第93話 新たな門出
「そろそろ帰ろうか」
そう切り出した公爵は、眉間に疲労の色を見せている。
続々とやってくる貴族たちへの挨拶と慣れない会話を返すことには、私もすっかり疲れ果ててしまった。
色鮮やかな衣装の輪がフロアの中央で舞っている。
それを囲むようにして眺める疲れ知らずの? 彼らの談笑(公爵が言うには単なる暇つぶし)は夜半まで続きそうだ。
(公爵は足を踏んでもいいと言ってくださるけれど、とにかく私がろくに踊れないものだから!)
どうやら……ダンスのお稽古も始めた方が良いみたい。はあぁ。
「ランカスター公爵……!」
広間を出掛かった私たちが振り向けば、にこやかな笑顔を浮かべたニコラウス殿下とアイリーン様が立っておられた。
お二人はさっきまで、大階段の上の椅子に座ってらっしゃったはずなのに……?
わざわざこちらまで降りて、声をかけてくださるなんて。
「ニコラウス殿下、アイリーン侯爵令嬢。このたびはご婚約の成立、おめでとう存じます」
公爵に倣い、私も慌ててお辞儀をする。
「アイリーンが、公爵の奥方に是非挨拶をしたいと言うのでね」
「お近づきになれて嬉しいですわ、ランカスター公爵夫人!」
若々しく愛らしい声は、まだ十代の半ばを過ぎたあたりだ。二の腕まで伸びる手袋の両手が私の両手を取り上げる。
ウエーブがかった銀色の美しい
「叙勲式典のあと、公爵様とフロアを歩かれている時から素敵な方だと思っていたのです。お話が出来て光栄ですわ」
いえいえっ、光栄なのは私の方です。
王子殿下のご婚約者様にお声がけを頂けるなんて、もちろん嬉しいのですが——。
国王陛下の事がなければ、ニコラウス殿下の隣にはエレノアが立っていたかも知れない。そう思えば少しだけ気持ちが複雑だった。
「そんなっ、勿体ないお言葉でございます……アイリーンさま。リリアナと申します。私の方こそ……お話が出来て嬉しいです」
笑顔を見繕い、取られた両手をアイリーン様の両手に重ねる。
「リリアナさまっ! 今度、我が家で貴族のお友達を招いたお茶会をいたしますの。良かったら是非いらして? ランカスター公爵様、奥様をお茶会にご招待してもよろしいでしょう? わたくしから招待状を送りますから。公爵夫人が顔を出してくだされば、ご招待をした皆さんもきっとお喜びになりますわ!」
きた、きた。
これが公爵が言っていた『貴族同士の社交』と言うやつなのね。
「こらこら、アイリーン。そんなに強引に誘っては、公爵夫人が困っているではないか?」
「あ、いえ……困っているなんて、そのような事はっ……」
公爵の顔を見上げれば、私と視線を合わせて、かすかに頷いたのがわかる。
行って来いって、おっしゃりたいのですよね?
私がこの『社交』というものをうまくこなせば、夫である公爵のお立場も安定するのですよね……?
出たとこ勝負のプレッシャーが半端ないですが、頑張るしかありません。
「はい、アイリーンさま。喜んで」
「良かった……! ではリリアナさま、必ずいらしてくださいねっ!」
嬉々とはしゃぐアイリーン様を、ニコラウス殿下が陽だまりのような優しい面差しで見つめている。
お二人は兼ねてからの恋人同士だと言うから、エレノアが陛下に妃候補の推薦を受けてからは、とても苦しまれたに違いない。
無事に婚約が叶ったお二人がお幸せなら……これで本当に、良かったのだと思う。
公爵と同い年の二十七歳、栗色の柔らかそうな髪に青い瞳のラインハルト殿下は、「ザ・王子様」という容貌を持つ美しい方だ。
(モリスの離宮におられるイレーヌ様とは腹違いらしい。どうりで……纏う空気までも緊張させてしまうイレーヌ様とは、ご兄妹でも雰囲気が真逆のはずよね?)
王宮を出る前に、執務室に戻られた王太子殿下にご挨拶をすることになったのだ(私の紹介を兼ねて)。
丁重に敬礼する公爵と私に「いやいや……」と、快活な声色の殿下が執務室の椅子から立ち上がる。そのまま私たちの前まで来られると、
「ディートフリート! 堅苦しい挨拶はよせ。私とお前の仲じゃないか」
公爵のお父様は国王の弟君。ラインハルト殿下にとって公爵は
『私とお前の仲』……? もはやお二人は仲良しのお友達……?
顔を上げた公爵は口元に笑みを浮かべると、大手を広げて殿下をがばっと抱擁した。当然に驚いて、殿下は目を白黒させている。
「……大義だったな、ラインハルト!お前が陛下を『老衰だ』と宣言した時は、つまらぬ理由づけに失笑したが。それでも貴族たちから大きな反論も起きず安堵したよ」
身体を離した公爵に、殿下はどこかほっとした顔を見せる。
「ああ。現国王は愚王だと、皆が認めているからな。それに国王失脚の本当の理由などあの場で公表できるものか! それこそ国を揺るがす騒ぎになる……」
同室する二人の執務官を気遣いながら、ラインハルト殿下は声をひそめる。
「国王はすでに北の塔に幽閉されている。口外はできぬが、お前の父の暗殺に関与する以外にも陛下には数々の疑惑が持ち上がっている。疑惑に携わった者たちの証言が出れば、国王は近いうちに断罪を受けるだろう」
愚王を下ろし、王位継承第二位のランカスター公爵家が玉座に着く。そんな世界を、現国王は恐れたのかも知れない。
———覇権を維持するためならば、血の繋がった兄弟であっても命を奪う。
そんな恐ろしい所業であっても、王家に於いては珍しい事じゃない。それが毒盛りを気にせず迂闊に食事も出来ない王家の平常だ。
「お前の尽力のお陰で我ら革新派の圧力が功を制し、積年の願いであった現国王の排除に至ることができたのだ。ディートフリート、恩にきるぞ」
「いや。ラインハルト。お前の戦術勝ちだ、私は何もしていない」
言うが早く、すっと私に身体を寄せた殿下が唇に人刺し指をあててウィンクして見せた。
「……今聞いたことはここだけの秘めごとだよ? リリアナ・ケグルルット嬢」
「へぇ?」
唐突に名前を口にされたので、驚いて変な声が出た。
「……は、はいっ! 勿論でございます。誓って口外は致しません」
殿下は静かにうなづき、秀麗なお顔をほころばせる。
「ケグルルット伯爵に隠された娘がいると聞き及んではいたが、こんなに美しい人だったとはな! さすがは美姫と名高いあのエレノアの姉上だ。私の妃にしたいほどだよ」
殿下はきっとお優しい冗談のつもりでおっしゃたのだ。
それなのに公爵は、殺気が漂うほどに冷ややかな眼差しを殿下に差し向けている。
「おいおい、ディートフリート。そんな顔をするなよ、参ったな……? お前の大事な人を本気で奪ったりはしないさ」
「当たり前だ」
そんなやり取りからもお二人の親密さが伺えて、私はくすっと
明朗快活そうな王太子殿下はまだ独身なのだそう。
とはいえ間もなく王位に着かれるのならば、盤石な後ろ楯となる王太子妃候補者がいらっしゃるはずだ。
「ディートフリート……。家族を亡くしたお前の無念は、決して無駄にはせぬ。お前が戦場に赴いていた六年という歳月もだ。免罪符にもならぬが、叙勲によってランカスター公爵家は、この先二百年の安泰が約束されるだろう。甘んじて受け取ってくれ」
にっ、二百年の安泰っ?!
叙勲って、そんなにスゴいものなのですね……!
私の目はどんどん丸くなるけれど、公爵は平然としたまま胸に拳をあて、ラインハルト殿下に再び敬礼をした。
「有難き幸せ」
遅れて身を低くする私を横目に、殿下は頭を下げる公爵の耳元にそっと口を寄せる。
「表情に乏しいお前が、鼻の下を伸ばしてるのなんか見るのは初めてだよ」
「……ええっ?」
「奥方を大事にな、ディートフリート。何があっても、大切なものをこれ以上、もう手放すなよ」
「ああ。言われずともそうするさ」
「それと。王宮では髪をだらしなく伸ばすのも、無精髭も禁止だからな。奥方にも逃げられるぞ?」
「それを言うな、わかっているッ」
……二人して何を話しているのか。よく聞こえませんけど、なんだか楽しそうですね?
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《次話予告》第94話 『星月夜』の秘密
本作も残すところあと二、三話となりました。
どうぞ最後までよろしくお願いいたします꒰˘̩̩̩⌣˘̩̩̩๑꒱
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