第7話 そのプレイは童貞には刺激が強過ぎる
欝血の色は赤から青ざめて、唇も血の気が失せ青く寒々としていた。全身を濡らした汗は既に冷めきっており、容赦なく体温を奪っていく。先ほどまでの容体と打って変わって、激情で身を奮わせていた女体は、低体温に凍えて震えている。呼吸音もほとんど聞こえないくらい小さくなり、すでに極限状態を迎えていることが分かる。
限界までパンパンに張り詰めた下半身の布地は、立ち上がとうとすればビリっと生地が破れる音がした。大きく硬くそそり立つ剛直は痛い程熱く血を滾らせている。シャルは自分自身の肉体の反応に戸惑いながらも、冷静さを取り戻そうと理性を働かせる。
「不味いな」
こちらの生理現象が治まるまで待っていたら、ステラの容体は手遅れになるだろう。人前で裸体を晒すことも、他人の裸体を見ることも恥ずかしいと思った事が無かった自分が今初めて肌を晒すことに羞恥心を覚えていた。
「ああもうクソタレ!」
覚悟を決めて一物を曝け出し、ステラのもとへ一歩き出すごとに雄の臭いを振りまいているような卑猥な後ろめたさを感じた。そして何より、噎せ返る様な濃密な若い女のエキスが臭気となって鼻腔を刺激して来る。股間処が頭も胸も熱くなっていくことで、否応もなく自分が興奮していることが煩わしい。流石に思春期の性衝動のように激しい欲情はないが、何が切っ掛けでそんな衝動が湧くとも限らない。
鼻息荒くステラの全貌を見て取れる位置に来て、四肢の拘束を解くがそこで問題に直面した。
「どうやって解くんだコレ?」
いや、解く方法が分からないなら斬ればいいだけなのだが。生憎刃物の類は持ち合わせていなかった。無理やり縄を引き千切れは、ステラの身体に一層の負担がかかる。どうにかして結び目を探して解く必要がある。仰向けの乳房や臍、腰の括れを強調し秘所に食い込む縄化粧に結び目は見つからない。
「あるとしたら後ろか」
汗ばみ冷たくなった玉の柔肌に触れると何とも言えない征服欲が膨らんでくる。割れ物の貴重品を扱うように慎重に上体を起こさせ、なおかつ、X字の磔台から落ちないように細心の注意を払いながら全身を裏返す。臭いが一段と強くなり、頭が眩む。重たげな乳房が弾み乳首に汗の玉が滴る様がひどく官能的に見えた。ステラは弱弱しい嬌声を上げて、丸い尻が持ち上がる。
「や、やさしく、して」
落ち着け。冷静になれ。
そういう意味じゃない。
自覚するな。
ただ目の前のやるべきことをすればいいだけだ。
それはちょうど局部にあった。
その後の事は、シャルの記憶にない。
気が付けば、娼館の従業員に事情を話して新しく部屋を借りて、常駐の医師に鬱血と低体温症の治療を頼むことになった。瀉血し、治癒魔法で破裂した血管を再生させることで峠は越えた。その後は冷え切った身体を毛布で包み込み、白湯を飲ませ落ち着くまで経過を見守ることになった。しばらくすると血色戻ってきた。もともと意識が朦朧としていた上、緊張の糸が緩んだようで力尽きたように寝入った。
シャルはその寝顔に妙な腹立ちを覚えると、同時に情けなさに目頭が熱くなって涙がこみ上げてきた。その様子に何を誤解されたのか、医師と何人かの娼婦と従業員がシャルに慰めの言葉をかけてくれたが。もうそれらの誤解を解く気にはなれなかった。
正直、ステラの容体はどうでもいい。昨日会ったばかりの他人の人生がどうなろうと知ったことではない。だと言うのに彼女の治療費は全額シャルが支払うことになった。
翌日まとめて代金を支払うことになるそうだ。
「助けなきゃ良かった」
帰りたい。切実にそう思い、目を閉じるとアデルの純粋無垢な微笑みが浮かんだ。どうしようもなく逢いたい。懐が寂しくて仕方がない。
「ご苦労さまでしたね」
目を開けると娼館の主、ジェーン・パンド・ラピスが居た。
「お疲れ様です」
「依頼は達成ですね」
「誰の命を奪わずに話し合いで済んで良かった。とは言え、こんなただ働きはもう御免です」
「あのお嬢さんは気の毒でしたわね。あなたも紳士でいらっしゃって感服致しました」
「初めてだから穴が何処にあるか分からなかっただけですよ」
気怠さを感じながらもシャルはジェーンの微笑を受け止めた。成熟した魅力的な女性の肉体は、肌を晒さずとも色香が臭い立つようだ。シャルの審美眼からも、ジェーン・パンド・ラピスが魅力的な女性に見える。ステラの肉体に欲情したと言うなら、自分はこの女性の肉体にも欲情できるのだろう。その事実はシャルに軽口を叩ける程度に回復した気力を萎えさせた。
「ご冗談を。もしお望みであれば、わたくしが喜んで手解きさせていただきますよ」
「大変魅力的なお話ですが、オレは婚約者に操を立てています」
「あらあら、本当に。妬けてしまうわ。あなたのような貞淑な男性にとって、わたくしたちのような女は汚らわしいモノなのかしら?」
「いいえ、オレの母も娼婦でしたから。それにどんな仕事に従事してようが、誇りをもって働いている人を馬鹿に何てできません。すべての職業は誰かから必要とされて存在していますからね。職業そのもの対する不当な差別意識は、消えて欲しいモノですよ」
懐かしい香りを感じた。その所為か普段言わない事までつい口がすべってしまった。だからか、話題をそらそうとつい別の話題を振った。
「それに国や時代が違えば娼婦は、聖職としても扱われる職業ですから」
「娼婦が聖職ですか」
「巫女や預言者。あるいは女神そのもの。命を生み出す力を持つのは女性だけですから、地母神信仰や豊穣の女神の信仰の形として聖娼というものもあります」
「異邦の神の信仰ですね」
「この土地にもそういう信仰はないのですか?」
「不貞を働くことは罪ですよ」
「不貞も姦通も不倫も私通も姦淫も不義も密通も浮気も内通も、貞操義務が発生している関係ではすべて罪ですね」
「関係性の、問題ですか?」
「それを相手に捧げると決めた以上その約束を破ることが罪なのであって、行為と欲望そのものに罪科を問うのは誤りだと思います。世の中には純愛から異常性愛に発展したカップル何て珍しくもないでしょう?番同士の関係性にお互いが満足していれば、それでいいんです。愛のカタチは人それぞれと言う言葉は、他人に言葉で言い表せない関係を結んでいるからだと思いますよ。今日の出来事は、オレにとってある意味良い経験になりました」
それは多分、自分への言い訳だった。モテない男が色仕掛けに引っかかって、痛い目を見た失敗を、いい経験、いい勉強をさせてもらったとなけなしの自尊心を守るための、情けない自己弁護と同じものだろう。それを分かって男の矮小なプライドを肯定するように、感銘を受けたかのような表情を作って見せてジェーンは慈母の様な笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。わたくしは、あなたに会えて本当によかった」
「彼女のことはお任せします。遅くなるといけないので」
「お気をつけてお帰りください」
「ではまた」
シャルは今どうしようもなくアデルの温もりが恋しくて仕方がなかった。
霊視の魔術を酷使して魔素酔いのグロッキー状態から回復したパトリックは、遂に魔族の根城となっていると推察できる場所を特定した。だが、そこで手詰まりを感じていた。
「魔族の根城が目の間にあるって言うのに、何度試してみても路地裏が迷路みたくなって辿り着けないね。あと何回同じことを繰り返せばいいのかな?イライラしてきた」
美咲は森林公園を焼き払って魔族を誘き出しそこで決戦に持ち込むことを提案したが、町の行政の許可が必要な事や領主が文化遺産として保護している公共財産を燃やすのは、流石に不味いと却下した。その所為で不本意な捜索活動で町中を歩き回って、情報収集に勤しみ、足を棒にする羽目になった。不満が溜まった美咲がようやく、自身の本領を発揮できる戦闘に臨んでいた所で結界に阻まれ堂々巡り。疲労も蓄積し思い通りに行かない状況に嫌気が差して来ていた。
「分からん!出入りしている人間が居るということは何らかの方法で、正しい道を辿ることが出来るはずだ。正しい道順を選べば、結界を抜けられる仕組みではないのかも知れない。これで全ての分岐は全部試し終えた」
「道行く人の後をつけても戻ってきちゃったけどね」
「魔法による人払いの結界では、どこかに結界の起点や綻びがあるハズなんだ。それさえ見つければ結界を解除できるが、オレの目を持ってさえ見つけられない」
そんな不機嫌な美咲に言い訳するようにパトリックは現状を解説する。
「今度この路地から出て来た人を捕まえて、事情聴取してみようか?」
「乱暴な手だが妙案だな」
そして疲れ切った顔の男が重い足取りで歩いてくる。夜遊び帰りの放蕩貴族だろうか。高級そうな華美な服装を着た男だ。暗がりからこちらの姿を認めたようで、夜中に子供が出歩いているのに驚いた顔をしていた。
「君たち、子供がこんな時間に出歩いていたらダメだよ。迷子かい?」
「はい、ワタシたちは迷子で困っています!助けてください、お兄ーさん」
タイミングよく現れた男に美咲は本能的な警戒心を刺激された。愛想よく男に返事をする。話をしながら美咲はおさげの髪を解いて、一房にまとめた。それはパトリックに臨戦態勢に入るように促す合図だった。
「わたしたちあの大きなお屋敷の所へ行きたいんです。お兄さん、あのお屋敷の所から歩いてきた人でしょう。案内してください」
「それはダメだね。あそこは子供が入っていい場所じゃない。大人の社交場と言うか、ああ兎に角大人になってからだ。子供の内にあんな店で遊んでいたら、絶対にロクな大人になれない。もし生活に困って働き口を探しているなら、町の中央区にある役所に相談するんだ」
「ええええ」
真剣な口調で諭す貴族らしい男に、引き気味の美咲は演技ではなく心の底から声が出た。
「誤解だ!我々はこの町の平和を守るため、正義を為すためにあの屋敷に用がある。案内しろ」
話がややこしい方向に進みだしそうなので、パトリックは語気を強めて主張した。
「それは人にものを頼む態度ではないな。正義の味方ごっこなら他所で頼むよ」
「悪いけど遊びじゃないんだぁ。お兄さん良い人みたいだし、怖い目に遭わせたくないんだけど。素直にお願いきいてくれない?」
「断る。今日は女性の頼みごとをきいたおかげで素寒貧でね」
男は暗がりの路地から動かない。美咲の背負う大太刀を警戒しているようだった。
「甲斐性無しなんだ」
美咲は間合いを測るように、一歩を詰める。
「大人のお付き合いにはお金がかかるものだよ」
暗がりの下で男は剣呑な目で美咲を見据えていた。
「お金より大事なもの失くしたくないよね?」
柄に手をかけた。
「怖いお嬢さんだ」
男が身体を斜めに構える。
白刃が宵闇を払うように煌き男に突きつけられる。
先に動いたのは男だった。自分から相手の得物の間合いに滑り込むような歩行術だ。そんな芸当が出来る素人が居るわけがない。美咲の警戒は正しかった。相手は武術を修めた達人の域に居る強敵だ。
閃く白刃は武人を迎え撃った。遠心力と慣性が利いた太刀捌きは、腕力の運動エネルギーを数倍に増し、その剣速は易々と人間の手足を切断できる威力を持つ。切っ先は鋭く空気を裂き、返す刀が雷光のように閃く。神速の連撃から、更に下段から脚を狙う逆風斬りを繰り出す。一足で距離を詰めて振りかぶり、再加速した唐竹割りの一撃を噛ます。
∞を描くように幾度も刃が巡り、振るわれるごとにより疾くより鋭く殺陣は廻る。
狭い路地の中、縦横無尽に大太刀を振り回す美咲の技量は達人の域にある男に負けないだろう。そう思っていた。地の利は不利だが、その程度のハンデはないも等しかった。今まで彼女に匹敵する実力者はそうそう居ない。ここまで連続して攻撃を繰り出して、一方的な展開を見せられたのは初めてだった。
空を切る太刀筋を、武人は見てすらいなかった。
「美咲が一太刀たちとも浴びせられないだと」
美咲の額には汗が浮かんでいた。攻撃の手を止めてはいけない焦りが、普段の戦闘よりも緊張を高め体力を削っていく。一瞬でも隙を見せれば、攻撃の手を止めれば反撃を喰らう。
相手が素手でも全く油断できない。拳一つ、蹴り一つでこちらの戦闘能力を奪う死神の鎌を必死で払いのけ続けているようなものだ。それもジリ貧だ。
白兵戦の間合いで、目まぐるしく立ち位置が変わり移動する今の状態でのパトリックの魔術による支援は期待できない。その目配せの刹那にさえ満たない時間で形勢は一変した。
刀身の腹を滑り、絡みつく腕。
太刀筋を見切りその動きに合わせ、動きの機先を変えられた。大太刀を伝う感触を察知する前に、視界に男の身体が迫る。
死線を超える。
予感は無重力の浮遊感によって打ち消された。
投げられた。
前後上下が入れ替わった視界に不意に息が漏れた。
自分の今の体勢がどうなっているのか。
何が起きたか分からないが、次の瞬間には地面に激突し終わるのだろう。
最期まで大太刀から手を放さなかったことは、誇るべきことだろうか。
どうしてこんなに遠いのだろう。
どうしても刃が届かなかった。
あとどれだけの修行を積めば。
この強者に敵うのか。
走馬灯の思考を撃ち砕く牽引する力が加えられた。
襟首を捕まれ上昇する。
一瞬、パトリックの魔術による救助かと思ったが違った。逞しい男の手が自分を掴み上げていた。男は壁を駆け上っていた。自分も同じ高さで宙に浮いている。
「え?」
咄嗟に疑問の声が出た。そしてそれは驚きに押しつぶされる。また高く宙を舞い、その勢いと慣性を感じて内臓がシェイクされるのを感じた。平衡感覚はまだかろうしてある。
身動きが取れない空中で、また壁を蹴って迫ってくる男。破れかぶれに大太刀を振るっても無造作にいなされ、掴み取られ放り捨てられるように体が回転し投げ飛ばされる。死の覚悟に反して、ずっと弱く硬い衝撃が尻を撃った。
瞑った目を開けると、男の拳が迫っていた。ああ、やっと止めがくるんだと不思議に思った。なんでこんな目にあてるんだろう。と思った瞬間にキーンと耳鳴りが聞こえた。
内蔵がこんがらがるような回転運動に加え、急激な気圧の変化が起きたような立ち眩み。嘔吐感が込み上げ、頭があるべき位置から転がり落ちたかのような平衡感覚の喪失と極度の酩酊感に襲われた。
繁華街の建物の屋根に寝転がる美咲を見下ろす男が握り拳を開く。
「唸り笛の魔法具」
掌には穴の開いた二枚貝があった。
「木の洞に風が当たって、唸り声のような音が鳴る現象がある。人工物なら柵のスキマや吹き抜けの建物の空洞に風が通ると音が鳴るだろう。虎落笛と呼ばれる現象だけどね、それを利用した笛を、唸り笛と呼ぶんだ」
気持ち悪さに意識を持っていかれそうになりながら、美咲は男の話を一方的に聞かされる。
「大昔の人は巨大な蛤貝の魔物が、蜃気楼と生み出していると考えていたことは知っているかい?幻を見せる魔物の遺骸から夢幻を見せる魔法具を作成しようとしたんだろう。結果として失敗作だったが、こうして唸り笛の音を聞いた対象に強い酩酊感を与える魔法の道具が生まれたわけだ」
「私は女子供手を上げるような真似はしたくなくてね、しばらく寝ていてくれ」
何事もないように屋根から飛び降り、到底そんな高さから落ちたとは思えない軽い衝撃で地面に降り立つ。男は小柄な少年の体躯を見て戦える者を見做していなかったのだろう。興味を無くしたように背を向ける。
「さてお友達は上で伸びているが、まだ道案内が欲しいかい?」
立ち去ろうとする背中にパトリックは名乗りを上げる。
「俺の名はパトリック・シャスツール、エルストル王国宮廷魔術師にして、冒険者ギルドに所属する一等魔術師です。手前どもの先ほどのご無礼をお許しください。さぞご高名な貴族様の武人とお見受けいたします。お名前をお教え願えませんか」
「無礼を詫びる者に無礼を返すのは無粋だな。だが私は名もないただの庶民だよ。武人でもない。頼むからもう大人しく帰ってくれ」
「それは出来ない!我々には冒険者として、人の世の安寧を守るために邪悪な魔族の討つ使命がある。その暗躍を阻止する義務がある。あなたほどの力を持つお方が、この町に巣食う魔族の存在に気づかないはずがない。何故、魔族を野放しにしているのですか!?」
振り返った男は、聞き分けの無い子供の相手に飽きれた、疲れた目をしていた。
「君は魔術師か」
声には軽蔑の色が含まれている。憎悪を通り越した無感情が、その相貌に表れていた。
「魔族が君たちに何をした?親を殺したか?家を奪ったか?恋人を凌辱し、財産を奪い、誇りを踏みにじり奴隷として売り飛ばしたか?君の言う人の世の安寧とは何だ?君の歳頃で親兄弟が魔族に殺された人間などいないぞ。祖父母の仇撃ちをしたいなら、大戦期に人と争った魔族は既に地上から姿を消した後だ。そもそも人の世に居残る魔族はもともとその土地に住まっていた原住民だぞ。彼らから土地を、家族を、それまでの生活を奪い奴隷に堕として命を弄んでいる人間たちの方が圧倒的に多い」
真っ直ぐにパトリックの目を見詰め男がゆっくりと近づいてくる。
「人間社会で人のふりをして魔族が居たところで、それをわざわざ見つけ出して殺す理由が何処にある?」
何か反論をしようにも、淡々と言葉を紡ぐ無感情なその声が、その眼が少年の心を縛り付ける。
「未だに時代錯誤の冒険者ギルドや老害の領主共が、君らの様な何も知らない子供に都合のいいように物事を教え、独善的な正義の執行者にさせられてるだけではないのか?」
その瞳が涙で揺らめいた。伽藍洞な瞳の奥から、枯れ果てた感情の水が再び湧き出しているようだった。
「そもそも君は魔族が何者であるか知っているのか?」
肩を捕まれた。
「魔法とは世界の理だ。そして魔法を扱える者たちは、神々から権能を授けられた特別な存在だ。世界の根源に繋がることを許された神のみ使いであり、調停者であった。だが、その力を羨んだ魔法を使うことが出来ない人間たちは、どうにかして魔法を使いたかった。だから、人々は自らの魂を捧げ自分たちに魔法を使わせてくれる神様を生み出した。それが魔術の始まりだ。この世界に新たな人の神を生み出し、新たな世界の人の理を定めた。それが魔術の起原であり、神殿教会が崇める神の正体だ」
この男は何を語っている?パトリックの頭の中に疑問と不安があふれ出した。魔術を初めて発動させ、大人たちから褒められた記憶が脳裏に過る。魔力の神秘の世界に触れ、未知の領域を解き明かす夢を思い描いていたことを。それを目の前の男が憐れみの瞳で踏みにじる。嘘か本当かは分からない。しかし、その言葉はすんなりと胸に染み込むように、馴染んだ。自分の中の魔力の感覚を掴んだ時と同じように、それが真実だと魂に刻まれた情報を告知された気分だ。
「神々は自分たちが選んだ特別な存在以外に、魔法を使う術を持ったことが気に食わなかったのか。あるいは新たな神を生み出した反作用か。この世界にそれまで居なかった存在が生まれた。それが魔族だ」
呼吸が苦しい。一歩も動いていないのに息が上がって、視界が暗く明滅していた。
「魔術を扱う者ならその事実を知っておくべきだ」
真っ直ぐに立っていることが出来ない。
「君たちが徒に魔族の存在を否定し、彼らの命を奪おうとするなら。私は容赦しない」
言葉が遠くから聞こえて来た。
何も見えない。何も聞こえない。心が閉じて何も考えられなくなって、何もかもが分からなくなった。前後不覚に陥ったパトリックは、そのまま意識を失った。
「パトリックくーん!助けてー、降りられなーい!」
どれぐらいの時間、その場に立ち尽くしていたのか。能天気な声が頭上から聞こえて、やっと正気に戻れた。
「あ、ああ。今行く」
防御魔術の応用で落下の衝撃を拡散吸収する魔力の盾を作り出し、飛び降りる美咲を回収する。疲労のせいか血色の悪い顔にぎこちない表情だ。
「ごめんね、負けちゃった」
無理やり笑みをつくり、つとめて明るい声を出しパトリックに謝罪し向かい合う。
「あんなの無いよ。いくらんでも強すぎ。いきなりラスボス級だよ、素手であれだけ強いのに魔法の道具まで持ってるなんてさ。チートだよチート」
お互い不調を来している姿を認め、心配げに
「あの男に何かされなかった。何か長々と話を聞かされてたみたいだけど、大丈夫?」
「ああ、ダメだな」
「そっか、ごめんワタシももう、限、界……うっぷ!」
弱音を吐いて張り詰めていた緊張が解かれたのだろう。スイッチが切れるように全身が脱力した。パトリックに覆いかぶさるように倒れ込む美咲の身体。支えようとしても非力な少年の足腰では耐え切れず巻き込まれるように押し倒された。
抱きかかえようとする間もなく、また何もできないままだ。どうすることも出来ない無力さに歯噛みをし、悔しさが瞳を滲ませた。
「完敗だ。撤退する」
少女の体重には長大な凶刃を振るう逞しさを感じさせない、確かな柔らかさと温もりがあった。命の鼓動を感じることも出来る。
「虎徹、退いてくれ」
体温を名残惜しいく思いながら、少女の顔を覗くと。
青ざめた顔をパンパンに膨らませて手で口元を覆っていた。
「うげぇ、ろろろろろろろろろ」
思春期にはまだ早い、色気をぶち壊すゲロ臭いに最悪な気分に追い打ちをかけられた。
惨めな様に泣きそうだ。しばらくして夜の町を巡回している自警団に補導され、領主の別邸で二日目の夜を明かすことになる。
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