4
「うん。信じられないかもしれないけど、本当に私だよ」
ほんの少しだけ間を空けて目の前の女性は答えた。聞き慣れた陽咲の声で。
「で、でも。そんなはず……。何で? そんなはず――」
現実的に考えればあり得ないという考えが頭を掻き乱し、僕は訳が分からなくなっていた。何を信じていいのかも何一つ分からない。完全に混乱状態だった。
「うん。そうだよね。分かるよ。急にごめんね」
そんな僕をいつものように包み込む陽咲の声。頭では依然と信じられてなかったけど、心ではもしかしてと思ってる自分が居た。
「――本当に。陽咲?」
「うん。信じてくれる?」
そう言う狐面の向こうは何故か微笑んでるように見え、僕は頭ではなくて感覚的に彼女の言ってる事を信じ始めていた。
でも同時にやっぱりそんな事はありえないという気持ちが対立するように浮かび上がる。
「分からない。だって君はあの時――。どうして?」
「どうしてかは私にも分からない。でも、私自身は悔いがあったから。んー、ちょっと違うか。悔いって言うよりは心配事って言う方が近いのかも。それが強かったからこうしてチャンスを貰えたのかも」
メトロノームのように揺れ動く理性と感情。正直に言ってもう訳が分からなかった。
「戸惑ってるよね。うん。分かる。逆の立場だったら私だってそうだもん。――だから説明になるか分からないけど、別に私は生き返った訳じゃないんだよ。ただこれは一時的なだけ」
「でも僕……」
「分かるよ。だから信じてくれるかは君に任せる。――君が決めていいよ」
そう言われたが一体何を信じていいのか正直、分からなくなっていた。声や雰囲気、言葉を交わした感じ。感覚的な部分で言えば目の前の女性は、陽咲かもしれないって思える。けど現実的なものが、それを阻む。
「もし君が望むなら、これは無かった事にしよう。私を名乗る奇妙な人なんて居なくて、君はただ家に帰る。忘れて無かった事にしよう。私だって逆の立場だったら分からないからね。信じられるかなんて自信ないよ」
彼女はそう言って微笑みを浮かべた。気がした。
分からない。何も。今の気持ちはただ何度も繰り返すその言葉に尽きる。何が正しくて、何が間違っているのかも。分からないんだ。
だけど僕にとってそれはどうでも良かった。もし目の前にいる彼女が本物の陽咲ならどうでもいい。幽霊だろうとあり得なく説明の出来ない状況だったとしても構わない。
「ずっと思ってた……。もう一度会いたいって」
藁にもすがる思い。そう表現するのが正しんだと思う。僕は目の前にいる彼女が陽咲なら理由も含め全てがどうでも良かった。いや、そう思いたかったのかもしれない。そうであって欲しいと心の底から願ってただけなのかもしれない。
そして言い訳をするように考える事を止めた僕は自分の気持ちに従って両腕を広げ、彼女へ一歩近づく。頭は空にして自分にとって楽で良い方を選んだ。
「待って!」
でもそんな僕を立ち止まらせる程には強い口調で彼女はそう言葉を口にした。同時に手も伸ばして。
突然の事に僕は両腕をそのまま立ち止まった。まるで世界の時間が止まってしまったかのようにただ声の後に停止した。
「それはダメ……なの」
胸の前で祈るように握った手を(僕を立ち止まらせた)手で包み込む彼女。その声は堪えるようで小さいものだった。
「……どうして?」
依然と腕を広げたまま僕はそう尋ねるしかなかった。
「そういう約束なの」
「誰との?」
「分からない。でも私をこうして君ともう一度会わせてくれた桃髪の人との」
すると彼女は(自分の)顔の前へ手を持ってくると人差し指を立てた。
「君と触れ合っちゃダメ。どれだけ一瞬でもね」
続いて人差し指の隣へ並ぶ中指。
「この仮面を取っちゃダメ。私の顔を君は見ちゃいけないの」
そして更に加わる薬指。
「会えるのは夕日が沈むまでの三十分間、この場所でだけ」
僅かな間を空け手が下がり彼女は言葉を続けた。
「約束って言うか条件だね。それを守ってる間だけ私は君と会える」
「もし破ったら?」
「その時は――私は消えちゃう。居るべき場所って言うか、もう会えなっちゃうらしい」
僕はその話を聞いてそっと広げていた腕を下げた。
「ごめんね。折角会えたのに……」
「そんな、君が謝る事じゃないよ」
言葉はその後吹いたそよ風に流されて何もなくなり僕らを沈黙が包み込んだ。どこか気まずささえ感じる無言の時間。僕はそんな沈黙に耐え兼ね何か話をしようとした。
「あの(あのさ)」
だけど勇気を振り絞って発した言葉は彼女の言葉と重なり合い一瞬だが再び沈黙が割り込む。でも僕と彼女はそんな状況に思わず笑いを零した。
「何だか最初に会った日みたいだね」
「映画の後、ご飯に行った時の最初みたいでしょ?」
「そうそう。君が誘ってくれて行ったはいいけど、飲み物が来るまでお互いに何も言わなくてさ」
「あの時は最初の言葉が被っちゃって二人して黙ったタイミングで店員さんが入ってきてくれたから助かったよね」
「うん。私も心の中でホッとしてた」
想い出を共有し僕と彼女は自然と繋がっていた。再び沈黙が僕らを包み込むが互いを見つめ合いさっきとは違いそこに気まずさは無い。
そして僕は彼女を見つめながら気が付けば一歩足を進め彼女に近づいていた。
「あっ! ダメだよ?」
するともう一歩、無意識のまま更に近づこうとした僕に彼女は思い出したようにそう言った。
「あっ、うん。分かってる。触れちゃダメ。だよね?」
「うん。そう」
そんな僕らの横で今にも沈んでしまいそうな夕日。それを見て彼女は僕へ視線を戻した。
「そろそろ時間になっちゃった」
「さっき言ってた約束ね」
「そう。でも、明日になればまた会えるから。――もし良かったら会って欲しいな」
その言葉に僕は思わず笑ってしまった。
「え? 私、変な事言った?」
「いや、そうじゃないよ」
首を振りながら否定する僕の脳裏には過去の記憶が流れていた。
「初めて会った日の別れる時、君が全く同じ事を言ってたなって」
僕の説明で思い出したのか彼女の声は赤面したようだった。
「あ、あの時は少し酔っちゃってたし……。それに君もまた遊びに行こうって言ってじゃん!」
「うん。言ったよ。だって君との時間がすっごく楽しかったし、また会いたいって思ったから。それに君って凄く綺麗で、笑った顔は可愛くて素敵な女性だったし」
「――ほんとズルい!」
陽咲はそう言って顔を逸らした。
「ごめん。ごめん。――でもまた明日、来るからさ。また会おうよ」
彼女は気が付いているのか、僕の目の前でその体は沈む夕日に呼応し薄れ始めていた。
「うん。じゃあ、また明日。楽しみにしてるね」
その言葉を最後に彼女は消えてしまった。まるで僕の幻覚だと言うように綺麗さっぱりそこには誰も居なくなっていた。思わず辺りを見回してみるが、どこにも人っ子一人居ない。
「本当にただの幻だったのかな?」
一人呟く声に答えがあるはずもなく、言葉の後には無音が広がる。さっきまで一人じゃなかったと思ってた分、それはやけに静かな無音だった。
「帰るか」
特に誰に言う訳でもなく、ただ単にその無音を少しでも音で埋めたかった僕はわざとらしくそう呟いてその場を後にした。
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