7時の夕食までには帰りましょう③
2015年5月2日土曜日20時11分
「はい、イーシェ君、髪乾いたよ。サラサラでキラキラ~。めっちゃキレイだね~」
「ホントお人形さんみたいよね~。まつ毛長いし、シミシワ一つないし、おばさん羨ましいわ~」
語尾にハートマークが見える
ドライヤーを片手に掲げる紀子の言う通り、赤みが差した小麦色の
そんな彼は、両脇から迫りくるピンク色の高気圧に臆した様子も驕った様子もなく、相変わらず無表情の自然体のまま、『ああ』とか『そうか』と簡素な返答をしている。
そんな傅かれるのに慣れ切った様にも見える姿に、数時間前とは打って変わって胡乱な視線を時々投げかける圭太。ガリガリと棒付きソーダアイスを齧りながらソファに寝ころび、スマホゲームに勤しむも集中できずにいた。
「ねぇ、イーシェ君。イーシェ君がウチに来たいって言ってたからってあいつ……父さんが偉そうに言ってたけどホントなの?」
紀子の問いにイーシェは頷いた。
「大丈夫?いまさら後悔してない?だってウチ、狭いしボロいし汚いし、おまけに貧乏だし。母さんは何かと口うるさいし」
笑顔のまま景子の必殺耳伸ばしが炸裂し、紀子はしばらく悲痛な顔で右耳を押さえる羽目になった。
「私は日本の一般家庭での生活を視なければならなかった。だから、マサノリに出会えたのは
先程の夕食時を思い出す。下っ端タクシードライバーとして巳浦家の食い扶持を稼ぐ正徳が、今日の昼前、東京の超高級ナントカホテルに呼ばれて偶然乗せた乗客がイーシェだったらしい。そして彼と共に車乗した、日本での生活をサポートしている職員のナンタラと正徳が世間話をしていたら、無言を貫いていたイーシェが突如ウチに来たいと言い出したと、ハンバーグの切れ端をフォークに刺したまま熱弁していた。
『いやー、10回ぐらい本当にウチで良いの?大丈夫?って確認しちゃったよ。それでも来たいって言うから何だか嬉しくなっちゃってね。おれたちホットファミリーになるんだってホットファミリー。日本代表の一般家庭に選ばれるなんて、名誉あることだと思わないか?お前たちはウチを普通じゃないって言うけどさ』
その直後、隣の景子の顔にデミグラスソースを飛ばし、激昂されしょげ返っていた父親の姿は見るに堪えなかったが。
「そう、なら良かった。急でびっくりしたけど、ウチを選んでくれて嬉しいわ」
「うーん……まぁ、イーシェ君がそう思うなら良いか。限りなく底に近い一般家庭だけど。父親は情けないし勉強出来ないし、兄貴は女好きのブサイク陰キャでしょーもないけどね」
唐突の流れ弾に、圭太は口内のアイスを撒き散らしそうになった。そんな咳き込む圭太を、景子は否定できないと無慈悲に頷き、紀子は半眼で見下しながらため息をついた。
「勝手に勘違いしてたクセに、知った途端態度が一変しちゃってさー。ホント年がら年中脳内ピンク。永遠の小学五年生。美乃梨先パイ美乃梨先パイって煩いクセして、すぐに気移りしてんじゃないわよ。犯罪者顔のクセして」
「き、気移りなんてしてねーよバカ!俺は美乃梨ちゃん一筋……ていうかお前、いっつも俺のことブサイクだの犯罪者顔だの言うけどな。俺とお前と母さん、めっちゃそっくりって近所の人に言われっからな!ブーメランなんだよ!同じ穴のメジナなんだよ!」
「メジナじゃなくて貉よムジナ!こんなブサイクでバカが兄とかほんっとあり得ない!母さんはともかく一緒にしないで!私のは三白眼気味なだけだし!母さんはともかく!」
「いーや、しっかりきっかり巳浦の血を受け継いでるね。恨むなら母さんを恨めばいい……」
その瞬間、いつの間にかそっくりな顔を突き合わせて、不毛な言い争いをしていた圭太と紀子の耳が天高く吊り上げられた。
「イーシェ君の前でみっともないことすんじゃないわよ。あと、当たり前のように母親にケンカを売るんじゃない」
脱衣所から『あがったぞ~』という天啓とも思える呑気な声が届くまで、額にびきびきと青筋を立てる景子の一本釣りが治まることはなかった。
そんな悲鳴と謝罪が飛び交う中、圭太は気付くことはなかった。何かもの言いたげな昏い蒼い瞳がジッと、自分に注がれていたことに。
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