第2話 下宿先に訪れた冒険者、お孫さんはお転婆ですね


 夢魔は今日も雑踏に紛れて、繁華街へ通勤していた。直に日が沈み夜の帳が落ちれば、誘蛾灯に集まる蛾のように男たちで溢れかえる宿場通り。自由な昔と違い、今では行き交う雑多な人間を物色してから、夜の客として誘い出すことはできない。便利な世の中になればなるほど、決まり事が多くなっていけない。しかし、無秩序な世界では生きていくことさえ難しい。

「労働ってメンドウだわ」

人間を糧にして生きるには、人間社会に溶け込むのが一番手っ取り早い。だから永らく人間の振りをして生活していた。しかし、ここ数十年での人間社会の営みの変化はどうだろう。今まで戦争やら政変やら世の中が乱れることはあったが、魔導革命とか云うものが起きてからは生活環境への影響が顕著だ。

仕事で着飾る衣装も装飾品も、昔とは比べられない程増えた。遊びの幅も増えた。人間たちの食料事情も改善され、道に並ぶ商店、品物の種類も目にする文字数も何もかもが飽和しそうなくらいに増えた。そしてそれらが増えれば増えるだけ、わたしの役割と仕事の量は増して行った。

「それでも、本当に豊かになったって言えるのかしら」

魔王が世界の脅威として台頭していた時代に戻りたいとは思わないが、あまりにも人間勢力が世界を席巻しすぎているように思える。これは単なる均衡の振れ幅なのだろうか。人が溢れ、人の作った物が溢れ、いつかは世界の天秤が傾き倒してしまうのではないだろうか。そんな杞憂さえ抱いてしまう。

物思いにふけるのを止め、屋台で早めの腹ごしらえをする出稼ぎ労働者たちを通り過ぎていく。もともと寂れる一方だった宿場町に活気が戻ってきたことはいいが、町の新参者たちが我が物顔で往来を邪魔するのはいただけない。金を落とすのはいいが、地元の住民との諍いも絶えない。この町に働き口を求めて来たのに、既に実業している者もいるくらいだ。早急に治安を回復させる手段を講じなければならない。

人間社会に生きる夢魔は市勢に頭を悩ませた。いつまでこの二重生活を続けることになるのか、この際迷惑な人間どもを一掃できる力が欲しい。今はまだそんな権力も能力も手に入らない。

さっそく五月蠅い連中が寄ってきた。

「おうネーちゃん、暇なら一緒に飲もうぜ!」

下卑た笑みを浮かべる酔っ払い共が絡んできた。仕事帰りに一杯ひっかけて来た魔鉱石の探掘労働者だろう。店の中で客として来たらならいいが、金にもならないことで係わるのは御免被る手合いだ。

「ごめんなさいね。これからお仕事なの。お店の方に寄ってくれたらお相手してあげるわ」

「いいじゃねーか。これからこっちでお楽しみしようや、みんなアンタに興味があるんだ。おれたちは上客だぜ」

「すぐにでも天国へ連れて行ってやるよ」

男たちは皆同じ鳥のデザインをあしらった服をきている。最近、娼館に出入りする客の間にも流行っている意匠だ。昔どこかで見た覚えがある。何の紋章だったか。そうして考え込んでいる内に、道理も弁えない盆暗三人がますます下卑た笑みを浮かべて酒臭い息をまき散らして近づいてくる。

この町のゴロツキ共なら、わたしの顔を見れば誰しも居住まいをただし道を開けたものだったが。この顔のことすら知らない無知なバカを相手にするのは久しぶりだ。余程の新参者なのだろう。どうした物かと悩んでしまう。最低限の人としての礼儀すらなってない男など金が絡んでも、相手になどしたくないし。今夜あたりには厄介な連中が町に到着している頃合いだ。下手に人前で力は使えない。自警団を呼ぼうにも、既に他所で喧嘩の仲裁にまわっていて、こちらに気づいてさえいない。

夜の仕事場へ行く前から、もう頭が疲れて来た。

男が夢魔の肩を掴もう手を伸ばした瞬間に、また怪しい人影が現れた。

「ぶおっはぁ!」

男が突如奇声を発して、股間を抑えて蹲った。

「ナンパにしては随分下劣なやり方ね」

怪しい人影の正体は、酔っ払いの背後に忍び寄った一人の女だ。

「ああ、なんだてめぇ!何しやがるクソアマ」

激痛に悶えそうになりながら激高し、酔っ払いたちは横槍を入れた女へ振り返る。

一目見て一般人ではない恰好をしている。顔は目元以外に露出がないにもかかわらず、女性らしいボディラインがはっきりと分かる。動きやすさを重視した黒い衣服。色気のある曲線美を隠すように、武骨な革製の胸当てと肘膝を守るプロテクターがあしらわれている。軽装の戦闘装束だ。フードを目深にかぶり、スカーフで口元まで覆っている。

「何だコイツ、冒険者きどりか」

「ダセえ恰好だな、今どき冒険者かよ」

「あ”」

不機嫌な声を発するのが先か後か、それとも発生と同時に動いたのか。癪に障った言葉に反応した女は、腕を振るって一線を放ち、何が起きたかを認識される前に一人の平衡感覚を奪った。

羽虫でも払うかのように女に腕を振るわれて男は、自身の急激な体調の変化を自覚した。急激に気圧の変化が起きたような耳鳴りを感じ、視界が歪んでいく。血中のアルコール濃度が高まり酔いが一気に回るような酩酊感を何倍にも強くしたような平衡感覚の麻痺、更に吐き気をもよおす不快感がない交ぜになって込み上げてくる。

「うっあ、あボぅ、うげぇえええ!!?」

最早立っていることも出来なくなり、嘔吐と共に勢いよく前のめりに転びかける。態勢を整えようとすると更にバランスを崩し、前後左右に揺れ動き身体を一定に保つことが出来ない。

「おい、どうしちまったんだよ?」

残る一人は仲間の変調に女への下心どころではなくなり、夢魔をそっちのけで倒れ込む男を支える。

「怪我をしたくないなら、尻尾巻いて逃げな。今度また野良犬以下のマネしたら一生女を抱けない体にしてやる」

「ち、ちくしょう!覚えてやがれ」

捨て台詞を吐くのが精一杯の虚勢だった。目の前で得体の知れない力を振るう女に怯えた酔っ払いは、今にもまたゲロを吐き出しそうな仲間を引きずり逃げ出していった。残りの股間を抑えて蹲っていた男も後をついていく。天下の往来でなんとも無様を晒す三人組は、これに懲りて少しはナリを潜めるだろう。

「迷惑な奴らを追っ払ってくれて、ありがとう。見知らぬ冒険者さん」

「ステラ・アンブローシアだ。この街もしばらく見ないうちに随分と治安が悪くなったものね」

「わたくしはジェーンと申します。出稼ぎの余所者が急に増えたせいね、あなたはこの町の出身?」

「実家が宿場の方にある。ワタシが暮らしていた頃は、寂れる一方の観光地だったのに、どうして今はこんな賑わっているの?」

「あら知らないの?このエリンの町は今や大規模な再開発と新事業への投資が行われているのよ。ゼリエ公爵が主導で魔鉱石の産掘、魔石の精製を一手に担う産業都市として再開発を進められているわ。そのせいで国の外からも彼らのように働き口を求めてやってくる、ならず者まで集まって来て、今じゃそこかしこで諍いを起こしているの。わたしたち地元の人間からしてみれば、堪ったものじゃないわ」

「そうなのか。もし今回のようなことが頻発するようならいつでも力を貸そう。冒険者ギルド支部……はこの町には無いから、町役場の冒険者紹介所に問い合わせてくれ。直接ワタシの逗留先を訪ねて来てくれてもかまわない」

ステラはジェーンに住所が書かれたメモを渡し、お互いに別れを告げ別々の目的地へ歩き出した。

「今どき現役の冒険者ね。実力があるようなら、市の保安部に引き抜いてあげようかしら」

夢魔は冒険者の女がこの土地の出身者と知って、贔屓することに決めた。


再開発事業の賑わいから取りこぼされた郊外の一画に灯りがあった。

暗い夜道に野外灯などは設置されていないため、この時間は人が寄りつかない。そんな寂れた街道を、グレンガ鉱山採掘場で新入りと呼ばれていた男が迷いなく歩いている。

彼の目指す先は既に廃業した酒宿の店舗だ。その窓から、灯りが差していた。

夜天の星空に煙突からのびる煙がその店舗にはまだ、人が住む家屋として機能していることを主張していた。近くに寄れば夕餉の匂いが漂い食欲を刺激される。窓ガラスの向こうで温かな団欒が営まれていること見て取れる。その光景に男は安らぎを覚えた。

しばしの仮宿と言え、自分の帰る場所に愛する女性がいる。その幸福を噛みしめて、玄関の扉を開く。下宿人の帰宅を伝えるドアチャイムが鳴り響いた。

「ただいま」

その言葉に少しの間をおいて、幼い声が返ってくる。

「 ……おかえり、なさい」

やや戸惑い気味に少女が彼を出迎えた。玄関の欄間に吊り下げられたランタンが、柔らかな光に照らしている。そこには白い肌に煌く銀髪を持つ幼い少女の姿がある。星の瞬きを閉じ込めたような円らな青い瞳は、まっすぐに一人の男の姿を捉えている。

少女の名前はアデル・イスラ・ペンドルトン、彼女に出迎えられた男はにかんだ笑みを浮かべその小さな身体を抱き上げた。お互いの存在を確認し合うように抱擁を交わすと。

「早い帰宅だね。今晩は遅くなるものだと思っていたよ」

かつては客席が並んでいたカウンターの奥から老婆が出てくる。

この酒宿の女将をしていた女性、エステル・ベルモンドだ。

放蕩壁のある夫に店の経営を丸投げされ20年間、店の看板を守って来た。しかし行方不明になった夫が死亡認定されて以後は、酒屋としての看板は下ろし、たまに来る旅人を客とした民宿をやっていた。近年では旅行者の大半を占めていた冒険者が立ち寄らなくなり、収入が減り困ったことになっていた。そんな中、縁あってこの男が彼女のもとを訪ね、余った部屋を住居として貸し出し賃貸料を取ってようになった。この国では珍しい賃貸経営を営むことになった。今では下宿人となった二人の生活の面倒まで見始め、女将あらため寮母を務めている。

「そうですか、今日は親方からお話があったのでいつもより遅くなったと思うのですが」

「仕事仲間から遊びに誘われなかったのかい?寂しい奴だね、周りとは旨くやらないとダメだよ」

大鍋を運びながら、新入りの顔を見上げ老婆は続ける。

「ああ、大丈夫ですよ。ちゃんと親方から誘われました」

「なら遊んでくりゃ良かったじゃないか」

「家族が夕飯を用意して待ってくれているのに、連絡も無しに遊んでいられる程薄情でも常識無しでもないですよ」

「常識知らずだろ、アンタは。まぁアンタの居た国ではそうだったのかも知れないけど」

夫との思い出話を懐かしむようにエステルは笑い顔になり、話を続ける。

「ここじゃ週末に夜遊びをしない男は出世できないよ。あと夕飯で家族なんて顧みている男もいないさ」

「オレは出世よりも家族の方が大切です」

テーブルに食器を並び終えたアデルが椅子に座り、新入りに声をかけた。

「知らない服着て帰って来たから、びっくりしたわ。裸でなかっただけ、よかったけど」

「ああ、コレか。今日は着替えが無かったから職場で借りた」

「お借りした人には悪いけど。その下品な服装は似合わないわ。そんな恰好だとまるで別人みたい。低俗な恰好をされて、隣にいられるとわたしが恥ずかしいわ」

少女は見た目の年齢よりも大人びた目で男の服装とその印象を語る。

「シャルは本当に、服に着られる人なのね」

今はまだかつての身分制度から、階級格差がそのまま経済格差に移っただけで着ている服装で身分を判断する文化が根強く残っているのだろう。ただファッションは別で、恰好から高尚な身分かそうでないかが分かるような時代では無くなっているが。未だに来ている服で身分を判断する慣習は人々の生活に根付いている。庶民には着ている服の生活様式の変化は緩やかなのだろう。

この町は辺境の寒村だったの上に、外から流れて来た人が多い。そして外からやって来た人間は大抵、みすぼらしい格好だ。新入りが今着ている服も、その例に漏れず仕立て悪い木綿と麻のシャツだった。おまけにへんな悪趣味な刺繍までされている。

この町はまだまだ経済が発展途上だからか、王都のように垢抜けたファッションで少女を満足させるも仕立ての良い生地の服飾品は殆どない。ましてや、日々肉体労働に勤しむ男たち自己主張をするためのファッションセンスなぞ、彼女にはナンセンスな悪趣味なモノにしか映らないのだ。

新入り改め、シャルと呼ばれた男自身は、そもそも服を着る文化自体に理解が乏しく、着る服にも恰好にも頓着しない。最低限求められた機能させ果たせれば文句はない。ただ流石に他人が自分の恰好を見てどう思い、何を考えるのかは流石に理解してきた。

ファッションという未知の概念にまるで興味はないが、隣にいる可愛い女の子に恥をかかせたくはない。だから提案をする。

「そっか、明日はお休みだから一緒にちゃんとした服を買いに行かないか?」

「一緒にお出かけ?」

「アデルを連れ出してもいいですかエステルさん」

「かまやしないよ。別にあたしウチの従業員で雇っているわけじゃないんだ。その娘が勝手に手伝いたいって言うから勝手にやらせているのさ。休むのも遊ぶのも勝手にしな」

「アデルはどうしたい?」

「 ……傷んでいる屋根をシャルが修理してくれたら、ご褒美に服選びのデートに付き合ってあげる」

「お安い御用だ」

「おやおや、アンタら家主の了解を得ずに勝手に家を修繕しようとするんじゃないよ。まぁ、空き部屋の雨漏りを直してくれるのは助かるがね」

「シャル、今日は料理を手伝ったの」

「ほらこのポトフのジャガイモだよ、皮を剝いてもらった。小さなお手手で思いのほか器用だから驚いたよ。昨日はすぐ針仕事を覚えたし、この子は器用だね。アンタとは違って」

「アデルはとても可愛い上に、毎日出来ることが増えていくね」

「頭のいい子だよ。こんな場末で腐らせてないで、さっさと学校にでも入れてやりな。この甲斐性無し」

「シャルはわたしに学校に通って欲しい?」

シャルには学校というものが良く分からないが、それに通うことで将来役立つ社会的な地位や様々な学問に触れる機会を与えられ、職業の選択肢を多く得られるという知識はある。この国で長くやって行くつもりなら、アデルも大人になったら何か職を得て生活できるように金銭を稼ぐ手段があった方が良いだろうとは考えている。

シャルは自分がもっとも手っ取り早く、この国で多額の金銭を得られる仕事が魔石採掘の仕事だと聞いて今の職に就いた。危険が多く汚い臭いキツイ職場だが、シャルの目的を達成させるには一番近道の仕事だ。それは他に選択肢がなかったからだ。

「アデル、君になりたい者ややってみたい仕事はあるかい?」

「わたしはシャルのお嫁さんになるつもりだけど。それだけじゃダメなの?」

「ダメだと言うことは無いと思う。けどね、君くらいの歳の人間の子供には、将来の夢という、自分が生き方を自分で希望して、それを実現する機会が与えられるものなんだ。

確かそう先生が言っていた。オレには先生が一人居て色んなことを教わったけど、アデルにはまだ先生と呼べる人が居ないし。なりたい者ややってみたい仕事もないだろう。学校に行けば先生という、色々な事を教えてくれる人が沢山いるそうだし。そこで、なりたい者ややってみたい仕事を見つけて、将来の自分の生き方を決めた方が良いと思う」

「……シャルの言う事は良く分からないわ。要領を得ないんだもの」

「生きていくには金を稼ぐ必要があるし、まっとうに金を稼ぐにはまっとうな職に就かなくちゃいけない。シャルはアンタをまっとうに生きていく力を持った、一人前の大人になって欲しいのさ。そのために学校に入って、ちゃんとした教育を受けて、まっとうな職に就ける様になって欲しいって事だよ。まったく言葉が多くて回りくどいんだよアンタは」

「うーん、わたしはこのままエステルおばあさんのお手伝いをしながら、図書館の本を読んだり、たまにシャルとお出かけしたりして暮らしたいのだけれど。わたしがそんな暮らしを将来的にも続けるためには、学校とやらに行ってお金を稼げるようにならないといけないのね。そう言う理解でいいのかしら」

アデルと言う少女は、理解をしても納得はしていないような顔で小首をかしげた。

二人は外国から来ただけあってこの国の常識に欠ける。エステラはどうにかして彼らの欠けた常識を穴埋めしないといけないと頭を悩ませた。

こんな時間なのに客がいるか。

実家の酒場には、明かりが灯っていた。

数年ぶりに見た祖母の店は、想像よりずっと小綺麗な様子だった。

暗がりで細部まではよく見えないが、独居老人が切り盛りしている割には手入れが行き届いている。

エントランスの扉を開き、ドアチャイムが揺れると共に屋内の光景が目に入る。

「ただい……まっ?」

温かな団欒を囲む家庭のような場面。見知らぬ誰かたち。一瞬、入る家を間違えたのかと思うった。いや違う。見慣れた祖母の顔だ。その表情は、笑う男に対して苦虫を噛まされたように、しかめっ面で睨みつけている。明らかに友好的な雰囲気ではない。何より男の恰好は、町に屯している三人組の悪党と同じものだ。服に彼らと同じ悪趣味な紋章がある。悪党の仲間の一人が、ワタシの家族と一緒にいる。

何故か、祖母の食卓の傍に座り夕飯を集っている。祖母はしっかりした人だが、か弱い老人だ。加齢で体を弱らせて以来、とんと世の中の流れから取り残され、世情に疎くなった。そんな年寄りも騙す連中はどこにでもいる。お年寄りの善意に付け込んで、法外な商品を売り付けたり、騙して金品をまきあげたりするクズ共が。そしてワタシには平気で人を騙し、善意を踏みにじるその男の恰好に見覚えがあった。

あんな悪趣味な服を着ている男は、間違い無くヤツだ。ヤツの魔の手が、ワタシの故郷であるエリンの町に伸びていると知って心配になって帰って来た甲斐があった。

祖母は女手一つでこの店を守って来た。この自宅兼店舗の酒宿には、居なくなった祖父とのたくさんの思い出が宝箱みたいに沢山詰まっている。そんな思い出の場所に。穢らわしい悪党が我が物顔で押し入いることは、たとえ法が許してもワタシが許しはしない。

無遠慮に人の家に上がり込み、偽善に満ちた欺きの笑みを浮かべ、汚れた手で食器に触れ、たった一人残され年老いた家族の居場所を騙し取ろうとしている詐欺師が。

「……貴様ぁ‼」

思わず怒声を上げてしまった。敵を目の前に捉えたのならば冷静になるべきだった。しかし、打倒すべき悪が、優しい祖母が作った料理を貪っていたのだ。本来ならそれは、愛する家族と団欒を共にするための手料理だ。ワタシが居なくなってしまってから、ずっと寂しい食事をしていた祖母の真心のこもった一皿を、赤の他人がまるで自分ために用意された食事のように食い漁っている。それはまるでゴキブリが食卓に上がって愛情のこもった温かな料理を穢しているかのような光景だった。それは最早、思い出の冒涜以外の何物でもない。

怒りが怒髪天を衝く勢いで、無意識に身体が動いていた。入店チャイムが鳴り響くよりも速くベルトに差したナイフを引き抜き、素早くしなる腕から凶刃を投げつけた。

裂帛の気迫が機先を制する。男は驚きの表情を浮かべ、いきなりの出来事にどうすることも出来ないだろう。

投げ放たれた一本の凶器は吸い込まれるように男の額に突き刺さる。そしてテーブルに座る男は何が起こったのかさえ分からないまま、間抜けを晒して絶命する。

そんな想像は一枚のトレイによって阻まれた。

「あっぶな!え?何ですかアナタ」

トレイに突き刺さった鋭利なナイフを引き抜きながら、男は戸惑い気味に夕食の闖入者に誰何を向ける。

「おばあちゃん、そいつから離れて!そいつはワタシの敵だ!」

「えっ?敵?誰?何ですかあなたは、こんなものを投げつけて来て!危ないですから、皆はテーブルの下に隠れて、オレ何とかしますから」

殺気を向けられている方の本人は食卓の椅子から立ち上がり、周囲に視線を廻らす。ワタシの顔を見てもまるで自分に危機が迫っている自覚がないようだ。

この状況でまだ猿芝居をする小賢しさ、いや人を小馬鹿にしてからかっているのか。だがその油断が命取りだ。

床を蹴って助走に勢いを乗せる。男との間には椅子とテーブルがあるかそんなのは障害物にもならない。

「とぼけるな!ディル・ブリックス」

言葉と同時にテーブルに手をついて跳躍し、慣性の勢いを回転力に変えた変則的なドロップキックを男に叩き込む。体格差のある相手でもぶっ飛ばす威力の衝撃だ。命中すれば最低でも骨折は免れない。靴底が間違いなく男の胸板を捉えたところで男は身を翻し、正面から斜めに足先を躱した。胸元を擦りながら脚が通り過ぎると同時に、男の腕が膝に巻き付いた。それに気付くよりも早く肘を掴まれ、男の胸に掻き抱かれていく。食卓にのぼる料理よりも男の臭いと体温を感じる。

いや見知らぬ顔がワタシを覗き込んだ。……見知らぬ顔?

そこでようやく間違いに気が付いた。

誰だ、この男は?

何でアイツと同じ服装でこの店にいる?

そんな疑問で頭がいっぱいになり、似ても似つかない端整な目鼻の顔立ちを見返した。確かめるようにその顔を掴み、目を凝らしてこちらも自分の顔を近づけてみる。お互いに相手の顔を覗き込み、見つめ合うような形になると。

それはまるで

「お姫様抱っこだ」

テーブルの下から幼い女の子が囁いた。

「…っ!?」

自分の体勢と状況に驚き、理解と同時に羞恥心が沸く。戦闘態勢の思考に混乱が生まれ、一瞬肉体を強張らせた。致命的な間隙が生まれた。男はそのままワタシの身体を自分の椅子に座らせた。

「オレの名はチャールズ・ハンガーです。ディル・ブリックスじゃありません。先ずは落ち着いて、自己紹介をしましょう。お互いが何者か分かってから、殺し合なりなんなりしかるべき行動をしましょうよ」

シャルは座るステラに片膝を付くような格好で、自己紹介と事情を確認するための質問をする。

ステラは彼の姿を近くで改めて見定めた。服装はゴロツキ共と大差ないが、顔立ちはまだ若く、少年らしい幼ささえ残している。困惑した表情を浮かべたままだが、その困り顔には妙な愛嬌がある。筋肉質で厳つい鍛え上げられた肉体だが、物腰はどこか柔らかく、まるで人懐っこい大型犬を思わせた。

「シャル、この娘はアタシの孫ステラ・アンブローシア。大バカ者の法螺吹きのアタシの旦那に影響されてこのご時世に冒険者になんてなった夢見がちなバカ娘さ。大方人見知りして、アンタを町の悪党とでも間違えたのさ」

老婆はあきれた声で孫娘を紹介した。

「はじめましてステラさん、とりあえず夕飯を食べながらでも事情の説明をお願します」

「………」

無言でテーブルの下から出てきた幼女が頬を膨らませて隣の椅子に座り、ステラの席にスプーンとフォークを配膳する。不機嫌そうな視線は有無を言わせず、食事を促しているようだ。

「い、いただきます」

フードを脱ぎ、スカーフを取ってステラは状況に流されることにした。

しかし、アデルの顔はますます不機嫌になっていた。

シャルは始終困惑した表情を浮かべたままだった。

「身内の色眼鏡を差し引いて考えてもても、正直ガッカリしました」

「15年も前の話を真に受けていたのかい?ジジイが居なくなってから色々拗らせちまったのさ、この娘も」

「えっと何の話をしているの?」

ステラはさらに肩身が狭くなるのを感じた。

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