第二章 朝焼け
1
翌日。僕は約束の時間帯に約束の場所へと来ていた。
実は昨日の夜、寝るまでの暗闇の中で僕は少し不安になってた。もしかしたらこの場所で起きたあの出来事が僕の見た幻だったのかもしれないって。信じられないけど確かにそこには狐面の人が居た。自分の事を陽咲だって言う彼女が。声は陽咲で、話してる感じも陽咲。だけど彼女は確かに死んでしまった。もういない。だからあれは僕が見た幻だったのかもしれない。
本当は誰も居なくてただ一人で話してたのかも。なんて昨日は寝るまで考えてしまっていた。
「でもそうだったら普通はちゃんと顔見えるよね」
自分の頭の中に自分で突っ込みを入れる声は口から漏れて気が付けばそんな独り言を呟いていた。どれだけ考えても結局は何も分からない。複雑な迷宮に迷い込んだかのようにずっと思考を繰り返してる。
「はぁー」
もし本当にそうだったら今の僕は精神的に割と参っちゃってるのかも。今日この場所に彼女が現れなかったら、昨日のアレは強過ぎた僕の想いが見せた幻だったって事か。いや、でも今日も現れたからってそれが現実だって証拠はない。
ってまた考えても仕方のない事が脳裏を駆け巡る。
「どうしたの?」
「いや、別に――」
それはあまりにも脳裏に囚われてたからだと思う。僕はまるであの頃の日常の様に聞き慣れた声に返事をしいつの間にか下がっていた顔を上げた。何故かそこには陽咲がいるんだって当たり前のように思ってて。
でも顔を合わせたのは狐面。その瞬間、僕は我に返って言葉を途切れさせた。
そんな僕に対して彼女は首を傾げて見せる。
「ん?」
「あっ、いや。別に……」
知り合いだと思って話し掛けたら違う人だった時と似たとでも言うのだろうか。僕は一人勝手に気まずくなり避けるように顔を俯かせた。
その所為で僕らの間には流れるように沈黙が漂い始めた。彼女がそれをどう思っていたのかは分からないけど、少なくとも僕にとっては直ぐにでもどうにかしたい耐え難い沈黙。何が言わなきゃ。強迫観念のように僕は一人そう思っていた。
「君は、本当にそこにいるの?」
その結末がこれだ。ついさっきまで考えていたあれこれがつい口から零れ落ちてしまった。
「いるよ」
それは彼女の声が不安ごと僕を優しく包み込んでくれたからだろうか。それとももう口に出してしまったという諦めなんだろうか。僕には分からないけど、彼女の言葉に昨日から微かに渦巻いている不安をぶつけた。
「僕が見てしまってる幻とかじゃないのかなって……」
ふふっ、僕の言葉に彼女は零すように笑った。
「どうだろうね」
そして少し意地悪な声でそんな風に返してきた。
でもその声に呼応し、僕の脳裏にはいたずらっ子のような表情を浮かべた陽咲が浮かぶ。同時に自然と湧き上がった懐古の情が僅かに鼻根を突いた。
「でも大丈夫だよ。どっちだったとしても、君は大丈夫。君の最後は変わらない」
思った以上に頭へ次々と浮かんでくる想い出に集中してしまっていたからだろうか。僕は彼女の言っている事がイマイチ理解出来ずにいた。その所為で気が付けば小首を傾げていた。
「どういう意味?」
「――それより私、もっと想い出話したいな。色々な二人の想い出」
そう言って彼女は体を欄干へと向け両腕を着けると軽く凭れかかった。
「んー。そうだなぁ」
既に弾み始めている楽し気な声の後、一呼吸分の間を空けてより一層跳ねた声が上がる。
「あっ! あれ覚えてる? ほら。二人でキャンプに行った時の事」
キャンプと言う言葉で直ぐに僕の想い出のアルバムはあの日のページを開いた。
「あぁー。あの川岸の。道具も全部借りてやったやつでしょ」
「そうそう。君が折角の大きな肉を丸焦げにしちゃったやつね」
またあの口調だ。きっと平然とした表情の狐面の向こうではニヤついた意地悪な顔でも浮かべているんだろう。懐かしくも愛らしいあの表情を。なんて反射的に思ってしまう。もちろんその時、頭に思い出してたのは陽咲の顔だ。つい先程までそこにあった想い出の陽咲を再び思い出し、僕は再び懐古の情に駆られていた。
確か、あの時もその表情を浮かべ同じことを言っていたっけ。
『あぁ~あ。折角お肉、楽しみにしてたのになぁ。丸焦げにしちゃうなんてな~』
その時の事を鮮明に思い出し思わず笑いを零してしまった。
「でもさ。結局は周りを切り落として食べれたじゃん。だからセーフ」
「まぁそうだね。それを考えたのも君だからセーフか」
「それにあの時はそこそこお酒呑んじゃってたし」
「言い訳? そんな事言ったら私も呑んでたけど魚もちゃんと焼けたよ。美味しかったでしょ?」
確かに焼き魚もちょっとした海鮮料理もしっかり思い出せる程に美味しかった。
「ま、まぁそうだけど……。あっ! でもやっぱりキャンプと言えば夜空が綺麗だったよね」
若干ながら棒読みになりつつも僕は勝ち目の無い話から逃げ――撤退をした。戦略的なだ。
話を逸らした、そんな僕に対し言葉の代わりにそう言うような笑い声が彼女からは聞こえてきた。
「そうだね。二人共、しょっちゅう星空を見るってタイプじゃないけど興味ないって訳でもないし。何よりあの時の空は本当に綺麗だったなぁ」
そう言って彼女の見つめた眼前の空は当然ながらあの時とは違い心を覗くような赤色だった。でも記憶越しにあの夜空を見ているのだろうか(狐面で隠れて分からないが)。少なくとも僕はそうだった。まるで誰かが自分の宝物をばら撒いたみたいに煌めく星。名前すら知らないのにどれを見ても綺麗で心癒される。
でもそのどれよりも僕にとっては……。僕は想い出とリンクしながら顔を隣へと向けた。
「あれがベテルギウス、プロキオン、シリウス」
記憶と現実が重なり合いながら空を彼女と陽咲は指差す。
「冬の大三角」
そして指はそのまま僕の方を見た陽咲は屈託のない笑みを浮かべた。
でも当たり前だけどそこにいる彼女の顔には狐面。表情は見えない。
「君は知ってるんだね。その物語」
「もちろん。私と君の知ってる物語だよ。二人の大切な想い出」
そして彼女は再び顔を夕焼けへと向けた。
「ねぇ。私とどこに行った時が楽しかった? 何をした時をよく覚えてる? 今度は君の番」
陽咲との想い出。それはそれこそ星の数ほど膨大にあってどれにしようか迷ってしまう程だった。
でも不意に思い出したそれを僕は迷うことなく手に取った。
「んー。花見をした時かなぁ。少し遠出して桜を見に行ったんだよね」
僕の言いたい事が分かったのか、一拍ほど置いて彼女は噴き出すように笑い出した。
「公園の所為だ」
笑い声に交じりながら一言。でもそれだけで十分通じる。思わず僕も笑いを零しながら返事をした。
「そうそう。花見より前に公園デートへ行ったんだよね。特にやることは決めて無かったけど、僕は陽咲を喜ばせようとしてサプライズで弁当を作って行ったんだよね。そしていざその事を伝えたら」
「私も同じ事を考えてて弁当を持って来てた」
「二人して大きな弁当箱持ってさ。合計四人分の弁当がそこにはあったわけ」
「確かお互いの半分ずつ食べて残りは一緒に夕飯として食べたんだっけ?」
「うん。陽咲の家でお酒だけ買って食べたよね」
懐かしい、僕の隣で彼女は小さく呟いた。
「そして花見に行こうってなった日。最初、折角の花見だから弁当作って行こうかなって思ったんだよね。でもあの公園の時を思い出して、やっぱ止めとこうって結局は手ぶらで待ち合わせ場所に行ったんだ」
「そしたら私も同じ事考えててね。結局、二人共なーんにも持ってなかったんだよね。お互いに遠慮して手作り弁当はナシ」
「二人で笑って途中で適当なモノ買って花見したっけ」
「正直言うと私はちょっと嬉しかったんだよね」
僕は意味も分からなければ予想もしてなかった言葉に、先に彼女を見た。
「嬉しかったって何が?」
「君と同じ事を考えてたんだって思ったらちょっと心が繋がってる気がして……ちょっと嬉しかったんだよね」
顔も少し俯かせどこか小恥ずかしそうに語る彼女。その姿は相変わらずの狐面だと言うのにどこか愛らしささえ感じた。
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