足元が覚束なくなるほどの不安と恐怖に襲われる。今にも泣き出しそうな目で、シャルを見ると懐かしい恰好をしていた。

 厚手の防塵防寒コートを着込み、フードを被っていた。ダボ着いた無骨なカーゴパンツに頑丈で厚底のブーツ。コートには沢山のハーネスを巻き付け幾つもの道具を釣り、差し込んでいる。ぴったりと指に吸い付いた手袋にはモノを握りやすいように柔らかく吸い付く素材が使われている。どれもこの町で手に入る衣服ではない。

 「シャル、どうしたの?どこへ行くの?わたしも連れて行って、もう置いていかないで。いい子にするから、もう怒ったりしないから。お願い、シャルが居ないとわたしは」

 「アデル・イスラ・ペンドルトン」

 「不躾な恰好で失礼する」

 「あなたに再度、求婚を申し込む。わたしの命が尽きるまであなたに至上の愛を捧げることをここに誓う。死がふたりを分かつまで、わたしと添い遂げて欲しい」

 「シャ、ル?」

 「ごめんね、アデル。悪いがここでまたお別れだ。色々ぐだぐだと時間をかけ過ぎた。帰って来たら一万回でも百万回でも愛を語ろう。君が嫌というまで飽きることなく、オレの一番が君だってことを何度だって繰り返して教えるよ。だから許して欲しい」

 「シャル、何をしようとしているの?」

 「夢を叶えに行く。君の傍にいるために」

 「行かないで」

 「それは聞けないお願いだ」


 高い木々に囲まれた森の中、テンタクルワームズがその巨体でとぐろを巻き蠕動していた。その重量だけで地面には轍が出来て、後を追うのは簡単だった。

 「初めまして、兄弟!」

 鹿撃ち用の散弾銃を手に、シャルは魔物に語りかける。その言葉に反応するテンタクルワームズは頭を反らせ、目も鼻もない顔をシャルへ向けた。

 「いきなりで悪いが、オレの幸せのために死んでくれ」

 一発の銃撃音が森の外まで響き渡る。ライフルの鋭い銃声よりも、低くくぐもった音だ。同時に不協和音を奏でるように、声なき悲鳴が無数の触手の蠕動音、蠢き動く音が共鳴する。

 巨大な尾が森の奥にいるシャルを打ち据えようと振り回される。尾の先端から枝分かれした無数の触腕が飛び出し、シャルを捕まえようと木枝の隙間を縫って襲い来る。

 銃身下にある先台を引いて、弾丸を撃ち終えた空薬莢を排出する。飛び出て来たから薬莢を素早く空中で拾い、胸の弾倉ベルトにしまいこんだ。触手の先端はすぐそこまで来ているというのに、まだ余裕があるように振舞う。

 背中を反って目を潰そうとする一本目の触手と避け、片足を上げて下から迫る二本目を躱す。目潰しを打ち払われても、下から迫った二本目で足を絡めとり引きずり込んで残る触手でバラバラに引き千切ろうとしたのだろう。

「届いたのは二本だけか」

云うや否やその触手を片手で引きちぎり、下ろした足で踏みつぶした。二本の触手は紫色の体液をまき散らし、人体に毒となる魔素の煙を噴き出す。

 「この程度の瘴気の量なら、すぐに大気中で分解されるのか」

森林のオドが自然界のマナに干渉し、テンタクルワームズの一匹一匹の放つ魔素を自浄作用した。そのためシャルは魔素の毒煙を浴びても平然としていた。感情も知性も無いはずの魔物はまるで納得がいかない様に首をもたげ、嘴を開閉させた。口内には無数の歯が何重にも円を作って波紋のように広がり、粘度の高い消化液を滴らせた。威嚇を見せられたシャルは、口内の歯が人間と同じ形であることに親近感と同時に忌まわしさを覚えた。

「食道と鋤鼻器官の位置は蛇と同じ位置か。やっぱり親の姿を再現しようとして沢山で一頭に擬態しているか」

シャルは二発目の発砲をした。今度は鳥撃ち用の細かい弾丸が無数の触手を撃ち抜きズタズタに引地千切った。テンタクルワームズは横着を止め、その巨体の質量をもって木々ごとシャルを圧し潰そうとする。今度は散弾銃の排莢と装填を行う余裕も無い。地響きが大地を揺らし、衝撃が、圧倒的な質量が樹木を薙ぎ払い圧し潰し破壊の波が木端の土砂を作って辺り一面を呑み込んでいく。平地であるにも関わらず、地滑りが起きたような惨状だ。

 「単純だな」

 土埃の中から三発目の銃声が響いた。散弾銃から撃ち出されたのは、一塊りの鉛玉だった。巨体に衝撃に退けぞり穴を穿ち、魔物は思わぬ反撃に土木に埋もれた下半身を引きずり起こした。

 「うーん蛇ならピッド器官といって熱を探知することが出来るんだけど。君にはないのかい?」

 上半身を天高く直立させ、開いた口器から夥しい量の溶解液を噴き出し雨あられのようにまき散らす。それを浴びた物は木も草も土も煙を吹いて溶け出し焼け爛れる。それがドラゴンの火炎の息吹きであったら、こうした使い方で無差別な広範囲攻撃には使えなかっただろう。堕龍、駄竜とも呼ばれる存在であっても、その力は変質してこそあれ強大な物であることに変わりなかった。

 「いくら無数の自分が居ても結局君は独りきりなんだな」

 テンタクルワームズの巨体の間近で声がする。立ち上がった上半身を支える胴体部にシャルはいた。降り注ぐ溶解液から雨宿りするように、巨体の影に隠れていた。背負った大太刀を既に引き抜いており、刃を押し当て引き裂きながら周回する。その全周から触腕の槍を伸ばしてシャルを貫こうとする。

 「触腕の本数を多くすると伸ばせる触手の長さが短くなる。さっきも同じ失敗をしただろう」

シャルの反対側の触腕を引き込ませ、残った触腕から触手を伸ばし鞭のように振り回す。それがなる前にシャルは大太刀で斬り捨てていく。そしてまた一方向に伸ばし切った触手の間合いから逃れていった。

距離が離れた所で大太刀を納刀し、背中に戻した。次に肩から吊り下げていた散弾銃を再び構え、排莢と装填のために先台を前後させた。最後の弾薬が銃火を上げ、再びテンタクルワームズの幹の様な胴部に穴を穿った。切り込みを入れられた後に、一方から衝撃を受けその身をたわませ崩れ落ちる。塔が崩落するように巨体が割れて地面に叩きつけられる。ぼたぼたと落ちる無数の触手は分離することで、落下の衝撃を軽くさせた。

 「今度は知恵が回ったね」

 残った下半分の体は新しい頭を形成して、シャルを呑み込もうと突撃してくる。開いた嘴の中に目掛けて円筒物を投げ入れる。

 「そろそろ森の浄化力が消えてきたか」

 肉薄する魔物を前に、シャルは顔面を覆う。グレンガ鉱山の魔鉱石探掘の際、高濃度の魔素が立ち込める場所で行動するための防毒ガズマスクだ。

 喉奥に呑み込まれた円筒物は爆発した。ダイナマイトは酸素を必要としないニトログリセリンが反応して爆発する。採掘作業では岩盤の発破に使われる必須装備だ。

 「君は大きくなり過ぎた。鈍間で視界も狭い。もっと多くの感覚器を持てばよかったね」

 焼け死に燃え盛る無数の触手とその破片から今までとは比べ物にならない瘴気が立ち込める。散らばった触手たちはそれぞれ寄り集まって、何匹もの大蛇のような姿を取る。

 「ああ、やっぱり人言葉が分かるんだ。知恵を得るまで何人の人を食べたんだい?」

 次々に飛び掛かって襲い掛かる無貌の大蛇たちを躱し、樹木を駆け上り枝から枝へ飛び移っては避けていく。飛び移る先で邪魔な枝を鉈で切り落とし、肉薄して来た無謀の大蛇が伸ばす触手を斬り伏せて進む。テンタクルワームズはその半身を失ったことで、より細身で素早い形態へと変化してシャルを追いかける。無貌の大蛇たちはシャルを取り囲むように先行して進路を塞ぎ、堕龍本体の進行先に追い込む。包囲されそうになる度に、ダイナマイトを放り投げ、爆発を起こして一匹、二匹の無貌の大蛇を屠って突破する。だがそれも数に限りのある逃亡手段だ。徐々にシャルは注意に飛び移れる木々がない箇所へ追い詰められていく。まばらな枝ぶりの細い木々では足場にならない。他の太い樹木への間隔はシャルの脚力では届かない。

 「学習が早いな、自分の体長から距離を把握する能力が高いとは聞いていたけど。こっちの跳躍距離までもう把握するなんて」

 遂には枝に葉っぱも生えていない朽ち木に一本に追い詰められた。先に飛び移れる足場となる樹木は、既に堕龍が圧し倒し地上に降りるのと大差ない低さになった。地面からは無貌の大蛇が枯れ木に巻き付いて登ってくる。

 「予想外でも予定通りだよ」

 地面には魔法陣が描かれている。朽ち木を中心に据え、魔法を使うための呪文が刻まれていた。予め森の中にある枯れ木に、同じ魔法陣を描いて準備していた。

 灼熱の炎が発生し、火勢を勢いよく増して燃え上がる。朽ち木の幹は一瞬にして木炭と化して、巻き付いていた無貌の大蛇たちは煙も残さず焼失した。高温の熱風に焙られるシャルは、着こんでいる衣服に耐熱性、耐火性の高い不燃物素材でも使われているのか平然と炎上する地面を見下ろしている。

 「文明の利器と云うヤツや。今の時代、この程度の魔法なら魔法使いでなくとも使える。こちらには便利な魔道具が多くて便利だ。魔術師は嫌いだが、こんなものを作れる技術は面白いよね」

罠を張り巡らせて置くのは狩猟の基本だ。追い詰められた先に罠があるのは経験済みだが、追い詰めたはずの獲物が罠を張っていたのは初めてだった。顔のない堕龍は笑う代わりに嘴を開閉してシャルに感情表現をする。それは威嚇音以外で初めて自分の意思疎通だったかもしれない。

「ズルいって?いやいや君は何度も死んでも全部殺し切らなきゃ死なないんだ。こっちは一回死ねばそれで終わり。これくらいのズルをしなきゃ勝負にならないんだよ。一対一に見えても実質的には一対千なんだから」

 それは生まれて初めての会話だった。こちらの意思と感情を理解して、言葉を返す人間が存在する。殺し合い以外で双方向の反応をする。それが不思議でならなかった。

 木炭の塊から飛び跳ねたシャルは、落下の重力加速を得て最大限に位置エネルギーを活かした斬撃を放つ。思考に動きを止めていたとは言え、正面からの一撃だ。以前の巨体なら躱しきれないだろうが、今は違う。落下軌道も、太刀筋の間合いも簡単に予測出来る。

「余計なことを考えるな。殺し合いには邪魔な思考だ。救いは無い」

 迎い撃つため触手を伸ばしても、シャルは今まで通り斬り捨てて、すかさずこちらに反撃を与えるだろう。躱す以外に選択肢はないだろう。躱すのはあまりにも簡単だ。そして落下中のシャルは空中で身動きを取れない。大太刀を振り下ろせる間合いの外から、空にいる瞬間を襲えば一溜まりもない。丸のみにするために大きく口を開けて飛びかかた。

 だがテンタクルワームズが動いた先に回転する刃が徹り過ぎる。その勢いのまま押し切られ真っ二つに両断された身体は地に落ちる。分割され落ちた身体を溶着させるため、別れていた分体と融合する。再生するまでの時間の中で、シャルの動きを分体の視点での記憶を呼び起こす。

 何もない空中を蹴って落下軌道を変えて、勢いを更に増した振り下ろしで大太刀が入る。何ものないハズの空中に魔素の軌跡があった。それは以前、自分の身体を分断した剣士が見せた燐光だ。体内魔力、オドを極限まで循環させ励起状態なると外界のマナにも影響する。ほんの一瞬にも満たない刹那の間に、マナを物質化させそれを踏んで跳んだのだ。瘴気となる魔素が森のオドに分解されて消え去る様な、そんな瞬間的なの物質化の束の間の足場を空に作って利用した。

 コレは生きている次元が違う存在だ。時間の流れが、早さが違う。自分にとっての一秒がアレにとっての二秒にも三秒にも引き延ばされた時間で動いている。それを理解すると再生後のテンタクルワームズの判断は、逃走の一択だった。

 生まれてからこれまで、欲しい儘に生きて来た。自分以外の命はすべて獲物で、総体としての自分を脅かす存在など居なかった。

 生まれて初めて意思の疎通を可能にする存在は、自分にとって天敵であった。本能が興味を凌駕して、恐怖が身を動かした。アレから離れなければいけない。総身は最盛期から半分に、今では更にその半分に減っていた。これ以上、アレに係わっていたら本当に命に係わる。死が迫ってくる。

 「逃げるなよ、弱い者イジメみたいで気分が悪い」

 森の外に一頭の馬が繋がれているのを見つけた。厭な臭いを放つ石を持っていて近づきたくもないが、分身を増やすためにはやむお得ない。

 体内に侵入し、宿主を苗床となすため分体を馬に飛ばす。しかし、それは見えない壁に阻まれるように落ちた。瘴気を上げ、その身を保てなくなりボロボロと崩れていく。

 「魔力には属性がある。相反する属性の魔力に魔素を干渉させると、魔素は物質化を保てなくなるんだ。魔物の中でも肉体の殆どを魔素によって構成されている君には、地竜グレンガの魔素は致命的な猛毒だ。本能的に分かっていたハズだろう」

 属性にはいくつかの関係性がる。その代表的な関係が相生と相克だ。

 木は燃えて火を生む。火が燃えて生まれた灰は土に還る。土は木を育てる。こうしてお互いを生み出す関係を相生と呼ぶ。対して、土は水を濁し、流れを堰き止める。水は燃える火を消す。そうしてお互いのあるべき形を打ち消し合う関係が相克だ。

 バグシャスは火の属性のドラゴンだ。魔力を付与さることで孵化する触手の魔物は、捕食されることで薪のように同じ属性の魔力を回復させる非常食だ。当然、テンタクルワームズはバグシャスと同じ火の属性を持つ。山の洞窟で生まれた触手の魔物が育って、森に住処を変えたのは森の木々に宿るオドが火の属性を持つ魔物に心地良く、空気に木の属性のマナがあるためだ。

地竜グレンガは土の属性のドラゴンだ。土の属性のマナは植物に取り込まれ木の属性のオドとなり、蒸散などを通して魔力をマナとして大気に還る。草木が枯れれば腐敗を通じてオドは土の属性のマナとなって還る。

しかし、火の属性ならどうか。土は火で燃えることはなく。火は土を被れば燃えることが出来ずに消えてしまう。

「言っただろう。大きくなり過ぎたって。森の動物たちを苗床に分身を増やして、生身の肉体を保っている内は、そう簡単に違う属性の魔素に触れて消えることはない。それが質量を持った物体として安定した姿だからだ」

遠くから荒い息遣いと声が聞こえてくる。

「君は冒険者たちの脅威に対抗するため、より強く巨大な体と追い求め、際限なく増殖を繰り返し、無理なく自然界に存在する限界を超えた。かつて世界の覇者であったドラゴンたちがこの世から消えたように、魔法に寄り過ぎた存在になると存在を維持することが難しくなるんだ」

ゆっくりとした重い足取りで近づいてくる。

「今の君の体には、あとどれだけの生身の部分が残っているかな?」

緑の藪をかき分けて鉈を振い、歩いて道を切り開いてくる。

「そろそろこちらも限界だ」

いつの間にか重たげなコートを脱ぎ捨てている。

マスクを外したその顔は熱に浮かされた病人のものだ。

「後何度切り刻めば死ぬんだい?」

動いたと思った瞬間にはもう斬りつけられている。反撃しようにも、既に彼の姿は無く。身構えた瞬間にはまた身体が切り裂かれ、切り取られていく。ただ逃げる。逃げるしかない。巨大な身体だった時よりも、重鈍になった動きでのたうち回り、泥と土に塗れ全身から体液を零しながら小さくなっていく身体で這いずり進む。

削り取られていく分体からは既に瘴気を吐く力もなく。触手の魔物は蛭のような姿で、力なく蠕動する。あれだけ数多の群勢が蠢いていたとうに消え去った。

 ただ一匹、知性も感情も失いただ生まれたままの姿を晒し。

 無力な堕龍は踏みつぶされた。

 これで無理ならもう駄目だ。体力の限界を感じ、大太刀を地面に差して支えにする。体重を預けると、膝が笑いだしガクガクと足腰が震えて、内蔵が引き付けを起こして空っぽの胃から胃液を嘔吐する。血を吐くように咳が出る。全身の関節が悲鳴を上げ、酷い眩暈と悪寒で視界が暗く染まる。屍に囲まれて蹲り、意識が薄れていくのを感じていた。

 拍手のような幻聴が聞こえる。しかし、それは実際に耳朶をうつ音だった。

 「いやいや、始終圧倒的だったじゃないか。おめでとう!君は晴れてドラゴンスレイヤーの仲間入りだ。大健闘だったね!君の大勝利だ。天晴れだった。まさかまさかこんな一方的な展開になるとはね。君は本当に素敵だ!君に夢中になる理由が分かったよ」

 「……どちら、さま、で、しょうか?」

 無理矢理、意識を覚まされた。霞んだ目では姿は見えない。どこから声が聞こえてくるのかさえも分からなかった。

 「おっと凄い顔色だね!病気の身で無理をし過ぎたのかな?そんな酷い土気色の顔で、生きているのが不思議だね。いやいや君の様な屈強で勇ましい人がこんなに弱弱しく力なく死にかけているなんて、とってもそそるね。ああ、本当にいい顔だ。とても愛おしいなぁ」

 「おっとそんな怖い顔をしないでくれ。久しぶり会ったのだから、再会を喜ぼうじゃないか!戦勝祝いだ。一緒に勝利の美酒に酔いしれよう!」

 口の中に無理矢理柔らかくて硬いシコリのある物を入れられた。舌に甘く生臭い、乳臭い汁が流れ込まれ、抵抗する間もなく顎を上げられた。気道に液体が入らない様にするには、溢れ出す液体を飲み下すしかなく不快な喉越しと喜色悪い後味の残る甘さを感じた。

 えずいて吐き戻そうとするも、胃の中に入ったそれはすぐに滋養となって細胞に染み亘っていく。何か、取り返しが着かない。冒涜的なことを自分の肉体にされた。何をされたか意味も行為も不明だったが、それだけは理解出来た。

「愛しているよ、シャル。君が夢破れて悲恋に身を窶す日を、ずっと楽しみに待っている」

胸焼けの不快さと精神的、生理的な気持ち悪さだけで、限界に達していた肉体的な疲労が軽減していく感覚があった。

「そんな未来のためにも。ここで死んだらつまらないだろう。それまで精々、あの娘とよろしくやってくれ」

「誰何だ!?お前は」

「私かい?君はもう私の名前を知っているハズだよ。親友」

声が遠退いていく。懐かしい残り香が鼻をつく。乳臭い、獣臭い、生臭い、忌まわしい過去と反吐が出る思い出だ。臭いが記憶の底に沈殿した濁りを、意識の表層まで浮かび上げようとする。

「また会おう。今度はお互い、正体を晒し合った姿でね」

 「くたばれ!クソ野郎」

 叫ぶと呼吸が出来なくなり、咳が出た。咳が止まるまでに意識が朦朧として、更に視界が暗くなる。傍で馬の嘶きが聞こえた。早く乗れと言いたいらしい。賢い馬だ。繋いでいたハズの手綱が解かれ、シャルの傍まで来たらしい。悪寒で震えが止まらない。青色吐息で何とかやっと馬に跨った。手綱を手に捲き付けたまでは記憶にある。その直後からは完全に暗闇の中だった。

 

 目を覚ますと知らない清潔な部屋で、真新しいシーツの敷かれたベッドに寝かされていた。病院着を着せられていることから自分が入院させられていることに気が付いた。ガラス製のマスクで呼吸器を覆われ、マスクからチューブが機械に繋がっていた。その機械にはボンベが装着されている。

 「こんな短期間でここまで病状が悪化した患者は、あなたが初めてですよ。チャールズ・ハンガーさん。医者として忠告させて貰いますが、酸素マスクなしで今後も健康的な生活を送りたいなら直ぐに魔鉱石探掘作業員の仕事を辞めてください」

 喋ろうとしてマスクに手をかけると、医者はやんわりと止めた。若いのにお気の毒にと、前置きし医者は病状を説明する。

「肺が空気の交換を出来なくなる病気です。このまま無理をして今の生活を続ければ、心肺の機能が低下し続け、自力で呼吸すら出来なくなりますよ。嫌でしょう、老人よりも体力が無くなって歩くだけで息切れするようになるのは」

それは困る。そんな状態ではアデルを養うことが出来なくなる。あの娘の傍に居る為にも、働けなくなるのは困る。もう何年もアデルに会っていない気がする。早くあの娘のもとへ帰りたいんだ。いつ病気は治るんだ。

「現代の治癒魔術や医療技術では、完全に内蔵機能を再生させることは出来ません。肺を侵す病魔が居なくなって病が治っても、壊れた肺の機能が回復することはないのです」

腕が切れて傷口が塞がって命に別状が無くなっても、切り落とされて無くなった腕はもう戻らないのと同じことか。

「まぁ、そんな理解でいいでしょう。あなたは怪我や病気とは無縁の生活をしてきたようですから。問題は粉塵やカビ、埃や羽毛、煙などを呼吸で吸い込んでしまうと、どんどん肺の機能が低下していくことになりますよ。これからは病と付き合っていく生活を学んでください」

分かった。新しい仕事を探そう。魔族の医者は初めて見たよ、これからはあなたがオレのかかりつけ医という事でいいのか?

「そうですね、主治医ですから。今後ともよろしくお願いします、エルパス・スミスです。あなたは魔族に偏見が無いのですね」

魔族と人間はもともと同種の生き物だと知っていますから。魂の形が違うだけ。人外染みた異形の部位は、肉体から溢れた魔力が物質化したものだ。オドを制御できる魔族なら、その部分を消して完全に人の姿になることが出来ると知っている。故郷の友人には、自在に尻尾や角を出し入れできる子たちも居た。あの町長みたいに。

 「そこまでご存じですか。それであなたは何者なのですか?声を出さずに人と会話できるなんて、そんな人間は初めて見ましたよ」

 さぁ、人間の類ではありますよ。少なくとも父親は人間でしたから。

 「あなたも難儀な出自なのですね。それでは、おやすみなさい」

 おやすみ、ドクター・スミス

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