第8話 視線の先には

「ただいま帰りました」

「シャル!お帰りなさい」

アデルの満面の笑みを受け止め、抱き上げ頬を擦り付ける。それだけで今日一日の苦労がすべて報われたような幸福感が胸に広がる。

「ああ、ずっと逢いたかった」

「さっき迄ずっと一緒だったじゃない。可笑しなシャル」

「今日はとっても素敵な日だわ!だってシャルが普通の人みたいな恰好でわたしの傍にいてくれるんだもの!」

「オレ普段、そんなにひどいの?」

ちゃんとした服装って何だろう。シャツもズボンも裏表や前後ろは間違えずに着ているはずだけど。分からないことは後回しでいい。

「今日はたくさん疲れた。とっても大変な一日だったよ。今晩はもうアデルと片時も離れたくない。今夜は一緒に寝ようアデル」

「そう、お疲れ様シャル、お休みの日なのに頑張ったのね。いい子いい子」

玄関扉の前までエステルがやってきて呆れた声で話かける。

「何をイチャついているんだい?シャル……。ああ」

いつも以上に惚気ている二人の様子をさて置いて、シャルが一人で帰ってきた事実に寂しさと若干の落胆を覚え嘆息した。エステルは出迎えの挨拶をせずに、静かに夕飯の支度に戻った。

「エステルさん、ステラさんは怪我をして町の宿で寝ています。安心はできないでしょうが、死んではいないのでそう気を落とさないでください」

「アンタが何とかしたのかい?」

「結果的には」

「そうかい。あんなのでも唯一の身内だ。一応、感謝しとくよ」

「申し訳ありませんが、その言葉は受け取れません。生きていても、心が無事とは限りませんから。無責任なお節介で、貴女方を苦しめることになってしまったのかもしれません」

「それでもいいさ、家族ってのは、そう言うものさ」


自室で寝間着に着替えたアデルとは、シャルの部屋でクローゼットに彼の服をかける。

「シャル、卸したての御洒落着なのに、カフスが取れかかっているわ」

「ああ、帰える途中で刃物を投げる暴漢たちに襲われてね。色々あってズボンも破れて汚れてしまったし。本当に災難な一日だった」

「折角綺麗な服を仕立てたのに、この町には乱暴な人が多いのね」

「時期にこんなこともなくなるよ。領主のゼリエ公爵はなかなか開明的な人物だし、今の選挙が公正かどうかは兎も角、表裏のある町長のジェーン女史は信任に足る人だと思うよ。厄介な事を悪巧みしている人たちも……この町から出ていくと思うよ」

「領主や町長をまるで見て来たように言うね」

「貴族みたいな格好をしていると、普段立ち入れない場所にも入れたからね。たまにはこんな着飾った服で出歩くのもいいね」

「本当!本当にシャルは、ちゃんとした服を着て、ちゃんとしたデートをしてくれるの!?」

「うーん、それは何かのお祝い事の時にしようか。流石に普段からあんな窮屈な服を着て出歩くのは御免だ。ちょっと本気で動いてみたらご覧の有様だもの。もうお店で繕って貰うお金もないから、エステルさんが裁縫も出来るか聞いてみようか」

「わたしお裁縫が出来るようになりたい!そうすればシャルはわたしの作った服を毎日着てくれるでしょう!」

「それは好い夢だね。やりたいことが見つかったのなら、今度はそれが実現できるようになろう。出来ることが増えていけば、きっともっと楽しく生きられるよ」

「ここに来てから毎日が楽しいわ。みんなシャルのおかげ」

「淋しくはないの?」

「何が淋しいの?」

「だってわたしにはシャルが居てくれるんでしょう?」




「お世話になりました」

シャルはもう傍には居なかった。一人目を覚ますと、貴族の屋敷の一室に見える見知らぬ場所にいた。柔らかなベッドでの寝心地はいいが、寝起きは最悪だった。昨夜のことはよく覚えていないが、人生最悪の酷い恥辱と屈辱を味あわされた事はハッキリと記憶している。

何より清潔な寝間着の下には、昨晩の凌辱の痕がくっきりと刻まれたままだ。シャルに助け出された後、治療を受け体力が回復するまで眠り続け、気づいた時にはもう朝になっていたらしい。

部屋を出ようとすると、屋敷の侍女らしき女性につかまり、部屋に押し戻されここで医者を待つように言いつけられ診断を受ける。

医者はもう健康状態に問題は無いと診断した上で、帰宅の許可を出してくれた。

「診察と治療費はもう頂いているから、支払いの要らないよ」

「え?」

「昨夜、お客様の一人が貴女の騒ぎを聞きつけて代わりにお代を支払ってくれたよ。知り合いなら、後でお礼を言っておくといい」

「シャルが治療費を」

「いいや、彼じゃないよ。恋人さんは大層ショックを受けていたみたいだったから、もうこんな危険なことに首を突っ込んじゃダメだよ。貴女を大事に思ってくれている人のことを考えて、生き方を反省なさい。例え貴女が平気だとしても周りの人は大丈夫じゃないの。貴女の人生は貴女一人だけの物じゃないのだから、これに懲りてもっと周りの人の気持ちを考えなさい」

「………はい、すみませんでした」

深々と頭を下げたステラに頷いて医者様は部屋を後にする。

シャルは昨夜の内に帰ったらしい。正直目を覚ましてからずっと、どんな顔をして彼に接すればいいのか気不味くて仕方がない。ただでさえ気恥ずかしくて顔から火がでそうなのに、着替えとして貸し出された服は恥ずかしさの限界突破しそうだ。

先ほどの侍女が仲間を引き連れてやってきて、嫌がるステラに寄って集って無理矢理着せ替えた。この屋敷は隠れ娼館で、色々な事情を抱えた女性たちが働いているそうだ。反社会的で背徳的なイメージに反して、蓮っ葉さを感じさせない明るい表情と朗らかな雰囲気でお節介を焼いてくる。身分や仕事に対する卑屈さや劣等感を抱いた人たちには見えない。医者が常駐している上に、年端もいかない子供や老人までいる。屋敷は広いがきちんと手入れは行き届いているようで、ただの貴族屋敷だと言われれば騙されそうだ。

「よく似合っているじゃない。とっても可愛いわ」

「世辞はよせ!こんなのッ……可愛いだなんて」

「こんな着飾った恰好、ワタシに似合う訳がないだろう!」

「着飾った?」「いやいやこれは普段使いのワンピースよ」「可愛い」「あんなムサイ恰好なんかより、こっちの方が絶対好いよ!」「アレあれで需要あるかも」「ええー」「ボディラインがねぇ」「タイト過ぎて」………。

好き勝手に女性たちが口々に喋り出し、ステラは辟易とさせられた。いつまでも続くと思われた無駄話を、屋敷の女主人が一喝して黙らせる。皆彼女に従順らしく、あとはトントン拍子で、もとの装備一式を返して屋敷の外まで送り出してくれた。

まだ身体に違和感があって、少し歩き難い。

「この恰好で人で町中を歩くのか」

スカートがひらひらと揺れ、解放感のある股下が余計に心細い。女が一人歩きをしていれば、また昨日や一昨日のように暴漢に襲われる危険がある。流石に日の出ている内にそんな不埒なマネが出来る程、治安が悪化しているとは思いたくないが、用心に越したことは無いだろう。腰もとにナイフホルダー付きのベルトを巻いてシースナイフを差す。

少しだけいつもの自分が戻って来た。

「ワタシは冒険者だ。夢を追いかけるために、強くなった」

ディル一党の問題が片付いたのなら、もうワタシがこの町でやるべきことはもう無いはずだ。冒険者ギルドに事の顛末を報告して、迷惑をかけた人たちにお詫びとお礼をして。その後はやっと自分の夢を追いかけられる。そのハズだった。

「力不足は百も承知のハズだったのに」


「ただいま」

ドアチャイムに振り向くと、孫娘がまるで素直な子供時代に戻ったような恰好になって帰ってきた。普通の人生を送っていれば、こんな格好をして一緒に店の切り盛りをして、今でも酒場として賑わっていたかも知れないと。そんな在り得ない夢を幻視してしまう。

「お帰り、ステラ。朝帰り、いやもう昼前だよ。どこほっつき歩いていたかは訊かないよ。思ったより元気そうじゃないか。お腹は空いていないかい?」

「大丈夫、心配かけてごめんなさい」

しおらしく謝る姿は反抗期に出ていった孫娘からは想像も出来ない。余程ひどい目に遭って、思い知らされたのだろう。大人になれば社会に揉まれ、世間擦れしていけば分別が付くと思っていたが。血筋の所為か、なまじ才能があって逆に増長してしまった。いつかこんな目に遭うことを予感していた。最悪、命を落として二度と帰って来なくなることも。命があって、五体満足で、生きて帰ってきたことが心の底から嬉しい反面新たな不安が湧く。

自分を強いと思い込んで、いつか身の丈に合わない失態を経験し、もう立ち上がれなくなってしまうことも、自暴自棄になって道を踏み外してしまうことも覚悟していた。そして一度の失敗で心が折れる程、弱い子ではないということも分かっていた。

「随分と色気づいた恰好じゃないか。そんな御洒落をして、男の気でも惹きたいのかい?」

「ちっ、ちがう!違うから!これはその、泊めてもらったお屋敷の人が無理やり」

「あの男には深入りするなって教えただろう。後悔することになるよ」

「何でワタシがあんな奴のことなんか」

「そうかい。なら安心だ」

「そう言えばあの男は?」

「シャルならまだ部屋で寝ているよ。アデルも今朝は起きてこなかった。一緒に夜更かしでもしていたのかね?」

「……二人一緒に?」

エステルは何も応えず店の掃除に戻った。もう酒場としては使われていないハズの自宅兼店舗は、隅々まで掃除が行き届いている。もしかしたらステラが帰ってくるまでずっと掃除をして待っていたのかもしれない。

エステルの反応にどこか釈然としない気持ちを抱え、ステラは二階のシャルの部屋を尋ねた。鍵はかかっていない。不用心だなと思いつつも、部屋に入る。間取りは自分のところと同じだ。ベッドには盛り上がった綿の掛布団がある。

「本当に寝ているの?」

小さな寝息が聞こえて来て、足音を立てないように忍び足で近づく。顔を近づけ目を細め、視界のピントを合わせてよく目を凝らす。窓からの日差しに映える銀髪が枕の上に乗っている。子供らしい丸い輪郭の顎に、柔らかく膨らんだ頬は白い肌にほんのり桃色に色づいている。安らかに閉じた瞼には長い睫毛が陽光に煌き、整った目鼻立ちの品の良さを際立たせている。同性でも思わず見とれてしまう幼い美貌は、大人になればどれほどの美女になるのだろうか。最早それは想像すら出来ない。

「天使か…」

どんな理由があって、こんなところで男と二人きりで暮らしているのか知らないが。この子のご両親は断腸の思いでお別れをしたことは想像に難くない。愛情深く育てられていた子からすれば、頼れる者も少ない慣れない土地で夜を過ごすのは不安でしかたないだろう。独り寝の心細さから、従者のベッドに入り込むことも不思議ではない。

「うん?」

同じ枕を共にしているのはシャルだ。男女七歳にして同衾せずとは言うが、これはまぁ仕方がない。大人の男が子供と一緒に寝ているだけだ。いや、どうだろう?ギリギリセーフか。

そんなことを考えていると視線を感じた。

「ノックもせずに人の部屋に忍び込むのは感心しませんね。あまつさえ、少女の寝顔を盗み見るなど。万死に値する大罪だ」

いつの間にか目を覚ましたシャルが怒りを滲ませた声で、無表情のままステラを見据えていた。

「ひっ!」

「人の至福の時間を邪魔した罰は何がいいですか?」

「どうしたの?シャル、もう朝」

「おはようアデル、もう昼前だよ。今日は一緒にお寝坊だね」

「おはようシャル」

アデルは掛布団を軽やかに押しのけ、上体を起こす。眠気覚ましの背伸びをして、片手で口元を隠して小さな口を開けて欠伸をする。はしたなくならない様に躾けられた動作だ。無意識レベルでこうした所作が出来るのは、やはり生まれが良いのだろう。白いネグリジェから華奢な手足が伸びる様は、その幼い姿態をより魅せる。

だがそんな天使の寝起きなど目に入らない程、衝撃的な光景にステラは絶句した。

アウト、アウト、アウト!3アウト、チェンジ!

「何をやっているんだ貴様ぁ!!!」

一糸まとわぬ生まれたままの姿をさらすシャル。

それは全裸の男が幼女と同衾して男根を勃起させていた。

「ああああああああ、あああ、ああああああああああああ」

「何で、何で、何で、裸!ってるの!何で勃って、いるの!バカなの?変態なの?死ね!!!」

「寝起きの生理現象だ。やましいことはない。あとオレに寝間着を着る習慣は無い」

むしろシャルは自分の破廉恥な状況よりも、それを糾弾するステラの方が悪いと言わんばかりの態度で、相手に丁寧な言葉遣いをする心がけすら失くしていた。軽蔑の目でステラを見る男は立ち上がり、男性のシンボルが揺れる。そのことに恐怖するステラは短い悲鳴を上げて後ずさり、生唾を飲んで両手で顔を覆う。しかし指の間から視線はそれに注視したままだ。

「はっ、早く服を着ろ!話はそれからだ!」

「まったく度し難い。あてが外れたな」

どこか失望した顔でステラを見るシャルの様子に、興奮した彼女は気づかない。

「オレはお前に話すことはない。人の裸を見て平気でいられないのなら出ていけ」

騒がしく部屋の外へ逃げ出してドアを閉める。荒い呼吸のままドア板に背を預け、しゃがみ込む。ステラは混乱したままの頭で、事態を振り返る。

アレ?

部屋を出たってことは、じゃないってことだよね?

アイツの裸を見て、平気じゃないってことは、ワタシは?

ワタシはアイツに欲情しているってことになるんじゃ?

思考が完全に桃色に染まったステラは、頭から煙を立ち上らせんばかりに赤面した。

コンコン!

「ステラさん、貴女がそこに居座るとわたしが出られないわ」

「ごめん、今ちょっと立てない」


「今日はとても女性らしい恰好ね。よくお似合っているわ。うん可愛い」

アデルはステラの恰好をそう評した。

女性らしい恰好とはどう云う意味なのだろう?

シャルにとって以前も今も、同じように女性らしいモノに思えたが。アデルの感性には、以前の恰好は女性らしいモノではなかったようだ。人間との感覚の違いはシャルにとって理解しがたいものが多い。特にこうした文化的な感性の差異をどう判別したらいいものか。

酒場の丸テーブルを挟んで座るシャルの視線に気づいて、ステラは気恥ずかしそうに眼をそらす。はにかみそうになる表情をカップに口を付け、何とか誤魔化した。

「ありがとう」

アデルの社交辞令ともとれる言葉に、素直に謝意を伝える。昨日までよりの当たりの強さはすっかりなりを潜め、アデルは機嫌好くステラに接してくれている。口に残るハーブティーの熱を吐き出し、話題を切り出す。

「昨日は助けてくれて、ありがとう。窮地を救ってくれた恩は忘れない。そのワタシの治療代については、事件の野次馬が支払いってくれたらしい。だから貴様に……あなたに請求されて代金は払わなくてよくなった」

「それは朗報だな。浮いた金で仕立て屋に服の修繕を頼める。アデル、今日はついでにお裁縫の仕方や服を作りに必要なものについて教えてもらいに行こうか」

「今日も町に連れて行ってくれるのは嬉しいけれど。二日もお手伝いをお休みしてしまうのはいけないわ。エステルおばあさんも疲れが溜まっているみたいだし。今日はちゃんとお家のことをお手伝いしないと」

「エステルさん、大丈夫ですか。すみませんでした、アデルに言われるまで気づかないで。ご心労をお察しできず、自分のことばかり優先してしまった」

「はッ!生意気言うんじゃないよ。別に疲れてなんてないさ。ここの所少し寒い日が続いていたからね。動くのが億劫なだけだよ」

「それはいけません。寒いと体温調節に普段以上に体力を消耗します。エステルさんが風邪を召されたりしたら大変です。そう言えばエリンの町では豊穣

祭が始まる前に冬支度をする時期でしたね。オレは今日から冬籠りの準備をします」

「冬籠りに豊穣

祭?そんな風習はとっくの昔に廃れたよ。ああ、でも懐かしいね。旦那が居た頃はまだそんなこともしていたっけ」

「ジェーン町長は町興しと新しい住民たちの交流を深めるために、豊穣

祭を大々的に催すそうですよ。人口増で他所から食料輸入するようになってからも、町の農業を守るために色々手を尽くしているみたいですし。魔石以外にもこの町にはいいところがあるって外にもアピールをしたいみたいです」

「わたし、お祭りって初めてだわ。どんな催し物があるか楽しみ」

「ワタシも冬支度を手伝うよ」

「そうかい。ステラはアデルと一緒に家の中で働いて貰うよ。いいかい」

「……分かったよ」


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