第6話 若気の至り
「どこにも居ない」
昼前にはエリンの町の市内に入った。シャルとアデルの姿を探して農産物の市場や屋台通り、町人たちの商店通り、大衆食堂の集う飯屋街、怪しげな露店商が集まり、出稼ぎ労働者が屯う貧民街などを探し回った。この町で買い物が出来る場所はすべて見回り、店主や店番にも聞き込みを行ったが、入れ替わりやすれ違いですべて空振りに終わった。衣類の卸問屋や仕立て屋にもディル一味のエンブレムについて聞き込みを行ったが、分からない、知らないの一点張りだ。口留めでもされているのか、何かを知っていそうな様子でも頑なに口を開いてくれない。
「まったく散々だ」
喉の渇きを覚え、屋台通りの広場に備えつけられたベンチに座った。歩きっぱなしだった脚を休ませると、苛立ちが少し治まるのと引き換えに空腹感と少し疲労感が湧いてきた。
目を閉じて溜息をつき、額に手を当てて空を仰ぐ。どこかの屋台で早めの夕食でも済ませようかと考えていると、一人の巨漢が近づいてきている。手の甲で視線を隠しながらも聞き身を立て、流し目で様子を見る。歩行で肩がブレることもない。喧噪の中で聞き分けた足音から、何か得物を腰に下げている。にも拘わず大きな歩幅でも重心の移動がスムーズだった。
「お前さん随分と不機嫌な様子だが、何か困りごとか」
「誰だ、貴様」
「オレはアンドレ・コルサ、グレンガ鉱山エリン採掘場の魔石探掘鉱夫だ。この町は最近物騒になっていてな。地元の人間と出稼ぎ連中の諍いが頻発しているんだ。今のアンタみたいに周りに殺気を振りまいていちゃ、その内要らん喧嘩が起こるぞ。何か問題を抱えているなら、力になれるかもしれない。話だけでも聞かせてくれないか?」
「人探しをしている。名前はチャールズ・ハンガー、黒髪の長身で筋肉質な青年男性、黄色い目で肌は日に焼けた褐色に近い。銀髪の少女を連れ歩いている不審者だ」
「……そいつ、何かやらかしたのか?その、猥褻物陳列罪とか野外露出とかの犯罪を」
「何だ、奴の知り合いか」
「ああ、そうだが。アイツは何をやったんだ。どうして追いかけている?」
「教える義理は無い。全裸で町中を歩き回った訳じゃないから安心しろ、色々と事情を聞きたいだけだ。奴は今どこに居る?知っているのか」
「ああ、まぁ心当たりはいくつか在るが。女を連れて行くのはなぁ」
「案内は要らない。場所さえ分かればこちらで見つけられる」
情報料代わりのチップを指で弾いて、アンドレの顔に放った。アンドレ自身は別に金銭を受け取る気はなかったが、受け取らなければ顔に中るので掴み取った。
「町中に居るなら、この時間帯だと繁華街のレット・ディ・カプラって店だろうな。三階建ての大きな屋敷だ。目立つ建物だが周りが塀に囲まれていて、複雑に入り組んだ暗い路地裏の小道からしか入れない。場所を知っていたとしても、道案内が居なきゃ辿り着けない不思議な場所さ。その屋敷がちょっと特別な宿泊施設でなぁ。いくつかの遊興施設も兼ねていて金さえ払えば色んなサービスを受けられる。会員制の遊び場だ。若い女が一人で行けるような場所じゃないぜ。よかったら案内してやろうか」
「この町の地理は把握している。案内は無用だ」
喉の渇きも疲労感も忘れ踵を返して、歩き出すステラ。アンドレが話す店のサービスの内容については察しがついている。子供を連れて何を考えているんだ、あの破廉恥男は。
無意識に感情的になり自省する冷静さを欠いたまま道を進む。自分が暗い人気のない裏路地に誘い込まれていることは分かっている。100%罠だが、それを食い破ってシャルが何者であるか問い詰めよう。本当にディル・ブリックスの仲間ではないのか、連れている少女との関係、何故ワタシを避けているのか、訊きたいことは幾らでもある。どうしてこんなに心がざわついているのか、分からないことが分かればそれも全部治まってくれる気がしていた。
フードを目深に被り、スカーフで口元を覆う。腰のベルトに差したシースナイフを引き抜いて構え、路地を挟み込むように潜んでいる男たちを迎え撃つ臨戦態勢は万全だ。
「どうした?来ないのか。アルマファルコ・ファミリーは元冒険者のマフィアと聞いたが。冒険者を廃業しただけあって、女一人相手にするにも暗がりで囲まなきゃ襲えもしない臆病者の集まりか」
背後の死角から、か細い声で囁くような呪文の詠唱が聞こえた。後ろに二人、前に三人。後ろの狭い小道で遠隔攻撃の出来る魔術師がアンドレと名乗った巨漢の前衛を置いて身を守られながら、魔術を発動させようとしている。魔術の発動を妨害しようすれば、後ろを振り返り前方の三人の敵に無防備な背中を晒すことになる。そんな状況で道を塞ぐ巨漢のアンドレをかい潜って、後方の魔術師を無力化するのは不可能だ。
だから振り返って無防備な背中を晒すことも、道を塞ぐ巨漢を掻い潜ることもせずに魔術師を倒せばいい。ステップを踏んで壁を駆け上がり、大きく高く後方に跳ぶ。前方の路地から出て来た狩人風の女は矢次早に短弓から矢を放つ。予想外の相手の行動にも即対応できる能力は、流石に冒険者をやっていただけはある。しかし、ステラはその咄嗟の行動も予測済みだった。迫る矢を次々とナイフで叩き落とし、空中のステラを打ち落とそうと巨漢のハンマーが迫る。それも難なく身体を丸めて躱した。勢いはそのまま回転しながら、着地の体勢に入り魔術師の頭を空いた手で攫み取る。ローブのフードを毟り取られ、髪の毛がブチブチと抜ける感触を不愉快に感じながら、ナイフの刃を喉元に突きつけ着地した。
「形勢逆転だな、雑魚共。仲間を殺されたくなければワタシの命令をきけ」
「成る程、確かにコイツらには荷が重い相手だ」
「ッ!?」
首筋に疼痛を感じると同時に全身に痺れが奔る。麻痺毒を塗った吹き矢を中てられた。その事実に気づくと同時に、聞き覚えのある声が聞こえて来た。首から痛みと共に全身の筋肉が自分の意思に反して、脱力していく。
「ディル・ブリックス」
視界がぼやける中、確かに顔を確認した。今度こそは間違いない。
「よう、久しぶりだなぁ!アンブローシア」
誰もいなかったハズの街灯の下から現れたのは、元冒険者で犯罪組織の首魁であるディル・ブリックス当人だ。それに続いてまた幽鬼のような人影が現れる。完全に気配を消す何かしらの方法を使っていたのはその人影だろう。
「相変わらず詰めが甘い。自身の身体能力に溺れ、敵の戦力を侮り数の不利を覆せると思い上がったか。組織に個人で挑もうなど、傲慢にも程がある」
吹き矢を放った管を懐にしまう存在感の薄い人影は、ステラを見下しながら説教をする。
「にしても肉体の方は随分と女らしくなったじゃない?乳も尻も丸くなっちゃって」
いつの間にか狩人風の女も倒れたステラの髪の毛を掴み、動けないことをいいことに恥丘を撫でまわす。屈辱に顔を歪める彼女を無言でアンドレが担ぎ上げる。
「この傷の痛み、たっぷりと仕返しをさせてもらうぞ」
魔術師の男は額に刻まれた爪痕を撫で、嗜虐心を浮かべた笑みをつくる。
「他の仲間についても、詳しく聞かせてもらおうじゃねぇか。その肉体にな!」
嘲笑するディルは仲間たちを引き連れ、無力な女を攫っていった。
「くたばれ」
全身に麻痺毒が回り、神経が焼き切れるような痺れが意識を遠退かせていく。視界が歪む中、最後に悪態を吐くのが限界だった。
隠れ娼館レット・ディ・カプラには顧客の要望に応じた様々な部屋が用意されている。また顧客の異常性嗜好者たちに施設を貸し出すサービスも行っている。その施設アルマファルコ・ファミリーの幹部二人が、捕縛したステラを連れ込んでいた。
地下牢獄を思わせる施設は格子に区切られた部屋ごとに、磔台や三角木馬、晒し台、壁に繋がれた手錠、釣り鈎やUの楔が打ち込まれた天井、壁に掛けられた各種の縄、鞭、これ見よがしな拷問道具がある。更に通路のツールワゴンには見るも悍ましい器具が整然と並べられていた。
「拷問部屋か」
靄のかかった思考で、ステラは状況を確認した。
「もっと楽しいところよ」
狩人の様な恰好の女は楽しそうに哂う。アンドレは厭きれた顔でステラの身体をⅩ字の拘束台に仰向けに寝かせた。
「悪いがオレはここまでだ。付き合いきれん」
「あら残念。けど必要な処置が終わったらみんなで楽しみましょうね」
誘いには答えないまま背中を向けたアンドレはその場を後にする。
「先ずはお着替えから始めましょうねぇ」
猫なで声を出す女は、抵抗の出来ないステラの衣服を剝ぎ取っていく。されるがままの状態に嫌悪と怒りを覚え、ますます反抗心を燃やす。その激情が、相手の思う壺にハマる事ととなるとはつゆ知らずに。
娼館の応接間とは思えない程、瀟洒な調度品と小綺麗な一室だった。猫脚の両袖椅子に気怠い表情を浮かべる屋敷の女主人。ジェーン・パンド・ラピスは頬杖をついて交渉相手の客とも呼びたくない連中を睥睨する。テーブル越しに対面する二人の男、ディルと人影、その後ろに立ち控える四人の屈強な手下たち。
巨漢の戦士アンドレと魔術師、騎士崩れと兵隊崩れ。全員が冒険者として活躍した二つ名持ちの実力者だった。
下品な余所者たちは劣情のこもった不躾な目で、彼女の艶めかしい姿態を嘗め回すように見つめている。どんな下卑た妄想をしているのか。それも直に、そんな欲望は実現しないのだと思い知ることになるだろう。
「つまりお得意様は、わたくしの館の用心棒になりたいと?」
「単に屋敷の警備だけじゃないさ。治安の悪いこの町の娼婦たち全員の身の安全も、乱暴な客との揉め事も、滞っている債務の取り立てでも全部面倒を見てやるさ。勿論アンタの正体を嗅ぎまわる厄介な連中のこともな」
ディルは得意げに手を広げて余裕のある笑みを浮かべる。
「遠慮させていただきます」
「そう言う返答は織り込み済みだ。だが今の状況を知って断ることができるかな」
影の薄い男は無表情のまま淡々と言葉を紡ぐ。
「どんなに秘密を隠しても、人の口に戸は建てられまい。この娼館にサキュバスが居るという噂は、既に町の外にまで広がっている。先日から手練れの冒険者たちがこの町で“何か”を探索している。それは貴女に係わることだ」
「何をおっしゃりたいのか、話が見えませんね」
「領主貴族やその企業の連中は抱き込めても、外部からの冒険者ギルドの依頼を受けた名うての冒険者たちや、教会の異端者狩りを相手には出来ないだろう。こちらはあなた方の憂慮するすべての問題を解決できる提案を用意している」
「たとえそうだとしても、あなたたちには係わりのないことです。お引き取りを」
「はっはっは!意地を張るなぁ。穏便な話し合いで済めばいいが、力尽くで言うことを利かせることなんて容易いことなんだぜ?」
自信に満ちた獰猛な笑みで、ディルは剣の柄に手をかけた。それが合図だ。
「これはもう提案ではなく、脅迫だ!」
人影が威圧的な語意を強める。そして四人が臨戦態勢を構えた。
「いえ、あなた方では脅しになりえません」
ジェーンは憐れみを覚えて微笑んだ。
「だって弱者の戯言でしかありませんもの」
コンコン!
場違いなノックが部屋に響く。
「お話は終わりましたか?」
気取られた一瞬に扉が開き、アンドレの見知った顔があった。しかし、そのよく見知ったハズの男とは印象が一致しない。
アンドレの知る彼は外から来た出稼ぎ労働者で、同じ魔鉱石の採掘現場に配属された新入りだ。常識知らずで、何かと危なっかしい。人の話をちゃんと聞いているのか、聞いていないのか分からない。真面目で媚びた愛嬌のある勤勉な下っ端だった。自分の出自を一切語らず、チグハグな服装で仕事仲間から浮いているため未だ名前を呼ばれないまま、いつも新入りというあだ名で呼ばれている。いつも何も考えていないような表情で、言われたことを忠実にこなすが危機感のない間抜けという印象だった。それはアンドレがいつか見た奴隷たちと同じ印象をしていた顔だった。だからそれを察して新入りのことを深く詮索してこなかった。
だがこの場に現れた男からは教養と気品に裏打ちされた。立派な貴族の子息にしか見えない。その瞳も凛とした知性と教養を感じさせる。コレは本当にオレの知る人物なのだろうか?貧民街の住人と一緒に汗水垂らして、岩窟をドリルで掘削する人間にはどうしても見えない。顔が似ているだけの別人としか思えなかった。
「何だてめぇ」
出鼻を挫かれたディルは不愉快を露わに誰何した。
「知っているぜコイツ」
「ああ、町人通りでは有名人だぜ。没落貴族の娘の子守りだろう」
兵隊崩れと騎士崩れの二人が、新入りを見下した目でからかいだす。
「こんな場所に何しに来たんだ?遂に我が儘娘に愛想尽かして売りに来たか」
「あんなションベン臭いメスガキでも変態共には大人気になるだろうな」
下卑た笑みを浮かべて、あからさまな挑発をするがアンドレにはその内容が理解できなかった。そして下世話な冗談には我関さずと、新入りと同じ顔の男は何の反応も示さずジェーンと対面していた。
やはり別人なのだろう。恋人がいると言う話をしたことはあるが、没落貴族云々の話やガキがどうのという話は知らない。しかも普段市中で暮らしている仲間の二人からも、顔や事情を知られている程有名な話らしかった。
世の中にはそっくりな顔の人間が三人いるとは聞いたことがあったが、まさかこんなところで目の当たりにするとな。
貴族の子弟らしき男は威風堂々と部屋に入り、女主人の隣に立ちアルマファルコ・ファミリーの面々に一瞥をくれる。そしてジェーンは男に顔を近づけしな垂れかかり、蜜事に招くような声で囁いた。
「ええ、終りましたわ。もうお帰り頂くところです」
ジェーンはアルマファルコ・ファミリーへのものとは明らかに違う、熱を帯びた視線を向け、恋する乙女のように弾んだ表情で浮かべている。その態度の豹変ぶりが、ディルのプライドを傷つた。ディルはもともと名うての冒険者として評判の男で、羽振りが良かったころは商売女によくモテた。下手な成功体験が彼を増長させ、道を踏み外す切っ掛けになったが、今でもルックスだけで女を落とせると思いあがっている節がある。そんな男が目の前の美女につれない態度を取られ、ロクに苦労も経験したこともなさそうな若い男にしなを作って媚びていれば、否が応にもその男に制裁を与え自分が上だとマウントを取らねば気が済まなくなる。
「オイお前ら、何シカトこいてんだ!今がどう云う状況か、分かってんのか!?」
「どうせなら、もっと頼りがいのある殿方を選びます。身の程も弁えられない軟弱野郎はお引き取りください」
「残念ですが、悪く思わないでください」
娼婦の癖にまるで恋人を前に軟派男を追い払うような言動だ。まさに間男に二人の世界に立ち入るスキがないことを見せつけられている。ただ男の方は、少し困惑したような表情を浮かべているように見えた。少なくとも女性優位な関係なのだろうとアンドレには見て取れた。やはり目の前の男は、新入りとは別人だと確信した。
異性から熱烈なアプローチに、仕方ないなと困る男の表情は、更にディルの感情を逆なでした。
もういい、殺れと命令を下そうとした瞬間にディルと若い男と視線が合った。するとまるで友人でも見つけたかのように男は喜色に顔を綻ばせた。
そして再度、ディルは自らの行動の機先を奪われた。
「ああ、良かった。貴男がディル・ブリックスさんですね。生きている内に見つけられて、本当によかった。実はオレ、あなたとお話ししたいことがあって探していたんですよ」
ディルは見知らぬ不愉快な男から親し気に語り掛けられる。それに反発しようとすると、更に口を開くタイミングもなく畳みかけられた。
「申し遅れました。オレの名前はチャールズ・ハンガー。以後お見知りおきください。ここでは狭いですし、場所を変えてお話しませんか?勿論お仲間の皆様もご一緒に」
アンドレの確信は打ち砕かれた。別人だと判別した自分の理性を、現実が覆した。
何でコイツがここ居る?娼館の女主人とどんな関係だ。そんな人物と関係をもてる立場でどうして、魔鉱石の採掘場で底辺労働者なんてやっているんだ?アンドレはチャールズ・ハンガーと名乗った青年を睨みつけると、よく見知った何も考えていないような表情を見せた。やはりコイツは新入りだと、怒りの感情と共に真逆の確信を抱いた。
ディル・ブルックスにとってその名前は何度か聞いた覚えがあった。騎士崩れと兵隊崩れの仲間から、エリンの町に小綺麗な身形をした幼い貴族子女が出入りしているという噂を話題にされたことがあった。どこかの王侯貴族のご落胤が、身分を隠すためエリンの町の郊外の宿に寝泊まりしているという。そしてその幼いご落胤には一人侍従の男が付き従っており、身の回りの世話を焼いて貴族の娘らしい生活を整えていると。
何度かゴロツキ共が少女の誘拐を試みたり、侍従の男から金を巻き上げようとしたが一度も成功したという話は聞いたことがない。裏で領主のゼリエ公爵が少女に危険が及ばないよう町に間諜を潜ませ警護をしていると噂もあったが。
そんな必要なない程侍従の男が強く、襲って来た悪漢共を容易く天高く放り投げて、街路灯に吊るし並べたとか、暴走する馬車に並走して馬をなだめて止めたとか、バカバカしい眉唾な噂ばかりが出て来て、手下共にいくら噂の真偽を調べても確かなことは分からなかった。そのため関心をなくして、今の今まで忘れていた。
噂がどこまで事実に近いのか不明だが、どれ程の実力者だとしても所詮は一人の人間だ。状況は圧倒的有利だ。出鼻を挫かれた状態を改めて仕切り直せばいい。調度品が多いこの部屋で戦闘をするよりも、囲って袋叩きにできる場所の方がたっぷりと思い知らせることができる。その後でコイツが何者でどんな背後関係があるかじっくりと締め上げればいい。
何よりお誂え向き場所を用意してある。
「はっ!いいだろう。ちょうどいい部屋を取ってある。付いて来い」
やりたいことは山ほど出来た。そしてようやく自分に主導権が回ってきた。
少なくともディルはそう錯覚していた。
しなを作るのを止め、一人部屋に残されたジェーンは一抹の不安を覚えた。
「本当に大丈夫なのかしら、あの男。想像以上に頼りないわ」
そんな心配を知る由もなく、男たちに囲まれたシャルは能天気な顔でディルについていった。
「オイ、新入り」
「何ですか親方?」
毎日やり取りした会話だ。間違いなくこの男はアンドレの職場の新入りだった。
「ああ、でも職場じゃないからこの呼び方は変ですね。オレの事はシャルでいいですよ」
「……アンドレでいい。お前は何者だ?どうしてここに居る?そんな恰好をしている理由は何だ?」
「話せば長くなるので割愛しますが、人助けに来ました」
具体的なことは何一つ言わないが、シャルの言葉はアンドレの胸を衝いた。どうしてそんな事を真っ直ぐに言えるのか。コイツが何者でどんな事情を抱えているのは分からないが、根は悪い奴ではないと信じたくなった。それがアンドレにとって不都合なことになろうと。
「無駄話は止めろ。着いたぞ」
地下への階段を下り、鋼鉄の扉の前まで来た。奥からは微かに喘鳴が聞こえてくる。熱病に浮かされて、餓えと渇きに苛まれ必死に藻搔き、さらに酸素を消費して呼吸に溺れる。まるで悪循環の自己中毒を起こしているようだった。
部屋の最奥で寝かされて喘ぐ女とそれを眺める女がいる。
「あら、お話はもう終わったの?」
「いいや、邪魔が入った仕切り直しだ。その前にこの兄ちゃんと話しを着けてからだ」
「あら、いい男じゃない。新しくお仲間になりに来たのかしら?」
シャルの姿を認めた女が蠱惑的な流し目で語り掛ける。仰向けに寝かせられた状態で拘束されているため、全体像を掴むことは出来ないが、シャルは荒い呼吸を繰り返す汗ばんだ裸体を晒しものにされた女の姿に目を見張った。
その顔を見た女は何かを察したように優越感を覚えた笑みを浮かべ、アンドレは憐れみの目を向けた。
「何てベタな」
「…シャ、ル?」
「こんばんは。ええ、シャルですよ。ステラ・アンブローシア」
「き、さま…、裏切った、のか」
「裏切るも何も。手を組んだ覚えも、騙した覚えもありませんよ。思い込みが激しくて直情的。人の話をちゃんと聞かずに自分の都合の好いように解釈して、無分別に行動して状況を引っ掻き回す。そんな足手まといと仲間になんてなりたくもありません」
「コイツとも知り合いってことは、ババアの酒宿の件か」
「話が早くて助かります。先ずは忠告させていただきます。エステル・ベルモンドの持つ土地建物、不動産の権利を狙っていらっしゃるなら、手を引いた方が賢明です」
「へぇ?」
「彼女の持つ土地の利権は、近く市の行政府が買い付ける予定になっておりますが。それは貴男方が望むような、鉄道開発のためのものとは無関係です。よしんば貴男方が土地の権利を首尾よく手に入れたとしても、よくて二束三文で買いたたかれるのが落ちです」
「法治主義の制度のもとでは、原則的に不法からは如何なる権利の発生を認めていません。当然、貴男方が町で罪を犯して、金銭や権利を得ようと思うならゼリエ公爵とこの町の司法はそれを認めません。公爵様は今までのような裁量の不明確な自警団による治安維持を良しとせず、より公正で実行力のある治安維持組織立ち上げる予定です。貴男方がこれまでしてきたような鼻薬は効かなくなりますよ」
「そして弱体化したとは言え冒険者ギルドは、元冒険者たちが犯罪組織を立ち上げるなんて信用損うことを良しとしません。冒険者ギルドは自らの信用を守るため、貴男方が捕まる前に刺客を差し向けるでしょうし。これからは犯罪から足を洗って、真面目に働くことをお勧めします」
「べらべらとよく下が回る」
「詰まらないお喋りは終わったか?」
「はい、ご清聴ありがとうございました」
シャルの熱心な説法の途中で、コイツの話に耳を傾ける意味はないと悟った仲間たちは既にフォーメーションの位置についていた。現役時代には、小狡い手だと批判するバカな冒険者たちも居たが、信頼する仲間同士の連携は下位ドラゴンをも圧倒し惨殺することを可能にした。絶対の自信を持った戦術だ。
「じゃあ、死ね!」
大道芸とバカにされた威力絶大な必殺の一振り。初手で正面からの大振りな一撃だ。身のこなしの素早い奴なら、難なく躱すことが出来るだろう。
だがその一撃を目の当たりにしたバカ共は、皆脳天をカチ割られ、身体が真っ二つに裂けて死んだ。その機会さえあれば、ドラゴンの首さえ落とせるだろう。
天に剣を捧げた大上段からの落雷と見紛う程の両手剣の一線は、衝撃の余波でさえ威圧となって相対する者を襲う。
剣閃を見切れなかったのか、或いはカウンターを叩き込む算段だったのか。お喋り男は、動かなかったことで剣の死線を逸れて命拾いしていた。本気で殺す気は無かったが、殺気に委縮して動けなかったのか。噂は所詮噂に過ぎなかったのだろう。
殺気を放つ剣士を前に逃げ出すこと出来ない危機感のない雑魚が、この町よく今まで生きていられたものだ。
その悪運もここで尽きる。シャルが剣圧を浴びて身体が動けない状態は刹那にも満たないだろうが、追撃を入れるには十分な間だ。人影は素早く三本のナイフを投げ放っていた。それに次いで兵士崩れが交差射撃をほぼ同時に叩き込む。
どちらも狙いが近すぎてディルを誤射するようなヘマはしない。そのための立ち位置と射角はどんな状況でも把握している。
ライフルの銃弾はシャルの両腿を撃ち抜かんと迫りくる。
魔石燃焼式の弾薬は、黒色火薬と異なり殆ど白煙を生じさせずそれ以上の威力を持つ。ライフルの銃口から放たれた閃光と共に弾丸は、例えその射線を見切れたとしても常人の反応速度で回避することなど不可能だ。そして銃弾の威力は鎧や盾を容易く貫く。
魔術師なら咄嗟に魔力の盾を張り、ライフルの銃弾を防ぐことは可能だろう。しかし、その貫通力を止めるためには、防盾術式の限界値まで魔力を集中収束さなければならず、そうすれば盾の展開面積は極端に小さくせざるを得ない。
そこに特殊な軌道を描いて襲ってくる三本のナイフの刃が迫れば、そのすべて回避することは出来ない。
投げナイフは銃弾よりも威力が劣り命中も遅れるが、殺気から相手の動作を予測して動く超人や達人の域にいる戦士相手には、いいフェイントになる。武術に長け実戦慣れした者ほど、人影が放つ鋭い殺気のこもったナイフに注意を向けてしまう。そしてそれは見切ることが難しい特殊な軌道を描いて迫るため、対応のための処理能力が分散し、銃弾の回避が疎かになる。しかし、銃弾の威力と脚の負傷を避けるようと思えば、投げナイフ三本は脅威として低く見積もられる。無理に躱すことを諦め、負傷を覚悟でその身に刃を受ければ塗ら仕込まれた毒が傷口から神経を侵す。
この連携攻撃で無傷で済んだヤツは一人も居なかった。
戦士であれ魔術師であれ、それがたとえ上位魔族であれ
居なかった。
銃弾は壁を穿ち、ナイフは悲鳴を上げる兵士崩れの腕に刺さって血を滴らせて神経毒を身体に廻らせる。投げ放ったハズのナイフが自分の太腿に突き立てられている事実に困惑し、言葉にならない喘鳴を漏らす人影は壁に寄りかかってそのまま床に尻を付けた。
肌がくっつきそうな程、耳に呼気がかかり、体温が感じられる程の近さで男はディルを抱擁するように腕を胸に回す。もう片方の手には最後のナイフが握られ、髭剃りでもするような優しいタッチでディルの顎を撫でつけている。両手剣を振り下ろした直後から、何故自分が背後を取られた状態になっているか。在り得ない現実に思考が働かない。
「あのー、大丈夫ですか?顔色がよろしく無いようですけが。体調が悪いのでしたら、横になって休みましょう。ほら、お連れ様も怪我をされています。放置して治るような怪我ではありません。せめて止血と消毒くらいはしないと、放って置けば命にかかわりますよ」
剃り残しの髭が無くなったのか、今度は首元にナイフの刃先を立てては、悪意の無い口調でこちらを気遣う素振りをする。
「今日の話で考えを改めていただくことを願いますよ。冒険者何て命がいくつあっても足りないような職業を辞めたと云うのに。どうしてまた命を粗末にするような人生を歩むのですか?きちんと法の下で贖罪を為して、真面目に人々の幸せために働いていれば、いつかきっと明るい場所で不自由なく生きていけるはずです。アウトローなんてのは所詮、弱者が弱者を食い物にする。悪徳の中でしか生きられない、悲しい生き方です」
男はディルを解放し、ナイフを手放した。髭さえ剃り切ればもう用済みと言わんばかりだ。
「お前は……オレたちを殺さないのか?」
喉元を撫でる冷たさが去ったが、それ以上の悪寒が全身を震わせた。
「放って置けば勝手に死ぬ相手を?」
男の顔には悪意も無ければ慈悲もない。宗教者のようなことを語りながらも、愛や憐れみを感じさせる感情が一切感じられない。空っぽな虚が覗いているような目だ。自分たちが生きる世界とは根本的な隔たりがある。産まれた身分の違いや生き方、人間と亜人、同じお言葉を喋る魔族ともまったく異なる。理解不能な存在が人間のカタチを取って、人間のように振舞っている。コレは人では無い何かが、人間のマネをしているだけだ。
そう理解させられた。
「ステラさん、お楽しみのところすみません。オレはもう用が済んだので帰りますけど、お一人で帰れますか?」
「あっ…!ダメぇ、ふぅ、ふぅ、ふっ、ザける、な!」
息も絶え絶えに声を出すステラは、興奮で歯の根すら噛み合わなくなって来ていた。
「オレ、そんなすっかり出来上がった状態の女を連れ帰るの、本気で嫌ですけど」
フーフーと発情した猫みたいな呼気を噴き出す様子に、見ていられないとばかりに視線を逸らすシャル。アンドレはてっきりステラ・アンブローシアがシャルと恋仲にあるとの予想が外れていたことを理解した。
「いっその事、このままこの娼館で世話をして貰って、転職したらどうです?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
言葉にならない感情の迸りが怒声になった。
「シャル、お前の知り合いだろう。それはいくら何でも」
「知り合いと言っても迷惑な知り合いです。初対面でいきなり殺しにかかって来たり、人違いした上で人を変態呼ばわり、その上家事も手伝いもせず寝てばかり。はしたないただ飯喰らいの恥知らず。挙句の果てにはこの醜態、役立たずを引き取っていただけるならこれ幸いです」
「ひどいがダメだろう、ダメなんだ。それは常識的にダメだ」
「常識、ですか?」
「一応はお前の身内なんだろう、その娘は。お前の国ではどうかは知らないが、女が攫われて自分の意思に反して苦界に身を堕とそうとされているんだぞ!男として最低限の常識!いや人として最低限、守るべき倫理だ!ここで見捨てるのは魔族にすら劣る鬼畜の所業だぞ。世の中にはなぁ!お前みたいに力が無くて、そんなことすら出来ない連中が腐る程居るんだ!出来るお前が、それをやらないでどうするんだ!!」
いつになく感情的なアンドレの言葉にシャルは満足そうに眼を細めた。
「アンドレさんは本当にいい人ですね!良かった。悪い人でなくて本当に」
つい押し殺していたハズの感情が、口を吐いて言葉として流れ出した。自分はそんな言葉を吐く資格もない男だというのに。
「それだけ道徳を語れるなら上等ですよ。じゃ、ステラさん。帰りますよ」
「う゛~」
何か自分のことをダシに使われたことは分かった。事情が分からないから、口を挟めないが満足気な男たちに不満の声を上げることした。完全に蚊帳の外な連中よりはマシか。
「エッ」
シャルはステラの姿を見て短く驚きの声を上げ、固まった。どうしたのだろうと、近くに寄ったシャルに目を向けると、痛みに耐えるように目を瞑り耳まで顔を真っ赤に染めていた。そして辛そうに前屈みになり、そのまま恥じらいの表情を浮かべ膝を曲げている。奇妙な姿勢だった。
「どぉう、したぁ?怪我を、していた、のか?毒、か?毒で身体、を」
「目に毒だ。その恰好何とかしてくれ」
初めてシャルに敬語以外の言葉使いで話かけられた。その事に若干戸惑いを覚えつつ、判然としない意識のまま自身の状態を確認する。
逃げられないように装備と衣服は剥ぎ取られ、両手両膝を開いた状態で寝台に拘束されている。拷問のため縄で縛り上げられた肉体は、節々を圧迫されて血流が滞り紅潮した肌が脹れている。汗まみれで濡れそぼった全身に酸素が行き渡らず、深い呼吸をしようとすると、喉元から腹部、横隔膜と肺へと縄の締め付けが増し、益々呼吸が苦しくなる。同時に欝血からか、むず痒い疼痛まで全身から響いてくる。そう言えば、捕まってからどれぐらいの時間がたったのだろう。痺れ薬の効果は消えているようだが、震える肉体が未だに火照って朦朧としている。その火照りを自覚すると同時に、激情が冷めて突沸する羞恥心があふれ出して来た。
「~~~~~~」
「何だお前、その初心な反応は。まさかお前童貞か?」
「フフッ可愛いんだぁ、ちなみにこちら娘もおぼこよ」
「あー、そのアレだ。邪魔しちゃ悪いから、オレらここらで消えるわ」
「待ってください。行かないで、置いていかないでください」
「後は若い者同士に任せて邪魔者は退散しましょう」
「部屋代の金は支払ってある。安心して楽しんで来い」
「違いますから、誤解していますからそれ」
鋼鉄の扉が閉ざされ、二人の男女は取り残された。
理解しがたい何かは、そでも人間らしかった。
「なぁディル、どうしてこんなあっさり引いたんだ。あんな間抜けを晒した状態なら、いくら何でも勝てるだろ」
兵隊崩れに包帯を巻く騎士崩れは不満を漏らした。人影はそれを窘める。
「何も言うな。幻術か手品かわからんが、未知の能力を持った強敵を前に負傷者を抱えたまま戦闘を続行すればどうなるか分からん。ワシらさえ油断しなければ勝てたはず」
「ハァ?マジでそれ言ってんのかバカ共が」
「ありゃ、幻惑魔術だとか催眠術だとかトリックだなんてチャチなもんじゃ断じてねぇ。もっとやべぇクソろくでもない何かだ。魔王や勇者、ドラゴン何ておとぎ話に出てくる化け物級のな。ちんぽフル勃起させて足腰立たなくなってたとしても、どうしようもねぇよ。下手に逆らったら、どうなるか考えたくもないぜ。単純に死なせてくれるだけ有情ってレベルだ」
「オレはもう降りる。童貞野郎の言うキレイごとなんて信じちゃいないが、どっかの田舎にでも行って魔物退治の職探しでもするさ」
「もう二度と会うことは無いだろうが達者でな」
呼び止める間もなく、ディル・ブリックスは夜闇の中へ消えていった。取り残さた面々も、あてどない足取りでどこかに消えて行った。
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