第85話 *エレノア視点*





私の名は、エレノア・ケグルルット。

アルバロス・ケグルルット伯爵の次女に生まれ、伯爵であるお父様に大切にされて育った。


私は、世間から忌み嫌われる『忌み子』のお姉様とは違う。

認めたくはないけれど、リリアナ・ケグルルットは私の実の姉だ。


そんな姉と同様に王都中から戦場の野獣と恐れられ、その容姿を嫌悪される狼公爵の元へと嫁いだ姉が、今頃何をして、どんなふうに過ごしているのかは知らないし、今更知りたいとも思わない。


幼い頃から、母譲りのプラチナブロンドはかがやく絹のよう、父譲りの大きなあおい瞳は宝石よりも美しいと称賛されてきた。

白い肌に高い鼻梁、薔薇の花弁を重ねたような唇は、王子殿下を夢中にさせるのにじゅうぶんだった。


数ヶ月前———。

望まない縁談を姉のリリアナ・ケグルルットに首尾よく押し付け、厄介者の姉を屋敷から追い出すことに成功した私は、ひと月後に控えた王太子殿下主催の舞踏会で、第三王子の婚約者として正式な発表を受ける予定だ。


「それなのに、あの忌み子のお姉様がいたんじゃ、うまくいくものもいかなくなってしまう。だからあのとき、狼公爵との縁組でお姉様を追い出せたことは、とても都合が良かったの」


二人のメイドに髪結いをさせながら、ふっくらと艶やかな唇に自ら紅をさす。

自分で言うのもなんだけれど……


「ああ、私ったら、なんて美しいの。ねぇ、あなたたちもそう思うでしょう?」

「もちろんでございます」


メイドたちが口々に発する言葉に安堵する。


幼い頃——お母様がご存命だった頃は、お姉様ともそれなりに仲が良かった。


なんでもすぐに飽きて嫌になる私に比べて、お姉様は我慢強かったのだ。

私はすぐに泣いてしまうけれど、お姉様は泣いてもすぐに泣きやんで、泣きじゃくる私の背中を優しくさすってくれたものだ。


——私、結構好きだったんだから。


そう、幼い頃は好きだったのだ、あの優しい姉のことを。



お母様が亡くなった日は、しくも姉の十歳の誕生日、私はまだ九歳の子どもだった。


お父様が私にだけ優しいことをずっと不思議に思っていたけれど、ある時、それはお姉様が目と髪の色に問題を抱えているからだと知った。


お父様はもちろん、メイドたちでさえも忌み嫌うものを、お母様だけは愛していた。私を差し置いて、お母様はお姉様にだけ優しかった……私はそれが気に入らなかった。というか、とても寂しかったのだ。


お母様が亡くなってからは、私だけがお父様に愛されているという『優越感』でいっぱいだった。

その『優越感』のおかげで——お姉様にも、あの頃はまだ優しくできたのだと思う。


なのにあの日、聞いてしまったのだ。


私の、十五歳の誕生日。

日頃は私に作り笑いを浮かべてくるメイドたちが、柱の裏でコソコソと話すのを。


「着飾ったエレノアお嬢様はもちろん可憐で愛らしいけれど。お顔立ちはリリアナお嬢様の方が美しいわね」


許せなかった。

その日から、私の——お姉様に対する、凄まじい『劣等感』が始まったのだ。


お姉様の顔色が悪かったのも痩せこけていたのも、ろくに与えられないひどい食事のせいだ。

お姉様の髪や肌に艶がなく、バサバサでまとまらないのは安価な石鹸を使わせていたからだし、服だってメイドの古着でいつでもボロを纏っているようだった。

もちろん化粧をほどこした顔など、見たことがない。


「ほらね……? この私が人生の全てに置いて、お姉様に負けるわけがないのよ」


鏡の前で、ふふん……と鼻を鳴らす。


「エレノアお嬢様、馬車の用意が整いました」

「はぁい! 今、行くわ」


メイドの呼びかけに、私は嬉々として立ちあがる。

王都で随一と名高いデザイナーが構える店に、舞踏会のためのドレスを新調しに行くのだ。







流石は有名なデザイナーの構える建物、広い路地に面した正面入り口の裏には、広大な馬車受けが用意されている。

舞踏会の前にもなれば衣装を新調する紳士・淑女の来店が殺到し、この馬車受けが満車になることだってあるのだ。


ずらりと並んだ馬車の中に、友人のヴィヴィアーヌ・ミンスターの家紋を見つけた時は、心が躍った。彼女も私と同様、舞踏会に招待されている由緒ただしき貴族令嬢だ。


「わざわざお運びいただき、ありがとうございます。ケグルルット伯爵がご令嬢、エレノア樣」


(そうよ! 私はもうすぐ王子殿下のきさきになるのだから。そうなれば堂々と、この店のデザイナーを後宮に呼び寄せてやるわ)


タキシードをきめこんだ店員のスマートなエスコートを受けながら、一人の従者を従え、正面の入り口に向かって歩く。


馬車受けに並んだ馬車の中でも、ふと、ひときわ豪奢な馬車に目を奪われた。


艶々つやつやした毛並みが美しい黒馬三頭が引く、繊細な銀の装飾がふんだんに施された車体には、良質な真鍮で縁取られた大きな四つの車輪が装備されている——隣の馬車が邪魔をしていて家紋が見えないけれど、きっと名だたる公爵家、もしくは侯爵家の馬車なのだろう。


(こんな立派なものを所有されているなんて。持ち主がいったいどんな御方なのか、見てみたいものだわ)



「ヴィヴィアーヌっ!」


広い店内は、混み合っていた。

上品な濃紺の絨毯の上に幾つも小卓とスツールが置かれているが、すでに満席だ。


貴族を相手にする店だというのに予約制ではないところが強気だと思う。どれほど人がいても順番が回ってくるのを待つしかない。

それでもこの店のデザイナーでなければという者たちが、これだけ集うのだ。もちろん屋敷に呼びつけることなど出来やしない。


入り口から少し離れた場所に友人の姿を見つけるも、彼女は心ここにあらずといった風情でどこか一方を見つめている。呼びかけに気付いてこちらを振り向く様子もないので、こちらから向かうことにした。


「ヴィヴィアーヌ!」


見れば、ある方角が、周囲の女性たちの視線を明らかに集めているのがわかる。皆がうっとりと、店の奥にある試着部屋の方に目を向けているのだ。


「まぁ、エレノアじゃないっ……あなたも舞踏会のドレスを新調しにいらしたのね!」


ヴィヴィアーヌは同じ伯爵家の令嬢であるため、身分が同等で社交界でも気易い友人関係を築けている。


「ねぇ、さっきから、夢中で何を見てらっしゃるの?」


皆が視線を向ける先に目をやれば、奥にある試着部屋の前に白っぽい礼服を着た背高い男性の姿が見えた。

きっと二十台後半そこそこの若さだが、堂々とした佇まいには気品が溢れ、周囲に圧倒的な存在感を放っている。採寸中の誰かの支度が終わるのを待っているのか、そこから動こうとはせず小棚に寄りかかり、店員と笑顔を交えながら親しげに会話を続けていた。


「ねぇ、王宮に出入りをしているエレノアならご存じかしら?! あの素敵な男性がどなたなのか……」

「いいえ……。王宮でもお見かけしたことがないわ」

「店員に聞いても、顧客の情報は教えられないと言うのよ」


はぁぁ、とヴィヴィアーヌはため息をつく。


「どうやら、あの男性の奥様が試着部屋の中にいらっしゃるようなの。先ほどまでいらした方によれば、何着も新調されるようだから、時間がかかっているのですって」


で、何着も?」


驚いて思わず声が出た。


「そうなの! 一着でもなかなか手が出せない高級品ですのに。あの男性の奥様が羨ましいわ……」


不意に、男性がこちらにチラリと視線を向けた。

鋭く見据える、凛々しい瞳に釘付けになる。それは、周囲にいた女性みなが同じようで——。


「やだっ、今、目が合いましたわっ」

「ね? ね? こっちを見ましたわよね??」


「でもあのお方……やっぱり社交界でもお見かけしたことはなくってよ」


誰も顔を知らないあの美丈夫は、いったい誰なの。

新調するドレスのデザインなどそっちのけで、女性の視線を集める謎の男性に関心が集中している。


こうなれば、今度はあの男性の『奥方』の存在が気になってくる。

いったいどんな女性が、あの試着部屋から出てくるのだろう……?


男性と店員の向こう側の扉。その先にいるはずの女性。

あんなに素敵な男性の奥方なのだ、きっととびきり美しい人に違いない。





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