第14話 失態と失敗


数日後、パトリックの元に何度目かの魔物討伐の失敗の報告が届いた。冒険者ギルドは魔物の討伐を正式にエリゼ公爵に依頼するように勧告し、神殿は魔物を異形のドラゴンとして認定した後、テンタクルワームと言う名を付け発表した。バグシャスというドラゴンの名についての話題は世間ではすっかり忘れ去られていた。直接バグシャスと対峙した村人たちとヨナ・キンバレー配下の生き残りの兵士たち、そして彼らから詳細を聞いた宮廷魔術師と一部の人間たちだけがその存在を正しく認識している。そして彼らには緘口令が敷かれそれを守っている。

彼の名があの魔物を示すモノではないことを知る者は、王国内にそれ以外には居なくなった。

ジェーン・パンド・ラピスは、若干の後悔と共に暗闇の中でバグシャスと会話を重ねる

「パトリック君だっけ?彼の研究は順調かい?」

「はい、滞りなく成果を上げているそうです」

「そうか、それは重畳で何よりだ。そう言えば豊穣祭の準備の進捗はいいのかい」

「世間ではそれどころではありません。娘たちが楽しみにしているのでどうにか彼の魔物を退治して頂けませんか?」

「人の都合で生まれた命を、今度は人の都合で奪うのか?」

「家畜も肥え太れば屠殺されます。人が畑で苗を育てるのは作物を得るためです。もう十分でしょう。過ぎたるは及ばざるがごとしと言う言葉があります」

「アレ、世代を経るごとに不味くなるんだよね。それに私が動くとまた目立つだろう。折角、ほとぼりが冷めて来たのに元の木阿弥になっては仕方がないじゃないか。捨て置いても近いうちに、ウチの子が何とかするだろう。まぁ、関心がなければしないかも知れないけど」

「チャールズ・ハンガー、彼をわたくしに使わせていただいてもよろしいでしょうか?」

「好きにして構わない。意味があるかは知らないが」

人外の二人は夜が更ける前に闇に消えた。



「何とかモノになりましたね」

全身に筋肉痛の疼痛が走り、関節と言う関節がバラバラに弾け飛びそうだ。痛いとか熱いとか冷たいとか、右とか左とか前後上下斜めの方向感覚と平衡感覚が全部溶け出し血管も内蔵も脳みそもグチャグチャグチャグチャグチャグチャに混ざりあった名状しがたい感覚がようやく抜けきって来た。

五感を意識出来て、自分の足で立って物を見ている。自意識がちゃんと現実にある。強くなったとか、技が身についたとかそんな事よりも、自分がここにいる実感が何より嬉しく喜ばしい。

「終わった」

「いいえ、これがスタートラインです。ここからはご自身で研鑽を積んでください。

自分が何のために力を望むか、何のために力を振るうのかをよく考えて自分の道を見つけて試行錯誤してくださいね」

「なんで生きているんだろうワタシ」

「さぁ?」

お客様がお見えになりましたと屋敷の使用人が彼らを尋ね、シャルと美咲を応接室に案内する。アンドレは4日ぶりに家族が心配する家に帰えっていた。不在の理由を話、これまでの事情を説明して魔物討伐に参加する許可を説得してもらってくると言うのだ。

「こちらにおいででしたのですね、チャールズさん。長い間ご自宅にいらっしゃらないと聞いて心配して探しておりました。あれ以来、娘たちがあなたをお誘いしても一度もお店に来てくださらないもので、寂しがっておりますよ」

「その、今はもう不自由が無いので」

「お連れ様を連れて、遊びにいらしてくれてよろしいのですよ。カードやスロット、ルーレット他、様々な遊戯施設が揃っております。その其方のお嬢様は、もう少し大人になってから、いらしてくださいね」

社交辞令と営業トークから町長としての顔ではなく、裏の顔での折衝にきているのだとシャルは理解した。そう言えば恰好が違う。白いレースで縁取られた肘まで覆う長手袋に、肩を露出させ、大きく胸の谷間を見せるドレス。それは臍の形まで浮かび上がりそうな光沢のある薄布で、女性の肉体の曲線と流線を美しく強調している。丈の長いスカートにも関わらず、腰の位置までスリットが入り柔肌を締め付けるように編み上げ紐が結ばれていた。いかにも男の情動を煽るような媚びた所作で、大きく張りのある臀部を魅せて椅子に座る。わざとらしく腕を組んで乳房の大きさを自慢するように持ち上げた。

ここまであざとく視線を誘惑し、潔癖な青年の情欲を沸かせようとしたのは自分でもやりすぎかと思う。しかし、初心な反応を引き出せればこちらに会話の主導権を握ることは容易くなる。

「ああ、そう言えば豊穣祭は来月でしたね。自治会のお手伝いをするお約束を、すっかり忘れていました。申し訳ございません。今からでもお手伝いに」

この男はッ!!!

確かにそんな話をした覚えはある。町長として各自治会の集会に顔を出していた。勿論、裏の顔は一般の住人には知られていない。表の顔の町長の姿は、堅物で地味な女の顔を化粧で作り、有能な為政者然としての真面目な女史を演じている。隣にいる少女が町の部外者だからと言って、表の顔に繋がるような話題を無警戒に話すとは、本当に何も考えていないのか。

「いいえ、その御話はまた今度に致しましょう。このままでは皆さんが楽しみにしているお祭りも、中止することになってしまいますから」

「お祭り!お祭りがあるんですか!それが中止って」

「あの魔物せいでしょうね」

「ええ、そうです。地竜グレンガ様のご威光のお陰でエリンの町は守られています。魔鉱石にはグレンガ様の魔力の残り香があるため、魔物はそれを畏れて近づきません。魔鉱石を持つ町の人々は魔物に襲われることはありませんが、外から来る人々には危険が及びます。行商人たちは兎も角、豊穣祭や鉄道の施設のために招致する事業に携わる方々の分まで、魔鉱石を配る余裕はありません」

「観光客が来れなくなって、お祭りをしても収入が得られないからやらなくなっちゃうんですね。町の貴重な財源が無くなっちゃうのは困りますねぇ~」

少女は見た目に似合わず語彙があるようだった。市政に携わる者でもないのに、経済と言うものを知っているような口ぶりだ。どこかでそういう教育を受けた人間には見えないが。

「ええ、その通りですわ。ですからお願いいたします。どうかあの魔物を倒していただけますか」

「それは町からの討伐依頼ですか?」

「……ええ、そのお恥ずかしいのですが、報酬については」

「オレ、欲しい魔石があるんですよ。それを討伐報酬として貰いたいです」

「魔石ですか、それはどのようなものでしょう?」

「グレンガの宝玉」

「この鉱山のどこかにあるハズの天然の魔石です。それさえ頂けるのなら、他に何も要りません」

「採掘された採掘物の権利は、すべてゼリエ公爵様の企業にあります」

「魔石は別でしょう?その権利だけはあなたが持っている。天然の魔石は市場価値よりも天然文化財としての価値が優先されてその地方の市町村自治体に所有保管される規約のハズです」

「それがいつ見つかるのかは分かりませんよ。一町長のわたくしの権限で決められるものがどうかさえ」

「確約できないなら、オレはこのお話は無かったことにさせてもらいます。勿論、魔物の討伐には参加しません」

「ええ!師匠マジですか!?」

「マジですよ」

「そんなぁ、困ります。あのドラゴンに詳しいのは師匠だけじゃないっスか!作戦の立案も指揮も全部、師匠がやっておいてあとは全部ワタシらに丸投げっスか!?無理っすよ、パトリックくんも協力してくれないんですよ。師匠以外にあんな化け物殺し切れるヤツなんて、それこそ本物のドラゴンかヨナさんくらいっスよ!今日までアイツをやっつけるために死ぬ程頑張って来たのに。あんまりっス」

「無駄死したくなければ、お辞めなさい。アンドレさんも力不足は自覚しているでしょうし。オレが無理だと断言すればご家族のことありますし、諦めてくれるでしょう。アデルも楽しみにしていたお祭りの中止は、残念ですが。パトリックさんの兄弟子さんでしたか、彼らなら魔術であの魔物塵も残さず焼き殺すことも出来るでしょうし。王国や領主様が重い腰を上げるまで待った方が賢明です。あなた方が無理して頑張らなくても、世の中は回っていきますよ」

「お陰様で久しぶりに童心に戻り、なかなか楽しい休日を過ごせました。今度はパトリックさんも一緒に、遊びに来てくださいね。美味しいお茶菓子を用意してお待ちしております」

「それでは、さようなら」

「お待ちください!」

未練を見せずに立ち去る背中を追うも、振り向きもせず行ってしまう。表門に待たせていた馬車の前にまで辿り着いて、どこにも彼の姿がないことに気づく。

辺りを見回しても黄昏色の染まる景色の中、家路につく町の人々しか見当たらない。完全に姿を眩ませてシャルは居なくなっていた。

「……しくじったわ」

自分が下手に動いたせいで、事態が悪い方向へ転がってしまった事に歯噛みをした。

やり場のない苛立ちを抱え、馬車に乗り込み御者に郊外の廃業した酒宿へ行くように命じた。真っ直ぐに家に帰っているかは分からないが、あてもなく町を探し回るより彼の家で待ち伏せしていればいずれ帰ってくるはずだ。そしてその目論見は予想以上の成果を結ぶことになる。

「ただいま帰りました。連絡もせずに何日も家を空けてしまって申し訳ありませんでした」

店先で最敬礼をするシャルは、焦燥した表情を浮かべていた。初めての無断外泊を、それもこの日数でやってしまった。つい感情的になると周りが見えなくなる悪癖が出てしまった。それも久々に全力で身体を動かし、人に物を教えることに熱中してアデルのことさえ失念していた。自分がどれだけ罪深いことをしたのか。後から悔やむと書いて後悔した所でもう遅い。何もかもが手遅れだ。怒りを受けるならまだいい。呆れられても、悲しませても、拗ねて口を利いてくれなくても。ただ、ただ、彼女に必要とされない自分を想像して死んだ方がマシだという恐怖を感じた。

「お帰りなさいシャル、顔をあげて」

優し気なアデルの声。不機嫌な声色ではないが、真意は伺い知れない。顔を上げれば鈍器が投げつけられるかもしれない。覚悟を決めて顔をあげると。

飛び込んできたのは白い少女の身体だ。ほのかに甘い幼い子供らしい体臭に、滑らかで吸い付く様な柔らかい肌の感触がある。優しい衣擦れが布越しに体温を感じ、全身に安らぎと幸福を感じる。ここ数日感じたこともないオキシトシンとセロトニンとドーパミンがどんどん脳内に溢れて来て、天国に上っていくような多幸感に包まれた。尊さに包まれて死ぬ。

今この瞬間を迎えるために生まれて来たと錯覚し、自分の人生の意味を全うしようとしていた。

「ずっと淋しかった。シャルもう何処にも行かないで。ずっと一緒に居ましょう」

「怒ってないの?」

「怒ってないわ。そんな事より、お風呂にする?ご飯にする?それともわたしと」

「それはダメ!」

ステラはアデルの言葉を遮り、彼女を引きはがそうとする。しかし、アデルの四肢はシャルの身体に鈎爪が食い込んでいるようにガッツリとホールドして引き離すことはできない。

「アデル、その気持ちはとても嬉しいのだけど。君が大人になるまで我慢して」

「ふふっ、でもシャルの身体はそう言っていないみたいだけど」

疑問が思考として言葉になる前に、アデルはシャルの鼻の下を細く小さな指で拭って見せる。その白い指は血液で赤く汚れていた。

「わたしにこんなに興奮してくれているのね」

その言葉は聞き捨てならないとステラは眼鏡越しに、シャルの股間を見るが別段そこは反応していないようだ。平素のまま膨らみもなくフラット状態だ。

興奮状態にあるにも勃たない。つまりそれは、もう事を為した後の状態の様で………。

馬蹄の音が聞こえ轍を作る車輪の回る音と共に四頭立ての立派な馬車が現れた。店先で三人がもみくちゃしていると、そこに艶めかしい高級娼婦が降り立つと事態は急変した。

円熟した肉感的な魅力を振りまく媚態を認めたアデルの目から光が消える。天使の笑みは消え去り、少女の瞳は審判を司る女神のような厳粛さで咎人を見詰める。

ステラは心の底から軽蔑し切った視線でシャルの局部を見て事態を推察する。

そんな三人のやり取りの中、遅れて馬車がやってくる。四頭の馬が引く四本の車輪が回る立派な作りの車箱型の馬車だ。貴族か豪商かが乗る様な、何事かと二人の視線が天蓋付きの荷台へ集まる。

車箱の中は広い客室になっているようだ。そこから降りてくる女性は、息を切らして、荒い息を上げてカップの布地から零れそうな乳房を大きく弾ませる。揺らめくタイトスカートから、見え隠れする腰から横尻、欲情を掻き立てるようにガーターベルトに飾られた太腿、タイツが脚を包み宵闇の中で光沢を出し色めいて映えている。もう少し大きく足を動かせば、際どい所が隠し切れなくなるだろう。実際、御者が降車の際に使う踏み台を用意する前に、彼女は飛び降り鼠径部が見え隠れした。

露出した肌の面積や本来浮かび上がる下着のラインを考えれば、そこには何も履いていないことは明白だった。

そして何故それを履いていない女性が、シャルを追いかけるようにここに現れたのか。

「シャル、また浮気したの?」

「してません!」

「ウソ、女の子の汗の臭いがする」

「違う!それは違う女の子と一緒に運動していたからであって、あの女とは関係ない!別件だ!誤解しないでくれ」

「そう、また違う女がいるのね」

「だから誤解だ!その子とはやましいことはしていない」

「その子とは?」

「だから誤解なんだって!」

「娼館の送迎用の箱馬車だ。四日も遊び惚けてヤリまくってたら、そりゃ勃たなくなるわね」

ステラは眼鏡を掛けなおし、シャルを睨みつける。

「違う違う、違うから」

「あなたからの言い訳も、弁明も要らないの。シャル、先ずはあの売女から事情を訊くわ」

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