第12話 ドラゴンの夢


 夢を見ている。ステラはまどろみの中で記憶にない光景を見ている。

 黒く大きな翼に硬い鱗、長く太い尻尾、逞しい両脚を大地に着け長い首をもたげた。

一面には瓦礫と墨とかした命だったもの。何もかもか破壊し尽くされ、ただただ虚しいだけの廃墟が広がっている。その中でドラゴンは鼻先で瓦礫を退かし、匂いを辿って目当てのものを見つけ出す。それは割れた命の残骸だった。殻の中で孵化する前に命が失われた幼い亡骸だ。砕け散った卵の破片を見て、悲し気な唸り声を小さく響かせる。

その鳴き声に呼応するように、か細く弱弱しい声が聞こえてきた。驚きと共に音を頼りに黒いドラゴンは、辺りを見回す。口を開け、舌を出し、鼻を利かせ、耳を聳たせた。すべての五感を総動員して、鳴き声の、匂いのもとを探っていた。

尾で邪魔な瓦礫を薙ぎ、翼でかき分け、足で地面を掘り進め、崩れる土砂を角で受け止め、ようやくその両腕を伸ばして手に小さな、とても柔らかな温もりを掴む。

それは今にも消えてしまいそうな程、白く儚い色の鱗に覆われた幼生のドラゴンだった。白亜壁が保護色になっていたのか、瓦礫に紛れて命拾いしたらしい。黒い竜は瓦礫を蹴散らし、白い竜の雛を口内に入れその場を飛び去った。

鳥巣の思わせる揺籃の中で、白い竜の雛は安らかに眠っている。それを取り囲むように丸くなる黒いドラゴン。白い竜が目を覚まし、空腹訴えると。黒い竜は親鳥が雛にするように、口を開けた白い竜に自分の居の中の内容物を与え空腹を満たす。

雛が倍ほどの大きさに育ち、やんちゃ盛りな白いドラゴンは仰向けに寝転がる黒いドラゴンにじゃれ付く。尻尾の先端に噛みつき持ち上げられ、尾から腹にかけて滑り降りる。黒い竜の鱗に翼の爪を立ててしがみ付く。首元に両腕を回して締め上げる。脚に尻尾を巻き付ける。首を舌で舐める。耳元で唸り声をあげる。様々な行為で白い竜は愛情を表現し、黒い竜はそのすべてを受け入れていた。

目を覚ますと体の奥から幸福感の余韻が未だに頭に響いている。

脱力感に眠気が混ざり寝返りを打つと、半身が心地良い人肌の感触に包まれた。

このまま永遠にこの時間が続けばいい。

泡沫のひと時にまた睡魔に意識を手放した。


「ドラゴンの残留魔素と周辺の痕跡から、巣穴を特定出来たのはいいが。まだ交渉材料の宝玉は出来あがらないか。接触はまだ先になりそうだな」

エリゼ公爵の別邸の一室を、簡単な魔術師の工房に改装した部屋にパトリックは居た。魔鉱石の製錬、精製のための魔働機器がところ狭しと設置されていた。それは魔鉱石から魔素を抽出、還元し製錬する器械だ。製錬後の無属性のマナと化した魔素が自然界の流れに戻らない様に、魔法陣の中へ封じ込めそのまま超高濃縮に圧縮し続ければマナは結晶化して物質になる。それが魔石だ。圧縮の過程で回収したバグシャスの残留魔素を触媒の核としドラゴンの属性を付与して精製することで、ドラゴンの宝玉を作り出そうとしていた。何処にあるか分からないドラゴンの宝玉を探し出すよりも、その魔石その物を創り出す試行錯誤をした方が有意義だとパトリックは考え実行していた。その研究の成果かとして、今まさにエーテル培養液に浸された圧縮精製容器内に結晶化した魔石の玉が形成されつつある。

「引きこもりのパトリックくーん!お師匠様から悪い知らせだよ」

庭園で剣の修練をしていた美咲は、汗を拭いたタオルを首にかけポニーテールを揺らし部屋に入ってくる。ノックぐらいしろと叱ろうと、振り向くと彼女の手には一通の便箋が握られていた。その封の蝋印はエルスト王国宮廷魔術師の技術研究学会の押印がされていた。それはパトリックの師事する賢者トルトルの印だ。

「何だ!ジジイババア共の御小言か」

美咲の肩には師の使い魔である鳥が、自慢気に乗っている。コイツは人と会話が出来る種類の鳥のハズだが、パトリックには敵愾心を持っているようで一度も口を利かず、懐かれたこともない。背中に郵便バックを背負たまま今も見下すように半目でパトリックを睨んでいる。

「違うよ、別口で冒険者たちがドラゴン討伐に集まっているんだってさ。このエリンの町に」

「どういうことだ!虎徹?」

鳥から先に美咲は話を聞いたのだろう。万が一、使い魔が襲われ密書を奪われた際に、ある程度の情報が伝えられるように訓練されているのだ。その前情報を鳥は美咲に語ったのだろう。

「うーん、分かんない。けどパトリックくんが無駄骨負って頑張って調べ上げた情報が、王様から冒険者ギルドに漏れたんだって。国からも領主からも正式な依頼は、まだ出ていないけど、神殿が在野の冒険者を煽ってコッチに嗾けているって。詳しいお話と今後の活動方針はお手紙を読んで」

「あのクソボケがぁ~ッ!!」

現場で汗水垂らして現場の人間が集めた情報を、上層部のお気楽な連中が杜撰な管理で外部に漏らす。事件としてはよくあることだが、当事者になれば悪態を吐かずにはいられなかった。一瞬、もしや自分が何か失態を犯したのではないかと不安を覚えたから、感情が一気に噴き出した。

「もともと緘口令が敷かれていたけど、そのせいで信憑性がない噂が出回って、神殿が尾鰭をつけて人の不安や不信を煽っているみたい。神殿の奴ら、自分たちが権力を握るためなら、今まで人が積み上げて来た努力なんて平気で踏みにじるからねぇ」

「待機だ」

破り捨てるような乱暴さで便箋を開け、中身の手紙を読み終えるパトリックは直ぐに感情が冷めていく。

「え!?」

「危険なことは何もするなだと。経過観察して状況を報告しろと」

「戦わないの?」

「ドラゴンがピンチになったら救助に向かへとは、書いていない」

「何それ」

「知らん!」

美咲ががっかりした様な声をあげるが、パトリックは興味が失せたように魔働器機の操作に戻る。

「師に何が見えているのかは知らん!アレは何も教えてくれないが、オレたちのような俗人の考えの及ばないところで動いている。アレの言葉に背いても事態をややこしくするだけだ。お前も大人しく、あの貴族の男へのリベンジでも考えていろ」

「まぁいいけど。きっとあの男に勝てないと、ドラゴンにも歯が立たないだろうし」

「これから沢山、死人がでるんだろうなぁ」

「人が生きる災厄に挑もうというのだ。蛮勇は身を亡ぼす。それが道理だ」

世の無常を感じながら、二人は自らの使命を果たすべくそれぞれの仕事に戻っていた。



ドラゴンが居る巣穴はグレンガ鉱山に連なる山の中腹にあった。

ディル・ブリックスはエリンの町を出ていく準備を整えている途中、ドラゴンの噂をアルマファルコ・ファミリーのもと部下から聞かされた。別に今更冒険者としての名誉になんて興味はないが、仮にも自分を慕ってついて来たファミリーに何の補償もなく放り出すのは無責任だと詰られ、冒険者時代の仲間と共にドラゴン討伐に出ることになった。既に冒険者としての地位も身分もないが、正式な依頼が出される前に魔物を討伐してしまえば冒険者ギルドからの報償が無いかわり、その亡骸から得られる資源を自由に出来る。これは古来からの慣習法で決まっていることだ。

「だがよう、何でお前ら素人の連中まで何で付いてくるんだよ」

「こいつら全員世間からあぶれた、行き場のない奴らさ。冒険者になるつもりは無くても、ドラゴン退治に参加したことがるなんて自慢話の一つでも出来れば、少しは世間様を見返せるだろう」

「もともとアンタに命を預けて来たんだ。好きにさせておやり」

「どいつもこいつもままならねえな、クソ!勝手に死ぬんじゃねーぞ」

狭い巣穴の前で火を焚き煙で燻し出す。出て来た所で仕掛けた罠で身動きを取れなくし、強力な銃弾と弩弓の矢で総攻撃をかける。弱った所で対ドラゴン用に研ぎ澄ました刀剣や槍、戦斧で滅多打ちにする。そこまでやれば流石に倒せるだろう。

魔術の攻撃が利くは分からないから、魔術師はドラゴンを逃がさないために魔法陣で結界を張る役目だ。

「首尾は上々だ。私が結界を解かない限り、ここから先にドラゴンは一歩も外へ出られない」

「仕掛けたトラップは万全だ。ミスリルの鎖などもう使わないと思っていたが。取っておいてよかった」

人影は過去の栄光を象徴する戦利品に自慢げに見つめる。洞穴の鋼糸で編んだ網で塞ぎ、それを無理矢理突破しようとするとその力を利用して滑車が回り、ドラゴンの首にかかるように仕掛けられた鎖が巻き付き締め上げられる。単純だがドラゴン用に大掛かりな罠だ。

石で竈を作り粘土で巣穴の周りを固め、焚いた狼煙が漏れなく洞窟に充満するまで時間を待つ。

地鳴りがその時間を教えてくれた。

「来るぞ!準備はいいか」

号令を上げ、統率の取れた動きで部下たちが銃口を、弩弓を巣穴に向け構える。

爆発の様な激突の音共に入り口を破壊して網にかかった魔物の姿に、一同は瞠目した。

角も目も鼻も口もない。顔のない頭、それは巨大な嘴だった。狙い通り首に位置する胴と頭の付け根に鎖が巻き付き締め上げる。堪らず身を捩りってのたうち、暴れ出す。

「かかれ!!!!」

現れたドラゴンの姿は予想外のものだったが、それにためらわず矢弾を浴びせる。一斉射撃でもうねり動く巨体に中る数はそう多くない。どこに命中すれば致命傷になるのかも不明だが、第二射、第三射と数を重ねれば、鎧や盾でも防げない強力な銃弾と鉄の矢が突き刺さっていく。それらから逃げ出そうと、魔物は鎖から無理矢理引きちぎろうと後退しようとする。鎖を繋ぎとめる太杭はギリギリと地面と軋みだし、少しずつ変形していく。

「なんつーバカ力!見た目はあんなのだが、成程これドラゴン級だわ」

「ボス!矢弾がもう直尽きそうです!」

「だったら今度はオレたちの出番だな!」

「覚悟は好いか野郎ども!」

鬨の声を上げ、体内の魔力、オドを漲らせ身体能力を上げた男たちがそれぞれの得物を構え吶喊していく。一人ひとりが生身の限界を超えた筋力を発揮し、振り下ろす刃は容易に岩を割りる威力を発揮する。ただの鋼鉄の剣では簡単にへし折れてしまう程の怪力で放たれる打突斬撃の数々は、拘束された魔物には躱しきれず何度もその身に叩きつけられる。さりとて魔物もやられる一方ではない。未だ洞窟の中にある四肢も翼もない半身を抜き出し反撃する。間合いを読み間違えた、あるいは運悪く位置の悪い場所にいた者たちは、その一薙ぎで吹き飛ばされる。触れた瞬間に身を守る鎧ごと身体がひしゃげ、潰れは弾け飛ぶ。軌道を見切り、避けようとした者は衝撃の余波を受けて態勢を崩した。足場が悪くその場で転んだものは、その場で尾の下敷きになり圧死する。あるいは轢殺され、直ぐに死体の山が出来る。

「やりやがったな!ミミズ野郎!」

無残な仲間たちの死に様に、恐怖を叱咤し激昂するディルは決死の覚悟で起死回生一撃を構える。

その危険性を本能で感じ取ったのか、尾で太杭の刺さった地面を抉り掘り出した魔物はその身を自由にした。ガラガラヘビのように身を震わせて威嚇の音を出し、大上段に構えるディルに相対する。

今度はただの虚仮威し一撃では無い。本気の殺意を込めた必殺剣を構え、魔物を正面から迎え討つ。総身に精気を漲らせ、オドが体中を高速で循環する。オドの奔流が励起し、体外のマナにまで反応し出し燐光が体表を覆う。それに呼応するように握った両手剣が紫電を纏う。

兜割りのディルの二つ名の由来は、単に得意技で敵を屠ったことで付いた訳ではない。その技を極め並ぶものなしと評されたからこそ、その名を冠した。幾千幾万と磨き上げた剣技に、肉体を鍛え上げると共に練り上げて来たオドを合わせた。

魔法の域に達した一線の剣技だ。

目が無く視界も無いハズの魔物は、どういう言う訳か、その剣の間合いを警戒している。おそらく第六感でも備えているのだろう。マナの流れを感じる器官を持っているのかも知れない。

魔物は頭と尾で挟み撃ちにするように、左右からディルを取り囲む。それでも構わない。圧し潰される前に叩き切る。兜はおろか、城壁でさえ斬り崩す威力の一撃の前に、わざわざ無防備な胴体を晒してくれているのだ。

裂帛と共に踏み込みは地面を送り距離が縮まる。ディルの身体があった場所を挟み撃ちにした頭と尾が交差する。本来そこに居るべき場所から居なくなった。周囲とはまるで違う時間を生きているかのような素早さで、移動を終えたディルは既に刃を振り下ろしていた。刃から燐光が放たれ斬撃は輝線を描きその直線上の全てを切り裂いた。一瞬の内に硬い岩肌の大地には裂け目が生まれ、ディルの渾身の一撃が絶大な威力だったことを物語っている。

一泊遅れて、両断された胴体から衝撃で地と思しき体液が弾け飛び、沸騰の勢いと共に噴き出す。声の無い断末魔を上げ、もたげた首が、尾が、力なく倒れ伏しビクビクと痙攣ししばらくして動かなくなった。

「どんなもんだい、まだオレも捨てたもんじゃないだろ」

胸に久しい達成感と高揚感を覚え、疲労と消耗感を吹き飛ばす歓声を浴びる。

冒険者、自ら危険を顧みずに勇敢に未知を追い求め、暗闇に閉ざされた世界に人類の光明を見つけ出す。それが冒険者のあるべき姿だ。かつて勇者と呼ばれ、魔王を打ち果たし人類を救った英雄に自分を重ねた子供時代の夢だ。

とうの昔に忘れてしまった憧れに、今自分が指をかけている。道を踏み外し、罪を重ねた自分が賞賛され、それを誇りに感じている。皮肉な話だ。夢捨て誇りを捨て、現実に打ち負かされた後に、こんな場末の辺境でよやく英雄のような扱いを受けている。

「おっと、流石にちょっと張り切り過ぎたか」

軽い眩暈を覚えた。現役時代とは違い、加齢の所為かブランクの所為か負担が大きかったようだ。少し休んでーーーーーーーーー。

ディル・ブリックスの瞼はもう二度と、開くことは無くなった。

苦しみを自覚することなく、高濃度の魔物の魔素を吸い込んだ身体は静かに息を引き取った。そして彼の死体が地面に倒れ伏す様を見ていた仲間たちも同様の運命を辿る。結界に閉ざされた空間に瘴気と化した魔素が渦巻く。死んだハズの魔物は無数の触手の群れに代わり、残された死体の群れに這い寄る。大きな蛆たちが鎧の隙間から入り込み、皮膚を裂いて肉を食い破り、血を啜って、より肥え太っていく。

その惨たらしい仲間の結末を、滂沱の涙を流して震えて見守るしかない。

名もない魔術師は半狂乱になって逃げだした。


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