第79話 はずかしい…!




「……泣いているのか?……どうした?」


ぽふ、ぽふ。


キョトンと見上げる私の頭に、また二度の「ぽふっ」……目を覚ましたばかりの、まどろみを含んだ優しい眼差しに見入ってしまう。

後頭部に感じた重みは、公爵の手のひらだ。

包帯で巻かれているからか、いつもの「ぽふっ」よりも心持ち柔らかい。


「え……? 私っ、泣いてなんか……」


否定をしてみたものの、いつの間にか頬に流れた温かいものに戸惑い、慌てて目頭を押さえた。


「お……起きていたのですか?」

「あんなふうにれられたら、それは起きるよ」

「そ、そうですよねっ……驚かせてしまって、ごめん、なさい」


身体にさわって起こしちゃうなんて。

こっそり触れていたなんて思われたら———はずかしい!


「リリアナ……」


吐息混じりの、そよ風のような優しい響きで名前を呼ばれたのと、力強い腕にぎゅうっと抱きしめられたのとが同時だった。


「気が付いたのだな……。良かった………」


後頭部の髪が大きな手のひらにくしゃっと包まれ、ぐいっ! 頬が公爵の肩のくぼみに押しあてられる。


「私もっ……ディートフリート様が息してないんじゃないかって、不安になってしまって。それで、ちょっとだけ……触れてしまったって、言うか……」


はずかしさのせいで、こじつけの言い訳をしてしまう。

ほんとうはただ、目の前の綺麗で大切なものに、触れてみたかったからなのに——そんな事を公爵に打ち明けるのもはずかしい。

待ち望んでいた声が聞けたことで安堵の気持ちが堰を切り、喉の奥から込み上げるものが溢れ出て、公爵の胸に顔を押し付けたまま目を閉じた。


「でも、本当に……心配、したんですから……」


公爵は驚いたように目を丸くしたけれど、すぐにクスッと微笑わらって頬を緩める。


「もう冷えていないか? 寒くはないか?」


頭の上から降ってくる声は砂糖菓子よりも甘く、羽根のように柔らかい。


「ぁ……っ、あの……」


後頭部から、公爵の手のひらが離れた。


「ウン?」


鼻にかかる声で問われる。

眉の緊張をほどいた優しい瞳のきらめきが、私の顔を心配そうに覗き込んだ。


「さ、……寒い……です」


緊張のせいで今まで忘れ去っていたけれど、言われてみれば———本当に寒いぃっっ!

外は吹雪だもの、しかも裸だしっ、寒くて当然ですよね。


「ぁ……でも、あたたかいです! ディートフリート様の、胸に……くっついて、いますから」


今のは苦しまぎれだ。

すぐそこに散らばっている服を取りに行きたい。でも私、何も着てないのだものっっ。

見えちゃうから……動けない、起きられない!

もじもじしていると、公爵は包帯の両手で不器用に外套を引き、私の肩に掛けてくれる。


「寒いと言ったり、あたたかいと言ったり。リリアナは、感情が忙しいのだな?」


ほほえみ混じりの言葉と眼差まなざしのみならず、仕草までもがとても甘く優しくて。

身体の冷えなどすっかり忘れ去り、私の心はとろとろに溶かされてしまうのだった。



それから——公爵は私を胸の上に抱いたまま、私の着衣が濡れていること、経緯を話してくれたのだけど。

服を脱がされた時に『色々と』……見られてしまったと思えば、気が気ではない。


——背中の『あざ』だって。

ディートフリート様に、きっと《みにくい》って、《気味が悪い》って、思われたに違いない。


(心の準備、まだできてなかったです……。こんなかたちで、見られたくなかった……!)



バラバラと音を立てる屋根は静かになりそうもない。

この狭い小屋には窓がなく、外の気配が見えないけれど、時折びゅうっと風が吹き込む扉の隙間に光は見えない。


今は、いったい何時なんじなの——。

こんな状態のまま、長くは耐えられませんっっ!


「……お、お顔の傷は、どうされたのですか?」


公爵にくっついたまま、胸を叩き続ける鼓動と緊張を抑えるべく問いかける。


ひょうにやられた」

「ひょ、う?」

「モリスの雹はとがっていてな。人や動物を傷つける」


公爵の手が、外套ごしに私の背中を穏やかに撫でる。

もう片方の手のひらを私の後頭部に乗せたまま、公爵は虚空を見上げた。


「……まだ当分、続きそうだな。このひどい轟音ごうおんは、肥大化した雹が落ちて屋根に当たる音だ」

「そっ、そんなもの、あぶないのでは? お顔の傷だって心配です! ディートフリート様の綺麗なお顔に傷あとが残ってしまったら大変ですっ」

「危ないどころではない。たかが雹とはいえ、人や動物にとっては命に関わる脅威にもなる」


「へ…… 」


後頭部から降りてきた包帯の指が、私の頬を撫でる。

「私の顔がどうなっても、リリアナの愛らしい顔に傷がつくより、余程いい」


頬だけじゃなく、胸の奥をくすぐられるような甘い眼差し。

これがずっと続いたら……またな気持ちになっちゃいそう!


ピアノの部屋で、くちづけをされた時に感じたあのなのが、また来ちゃう。

そわそわする気持ちをなだめるように、私は続けて切り出した。


「モリスの、雹のことがあったから……ディートフリート様は私が怪我をすることを心配してくださって、雪のなかの外出をあれほど強く禁じたのですね?」

「リリアナは私に似ていて、無茶をする。崖の下を覗き込んで、転がり落ちるような事があるかも知れないからね」

「そ……その事はもうっ、言わないでください……」


私を見つめる公爵の溶けるような眼差しは、いつの間にか熱をはらんだ雄の色香に変わっている。


(ディートフリート様こそ……何だか、ですよ?!)


「この両手はっ? 血が出てます!」


視線を逸らせて、必死になって話を続けた。


「これは……常軌を逸した遊戯ゲームのせいだ」

遊戯ゲーム? って、どう言うことですか?」


イレーヌ王女からは、ディートフリート様が真珠を集めているって、聞きましたけど……。


遊戯ゲームの決着はついた。全て……終わったんだ。大した怪我ではないが、今はこの包帯の所為せいで、リリアナにじかに触れられぬのがツラい」


「こうして互いの肌と肌が触れ合っているのにな?」

と、私の頬を撫でていた包帯の親指が、今度は耳元に掛かる髪を梳く。


「私も、正常な感覚を持つ男だ。そんなふうに柔らかい身体をずっと押しあてられていたら、自制もきかなくなる」


エメラルドの面差しが伏せられ、私の胸元に移る。

ぁっ。

驚きが声にならないまま、横になっていた公爵が半身を起こした。

そうなればもう、公爵の胸板にくっついたままでは、いられないわけで……。


急に起き上がった公爵の面輪おもわが、見上げるほど高くなる。

そうかと思えば一瞬のに天地がぐらりと反転し——気付けば床から伸びるたくましい二本の腕に組み敷かれていた。


「ぇ……あ、あのっ……?!」


胸を叩くどきどきが急激に早くなり、耳にまで届いてくる。

いつもは後頭部に撫で付けられている宵闇色の髪が、その形状を失い、湯上がりのような乱れ髪が無造作に顔に落ちていた。

それが鬱陶しいのか、包帯の方手で乱暴に髪を掻き上げ、その手を額の上で静止させる。


「ディートフリート、さま……っ? そんなふうに、じっと見られたら……はずかしい、です………」


全てを見られてしまった今では、無意味な抵抗かもしれないけれど。公爵の目線の下に無防備にさらされてしまう肢体が、途方もなく恥ずかしくて、組んだ両手を胸の上にぎゅっと押し当てた。


私を見下ろすエメラルドの瞳が煽情的に笑う。


「そんなに愛らしい仕草をして。誘っているのか?」

「ちっ、違います……! ディートフリート様こそ……急に、どうされたのですか……?!」


はがねの鼓動が胸を打ち続ける。

明かりの乏しい暗がりで見上げる公爵の裸体は異様に大きく、乱れた髪と相まって、赤い血が滲んだ包帯は、どこか平常ではない威圧をはらむようにも見えた。




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