第83話 グルジアの大使




バタバタバタ———


急いで廊下を走ったために、騒々しい足音を立ててしまった。

公爵との約束通り、おろして巻いた髪がふわふわと背中に揺れている。 時間が無いなか、ユリスが美しく仕上げてくれたのだ。


もちろん、グルジアの大使を見てみたかったのもある。

だけど別の本音としては、無理をしてでもきちんと支度をして、見送りに立つ公爵に会いたかった。


(猟師小屋での私ったら、本当にひどかったわ……)


自室に戻り、鏡に映る自分に驚愕した。

灰色の外套マントにすっぽりとくるまり、茜色の髪は膨れてもわもわの鳥の巣みたいに絡まって、前髪はひょろっと海藻さながら額に張り付いている。

外套マントもちろん裸。


(あれで、キスの催促をしたなんてっっ)

笑われて当然だったと思う。


海辺で拾われた孤児のような私に比べて、公爵は。

髪の乱れがむしろ美麗な色香を放ち、上着の下に着たシャツはフロントが開け透けで、胸板ががばっと覗いていて……玄関ホールに出迎えたメイドたちを殊更に色めき立たせた。


(私のあんなひどい姿、早く忘れてもらいたい……っ)


華やかな髪型は似合わないと失笑されるのを怖がっていたはずなのに、公爵にほめて欲しいと期待するまでになったのは……我ながら思考回路が進歩したものだとも思う。


あぁ。

目を閉じると、「好き」が押し寄せてくる———。


そんな自分に呆れながらも、まんざらではなくて。熱く火照りだす頬が無意識にゆるんでしまう。


「リリアナさま、すねが丸見えです。もう少し前裾を下ろして……」


ドレスの裾をもそもそたくし上げる私を、後ろで介添えをしながら走るユリスがたしなめた。


ごめんなさいっ、と、急ブレーキをかけて廊下の角を曲がったとたん、玄関ホールの真ん中に立つ四人の背高い影が目に入った。

少し離れた扉の近くには、数名のメイドとリュシアンが立っている。


「良かった、間に合った……!」


(お客様の前に出るのよ? ディートフリート様に恥をかかせないように、スマートに振る舞わなくちゃ……)


ドレスの裾を下ろせば、下ろしすぎたのか靴先になにやら違和感が。



すって———ん!!



自分の状況を把握するのに数秒を要した。

それは、その場に居合わせた者たちもみな同じだったようで。


え、えっ………ええ………っっ

なにが起こったの?! 私……今、転んだ?!


数秒後の沈黙を破るように、


「リリアナ!」


大丈夫か、と、公爵が駆け寄ってくる。

それにしても膝が痛い。かなり痛い。床を滑ったドレスは無事だろうか。


「はぁっ、ディートフリートさま……」


真っ白な包帯の手が私を抱え起こす。いい匂いがするし、いつにも増して公爵はキラキラと眩しい。

あ! 指先を清潔な包帯で巻き直したのですね。

なんて、今はそんな事に感心している場合ではない。


「……申し訳、ありませんっっ」

「怪我は無いようだな」


膝の痛みとはずかしさにさいなまれながら顔を上げれば、片手で顔面を覆いながら項垂うなだれるリュシアンと、あっけに取られてポカンとこちらを見ている大使様たちの姿が見えて……。


スマートな所作で望むどころか。

——こんな局面で転ぶ自分をなぐりたいっ!



「レン・ヴァニ・シヴィルと申します」


軽く頭をさげながら胸に拳をあて、青年は爽やかに最上級の礼をする。他の二名は彼の従者だろうか、一歩後ろに下がったままレンに続いて敬礼をした。


黄金でもなく白金でもなく、ヘーゼルに近い珍しい髪色は《はしばみ色》。精悍な顔立ちにきちんと整えられた前髪からは、澄んだルビーレッドの瞳が覗いている。

海の浅瀬を連想させる碧色あおいろの上質な隊服、白い外套マントは清潔感があって美しい。


メイド達が騒いでいる美丈夫というのは、この人ね……?


「レン、紹介しよう。先ほど話した私の婚約者だ」

「は……初めまして。リリアナ・ケグルルットでごさいます。私っ、初対面で転ぶなんて失礼を……申し訳ございません」


心の底からのはずかしさと戦っていると、公爵が助け舟を出してくれた。


「足元がふらついて。体調がまだ万全ではないだろう?」


いたわるように優しく肩を抱かれ、思わず公爵を見上げれば、


「謝ることはない。リリアナは、場を和ませたのだから」


私を囲む男性陣が皆そろってふっと微笑する。


ちょっと気持ちが複雑ですけど……?!

皆さんに笑ってもらえたのなら、良かったです。


「レンの主君、グルジアの王太子リヒトガルドは私の学生時代の友人でね。今、レンから彼の訃報を知らされたところだ」


「ぇっ……」


訃報、という言葉に、今度は私がぽかんとしてしまう。



——公爵のお友達が、亡くなった?



「レン……。話の途中だったが、責任感の強いリヒトガルドが王位を放棄して自害するとは思えん。何かの間違いではないのか?」


レンと従者たちは揃って、心底悲しげな表情をした。


「我々もそう思いたいのです、何かの間違いであって欲しいと。ですが遺書には明確な遺志が記され、王太子の遺骸も……ッ」

「遺骸については、誰のものだか判別できぬほどに焼け焦げていたのだろう?」


遺書とか遺骸? ……とか。神妙な会話が続いている。私はただ首をかしげて聞き入るしかなかった。


「帝都の近辺は獰猛な魔獣が彷徨うろつくとも聞く。気をつけろよ」


私たちの国は何世代も前から帝国の属国だけれど、彼らの祖国グルジアはまだ独立した国政を保っているらしい。


「留意いたします。このモリスの地で拾われた命ですから」


三人の大使たちは何度も丁重に礼を述べ、ランカスター家の城門をあとにした。

きらきらかがやく木々の中を、三頭の騎馬がさっそうと駆けていく。彼らを見送りながら、公爵が呟くように言った。


「リヒトガルドの訃報を皇女殿下に知らせるそうだ。両国の縁組が流れれば、グルジアを取り込もうとする帝国はますます躍起になるだろう。グルジアの安寧が危ぶまれる可能性もある。遺書という名の『婚約破棄』を携えて皇帝の面前に赴くなど、彼らもにがい役回りを負ったものだ」


帝国の皇女様との縁組ともなれば愛のない政略結婚の可能性が高いけれど、いづれにせよ人の死の知らせというものは、得体の知れない陰鬱を連れてくる。



——婚約者の、死。



ふと背筋が冷たくなって、公爵の袖口をぎゅっと引っ張った。見上げれば望む通りに、エメラルドの瞳が見下ろしている。


「ディートフリート様は、長生きしてくださいね……! 私より一日でも長く、生きていてくださいね……」

「今更なにを言う? リリアナは私よりも先には逝かぬと、昨日約束しただろう?」

「そんな約束、知りませんっ」


身近な人の訃報を聞いてしまったために、冗談めかした言葉にも妙な力がこもる。自分のほうが先だと言ってどちらも譲らないのだから、これでは堂々巡りだ。


「それなら、もう二人で永遠に生き続けるしかないですねっ?」


堂々巡りを終わらせようと笑って見せれば、公爵の上着がばふっと肩に着せられた。


「そろそろ戻った方がいい。温かい食事を用意させよう。一緒に食べないか?」

「はい……。喜んで」

「リリアナを目の前に置いて、ずっと見ていたい」


耳元にささやかれる甘い言葉がそわりと心を撫でる。

こんなふうに茶化しているけれど、友人を亡くしたなんて悲しくないはずがないのだ。一人きりで食べる食事よりも、誰かと一緒の方が気が紛れるに決まっている。


「食事のあとは、そうだな……」


指先で顎をくいっと持ち上げられ、美麗な面立ちがぐっと近づいた。


「何なら寝室を共にして、昨夜の続きをしても良いのだぞ?」

「それはっ、まだ遠慮しておきます!」


指先から逃れ、ふるりとかぶりを振る。

茜色の夕陽に照らされるなか、公爵は捨てられた子犬のように寂しそうな目をして、しゅんとうなだれた。






===================



拙作をここまで追いかけてくださり有難うございます。


本作もようやく終盤に差し掛かります。

今話では王太子リヒトガルドの従者、レンが登場しました。

本作の完結後、帝国の皇女エリスティナと素性を隠したグルジア国の王太子リヒトガルドが織りなす『幼獣と皇女様』の執筆を、更新ゆっくりですが再開予定です。


(ずっと書きたかったお試しの新作も出します! ←予定 王子様の現代逆転生ものか、王族学園もののどちらか。)



*** 少しだけCMさせてください ***



『幼獣と皇女様〜獣に姿を変えられた美貌の王太子が毎夜のごとく迫ってきます〜』


人間の姿に戻ったリヒトが布団に忍び込んできて、「呪詛を解くために私のものになってくれ」と迫ってきます。

憧れ続けた『婚約者リヒトガルド』は、素性を隠したリヒト。

そのことに気付かない皇女エリスティナは———


「大切な『婚約者』がいますから、『あなた』と結ばれるなんて無理です!」


《近況ノートにリヒトガルドとエリスティナのイラスト載せてます》

https://kakuyomu.jp/users/ura_ra79/news/16816700427619693739


* * *


星ひとつ出ない『黒夜』。

妖魔の妖術により獣の姿に変えられてしまったグルジア国の王太子、リヒトガルド。

『妖術を解きたければ——。

リヒトガルド……はずだ。』

突然に呪詛を被ってしまったと言う驚愕、得体の知れない恐怖、そして焦り。


「この呪詛を解く為ならば何だってする——。」


* * *


徐々に明らかになるグルジア国の『陰謀』。

王太子リヒトガルドは、なぜけものの姿に変えられたのか。


「早く呪詛を解かなければ。

『私』がエリスティナを、食い殺してしまう前に……!」


* * *


小説『月夜に咲く花は皇太子の寵愛を受けて輝く〜見目麗しい殿下でも抱き締められたら突き飛ばします』の主人公の子供たち(皇女と皇子たち)がメインキャラとして登場する、全く新しいストーリーです。




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