——エピローグ(2)




周辺の邸宅の、倍ほどの敷地を持つその立派な屋敷は、かつて訪れた日の華やかな風情や趣きを失っていた。


乾いた空に百舌鳥モズの啼き声がする。


広々とした前庭は閑散としていて、花木の手入れをする庭師の姿も無ければ、せわしなく働いていた使用人たちの姿すら一人も見当たらない。


美しく咲き乱れていた薔薇の垣根は見る影もなく、錆びた鉄格子が蔦の合間に露出している。散り落ちたまま放置された花弁が地表で茶色く腐り、薔薇園の歩道として貼られた飛石の上に黒蟻が長い列を作っていた。

石畳の歩道の中央に位置する噴水は干からびて、石が貼られていない地面は伸び切った芝に雑草が生えそぼり、それすらも初夏の日差しの暑さのせいか、ところどころ茶色く葉枯れていた。


屋敷の主人、アルバロス・ケグルルット伯爵の罪状が決まったのはつい最近のこと。けれど彼の屋敷がこんな有様になったのには理由があった。


ランカスターこうディートフリートと彼の従者リュシアン・ランカスターは、荒れきった庭の様子がさも当たり前だというように目もくれず、干からびた噴水の脇を通り、屋敷の扉に向かって平然と歩く。


リュシアンが扉の引き手に手をかけるが、勿論それを止めようとする者はいない。勢いよく開いた扉の向こう側は広々とした空間を持つ階段室だが、閉じられたままの厚いカーテンに日の光を遮られ、暗く陰鬱とした空間が不気味な静寂のなかに広がっていた。


ランカスター家の象徴とも言える白椿。同色の白い礼服を整然と着こなす二人は、まるで薄暗い廊下に差した二筋の光。階段室の右側に続く廊下を行けば、前方に使用人らしき小柄な男がひとりうずくまっているのが見えた。よく見れば、床に散らばった麦粒をひたすらに拾い集めている。

彼に近づくディートフリートとリュシアンの気配を感じたのか、振り向いた男が「ヒッ!」短い悲鳴のようなものをあげた。


慌てて逃げようとしたところを、ディートフリートに背ぐらを掴まれ立ち往生する。畏敬とも恐怖とも取れる表情で、肩越しに突然現れた侵入者を見遣った。


「……お、お赦しくだせぇ。私は使用人、ただの掃除夫でさ。何も悪いことはしてねぇ……」


彼ら二人を王宮の警吏か何かだと思ったのだろうか。

背ぐらを掴まれたまま男がひどく怯えた目を向けてくるのを、ディートフリートは冷ややかに見下ろした。


「伯爵は……、ケグルルットはどこだ」

「このに及んで逃げ出したのではあるまいな?」


リュシアンが翡翠の目で睨め付け、更なる威圧を与える。


「はっ、伯爵様はそこの角を曲がって突き当たりの部屋でさ……。教えたんだから、もう逃してくだせぇ!」


不意をついてディートフリートの手を払い除けると、ヒィィィィッ! 甲高い悲鳴を上げながら、後頭部が禿げた男は廊下の向こうへと走り去ってしまった。


「……」


言葉なく顔を見合わせてうなづけば、背高い二つの影は言われた場所へと足を進める。




乱れた白髪混じりの髪を整えもせず、ひどくやつれた老齢の男は、広い部屋の奥にぽつんと置かれた卓に着いていた。


「今更…——何をしに来た」


卓上に組まれた彼の手の両脇には千切れた紙きれが無造作に散乱している。故意に破られたものもあれば、雑然と積まれたままのものもあった。

カーテンが締め切られた部屋は暗く、ただ一燈だけ灯された燭台の明かりがぼんやりと彼の顔を照らしている。


「久しいな、ケグルルット。失意の最中さなかで痩せ細っているかと思えば、随分と顔色が良さそうじゃないか」


言いながらディートフリートが部屋の奥へと歩んで卓に近付けば、青白く痩せた白髪の男——ケグルルット伯爵の真正面に着座する。そしておもむろに両肘を卓上につき、手を組んでその上に顎を乗せた。明らかに目の前の伯爵を侮辱する態度だ。


「何を言う……この若僧が。わしが……屋敷が、こうなったのは誰のせいだと思っている……」

「さぁ、誰のせいだろうな?」


ガタン! と卓が揺れ、伯爵が勢いよく立ち上がる。


「笑わせるな! お前がっ……お前が、儂の領地と財産をからだろう!? ディートフリート……! いっ……いつの間に、そんな……小癪な真似をっ」

「フン。私が買収の策を巡らせているに少しも気付かぬほど、お粗末な仕事をしていたのだろう? 自業自得じゃないか」


口元にうっすらと笑みを浮かべるディートフリートの眼差しは、獲物に狙いを定めた獣のごとく鋭い。少しでもみじろぎをしようものなら、今にも食ってかかると言わんばかりに。

冷徹なそのに怯んだ伯爵は拳を下ろし、すっと席に着いてうなだれた。目の前の男を牽制することは、もう無意味だとでも諭したように。


「ろ……ロズウェルには儂の母がいる。せめてロズウェルだけでも……儂に返してはくれぬか? 頼む……この通りだ」

「今更、誰に情けを乞うている? 辺境地ロズウェルの運用は既にハインツ子爵に一任してある。貴様の親のことなど、私が知ったことか」


エメラルドの鋭い眼光には微塵の容赦も無い。そこには、伯爵に信頼を寄せていた父親を裏切られた、息子の強い憎悪の念が渦を巻く。

やり場を失くした伯爵の目は宙を泳いだ。


「そういえば貴様の娘、エレノア。王太子への不敬を問われ投獄されたと聞くが、そろそろ勾留の期限を迎える頃合いだ。だが不憫なものだな……たとえ釈放されても唯一の親を失い、わずかな収入さえも無く、この荒れ果てた屋敷とともにその身は虚しく朽ち果てるだろう。愛娘を不幸の底におとしめたのも、ケグルルット、お前自身だと言うことを忘れるな」


非情な言葉が伯爵のわずかに残された平常心すらも蝕んでゆく。ついに観念したのか、伯爵はクッ……とほぞを噛み、肩を落とした。


「ディートフリート……。全てを失い、を背負った儂にわざわざそれを言いに来たのか。愛娘むすめの希望を奪い……今はただ粛々と勾留を待つだけの、この儂に」


「ああ、その通りだケグルルット。かつて、この屋敷にも『陽光』が存在した。だが愚かなお前たちはそれを自ら手放した。『陽光』を失った一族は絶え滅ぶるだろう。ケグルルット、貴様はもう終わりだ……家督ごと闇の底へと沈んでいけ」


地を這うように轟くディートフリートの言葉。

エメラルドの瞳が伯爵を刺すように睨む。その面差しに冷徹な笑みすらもう見えない。


「陽、光……?」


伯爵は消沈し、視線を泳がせる。


「『陽光』とは、貴様もよく知る——私の妻だ」


リュシアン……と、ディートフリートが目配せをすれば、後ろに控えていた彼の従者がすっと厚い封筒を差し出す。それを受け取ると中の書類を手繰り出し、伯爵の目の前に置いた。


「お前から買収した土地の一部を、妻に与えることにしたのだ。妻はその土地の運用を、貴様の娘エレノアに任せたいと言っている」


「……?!」

伯爵は額に脂汗をにじませながら、ぐっと歯噛みした。


「私は反対したのだが、妻のたっての願いだ。たった一人の妹を、食うものに困らせることはできぬと言うのだから仕方がない。よってエレノア自身の取り分にもなる利益をしっかりと生むよう、せいぜい領地の運用に励めと娘に伝えるのだな。これまでのような贅沢はできぬが、細々と食べていくくらいは出来るはずだ」


「す……、捨てた娘の、情けなどいらぬっ……」

「そうか。ならばこの場でこの契約を破棄しても良いというのだな?」


ディートフリートが卓上に置かれた書類の一部を指先でつまみあげ、もてあそびながら嘲笑する。



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