第91話 妹への想い
「国王の理不尽な下命で戦場に追いやられた私が、なぜ今になって、戦場での功労を讃える勲章を授かったと思う?」
私に問いかけながらも、エメラルドの瞳は階段上の踊り場をじっと見つめている。王太子殿下の椅子はまだからっぽだ。
宮廷楽団が穏やかな旋律を奏でるなか、招待客たちの歓談が続いている。
「さぁ……私には、よくわかりませんが。どうしてなのですか?」
「物事の生起にはどんなことにでも理由があるのだ。それを知るのも、一世の楽しみの一つではないか?」
公爵はその『理由』というものを知っているのだろう。
「答えは、まだ教えてくださらないのですね?」
軍服の胸に付けた勲章が煌めいている。
「すぐにわかるよ」
公爵は朗らかに言うのだった。
主賓席から一階のフロアに降りた公爵は、大階段からいちばん遠い壁際で身をひそめていた私の手を取り、広間の前方に近い場所まで連れ出した。
「見当たらぬと思えば、こんな場所に隠れていたのか。まだ神前で誓い合った正式な夫婦ではないが、ここにいる者たちにとってリリアナはもうランカスター公爵夫人だ、堂々としていればいいのだよ。出来るだけ前の方へ行こう。王太子とニコラウスの顔を覚えて欲しい」
「……前の、ほう……」
心が
周りにいる人たちからの浴びるような視線に慣れることはない。
勲章をいただいた公爵に(ついでにパートナーの私までっ)注目が集まるのは、仕方がないことだけれど……。
大勢の人のなかに立つのはあの仕立て屋以来のこと。私にとっては、この人生で二度目の大舞台だ。
周囲からの注目は、私がこれまで味わってきた『
(おかげで私は大広間を追い出されずに、ここに立っていられるのですが……。)
このあいだ公爵が言っていた、『王宮に集まる者たちが見ているのは夫の地位と装飾品だけだ』ということを身をもって感じてしまう。
(公爵がどこからか持って来て、出掛ける前に付けてくださったこのネックレスも……とても綺麗ですものね?)
もしも私がランカスター公爵のパートナーでもなく、簡素なドレスを着て宝石のひとつも身につけていなければ、私の事など誰ひとり見向きもしないだろう。
(もしもエレノアに会ったら、どんな言葉をかけよう……)
この大広間のどこかに妹のエレノアがいる。いつ再会するとも限らない。
国王陛下の推薦を受けたあの美しい妹のこと、第三王子殿下の妃に必ず選ばれるだろう。
先ずはおめでとう、と言うべきだろうか。頭のなかでシュミレーションしてみる。
『会えて嬉しいわ……元気にしていた?』
私……エレノアの前でうまく笑えるかな……。
そもそもこの王宮で、みんなの前で。
プライドの高いエレノアと私が、『姉妹』として話せるのだろうか。
以前、実家の屋敷にいた時にお父様がそう話しているのを聞いた。
ケグルルット伯爵令嬢として人前に出たことなどないのだし、
「面白いものが見られるかも知れんな」
「ぇ……」
———面白いものって?
私が首を傾げていると。
「エレノアは妃殿下候補として絶対の自信を持つようだが、彼女の思惑通りになるとは限らぬと言うことだ」
その言葉に動揺して見上げれば、公爵は鋭い眼光を踊り場に向けたまま、口もとにかすかな笑みを浮かべている。
「まあ見ていろ」
詳しい事は知らされていないけれど、公爵はケグルルット伯爵をどうにかしようとしている。エレノアにその影響が及ぶことだってあり得るのだ。
一抹の不安を覚え、フロアじゅうを見渡して妹の姿を探した。
宮廷楽団の演奏が始まる。
王太子殿下と王子殿下が再び入場し、妃殿下候補者三名が大階段の下に呼ばれれば——緋色の豪奢なドレスに身を包んだエレノアが、堂々とした足取りで私のすぐ近くに歩み出た。
「エレノア……っ」
ちらりと互いの視線が重なる。
だけど、すぐにそれは逸らされてしまう。
一言でもいい、妹と言葉を交わしたかった。エレノアがこのまま王子妃になれば、もう面と向かって話しかけることさえ叶わないかも知れない。
それに———。
公爵の、あの意味ありげな
王子殿下が階段を降りてくる——そして、エレノアの前に立った。
ああエレノア……。やっぱりニコラウス殿下が選ぶのはあなた。
胸騒ぎが
心のなかでつぶやいた私の目に、残酷な光景が飛び込んで来る。
声高らかに響いた王太子殿下の宣言が、鋭利な刃物になって私の胸を貫いた。
『ここに第三王子ニコラウス・ライナスの婚約者として、我が国の宰相ウイリアム・ラトレル侯爵が長女、アイリーン・オブ・ラトレル侯爵令嬢の名を正式に表明する——』
大きな歓声と拍手が巻き起こる。
私は大階段の前にたたずむ妹の後ろ姿を凝視していた。
「……どうして……」
震える唇を指先で押さえる。
私の背中を支えながら、公爵は相変わらず冷ややかな目を向けている。
「国王の強引な推薦を無視してでも、ニコラウスは本来の恋人を選んだのだ。予想がつかなかったわけではない」
「そん、な……っ」
アイリーン侯爵令嬢の手を取ったニコラウス殿下が、婚約成立のダンスを披露すべくフロアに足を向けた時だった。
「ちょっと待ってください!」
聞きなじんだ声が耳に届いた。
拍手が一斉にやみ、広間は水を打ったような静寂に包まれる。
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