番外編(4)



盛装の上着を脱ぎ捨て、ベストの下に着込んだ窮屈極まりないシャツの襟元を緩める。

視線を落とせば、コルセットで持ち上げられた妻の胸元の、こぼれ落ちそうな肉感が情欲をそそった。


耳朶にくちづけると、小さな喘ぎ声といつもの抵抗。

私の胸を押す力は相変わらず他愛のないもので、構わずに押さえ付け、妻の頬に添えた手の勢いのまま薔薇の花弁のような口唇を吸った。


「ん、……っっ」


妻の両手のひらが、私の頬を包む。

指先で髪を撫でる——のかと思えば、グイと額を強く押された。面輪おもわが離れ、くちづけは中断となる。


「待ってて、くださいっ。着替えてきますから……」

「そのままで構わない」


もう一度唇を寄せれば、またもやグイ! と額を押される。


「構わなくないですっ……コルセットひとつ取ってもたくさん結び目があって、数人のメイドの介助がなければ外せないのです」

「そんなものはどうにでもなる」


妻の手のひらが、私の頬を労わるように包んだ。

潤んだ茜色の瞳は大きく見開いて、真っ直ぐに私を見つめている。


刹那の間に心の内で葛藤を重ねた。


神の許しを得た私は正式にリリアナの夫となったのだ。たとえ拒まれようとも、夫の権限でこのまま妻を抱くことはできる。


だが——心底困り果てたような、リリアナの顔。こんな顔をされてまで強引にするものでもない。


私の頬を包む指先に、自分の手のひらを重ねる。

「——…わかった。就寝の準備を終えたら知らせてくれ、湯に浸かって待ってる」


妻の手を握ったまま、燭台のあかりに影を成す丘陵の膨らみにキスを落とした。柔らかな肉感が唇に触れれば、妻がふるりと身体を震わせる。

この愛らしい人に存分に触れることができるのなら、寝床に就くまでのわずかな時間くらい耐え得ると言うものだ。


はぁ……。

苦しい吐息とともに身を起こし、目を閉じて乱暴に髪を掻き上げた。





互いに傾けるクリスタルグラスが煌めきながら触れ合って、カチンと小さな金属音を立てた。


「乾杯」


小卓の上のシャンパンボトルが月明かりの下で青白く輝いている。

薄暗いねやの片隅で、ソファに腰掛け寄り添っていれば、互いの体温が薄い夜着越しに伝わってくる。

スラックスに襟付きのシャツ一枚、こんな軽装でリリアナの部屋を訪れたのは初めてだ。


リリアナもすっかり身軽になっていて、薄地の絹のガウンの下は、繊細なレースをあしらった夜着を素肌の上に身につけているだけだ。

あけすけな装いが男の色欲をあおることは明白で、リリアナはその自覚があり過ぎるのか、鉄の鎧のごとくガウンのフロントがはだけないよう気遣っているのがわかる。


私が微笑わらえば、

「どこか可笑おかしいでしょうか?」と、慌てて手に持ったグラスを眺めた。


「いや、そうじゃなくて。そんな、に必死にならずとも」

「でも……見えたら、恥ずかしいので……っ」


「あとで見せてくれるんじゃないのか?」


揶揄からかうつもりで見つめれば、互いに目が合い、妻は「ぁ……」と頬を染める。

十近く歳の離れた妻がこんなふうに恥じらう様子は愛らしく、何度見ても見飽きることはない。


「そのシャンパン、無理して飲まなくてもいいんだよ」

「いいえ……とっても美味しいですっ」

「そうか? なら良かった。初めてにしては良い反応だ。リリアナは案外、アルコールに強いかも知れんな」

「はい! 私、お酒ぜんぜん平気かも……」


勢いよくグラスを傾け、豪快にごくりと喉に流し入れるのには驚いた。

そのままごくごくと飲み続け、あっという間に澄んだ液体の全てを飲み干してしまう。


「そんなに飲んで大丈夫か?!」

「へ……? 少しふわっとしますけど、平気みたいです」


ふふふ〜っ♡ と首を傾げて茜色の髪を揺らし、上機嫌で私を見上げてくる妻を見ていれば『平気だ』という言葉もまんざら嘘でなさそうだが——必要以上に呑んで酔い潰れるか、このまま眠ってしまうなんて事は勘弁して欲しい。


「リリアナ」


妻が置いたグラスを、さっと卓の端に寄せる。


「はぃ……ディートフリートさま……」

「ふわふわするだろう?」

「はいっ。頭のなか、ほわほわで綿菓子みたいに軽いですよっ♡」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る