第74話 髪飾り(2)



《続・髪飾り(1)》




「あなたまさか……わたくしの事を、だとでも?」


広げた扇子で口元を隠し、飴色のを細めて、王女はつぶやくように言う。


(こ、このままじゃ——そのうち本当に、イレーヌ様を怒らせてしまいそう!)




午後から降りはじめた雪はじわりじわりとその足音を強め、肩に落ちた結晶がすぐに溶けることはない。地面に落ちたものもそれは同じで、落ちるごとに重なり続ける。


先ほどから頬に刺す風も強まってきたようだ。

おろした長い髪を風にさらわれないように、後ろ髪を片手で押さえつける。


どうにか桟橋まで辿り着き、私が心底ほっとしたのも束の間。

立ち止まった王女の質問攻めは終わらない。


「ディートフリートが、わたくしとの婚約を破棄した理由を知っている?」

「いえ……存じ上げません」

「ディートフリートに聞かされていないの?」

「……はい」

「そう。あなた本当にのね。それじゃあ、王都に流れるわたくしのは——?」

「イレーヌ様のことはただ、お美しくて聡明で、女性の鏡のような御方だと」

「もしもあなたの言葉が本当なら……随分と世間知らずのお嬢さんだこと。だけどそこが可愛くて、ディートフリートはあなたのような忌み子をそばに置いているのかも知れないわね」


王女が、私の髪に光るものにをやる。


「その綺麗な髪飾りも、ディートフリートからの贈り物?」


この髪飾りをもらった時の公爵との遣り取りを思い出し、うなずく代わりに頬が熱くなる。顔が火照っているのがわかり、恥ずかしい!


「その顔を見ればわかるわ。。あなたはとても大切にしているのね」


髪飾りにそっと手を触れた私を見て、王女はくすっとほくそ笑んだ。


「ディートフリートはサプライズが好きでしょう? 好きな子への贈り物を、趣味みたいにしている男ですものね」


確かに……そうかも知れない。


モリスに来た理由がピアノの名器だった事もギリギリまで知らされなかったし、私のために髪飾りを四つも! こっそり購入していたほどだから。


イレーヌ王女を大切にしていた頃は、きっと彼女にも様々なサプライズや贈り物をしていたのだろう……そんなふうに思えば、自分でもいやになるような嫉妬心が首をもたげてくる。


「離宮でディートフリートが何をしているのか。あなたも知りたいでしょう?」


王女がすっと手のひらを差し出せば、黒い騎士が小さな麻袋を王女に手渡した。

その袋の中から、鈍く光る白い玉をじゃらりと取り出せば……それらは無残にも、王女の指先からバラバラとこぼれ落ちた。


「それは……何なのですか」

「死んでしまった私の『想い』よ? 彼はね、必死で拾っているのよ、私の『想い』を。あなたに手出しをさせないために」


あの白い玉が、王女の『想い』?

拾っている……?私に、手出しをさせないために……?


王女はいったい、何を言っているのだろう。


「ねぇ想像してみて?! ふふふふ……っ。ディートフリートはあの大きな身体で、小指の先ほどの小さな真珠の粒を拾い集めているのよ……滑稽だと思わない?」


「……真、珠」


あまりに常軌を逸した話に、それ以上の言葉が出てこない。

イレーヌ王女が今言ったことは本当だろうか。

公爵は離宮で、本当にあのを拾い集めていると言うのか……そんな馬鹿げた話、にわかには信じ難い。


だけどイレーヌ王女が言うことだ。

公爵はまさか、本当に———。


「あなたとディートフリートがどんな経緯で出逢ったのかは知らないけれど。残念だったわね」

「残、念、とは……?」


「ディートフリートは、たぶん。もうすぐ死ぬわよ」


唐突に告られた言葉に身が凍るような戦慄を覚えた。


「もしも彼があなたの婚約者だとしたら。とっとと破談にして、他を探した方が身のためね。わたくしのような想いをしなくても済むように。ああ……わたくしったら! ディートフリートが溺愛するこの令嬢に、なんて思いやりのある提案でしょう……!」


イレーヌ王女は満面の笑みを浮かべ、白磁の頬を紅潮させている。


「お……お言葉ですがイレーヌ様っ。私はディートフリート様と、ずっと一緒にいたいです。まだ正式に……婚約したわけではないですけど……そうなればいいなって思っています。それにディートフリート様がもうすぐ、そのっ……『死ぬ』って……」


王女の恐ろしい言葉にすっかり狼狽うろたえてしまった私は、王女の飴色のが豹変したことに気づいていなかった。


は!と息を吸ったのは、イレーヌ王女の手が唐突に目の前に迫ったからだ。

頬を打たれる!

とっさに両目をつむったけれど、その気配はない。

代わりに、頭部に何かが触れる感触があり、


「痛……っ!」


耳の上の髪が引っ張られるような痛みを覚え、閉じていた目を開けた。



それは「あ」と声をあげる間もないほどに突然で———。



王女の細い指先から放たれた小さな髪飾りが、きらめきながら白い雪の降る虚空を飛んだ。

とても大切なものが、雪帽子をかぶった草の上をいとも簡単に転がり落ちていくさまを、私はただ茫然と見つめていた。


「ふふっ、綺麗だこと」

「どうして……こんなひどいこと……っ」

「決まっているでしょう?楽しいからよ」

「こんな事をしてっ……いったいなにが楽しいのですか……」


「あなたがしゃくにさわるから。そんなふうに困ってる顔が見たかったから——とでも言うと思った? ふふふっ。だとすれば、単純ばかのおたんこなすね。わたくしは、もっと先のことを見越しているの。わたくしの取った行動が、あなたの少し先の未来をどう変えていくのかを考えているわけ。それにね……わたくしはこの容姿だから、可憐でかよわく見えるかもしれないけれど? とぉってもなの。ああもちろん、腕っぷしが太いっていう意味じゃないわよ? わかるわよね。力持ちからもちだから、できちゃうの。それでね、思いついたのだけれど」


怒涛のように紡がれる言葉は、その一つ一つが流れるように私の耳元をすり抜けていく。

最後の一言が、私の心を打ちのめした。


「わたくしに恥をかかせたあの不愉快なディートフリートを、もう一度戦地に送り出して、刺客でもってこっそり始末しちゃおうかなぁって」


——美しくもまるで幼子のように、無邪気なほほえみを浮かべていたものが、突然に顔色を豹変させるのを見た。


「だからっ!!はじめからそうしておけば良かったのよッッッッ!!お、お父様があの時、やりすぎだと、放っておけばすぐに死ぬからと、おっしゃったからっっ」


得体の知れない恐怖心にかられ——背筋に冷たい汗が滲みむのを感じていた。

怒号にまみれた烈火を背負い、恐ろしい形相をして……彼女は白銀の髪を揺らし、荒ぶる呼吸に細い肩を震わせている。


「いったい……どうすれば。ディートフリート様を、許してあげて……くださるのですか……?」

「は? 許すなんてそんな言葉、はじめから存在しないわよ」

「どうかもうこれ以上、ディートフリート様を苦しめないであげてください……お願いです……」


もう、じゅうぶん痛めつけた。

心を殺した、それも何度も。


これ以上、彼からうばおうと言うの。


「私っ、なんでもしますからっ……!」

「へぇぇ、おもしろいことを言うのね。あなた本気?」

「はい……もちろん、本気です」


「そうねぇ———」


子供のように無邪気にほほ笑む面差しの上の、美しい飴色あめいろの瞳がいびつに歪む。



「あなたが代わりに消えてくれる?」




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