第94話『星月夜』の秘密(1)




《次話予告》第95話 『星月夜』の秘密(2)


本作も残すところあと二、三話となりました。

どうぞ最後までよろしくお願いいたします꒰˘̩̩̩⌣˘̩̩̩๑꒱



=======================






それからしばらく、私は婚礼行事の準備——招待状の発送に招待客情報のお勉強、白椿城の大掃除(チャペルも城内に三つある広間も埃だらけ)とか、晩餐会の食事メニューの決定、婚約指輪を選んだり、エステやネイルの自分磨きも! 

——に追われ、更には貴族令嬢主催のお茶会に参加したり(おほほ! と笑ってごまかすスキルが大事)、週に三度の子供たちのお稽古と宿題の添削と、慌ただしい日々が続いていた。


公爵はというと、一緒にお式の準備をすることもあるけれど、それ以外は執務室にこもる他、週に一度は王宮に出向き、領地の運用だと言って積極的に地方にも出かけている。


「ふぅぅっ……日差しが強くなったわね?」


季節は初夏、日の光に緑がかがやく時期を迎えていた。

菜園の草引きをしながら汗を拭う私の隣で、ユリスも汗だくになっている。


「リリアナ様っ。ご結婚式が近いというのに、何もこんな事をなさらなくても。日焼けをしてしまいますよ?」

「平気よ、しっかり防いでいるから……」


と、私は大きなツバ付きの帽子から顔を覗かせる。


「それでも絶対に焼けます。あとは私たちに任せて、日陰にお入りくださいませ」


ユリスの他にも三人のメイドたちが草引きを手伝ってくれていた。

最近になって雇い人が増え、メイドたちの仕事も適度に行き渡っているのか、あの口うるさいメイド長、ラミアのお小言はすっかりなりをひそめているようだ。


ユリスが呆れるなか、そのまま草を引いていると。

後ろで作業をしているメイドたちの会話が漏れ聞こえてくる。


「……嘘っ! また、なの……」


「そうなの。ここしばらくのに……。昨日の深夜、見回りをしていたエリーが聴いたのですって」

「……それってやっぱり、『あれ』よね……? 怖いわっっ」


「噂によれば、ここ数日続いているそうよ」

「やだ、今夜もかしらっっ」


——んんん?!


『それ』やら、『あれ』やら、何やら、面白そうなお話じゃないですか。くるりと後ろを振り向いて、メイドたちの間に割って入る。


「ねぇ、なぁに? 怖いって何が?」


ひっ……と、二人のメイドがびくんと背中をふるわせた。


「リリアナさま! 急に驚かさないでください……」

「びっくりさせちゃってごめんなさいっ。それよりも、エリーが深夜に何を聞いたの?」


私の好奇心をいさめたいのか、ユリスが聞こえよがしに咳払いをする。


「リリアナ様。夜、怖くて眠れなくなりますから、お聞きにならない方が」


ユリスったら!

そんな事を聞けば、余計に知りたくなるじゃない。


「眠れなくなってもいいから、教えて頂戴? 知りたいわ……と言うか、私にも知る権利があると思うの」


ユリスと二人のメイドたちが、困った風に顔を見合わせる。







草木も眠る、丑三つ時——が、この世界にあるのかは知らないけれど。


を確かめるべく、私はユリスとともに深夜のお城の廊下に身をひそめている。


『ねぇ……その奇妙な音って、毎晩聴こえるの?』


私がコソコソ声で話せば、ユリスもコソコソと、


『はい、ここ数日、続いているそうです。今夜も聴こえるかどうかは、分かりませんが』


私が白椿城に来るずっと前から、は起こっていたのだそう。


『リリアナさまっ……やっぱり、よしましょう? の正体を探るだなんてっ……! 危険を伴うかも知れませんし』


『ユリスは案外怖がりね? 平気よ、捕って食われるわけじゃなし』

『そんな事をおっしゃって。もしを見てしまって、呪われでもしたらどうなさいます……』


『幽霊って言うけれど、公爵のお母様だって見方が強いのでしょう? だったら尚更なおさら平気よ! 呪われるだなんて、公爵のお母様に失礼だわ……』


『エリアル様かも知れません。どちらにせよ、お二人とも自害なさっているのですから……っ』


エリアル様は、公爵の亡くなった妹君だ。


『そういえば私……モリスで、エリアル様の不思議な夢を見たの。ピアノを弾いていたら、私の隣に唐突にやってきて……言うの……お兄様を助けて……って』

『ひぃっ! 変な冗談はやめてください、リリアナ様……』


『冗談なんかじゃないわ、夢を見たのは本当よ? それにね、リュシアンに確認したのだけど……は確かにエリアル様だったの。私、お会いした事がないのに、リュシアンが言うエリアル様の風貌のまんまだったのよ?』


あの日、時を同じくして公爵はイレーヌ王女の離宮にいた。

不思議な夢を思い出せば背中がすうっと寒くなって、思わずぶるっと身震いしてしまう。


『……平気よ。だってもしも幽霊だったとしても、公爵のご家族なのよ……?』


ぼんやりとした手燭の明かりだけを頼りに、私たちは中腰になりながら『真夜中に不気味な音が聴こえる』という噂の廊下を進んでゆく。


『……ぁ』


ユリスの小さな声に、足を止めて耳をそばだてた。


『……ねぇ、何か、聴こえない?』



———それは、音にならない『音』、曲にならない『曲』。



暗闇の奥から湧くようなその奇妙な音が、鼓膜の底をじんわりと震わせる。


「やっぱりよしましょう!? これ以上探るのは危険です!」

「ユリス、ちょっと待って。もう少し近づいてみましょう?」


「でもっ……この先は『禁断の場所』です。私たちが近寄ることは、許されておりません」


そうか———。


白椿の城に来たばかりの時、あれほどに禁じられていたのに侵入をして、公爵を失望させて?(結局私の勘違いだったけれど)しまったのだっけ。


「ねぇ……ユリス。公爵のお母様とエリアル様は、あのピアノのお部屋で亡くなったの?」


私の問いかけに、恐怖心をあからさまに滲ませたユリスが、こくりと頷いた。


ぽろん、ぽろん、、、、ぽろん、、、


「ピアノの……音だわ」


明らかに曲調のおかしなピアノの『音』が、大きな『椿の額縁』の向こうの闇から響いてくるのだ。


生前はピアノの名手だったと言う公爵のお母様。

その肉体を失っても、彼女のやりきれない想いがあの部屋に残されているのだろうか——?


もしもそうなら、お母様を安心させてあげたい。

公爵は……ランカスター公爵家は、もうだと。


「ユリスは、ここにいて? 私が……見てくる」


今なら、この事情をきちんと話せば、公爵だって『禁断の部屋』に近づいた事をとがめないはずだ。


ぽろん、ぽろろ、ぽろ


私が禁断のピアノの部屋を覗き込んだ途端、その音がぱたりと止んだ。




………ひぁああああ!




「———誰かいるのか?」


明かりも付けず、暗い部屋のピアノの上に手燭だけを灯して、目を丸くした公爵がピアノの椅子に座っている。


「ふぇっ……ディートフリートさまっっっ???」


「リリアナなのか? 何故そこに居るんだ……!」

「あのっ……メイドたちが、夜中にが聴こえるって、怖がるものですからっ。音の正体を、突き止めようと……」


「………」


扉のそばで立ち尽くす私をじっと見つめたまま、公爵は黙ったままだ。


(もしかして、また失望させちゃったのかな……)


私がうつむけば、はぁっと大きなため息をいた公爵が、額の髪を乱暴に掻き上げる。公爵がひどく呆れた時などによく見せる仕草だ。


「あのっ……言いつけを破って、また勝手な事をしてしまいました」


私が項垂れていると、


「いいや、違うんだ。リリアナ、ここにおいで?」

「……はぃ」


公爵の近くに立てば、「座って」と椅子の端に寄り、空いた場所を手のひらでトントンする。手燭をピアノの上に置いて、言われるがまま公爵の隣に腰かけた。

ピアノの上には手燭が二つ並び、明るさが少しだけ増す。


「リリアナに、私のを聞かれてしまったな……」

「……えん、そう……」


ディートフリートさま。

あれは『演奏』だったのですか——…。



———しょ、衝撃です。

公爵ったら……超絶、下手っぴ?



「ど、どうして……こんなに暗いまま、こんな真夜中に?」


私の好奇心は、先ほどまでと完全に別のものに変わっている。


「夜中なら、誰にも聞かれずに済むと思って」

「は、はぁ……」


いえいえ。しっかり聞かれていましたよ、メイドたちに。


ひどいものだろう? その……私の、ピアノ……」


……自覚はあるみたいですね。


「ぁ、いえっ。ちゃんと、聴かせていただいた事が無いのでっ」

「返事に困っているな?」


「……」


あはは、と笑った公爵はどこか寂しげで、自分自身に呆れているようにも見えた。


「母がピアノの講師をしていたと言うのに、私は……一度も習わなかったのだ。だから、この通り下手だ」


公爵が腕を伸ばし、ピアノの上に置かれた小さな額縁を取り上げる。

以前、私がちらっと見たのとは違うものだ。


「母と、妹だ。母がこのピアノを弾くのをそばで聴くのが、私も妹も、とても好きだった」


光溢れるこの部屋の、真っ白なグランドピアノに腰掛ける美しいお母様。そのかたわらで、頬杖をつきながら演奏に聞き入る少年と幼い少女の姿が思い浮かんだ。


「このお部屋には、ご家族との素敵な思い出が残されているのですね」



(お化けなんて住んでなかった! はあぁ。)



目の前にその小さな絵姿が差し出され、四角い木枠のなかで笑う二人の女性が手燭の明かりの下に照らされる。


「この方がディートフリート様の妹さん、そしてお母様……」

と、受け取って——。


私の目は、宵闇色の髪を綺麗に結え、白っぽいドレスに身を包んだその女性の絵姿に釘付けになる。


「この女性ひと……っ、まさか……」

「ん、母がどうした?」


わなわなと、唇が震える。


———そんな、事って。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る