7時の夕食までには帰りましょう④
上半身裸の正徳が風呂場から現れたおかげで、幸運にも景子の怒りの矛先が向きを変え、二人分の耳が解放された。次、私が入るからと紀子はさっと自室に引っ込み、景子はヘラヘラと謝る正徳に
圭太も賢い妹にならい、ハズレと刻まれたアイスの棒をゴミ箱にホールインさせ、再度飛び火する前に自室へと避難した。まぁ、あの留学生もいることだし、すぐに景子の怒りも収まるだろう。ホント恥ずかしいから、いつもの日常を見せつけないで欲しいが。
そこで、ハッと彼の存在を思い出し、圭太は両手で顔を押さえ大きなため息を付いた。
……あいつ、男だったのかよ。
そう、それは夕食直前の出来事。天にも昇るハッピー気分で食器を運んでいる最中。食卓にいまだ放置されっぱなしだったイーシェの身分証明書であろう書類が目に入ったが最後、天国から蹴り飛ばされ突き落とされた。とは言っても、地獄にではなく地上に引き戻されたようなものだが、やはり落差が月とピンポン玉ぐらいあった。
……いやいや、あの顔で男だとは思わないだろ普通。父さんも仮面の下は女子みたいな顔だなんだ言って母さんに怒られてたし。なんでウチの女たちは男だって見抜いたんだよ。
純粋な男心を弄ばれたと被害妄想に耽りつつ、来客用の薄っぺらい煎餅布団をふらふらと避け、勉強しない物置机にスマホを置いた。代わりに、埃が薄っすらと積もった漫画タワーの中から3巻を引っ張り出す。気分転換だ気分転換。そろそろ後輩に返せと言われそうだから、早く読まねーと。圭太が自分のベットに腰を下ろそうと振り返った瞬間、思わず漫画を床に落としてしまった。
いつの間にか、閉まったドアの前に、イーシェが所在無く佇んでいたからだ。
「……びっくりしたー。お前なんでここに……ってああ、そっか、ここでお前寝るんだったか」
リビングから響くテレビと両親の賑やかな笑い声のせいで気付かなかっただけか。圭太は漫画を拾い上げ、彼がもう寝るなら自分はリビングで読むかと、逃げるように自室から出ようとした。イーシェは自分からは喋らない。圭太も性別を勘違いしていた手前、妙な気まずさを感じて話しかけ辛い。雑魚寝は慣れているものの、こんなよく分からんやつとしばらく同じ部屋とか、先が思いやられる。今日からリビングで寝っかな……。
その時、
「ケータ、やはりその、あなたは気付いてしまったのか」
……気付いた?
「先程とは打って変わって、私のことを訝しんでいるきらいがある。まさかと思ったが、ケータは
驚きつつも理解できず、訊き返そうとしたその瞬間、ハッと圭太は悟った。
もしかしなくとも、俺が勝手に女だって勘違いしてたことか?で、男って気付いて不機嫌極まりなくなって、態度が悪くなってるってことに対する嫌味ってことだよな、多分。
イーシェは視線を下げ、腹部前に置いた両手を忙しなく組み替えたりと、妙に落ち着かない様子だったが、申し訳のなさでいっぱいの圭太は気付かずに項垂れていた。面と向かって嫌味を言われるとは思わなかった。そも、男だってのに女扱いしてたのも、
「……いや、その、変な態度とって悪かったよ。ホント。紀子の言う通り、俺は脳みそピンク野郎だし。別に、アンタがどうとかって訳じゃなくて……いやビックリしただけっつーか、まぁ、明日から普通に接して……」
すると、イーシェは上目遣いに視線をあげた。
「人間は人間以外を排除しようとすると聞いていたのだが、ケータは私と普通に接してくれるのか?」
何だか小難しいことを言われたが、呑み込めずに圭太は気圧されるように頷いた。すると、イーシェは胸に手を当ててふぅと息を吐いた。
「そうか、ああ、良かった。私にはやらなければならないことがある。出て行けと言われたらどうしようかと思っていた」
やらなければいけないこと……ああ、そうだった。こいつ留学生だったわ。日本語ペラッペラで忘れかけてたけど。
超絶イケメンで金髪碧眼、佇まいや持ち物一つ見ても金持ちの子どもってすぐ分かる。頭も良いんだろうし、口数が異常に少ないが性格が悪いという感じはしない。嫌味も陰で言わないし。そう、紛れもない、勝ち組である。でも身長は俺の方が高い……気がする。
圭太は唇を噛みしめ、陽光のように輝く彼を見ていられなかった。ペットボトルのフタ並みに器の小さい男である。ここまで完璧だと粗探しをしたくなる。神様でもあるまい。欠点の一つや二つ、隠し持ってるはず……。
「日本に来て二人目だ。私がカミであると気づいた者は」
圭太は弾かれたように顔を上げた。一瞬、得も言われぬ沈黙が落ちる。
うん、最近耳掃除してなかったから、聞き間違えただけかもしれない。小指でぐりぐり耳の穴を広げ、改めて聞き返してみた。
「……え?カミって言ったか?」
彼は大まじめに頷いた。冗談でも何でもないらしい。何故か圭太は焦り始め、捲し立てる。
「あ、ああ!苗字か!それとも日本語では別の言い方になるってやつ……」
「何を言っているのかよく分からないが、カミはカミだ。天の彼方におわす、認識出来ない全知全能の代行者だ」
その一言で決定的となった。だから、圭太は一度目を閉じ深呼吸をし、そしてお手本のような満面の笑顔を浮かべ、彼の肩にポンと手を置いた。
「おう、そっか。自分は神さまか。まぁ、隣棟2階のじーさんも似たようなこと言ってたし、誰でもそーゆー一面ってあるよな。イケメン金持ち頭良しでもさ」
「うむ、ケータは私にそのままでいいと言ってくれた。これが安心したという気分なのだろうな」
「うん、俺も安心したわ」
もちろん、別の意味である。
ピカピカに磨かれた
神を自称するとか、とんでもない電波野郎じゃねーか!
ドン引きはしたものの、苦手感は薄れたような気がした。仲良くは極力したくないが。
「ちなみに、神様見紛う美しい顔だから俺、みたいなナルシスト的発言じゃないよな?顔が良すぎて困っちゃう的な」
「意味が理解出来ないが、私がこの顔であるのも神であるが故だ。困りごとなど特にないが」
うわぁ、これは
圭太は再度、深くため息をついた。……うん、7月末には国に帰ると言っていたし、長くとも3か月の付き合いだ。仕方がない、色々とかわいそうなイケメン電波君の世界の一員になってあげよう。がんばれ俺!イケメンに負けるな俺!と、圭太が自分自身にエールを送ったところで、まるで計ったかのようにスマホの短い着信音がなった。手に取って画面を覗くと、思わず潰れたカエルのようなしかめっ面になった。
『今どうせヒマでしょ?電話してもいい?聞きたいことがあるんだけど』
初っ端から高圧的なSNSの通知メッセージが目に入る。嫌な予感しかしない。性根が捻くれた、見た目だけは良いあの腐れ縁がわざわざ電話なんて、天変地異の前触れだ。しかし、着信に出ないと後が怖い。身体の節々が痛くなってくる。
イーシェに先に寝てていいとおざなりに声をかけると、彼は素直に頷いて、布団を乗り越えさも当然のようにベッドに潜り込んだ。あまりにも自然な流れで、しばし間が空いた。
「……えっ?!そっちかよ!!」
圭太がツッコミを入れても、一足遅かった。横向きで赤ん坊のように丸まって、ノビタ君もびっくりの速さで静かな寝息を立てている。外国人、いや、自称神さまだからか、一般常識が通用しないらしい。
返事も待たずに無機質な悪魔の
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