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もしこの人が僕の知り合いで、僕を元気付けようお面までしてこんな事をしてるんだとしたらその返しは意味が分からない。しかもその声はどこか面映ゆそうだった。
だけど陽咲はもういない。それだけはどれだけ彼女と声が似ていようとも、どれだけ彼女らしく振舞おうとも変わらない事実だ。
「一体誰なんですか? こんなことして。もし少しでも僕を元気付けようとしてくれてたとしても、これ以上は笑えません。むしろこんな事されて苛立ちさえ感じてます」
最終警告。そのつもりで僕はなるべく口調を抑えつつ言葉を口にした。でも実際は少しぐらい強いものになってたかもしれない。
そんな僕の言葉に目の前の彼女は(断言は出来ないけど恰好や見た目から女性だと思う。あと声も)僅かに顔を俯かせた。
「そうだよね……。急にこんな事言われても信じて貰えないよね。――でも本当に私なんだよ?」
上がった顔の狐面は依然と無表情を貫いていたが、その声は訴えかけるようだった。信じて欲しい。そう言っていた。
でも僕にとってそれは見え透いた質の悪い嘘。頑なに自分を陽咲だと言い張る彼女に我慢ならなかった。
「じゃあ、そのお面を取って見せて下さいよ!」
最早、怒鳴りつけるような口調になりながら僕は彼女に近づきそのお面を剥ぎ取ろうと手を伸ばした。
「ダメ!」
だが彼女はこれまでのどこか弱気な声とは一転し強く命令するような声を上げた。同時に一歩後ろへと下がり僕の方へ掌を広げた手が止まれと言いながら伸びる。
それに僕は思わず動きを止めた。
「それは……ダメ。お願い。見ないで」
まるでさっきのが僕の聞き間違いだと言うように又しても優しくも小さなものへと変わった声。それを無視しお面へと手を伸ばすのはあまりにも気が引ける、そんな声だった。つい先ほどまで苛立ちに煮えていた心内が今では冷め、申し訳なささえ感じてる。不思議な感覚が僕を包み込んでいた。
でも多分それはその声が余りにも陽咲で彼女に言われてるような気がしたからなんだと思う。
「ごめん」
その感覚はそんな言葉まで引き出し、僕は一歩二歩と自分の感情でありながら訳が分からぬまま下がり手を下ろしていた。
「――そうだ! これで信じてくれるかも」
すると戸惑い混乱している僕を他所に彼女の明るく灯った声が響く。
「あれは映画館の――『夕暮れ時の恋』の後半。平日の昼間で人はあまりいなかったけど、その中で一足先に私の隣からすすり泣く声が聞こえてきた。暗闇の中、隣を見てみると男の人が必死に泪を拭いながら声を堪えてた。私はその人にそっとハンカチを差し出したの。純粋な人だなって思ったかな。それが私と君の出会い」
突然、語り出したそれは紛れも無い僕と陽咲の出会いだった。僕は更に訳が分からなくなりながら思わず眉を顰めた。
「なんでそれを……。――いや、でも友達に話した事あったっけ」
まるで自分で自分へ落ち着けと言うように友達に出会いを聞かれ答えた記憶が蘇る。ならその友達が話した可能性もある。それに陽咲も誰かに話した可能性もあるし。だから目の前の彼女が知っていても不思議じゃない。
「ならこれは? 付き合って初めてのデート。駅前の銅像で待ち合わせたよね。でも二人して変に緊張して早めに待ち合わせ場所に着いちゃって。なのに丁度、銅像の反対側で待っててさ。結局、早く着いてたのに同じ場所で三十分も待ってたよね。それで二人して笑っちゃって、なんだか一気にリラックス出来て私はちゃんと楽しめた」
「あったね、そんな事。僕もあれで変な緊張が和らいでいつも通り楽しめたよ」
それが余りにも懐かしくて一瞬気が緩んだ僕は陽咲のような彼女へ、まるで本当の陽咲と想い出話をしているかのように笑いを零しながら返事をしてしまっていた。
でもそれは、少なくとも僕は誰にも話した事の無い事。
「あとは私の誕生日の日に二人でご飯に行った時、君がつい飲み過ぎちゃって私が君を家まで送り届けてあげた事とか。家まで送り届けて帰ろうとしたけど、君が一緒に居たいって言うから結局そのまま泊まったっけ」
それはその時の記憶は無いけど後日、陽咲に言われた事は覚えてる出来事だった。
「確かその後で改めてちゃんとしたお店で君の誕生日を祝ったよね?」
「そう。私は楽しかったから良いって言ったのに君がどうしてもって言うからね」
「折角、誕生日を祝うはずだったのに結局は迷惑かけちゃった訳だし」
「あとは、二人でお金を出し合って良い旅館に泊まった事もあったよね。あれは確か結婚の一周年記念だっけ?」
「そうそう。本当はサプライズで何かやろうとしてたんだけど、先に言われちゃってね。二人の記念日だから二人で計画しようって」
「まぁ、君は一人でひっそり計画しちゃいそうだったから。誕生日だったらあれだけど結婚記念日は二人の記念日だからね」
気が付けば僕は自然と笑いを零しては想い出に花を咲かせていた。まるで陽咲と一緒に居るみたいに自然に。こんな風に心から笑ったのはいつぶりだろう。彼女が亡くなってからは無かったかもしれない。どこか懐かしく、そして心から楽しかった。
だけど僕はふと、違和感を感じた。この状況にだ。どうして僕は陽咲と一緒に居るかのように心安らぎ楽しんでいるのかと。
そしてその疑問を胸に我に返った僕は改めて目の前の女性を訝し気に見つめた。
「私だよ。信じられないかもしれないけど、本当に私なの」
さっきまでの楽し気な口調とは違い真剣味のある落ち着いた声が僕の胸を突く。
正直に言って僕は戸惑っていた。最初は目の前にいる人が陽咲じゃないって確信を持って言えてた。でも今は違う。もしかしたらって思いが少なからずある。だけど同時にそんな事はありえるはずないって揺るぐことない現実もそこにはあった。
「最後の日の朝、私が君のを、君が私のサンドイッチを作ったよね。君はブラックコーヒーで。私は緑茶。交代でキッチンに入ったのに結局は似たようなサンドイッチになって、美味して楽しい朝食だった」
それはあの朝に突然、陽咲が提案したことだった。
「お昼はちょっと高い鉄板焼きのお店に入って美味しかったね」
美味しいと言って微笑む陽咲の顔が今でもすぐに浮かぶ。お昼を食べながら久しぶりに映画館で――。
「久しぶりに映画館で映画見たいねなんて話して、楽しみだったのにな」
それは他の誰かが知るはずもない会話。これまでの出来事も僕と陽咲の想い出だ。何も考えなければ陽咲と話しをしているって疑いなく思えるくらいには、目の前のこの人は陽咲だった。
でもやっぱり決して揺るぐ事の無い確固たる事実が僕の頭にはある。あの日から今まで酷く締め付ける深い悲しみが僕の胸にはある。どうしても手放しには信じられない。何故? 何故? その言葉が頭を掻き乱していた。
「でも、陽咲はあの日……」
「うん。そうだよ」
呟くような声でそう言いながら彼女は僕の横を通り過ぎ欄干の前へと歩みを進めた。
「私はあの日、あの場所で――」
一度、言葉は途切れくるりと振り返った狐面が僕を見つめる。
「死んだ」
僕がそう感じただけか、その声は淡々としてただ事実を確認するだけのものに感じた。もしくは内に秘めた感情を抑え込み無理矢理にでも冷静さを保っている声とでもいうのだろうか。それは抑揚の無い声だった。
「もう君と一緒に居られないのは本当に――もう君と想い出を作れないのは本当に残念だけど。――でも最後まで君と一緒に居られた事だけは良かったかな」
それはさっきとは打って変わり今にも泣き出しそうで――でも幸せに満ちた声。その無表情な狐面の向こうでは泪を流しているのかもしれない。そう思える程には堪え切れない震えが声色には現れていた。
「私、君と出会えて本当に良かった。君が好きになってくれて、君が愛してくれて、本当に良かった。ありがとう。蒼汰」
つい先程まで目の前にいるこの人を僕は疑っていた。嫌悪感させ抱いていた。
でも何故か今は――震えるその声で語られた言葉を耳にした今は、違ってた。今の僕には、狐面のその女性が――陽咲に見える。何度も顔を合わせ、心から愛した僕の妻。あの日以来ずっと会いたいと思っていた。
だからそう思いたいのかもしれない。当然そんな考えも過ったが、説明出来ない何かがそこにはあった。
「ほ、本当に――陽咲なの?」
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