授業で纏めたお笑い分析を少し変えたもの

 

 

 自分は笑いについて大まかにボケとツッコミそれぞれ三つの要素が見受けられた。

 ボケは「変(謎)、失礼(不謹慎)、ズレ(すれ違い)」でツッコミは「疑問、否定、解説」。


 先にツッコミについてはボケに対して「待て違うそうじゃない(疑問)」もしくは「いったいそれは何だ(否定)」の後に「本来はこういう事をするのだ、これはこういうものなのだ(解説)」と続ける。こうすることでボケが分からなくてもこういう事だと理解できるし、脳が理解を停止してる時に理解を叩き込む事ができるのだ。


 ボケの「変」とは笑いにおける最重要点であり全てに付き纏うものだが変の中に分類されるものがある為まず基本となる方を「変」として要素の方を「謎」とする。

 変は先ほども言った通り一番重要となる。普通から離れ常識とは思えない事で笑いは起こる。

 それはなぜか?自分の主観、観察からだけの考察だが笑いは人は間違い、皮肉、暴言、暴論、と言う秩序とは少し離れたものを楽しめるようになっており、更に対岸の火事ということわざから自分の身に降りかからない危険な物事をジロジロ眺める事がある。つまり他の誰かの普通ではないようなおかしな、酷い話を楽しむ事ができるのだ。

 だがこれをその辺の人間にやってからこれは漫才、冗談と言っても伝わらないし場合によっては怒る。笑いはあらかじめ「これはあなたのことではない」と認識させることが大事なのだ。それが出来なければただの非道い人間、三流以下である。


 次に要素の「謎」とは秩序とは離れたものの中でホントにわけが解らない混沌である。どういうことか脈絡無しのボケ、日常に有り得ない変な存在、聞いたことがない言葉。似ているだけの全く違う存在これらをボケとツッコミに織り交ぜる、言わば笑いを起こすための土台なのだ。ただこれは体を張った一発芸やリズムを使った芸、コントなど題材との関連性を感じ取れるが意味合い、やり方、言葉を歪めるなどつまり「どうしてそうボケたのか」と言うことを視聴者の感性に問いかける事、つまりは芸人のセンスである。

 しかしそれは人それぞれ違う感性に問いかけるため理解できるか否かで好き嫌いが別れやすいのが欠点。

 

 「失礼」は文字通り相手に対して酷い、馬鹿にしてるかのようなボケであると同時にツッコミにも使えあるのである。ボケながら小馬鹿にしたり、ツッコミながら罵倒する組み合わせ技だ。これは先ほど上げた自分の持論(変)と同じ事だがツッコミに混ぜる事で面白い展開を続けられる。


 「ズレ」は通常、お互いの共通認識であるはずの事柄に対して敢えて間違った解釈、同音異義の言葉として認識して続けるようとすることで疑問を起こさせることだ。とある芸能人のコントで「機械を見て」と言われて文字通りジロジロ眺める。ここでの「見て」とは「調べて」と言うことなのだが見るをそのまま「眺める」ことで「何やってんだ(疑問&否定)」と続ける。人間の認識からズレた変な行動を取ることで「何やってんだ(疑問)」と思わせることなのだ。


 結論にお笑いはどうして笑うかを要約すると何が普通とはおかしいかを認識し理解したかで起きるのだと思う。この一言で尽きるのだが普通とは?おかしいとは何が?それらが分かるようにできるかがプロなのだと思う。

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