第10話 フラストレーション!


ジェーン・パンド・ラピスは面倒な来客の応対に億劫な気分になっていた。夜の仕事ではない。表の顔である町長としての仕事だ。

「では今後もこの町に逗留し、活動拠点を作ると」

「ああ、ドラゴンの活動の痕跡は、近辺の魔の山脈の麓の森や湖、川で発見できた」

あのトカゲ、しくじりやがったなとジェーンは内心で毒づかずにはいられなかった。

「それを鑑み、未だに発見例は無いがエリンの町の郊外のどこかに潜んでいる可能性が高いと判断した。そして夜行性なのか夜間に活動しているようだ。魔素の残留濃度からもうエリンの町を覗きに来てはいないようだが、やはりこのままこの町に逗留してドラゴンの捜索拠点した方が効率的だと判断した」

「ええっと、今後ともよろしくお願いします。滞在に必要な経費は冒険者ギルドが立て替えてくれるそうで」

「ええ、承っております。ではこのままゼリエ公爵の別邸でお過ごしください」

バグシャス様には後で文句を言ってやろう。

相手が子供だからと言って侮っているようだが、こちらは正体がバレたら致命的だ。もう少し俗世に生きる者たちに関心を寄せて、動いて欲しいものだ。

「ところで町長さん、チャールズ・ハンガーって人、知りません?」

「確か昨日、グリフォンの死体を町に持ち込んで噂になっていた方ですね。わたくしも聞き及んでおりますよ。大層な高値が付いたとか」

「その人、元冒険者だったりするんですか?それとも騎士様?」

「さあ、一町人についてそこまでは存じ上げませんので」

「彼が仕えている貴族の令嬢については?」

「いいえ。貴族様についてなら、ゼリエ公爵様にお聞きになられた方がよろしいかと」

「そうさせてもらう」

実際、あの人間たちについてジェーンは何も知らない。シャルと呼ばれる男は、バグシャスに紹介されたことから彼がドラゴンの眷属であることは推察できる。どう云う理屈かは知らないが、常人離れした力を持っているらしい。従順な奴隷のように何も考えずに言われた事をこなし、馬車馬のごとく働く。あまり世間擦れしていない様で無知だが、妙な知識を披露して高い教養を伺わせる。判断力に欠け、常に誰かの顔色を窺って行動することから、おそらく飼い人と呼ばれる高級奴隷だと思っていたが。そうなると少女の存在が分からない。見た目は兎も角本当に、ただの無関係な子供としか思えない。どこかの国の高貴な身分のご落胤だと噂されているが、ゼリエ公爵でさえ正体を知らない。

「警戒すべきはあの男よりも、少女の方か」

触らぬ神に祟りなし。余計な詮索で、手に負えない闇に触れることにはなりたくはない。


町の酒場は大盛況だった。魔鉱石探掘作業員が大挙して押し寄せ、誰もが皆酒代を気にせず大量の酒を浴びるように吞む。食べきれない程の料理を何列もの長テーブルに、所狭しと並べ暴食の限りを行う。そんな中、二人の男が隣に並んで座り会話している。

「親方はやっぱり貴族の方だったんですね」

「職場以外では名前で呼べよ、シャル。ああ、貴族と言ってもオレは庶子だがな。貴族の血のおかげか、生まれついて高い魔力と頑丈な身体でな。将来は母方の実家から、騎士になることを期待されていた。けどな、オレが子供のころは皆が冒険者に憧れの職業だったんだ。ディルたちと出会ったのもその頃さ。それで誘われるまま魔獣退治や未開拓地への遠征やらに付き合うようになってな。でもそういう仕事は危険だが、実入りが悪い。その内……」

すっかり酔いが回って何度も同じ話を繰り返している。シャルは赤を通り越して青ざめ始めた顔色で、うんうんと頷き偶に話の整合性を確認するため質問を挟む。そうしないと時系列が巻き戻って、また最初から話直すのだ。

「あのエンブレムのデザインは貴族の家紋ではないんですか?」

「ああ、アレか。アレはなぁ、貴族の親父の家紋のアレンジだ。大分、アレンジが利いているからもとが分からなくなってはいるが、見るヤツが見れば分かるだろうなぁ。お前は見る目があるなぁシャル。そいうとこだぞ、お前が油断らないのは……」

エリン魔鉱石採掘場の作業員たちが酒場に集って、どんちゃん騒ぎの酒盛りを催している理由は一つだ。採掘現場で新たな高純度の魔鉱石の鉱脈を掘り当てたためだ。それで現場の作業員が一堂に会して、前祝を行っている。現場監督や各作業班の責任者たちが緊急会議を行い、新しい現場の魔素濃度の希釈が可能かどうか、それを為すにはどんな機材を用いるべきか、また採掘のために魔素への抵抗力が強い作業員を選出するための検討を行っている。その決定が下るまで現場作業員に特別報償として有給を出した。

「お前は魔鉱石探掘で終わる様なタマじゃねぇよ、オレがお前くらいの歳の頃はもっとでかい夢を……」

人の事情も知らず暢気に他人に夢と言う期待を押し付け、自分の苦労語りをする。正直、食傷気味だ。皆が嬉々として飲み交わす酒を美味いと感じたこともなければ、美味いと勧められる食事もすべてが味気ない。早く帰ってアデルの笑顔を見て、その体温を感じたい。飽きを通り越して、苦行に思えて来た。

「シャル!こんなところに居た!」

酒場の入口の方から聞き覚えのある声が聞こえて来た。その口うるさい声は見知った女の声だ。ステラ・アンブローシアは興奮した様子で、宴の中に割って入って来た。

「こんな時間まで飲み明かして、何を考えている!いいや、お前は何も考えていない。バカだからな!帰るぞ!明日は会社が休みでも家の仕事が山ほどあるんだ!」

「ああ」

厭きれた目でシャルはステラの姿を認める。女性らしい服装とやらに身を包んだ姿だ。普通の町娘と呼ばれる目のやり場に困らない地味な格好だ。夜間の女性の一人歩きは危険だが、体術やナイフの扱いに長けた現役冒険者だと知られたステラに突っかかる無法者はいない。

「ほら、ちゃんと立って、水を飲んでシャンとする」

シャルの目つきを酔いで眠気に襲われたものだと判断したは、世話を焼く。その様子に男たちは好奇と羨望、あるいは嫉妬の視線を向けた。

「やっぱりそう言う関係か」

「野郎、あんな上玉捕まえやがって」

「止めとけ止めとけ、ありゃ絶対尻に敷かれているぜ」

首根っこを掴まれて、まるで猫のように連れていかれるシャルを見て酔漢たちは次々にはやし立てる。その反応にはにかみそうになるのを堪え、ステラはされるがまま酒場を後にする。

「助かった。正直、オレでは話を切り上げられずに延々に付き合わされる所だった」

「初めてお前から礼を言われたな」

「アデルはまだ起きているのか?」

「いいや、今晩は遅くなると言っていたからもう寝ている」

「そうか」

家路の間の会話は、それで終わった。



翌朝、丸太を薪に変えるためシャルは斧を振るっていた。

「その分だと、うちじゃ持て余す量だね」

朝食の準備を終えたエステルは、仕事の進捗を見てそう呟いた。あの日以来、シャルは彼女を避けるように薪割りに没頭するようになった。

「分かりやすい男の子だね」

身体を動かして雑念を払えば余計なことを意識しないで済む。シャルの心はアデルに向いていても身体は若い男だ。どうしても適齢期の女の肉体に惹かれてしまうのだろう。そろそろアデルに性教育を施して、男性の身体の仕組みについて理解してもらう必要があるようだ。エステルにはあの娘たちの将来が心配で仕方がなかった。

「心ってのは、自分じゃどうにも出来ないものだからね」

「エステルさん、どうかしましたか?」

「いいや、何でもないよ!朝飯にしよう。今日はアデル上手に卵焼きを作った」

「それじゃうんと、褒めてあげないと」

こちらの気を知ってか知らずか、晴れやかな、本当に嬉しそうな笑みを浮かべるシャル。彼のアデルへの思いはきっと依存なのだろう。それが双方向なものなのか、一方的なものであるのかエステルには未だ判断が付かなかった。

「天使の様な愛くるしさで、人を誑かす魔物」

そうじゃないといい。疑いたくはないが、孫娘には報われて欲しいと思うと、アデルに対しそんな暗い疑念を抱かずにはいられなくなった。

「寒さの所為か、暗い想像ばかり浮かぶね」



「それでワタシはこの町の治安をよくするために町長から、警邏の仕事を請け負うことになった。町内で騒ぎを起こす無法者を取り締まる…」

「何にせよ、いい大人がただ飯ぐらいじゃなくなったことはいいことだ」

「うぐっ!」

「シャルはお休みの間は何をするの?」

「乾燥し終わったら、余った分を売り行こうと思ったけど。それまでは暇だな」

「豊穣祭の準備の手伝いでもしてくりゃいいだろ。アンタも余所者なんだ、町の人と顔なじみなっておいて損は無いはずだよ」

「そう言えば最近町でよく、何で魔鉱石の採掘をしているのかを訊かれることが増えましたね」

「何で?」

「さぁ」

「じゃなくて!何でお前は魔鉱石の探掘なんてことをやっているんだ。いや、別にその職業を軽く見ている訳じゃなくてだな。冒険者よりも危険でキツイ上、不衛生な職場だろう」

「見つけたいものがある。魔石の鉱脈のどこかにあるハズだ。それがこの町の、グレンガ鉱脈にある可能性が一番高い。だからここで魔鉱石の採掘を手伝っている。正直、それ以外のことは全部ついでだ」

「シャル、最近イライラしてるの?」

「そうだね、焦っているよ。この町に着てもうじき半年だ。はじめは君が大人になるまでに見つかればいい、なんて悠長に構えていたけど。他のあては無くなってしまったし、時間をかけ過ぎて周りにやり難い相手が増えてくる予感もしてきた」

「ホームシックになって来たし、アデルも一緒に一旦実家に帰ろうか?」

「シャル、わたしまだ、お洋服を作るお勉強を始めたばかりよ。帰るのなら、一人で帰って」

「寂しいな」

「一人旅が寂しいなら、ワタシが付いて行ってやろうか?」

「お前を連れていく理由がない」

「冗談だよ、何だよその目は」



「エリンの町郊外にドラゴンが潜伏しているのは間違いない情報だ」

「だからと言って、軍を駐留させようにもそんな大規模な兵站を確保することはできない。一個旅団を一頭で壊滅させるほどの怪物だ。未だに鉄道路線さえ敷いていない地域に、師団規模の戦力を派遣するのは不可能だ」

「軍がダメならば、冒険者と派遣すればいい。すでにギルドは人員を派遣し、現地で調査を進めているのだ」

「しかし、だね。ドラゴンに対抗しうる程、実力をもった冒険者に依頼を出すとなると軍を動かす以上の予算をばら撒くことになるぞ。未だ実害も出ていない以上、どこからそんな金を」

「被害が出てからでは遅いのです!国家国民の財産と生命を守りる義務が」

「現状、ドラゴンよりも力を持て余した冒険者たちの方が脅威だぞ。彼らのもたらす犯罪被害の方が社会に悪影響だ。冒険者ギルドに力を持たせるくらいなら、多少領民たちに犠牲を強いても」

「国のお偉方は好き勝手言ってくれるな」

「仕方があるまいよ、彼らには抱える者が多い」

「だからよう、誰の責任問題にもならない様」

「俺たちが自発的に行動を起こせば文句は無いだろう」

「倒せばドラゴンスレイヤーの名誉が手に入るぞ」

「ドラゴンの鱗、爪、牙、骨、血そのすべてが富を齎す財宝の山だ」

「悪しき竜が人心を惑わし世を乱すなら、神殿の威光を示し邪悪を退けるのまで」

エリゼ公爵領のドラゴン問題について、王国評議会で喧々諤々と論争を繰り広げる中、立身出世の野望を持つ在野の冒険者たちは着々とことを進めていた。

「件のドラゴンは、人語を操り人と遜色ないレベルの知能を持っている。魔獣としての気性は如何ともしがたいとは言え、理性ある魔物を他の魔獣と同列に扱う無知な輩に殺される訳にはいかん。だからこそ秘密裏に弟子たちを送り込んだというのに」

「パトリックの暗号報告が間者にバレたか」

「いいや、フィリスだ。あのバカは自分のお気に入りがドラゴンに負けたことが余程悔しいらしい」

「折角、冒険者ギルドから力のある平民を引き抜いて騎士団を組織してやったというのに。この次第が分かっていないのか!?」

 王国の中枢では苛立つ人々が喧々諤々としていた。

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