後編 死刑又は無期若しくは5年以上

 いくつかのパーキングエリアで時間をつぶして、深夜のインターチェンジを下りる。田舎道に小雨が降りだした。慣れない手つきでワイパーを動かす。妻の実家は幹線道路沿いとは言わないが、家の前には立派な二車線の道路が敷かれ、田舎にしてはそれなりの交通量がある。といっても深夜は静かなものだ。


 妻の実家の前を通り過ぎ、田んぼと川を挟んで200mほど先に車を停めた。午前2時13分の家はまるきり真っ暗で、部屋の明かりも玄関前の外灯も灯っていない。


 ここから見える民家は、妻の実家から道路と畑を挟んで50mほど離れた隣の家だけで、どちらも明りひとつ灯っていない。一定の間隔で規則正しく並ぶ街灯だけがぼんやりと家を照らしていた。僕はそのままずっと妻の家を見る。

 このまま時が流れ続けてしまえばいいのにって、自分のどこかがささやいている。


 運転席の窓を少し開けて夜の雨の匂いをかぐ。20代の前半から何度も何度も来た。いま自分は32歳になっていてハンドルに寄りかかりながら、真っ暗な、もう訪ねることのできない家を遠くから見ている。いつの間にかけぶるような小雨は上がって星が見える。妻の家からは信じられないくらい天の川が綺麗に見える。


 僕は車から降りて、初めて妻に連れられてきた日の夜から、何度も何度も自慢された星を見上げる。月は出ておらず天の光はすべて星で地上より遥かに明るい。トランクを開けて赤い金属缶を取り出してふたを開け、中身を半分ほど道に捨てる。それからふたを閉めて缶に付着した中身を丁寧に新聞紙でぬぐい丸めて道に捨てる。


 持って歩くのに支障のない重さになった赤い金属缶と残った新聞紙をもって妻の家まで歩く。妻の両親は60代の後半で祖母は90歳近いはずだ。真っ暗で人の気配はないが庭に以前の通り妻の両親の車が二台停められている。


 玄関の前まで来て赤い金属缶のふたをあけて、できるかぎり静かに中身を引き戸にかけようとしたが手がひどく震えて液体が音を立てる。そのまま体中を震わせながら中身をかけつつ家の周囲を一周し、導火線になるよう道路近くまで中身をこぼした。

 誰か起き出すのではないかと思ったが、明かりも灯らないし物音ひとつせず虫の音だけが聞こえる。

 それから新聞紙を筒状にして、道路近く、導火線状にしたつもりの先端部分へ行ってライターに火をつけた。

 

 ボンと気体に火が付く低い音がして導火線状にしたガソリンと僕の左足が燃えた。転がるように雨でぬれた草むらに飛び込んで左足を地面にぶつけ両手で叩くと、僕がガソリンをこぼしていた左足の火は消え、見ると妻の家に鮮やかなオレンジ色の火の手が上がっていた。


 僕はよろけながら走って車まで戻り、エンジンをかけてその場から立ち去った。コンビニのある交差点の前の信号が赤く点滅していたが一時停止などせず走らせ続けた。


 遠くサイレンが聞こえはじめ僕は人気のないところを目指し、妻と何度も行った地名にもなっている標高1,000mほどの山に向けて車を走らせた。サイレンの音が遠くなるにつれてだんだんと左足が痛みはじめる。一度車を停めて見てみると履いていた靴とズボンが一部炭化して焼けた皮膚に張り付いているようだった。

 どうしようもなくて持って来たロキソプロフェンの錠剤を5錠ペットボトルのお茶で喉に流し込んでから、残りのお茶を左足にかける。


 痛みはお茶をかけた瞬間だけ、わずかにやわらいだ気がした。だがすぐに一層痛みは激しくなって僕は泣き始めた。どうしようもなくそのまま山頂へと車を走らせた。その山の山頂付近にある展望台からは妻の村が一望できる。


 山道には霧がたちこめ上に行くほど濃くなるようだった。僕は痛みに涙を流しながら霧のなか山頂を目指した。

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死刑又は無期若しくは5年以上 えりぞ @erizomu

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