第5話 すれ違う町角
この町の建築物で一番高い場所。グレンガ領エリン市中央にそびえたつゼリエ公爵家の別邸。その屋敷の二階バルコニーガーデンは瀟洒な温室になっており、そこには希少な薬草や魔術の触媒となる植物をはじめ、季節に係わらず色とりどりな草花が栽培されている。
近現代以降は封建制度や身分制が改められたが、未だに多くの貴族たちがその領地を治めている。現在でも領主と言えば王国から自治権を認められた貴族のことが一般的だ。政変により民主制で選出された領民の代表者が行政の実権を握っている地方も増えて来たが、もともとの特権階級であった貴族たちが持つ資産や文化資本による経済力が未だに財界でモノを言わせている。事実上、経済格差によって未だに階級社会が維持されている。
国家の制度や理念、現実と建前、体制の実情のねじれは様々な形で、社会の歪みが偏在している。そんな歪みに囚われた二人の冒険者が、緑に囲まれたバルコニーテーブルに腰掛けていた。
「竜を待って外道を釣るといったところか」
バルコニーから町並みを一望するパトリックの瞳は極彩色に染まり変色を繰り返している。その眼は霊視と透視、千里眼の魔術を同時に発動させた状態だ。町並みを一望できる高い位置からの俯瞰で、パトリックの視界は町全体の魔素の分布や濃淡を色彩として視ることが出来る。霊視によってもたらされる色彩からは様々な魔素の情報を読み取ることが可能だ。
マナの循環の乱れからその場所で魔術が使用されたかどうか、色の濃淡から生物の持つ魔力量有無やその魔力属性、魔石を消費する動力炉ならそのエネルギー量の測定ができる。色の寒暖からは魔力を使った際のその使用者の持つ固有のオドの波長などで個体の判別ができる。
霊視の魔術は魔術師の才能の有無を判断するため、基本的な技術として習得させられる一般的なものだ。しかし、パトリックのようにここまで広範囲の視野と詳細な色彩の違いを見分け、魔力の判別が可能なのは一流の魔術師でも殆どいない。この能力は彼を神童、奇才と称えられる所以の一つだ。
「もうすでこの町に魔族が巣食っているなんてね。鉱山のドラゴンの残留魔素以外にも、別種の魔素が見えるんでしょ?」
「ああ、微かだがな。地竜グレンガ以外の属性の魔素が二種類。一番魔素の残留濃度が濃い場所は色町だ。そしてもう一つの魔素は町の外から色町通りかけて痕跡があった。この町に到着した時には感じなかったから、俺たちが寝ている間、深夜に活動しているのだろう」
「外から来たヤツが、バグシャスとか云うドラゴンだったりするかな?」
「分からん!だが騎士団と交戦した場所の残留魔素と同じ色が視えた。バグシャスが魔術師としてのスキルを持っているなら、町に使い魔を送り込む事も容易だろう。この場所でこのタイミングだ。十中八九、奴と見做していいだろう」
「町に住む魔族を警戒して?違うか。ドラゴンの巨体で町の中には入るのを遠慮したのかな。それで騎士団と戦うことになったし。人間に対して友好的……、なのかはまだ分からないけど。この際、ドラゴン探し一旦後回しにして魔族の対処を優先すべきじゃない?」
「人間社会に溶け込んでいるなら、人間に擬態できるか、外見が人間と似通った魔族か。ドラゴンの探索以上に難儀しそうだ」
「魔族が居ると知れたのなら、それを放置しておく理由は無い。魔族の殲滅は最優先事項だ。奴らどんな陰謀をくわだてているか分からん以上、早急に俺たちが正体を暴きだし討伐するしかない」
「ようやくワタシの腕の見せ所が来たって感じ」
「ああ、やるぞ」
二人の冒険者は新たな決意を胸に刻み、エリンの町へ繰り出して行った。
チャールズ・ハンガーとアデル・イスラ・ペンドルトンはその年齢差や服装のことも相まって、対等な関係には見えない。
二人の歩く姿を見れば10人中10人が良家の子女と召使いだと思うだろう。
アデルの外出には必ずシャルが付き添う。だが普段のシャルの恰好を、みすぼらしい、小汚い、隣で歩いて欲しくないと言う彼女のために、彼なりに考えた結果略式礼装を着るようになった。そんな若い男が可愛らしく着飾られた気品ある少女の意向を仰ぎ、それに沿うように取り計らい行動する。他人から見れば、その様は貴族令嬢とその侍従だと誤解する。今のシャルの姿を見知った商店や市場の人たちは、彼を魔鉱石の採掘作業員だとは知らず完全に貴族の侍従だと思い込んでいた。
そしてシャルとアデルも周囲からそう見られていることを自覚し、あえてそれを否定しなかった。二人の関係を事情の知らない人間に説明すると必ず奇異な物を見る目で、場合によっては揉め事さえ起きかねなかったからだ。
もっともシャル自身は服を着る飾ることに差したる意味を見出せず、普段使いの服はみすぼらしい平服を着ているため、魔鉱石探掘の現場に出向く際や、一人で町中を歩く際はいつも肉体労働者然とした姿だ。同じ人間がまったく身分の違う恰好をしていて、行動もまるで異なると印象が違う。そんなことも相まって町の人々からはアデルの侍従が、実は普段小汚い恰好をした魔鉱石採掘作業員だとは知る人は少ない。
「新しい略式礼服と普段使いの平服を三着ですか。奮発されますね」
「お嬢様の身の回りの御世話にかまけてしまい、自分のことを疎かにしてしまいましたから。着替えの支度で叱られてしまいました」
新しい衣服の採寸をしながら、シャルと仕立て屋の主人は愚痴を交わす。アデルは店の看板娘やご婦人方と愉し気に談笑しながら、流行の衣服や装飾品を着せ替え人形のようにあてがわれている。店に入るや否や、アデルはシャルが吊るし着の既製品から自分の体格にある衣服を適当に選ぼうとしたことを窘めた。そしてシャルの着る服はわたしが決めると、店主にカタログを持ち出させ、全身のコーディネートから、衣服の布地、縫い糸、デザイン、流行の着こなし方について逐一すべてに注文を付け始めた。予算と期日に都合をつけ妥協点を見つけ出し、何とかアデルの我が儘に収拾がついたのは時計が午後を回ってからだった。折角の休日だというのにシャルはすでに気力を使い果たし、疲労困憊していた。
「そう言えば、ご主人。この店でこうした染め抜きの紋章を扱ったことはありませんか?」
「ああ、この紋章ですか。付き合いのある職人のお弟子さんがこの紋章の刺繍のお仕事を請け負いましたよ。どうにも怪しい依頼主だったと。仕立ての悪い生地に、難しい刺繍をさせられてちょっとした話題になっていましたよ」
「注文した人がどんな方か教えていただけませんか?面識のある貴族の家紋を無断で使用されている可能性があります。その家の名誉が傷付けられているのか、せめて確認だけでも取りたいのですが」
「奉公人の立場は難しいですな。自から他家の面子まで気にかけなければいけないなんですから」
「今のご時世、困窮した貴族同士が協力し合なればお家の存続もおぼつかない有様でしてね。家の格を保つのも一苦労です」
「義理堅いですな、まだお若いのに」
「忘れ形見を託されて居りますので。繋がりを作れるものなら一つでも繋いでおきたいのです」
「忘れ形見ですか」
「彼女が将来をどう生きるかを決める時に、私から差し出せる選択肢を残して置きたいのです」
「さようでございますか。あくまで私共がお伝えできるのは、依頼者のお名前だけですよ」
「ありがとうございます」
「アンドレ・コルサ、貴族の庶子の方です」
「やはり、知っている人の名前です」
市街中心区の憩いの広場。
美しく整えられた景観は見る者の荒んだ心を癒す、自然豊かな空間として市街地の裕福層からの人気が高い歴史ある森林行楽地だ。グレンガ領はもともと緑の少ない不毛な土地で、エルスト王国に併呑される以前の土着の民が植林を行い豊穣の神を祀って、冠婚葬祭の祭事や、林業を行っていた場所だったらしい。現代では土着の民も滅び、その文化や信仰も無くなってしまったが、王国貴族の領地として開発された後も市中の山居とも云う森林公園として残され、こうして活用されている。
「……で?半日町を歩き回って成果なしかぁ」
虎徹・鷲宮・美咲は両手を組んで背伸びをした。そのまま仰け反り、海老反りから地面に手を付けて欠伸をする。地面はレンガ敷きで、上下逆さまになった視界からはよく手入れされた人口樹林と青い空が見える。日傘をさした高貴な身分らしきご婦人とその旦那さんだろうか、突然サーカスの曲芸染みた真似をする少女に奇異な視線をぶつけて来た。
その身体の柔軟さや屈伸性を披露するように、逆立ちからの宙返りを繰り出し大見得を切ってY字ポーズで着地して見せる。視線の方向からパチパチとまばらながらも拍手が聞こえて来た。
「余計な、人の目を、引く、な」
一面に芝生が生い茂る花壇の中でパトリックは二日酔いの中年男性のような顔で伸びていた。市内を探索しながら霊視の魔術を使用し続けた所為だ。もう目を開けているのも辛いらしく、魔力回復用のポーションを飲み体力気力が戻るまで休憩することにした。
「成果、は……あった、ぞ」
情報過多の視界の負荷により酷い頭痛に苛まれながら、呻くように虎徹の言葉に反論した。返答までに間があったのは負けず嫌いが、負け惜しみの言い訳を考えていた訳ではないらしい。
「市内を流れるマナの形跡を追跡してみて、推察できることが二つある。いや、今三つになった。物的な証拠はないが推論として、考えをまとめるぞ」
「ようし、聞いてみよう」
美咲は退屈そうな欠伸を噛み殺しながら、パトリックに向き直る。
「一つ、この町に巣食う魔族は、おそらく、魔術師ではない」
「魔術を発動する際の、マナの乱れや淀みがない。しかし、魔力を使用した痕跡がある。これは魔法の使用によるものだ」
「魔法?素人質問で恐縮ですが、魔術と魔法の違いって何なの?」
「……そこからか」
「いいか、魔法と云うものはこの世界の決まりごとの一つだ。一定の目的方法の基ついて、事象を観測研究することで物質世界の原理原則、公理定理と云ったものを解明するのが科学という。同様に魔法とは、魔力の原理のことだ。魔力はもともと神話や信仰で語られるように歴史上、神から与えられた力、奇跡の現れあるいは悪魔や精霊、この世の者ではない存在からもたらされるモノだと考えられてきた」
「でもそうじゃなかったと」
「そうだ。魔力にも物理現象のように法則がある。それを突き止めた古代の賢者たちは、魔力の法則、魔法と呼ぶようになった。科学という言葉や概念が生まれる以前時代の話だ。だから魔法学を魔力科学とか魔法科学と言い換えるのは誤った言葉だ。今ではそれでも通じているが」
「なるほど、で魔術師ではないって根拠は?」
「魔術と云うものは、その魔法、つまり法則を捻じ曲げる技術だ。生物の体内エネルギー、生命力、魂の力、オドと呼ばれる魔力で外界のマナの流れに干渉し、望む現象を術式によって引き起こす。自然界のマナの循環を他人の都合で歪めるために、マナの流れに淀みや歪みが生まれることになる。」
「あー、魔法を使うって、つまりどういうこと?」
「マナの自然法則に則った現象を、オドによって引き起こすことだ。生命エネルギーでああるオドの魔力は、種族や個人によって千差万別だ。一人一人が固有の指紋や魂を持つように、オドの性質もそれぞれ異なっている。だからこそ、稀に術式を介さずとも、オドをマナに干渉させるだけで化学反応のように特定の現象を引き起こすことが出来る存在がいる。こうした連中は、魔術師と区別されて魔法使いと呼ばれる。そして、この町に巣食う魔族は魔法使いだ。」
「で、それが分かってどんな意味があるの?いざ戦いになったら何か役立つ情報なの?その魔族の居場所の手がかりになるの?」
「……二つ、バグシャスはやはりこの町の近辺に潜んでいる」
「本当に、微かな量だ。人間が魔素を吸い込んでも、中毒を起こしたりしない微量の魔素の痕跡だったが、確かに見つけた。おそらくバグシャスは使い魔を町に放って、人間たちの生活を覗き見ている。主に人通りの多い商業通りや労働者の多い開発区、たまには貧民街などを覗いている。使い魔がどんなモノかは分からないが、白昼でも市内を見廻れるような小動物か何かだろう。もしドラゴンが俺たちに興味を持つことがあればあちらか接触してくる可能性も大いにある」
「ドラゴン探しが一気に進展したね、流石は神童パトリックくん」
「茶化すな!もっとちゃんと俺を褒め称えろ!怖れ敬え」
「最後に3つ、この森林公園は魔族と深い係わりがある」
「今でこそ貴族の領地として、美しく緑豊かな場所になっているが。この森から生じるマナの色と波長は、町に潜む魔族のモノにとても良く似通っている。おそらくこの土地の土着信仰が、淫祠邪教であったのだろう。この土、草木や地面から、臭い立つようないやらしさを感じるマナが流れている。同属性のマナとオドは親和性が高いからこそ、消耗した魔力を回復させ易い。魔力を消費する際も効率がよく力の転化が出来るようになる。もしこの場で件の魔族と戦闘にでもなったら、相当不利になる」
「けどさ、逆に罠を張って魔族を誘き出すことも出来ないかな?」
「魔族がこの場所に拘りがあってこの町に潜伏しているって仮定だけどさ。例えばこの森を燃やしたりすれば、その魔族はこの森のマナでの魔力の回復が出来なくなるでしょう。実際にやらなくても、脅しをかけてこの場所におびき寄せることが出来ないか試してみない?」
「ダメに決まっているだろう」
ランチタイムを過ぎたので屋台で午後のお茶の時間に軽食を済まし、市場で数日分の食材を買い足して帰ることにした。アデルは治安の良くない町中を自由に出歩ける機会が少ない。だからこそシャルとデートをめいっぱい楽しみはしゃぎ倒して、帰路の途中で寝入ってしまった。
「夕方になったらまた町に行ってきます。今晩の夕飯は要りません。アデルが起きたら、出来上がった服を取りに行ったと伝えてください」
「帰りは遅くなるのかい?」
「朝帰りはしませんよ、夕飯は先に食べていてください」
「何をするつもりがあるかは知らないが、危ないマネをしないようにね」
「火遊びに誘われたら保証できないです」
「あんたも男の子だね。ところで町でステラとは会わなかったのかい?」
「アデルが彼女を避けていましたら、見かけても逃げ隠れしていましたよ」
「ありがとさん、あの娘が危険な目に合わないようにしてくれたんだろう」
「せっかくのデートを邪魔されたくなかっただけです。お礼には及びませんよ」
「……ステラはもう一人前だ。自分のケツは自分で持つさ。覚悟は出来ている」
「そうですか。……いってきます」
「ああ、ちゃんと帰っておいでよ」
寂れた街道に出てて一人になるシャルは夕焼けを見詰めて目を細める。
「悪い人たちには見えなかったんだけどなぁ、オレの目も節穴だったか」
独り心地でつい愚痴が出る。
「穏便な話し合いで済めばいいけど」
黄昏時の寂しさを紛らわせるように、シャルは寂れた街道を走りだした。
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