第9話 初邂逅
魔石が化石燃料の代わりになるから、薪に石炭や石油の需要が無くなるということは無い。魔石を精製する技術が発達しても、魔石は未だに高価で一般人には手が出ない代物だ。そのため庶民生活で活用される程、魔石を動力源に使った魔働器機は一般に普及していない。冬越えの暖房設備はまだまだ薪をくべるストーブが現役な地域が殆どだ。使用人の多い裕福な家庭でも石炭、都市部では石油ガス、単なる暖房のために魔石を使うなんて贅沢をする人間は、目の前の少女くらいだろう。
「あー、暖かい」
「なんて無駄な浪費を」
魔石式のランタン、魔道具だ。魔石の魔力で火を起こす魔術師でもなくとも簡単に使える魔働装置だ。円筒形のランタンに魔法陣が描かれた三枚の輪が嵌っており、それを回して刻まれた呪文を変更し火力の変更や放熱温度、光の調整を行うことが出来る。
美咲は以前の戦いで貴族の男が魔法具を隠し持っていたことから、自分も何か魔法具を武器に欲しいと駄々を捏ねた。魔法具は、死してなお骸に強い魔力を宿す魔物を加工した特殊な魔法道具で、天然の魔石同様希少品だ。おいそれと入手できるものではない。代わりにパトリックが手慰みに作った魔法道具を渡したら、美咲はさっそくソレを使い始めた。武器ではなく、ただのランタンだか満足したようだ。
こうした魔法道具は、魔法具と異なり使用するには魔石を消費して動くので、区別して魔働具とも呼ばれる。発動は魔術による術式ではなく、あくまで魔法に則った呪文によるものなどで魔素汚染も発生しない。
「だって急に寒くなって来たんだもん!暖かい服の用意なんてないし」
「確かに今朝は、涼しいを通り越してちょっと肌寒いくらいだな。もう少し厚手の下着を着こんでくるべきだったか」
魔法を利用するための呪文は魔法使いにしか解読できない。火を起こしたり、水をろ過したり、現代文明の利器で可能なレベルの呪文は解明されているが、それよりも難しい魔法は何百年も研究されているにも関わず、未だに解明されたことはない。パトリックはそれが神の禁忌に触れる領域だと教えられた。
山岳からの吹き下しの風を防ぐために植えられた林を見詰め、パトリックは道中の景色に季節の変わり目を感じ始めていた。長閑な風景だ。旅をはじめてそう日数は経過していないが、最初に着た町で何か月分もの経験を積んだ気がする。精神的にもこの町からすぐに離れ、魔素の痕跡を辿るドラゴンの探しに戻りたくて仕方がなかった。
世界の真実がどうあれ。自分がやるべきことは、変わらずそこにある。馬車の御者をしながら、物憂げな表情を浮かべていると。
「黄昏てるの?まだまだ紅葉狩りにも早い時期だとおもうけど」
「いいや、別に。あの山脈の向こうに何があるのかと思っただけだ」
「知―らない!」
昨日までのしおらしさは何処にいったのか。持ち前の能天気さを発揮する美咲は、すっかり元気に荷馬車の後ろで暇を持て余している。
「あの山の向こうには、ハーピイの棲息する渓谷がありますよ。それを越えるとグリフォンが縄張りの金山が、更にトロールの不浄な洞窟を抜け、神樹が聳え立つ森にエルフが住まい、峻厳な山岳には謎の茸の怪物とドワーフが良く分からない希少金属の研究をしています。魔の山脈を越え、そのまま西に進むと半獣半人が集落のある原野が、北に進むとドラゴンが治める帝国があります。東には海があり幾つかの港湾都市が整備され、海神を祀る人間と海魔が海底都市との交易をしていますね」
未整備の街道を往く途中、いつの間にか一人の男が会話に混ざってきていた。
「へー、そうなんだぁ。知らなかった。ああ、でも賢者のトルトルさんも魔の山の向こうには、エルフやドワーフがいるって言っていたっけ?」
見知らぬ男がいることも気にせずに美咲は会話を続ける。
「嘘か本当か、10年以上前の噂だな。エリンの町がかつては冒険者の町と呼ばれ賑わっていた時代の、与太話だろう。魔の山脈を踏破した何て話は聞いたことが無かったが」
胡散臭い物を見る目で、進行方向からやってくる男に注意を払うパトリック。
「で、アナタは誰?」
「申し遅れました。オレはチャールズ・ハンガー、あなた方は旅の方ですか?」
日差し除けの帽子を上げ、顔を見せる若い男。人懐っこい大型犬を思わせる無邪気な顔立ちに笑みが浮かんでいる。肌寒い風が吹いているにも関わらず、質素な服装で平気で肌を露にさせている。逞しく鍛え上げられた肉体は、ちょっとやそっとの北風には負けないのだろう。
「冒険者のパトリックだ」
「同じく虎徹・鷲宮・美咲です!」
遠くに居るのを見つけて、行商人の荷馬車だと思っていたが。近づくにつれそれは人間が曳いている荷車だと気づくまで時間がかかった。正直、あからさまに怪しい人だったので、気づかない振りをして通り過ぎたかった。まさか自然に会話に混ざってくるとは。
「冒険者ですか、夢があっていいですね!未知を追い求め、道なき道を進む勇敢な人々の武勇伝は大好きです。差支えなければ、あなた方がどんな冒険をして来たのか教えていただけませんか?」
「それはいいが、コレは?」
「冬籠りの準備です。薪は冬に備えていくらあっても困りませんし」
挨拶程度ですぐに通り過ぎようとしたにも関わらず、馬たちは怯えたように立ち止まり不安げに嘶く。何が原因かと思ったが答えは目の間に在った。
「いや、薪の方ではなくこの魔獣はアナタが?」
輓馬のように大きなリアカーを曳く男の後ろには、丸太が敷き詰められていた。その上に一頭の魔獣の姿がある。
「ああ、こっちですか。稀に良くにある事ですよ。グリフォンは年老いたり、怪我をして獲物を取れなくなると山を下りることがあるんです」
神々の作り出したキメラだと伝えられるグリフォンは、鷲の上半身と翼をもつ獅子だ。鳥の王と獣の王とが合体していることから、王家の紋章の意匠に使われることもある。輓獣として馬を敵視し、牡馬を喰らい、牝馬を犯して孕ませる狂暴性で知られる。空を飛べるから神出鬼没で、輓馬よりも強大な力を持ち、人間に懐かない荒い気性から、人里に現れれば高い討伐報酬を懸けられる。それも上級の冒険者たちがチームを組んで一頭相手にできれば、儲けものと言う危険な魔獣だ。
「見たところ怪我も少ないし、毛並みも翼の抜けも少ない。おそらく老衰か病気が原因で縄張り争いに負けて、自力で動けなくなる前に下山したのでしょう」
「これがグリフォン!本物!超カッコいい!初めて見たよ!本当にあの山の向こうからやって来たの」
「この近くにそれ以外の生息地は無いですし、人に懐く魔獣ではありませんからね。世の中には魔物使いと呼ばれる人もいますが、それらしい人物も見当たりませんでした。魔の山脈から降りて来たと考えるのが妥当でしょうね」
「野垂れ死にしている所を拾ったのか?それともアナタが?」
グリフォンの喉元に深い裂傷があった。これが致命傷になったとも考えられる。
「ええ、森で弱っている所を一思いに。その場で血と内蔵を抜いています。食肉としてはイマイチですが、貴重な食料ですし。持ち帰って羽毛と毛皮を剥いで売ろうとか」
まるで弱った鹿がいたから捕まえて捌いて持ち帰りましたとでも言わんばかりの口調だった。唖然としているとシャルはこちらの顔を興味深く覗いていた。
「パトリックさんの瞳はトパーズみたいでとても素敵ですね。虎徹さんが持っている剣はとても長いですが、それは背負ったまま抜けるのですか?」
「抜けるよ!チャールズさんはエリンの町の人なの?」
「はい、今は郊外にある酒宿に住んでいます。オレのことはシャルでいいですよ。お二人ともそう年は変わらないようですし」
「よろしく、シャル。ところでこの先の森で変わったことは無いか?樵ならいつもと何か違ったことに気が付かないか?そのグリフォン以外の事で」
「すみません、オレは樵ではなく魔鉱石の探掘作業員です。森の中で何か変化があっても、大きなことでもないと気が付けませんね。町には猟師をやっている人もいますから、その方に訊いた方がいいと思いますよ」
「そうか残念だ。ところで先ほどの、ドラゴンが治める帝国があるという話なのだが。それは誰から聞いた話だ。少し興味がある」
「モンシア・ベルモント氏からです」
「モンシア・ベルモントだと!?」
「誰それ?」
「モンシア・ベルモントとは、ゼリエ公爵領で冒険王と呼ばれた伝説的な冒険者だ。40年近く前に現世に残った最後の地竜グレンガの発見をはじめ、数々の鉱山資源の発見、水脈の探査などで活躍した。彼はエリンの町を活動拠点にして、ただの寒村だった町を冒険者の町として一躍有名にした。彼の名声や功績にあやかって地竜グレンガの討伐や、魔の山脈の探索に挑戦する者たちが盛んに訪れるようになった」
「22年前、彼が17回目の魔の山脈の探索に挑み帰らぬ人となった。以降は地竜グレンガもこの地を去り、魔の山脈の探索も失敗続きとなり、一気にエリンの町は寂れていった」
「へー、あのおじいさんそんなに有名な方だったんですね」
「会ったことがあるのか?」
「ええ、知り合いですよ。5年くらい前に足腰を痛めてから、自力での帰郷を断念してしまいましてね。今ではご自身の経験や、半生を綴った本を出版して印税で暮らしています。オレがエリンの町に移り住む際に、何冊か図書館に寄贈しましたら興味がおありでしたら、是非」
「ちょっと待って多い!多いから情報量!」
「お前は……ドラゴンの帝国から来たのか?」
「そうですよ、ちなみに国名はエクザスと言います」
「ああ、もう夕日が暮れてきましたね。名残惜しいですがもう帰らないと」
「では、これにて失礼します」
「待って!ちょっと!止まって!」
「すみませんが生ものを運んでいるので、これ以上はちょっと。いずれ機会をもうけてゆっくりとお話したいですね」
「えっ!速い!何あの人、荷馬車曳いていてなんであんなスピードでるの!」
「やめろ虎徹!勝手に手綱を引くな!馬が動揺している!」
「ああ、もうあんなに遠く!」
「慌てるな!追いつく必要はない!後から町に戻ればいい。アイツは町の人間だ。郊外の酒宿に住んでいるとも言っていた。名前も分かっているんだ。後で調べればいい」
「ええー、あの町に戻るの?」
「嫌でも仕方ない。あの男は間違いなくバグシャスの手掛かりだ。戻るぞ」
「うぇーい」
その日は町でちょっとした騒ぎが起きた。
シャルがグリフォンの亡骸を運んでいるのを行商人たちが見つけ、あれよ、あれよと見世物になり競りが行われた。自分で羽毛や毛皮を剥いで、鞣したり加工する手間が省かれたのはいい。けれど大金の代わりに自分と取り分が少なくなったのは不満だった。
グリフォンの羽根で布団や枕を作りたかったのが、グリフォンは水鳥ではないから、温かく寝心地の好い羽毛布団が欲しいなら止めたほうがいいと、説得された。
確かにと、納得し一番高値で取引をしてくれた商人から、冬用のコートと防寒用ズボン、酒宿の部屋数分の新品の羽毛布団と毛布を仕入れることになった。
「と、言うことでよろしくお願いします」
「アンタは休みの日には何かしでかさないと済まないのかい?」
「何事もないのが一番ですけど。これも世の中が目まぐるしく変わっていく中で起きた出来事の一つですよ」
「はッ!ウチの旦那と同じことを言いやがるね」
「オレもモンシア先生に薫陶を受けましたから」
「あっちでもまたバカなマネをしているんだろうね」
「お会いしたくはないですか?」
「旦那がこっちに帰ってくるのが筋さ。アタシはこの家から出ていく気は無いよ」
「昨日までと言っていた事違いません?」
「アンタらの所為さ。アンタもこんな簡単に金を稼げるんなら、とっとと稼いでアデルを学校にでも通わせてやりなよ。魔鉱石の探掘なんてキツイ仕事もやめてもっと楽に稼げる方法もだろう?」
「お金は問題じゃないですよ。まぁ、経済的に生活が潤おうことは好ましいと思いますけど。オレたちが欲しいものは金では手に入らないものです。いつか時間が解決することを待っていたら、先に限界を迎えてしまいそうです」
「それに今は健やかな彼女の成長を見続けることが、オレにとって一番幸せな時間です」
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