第71話 *ディートフリート視点*




白い雪の上に、あかしずくが落ちた。

その染みをえぐるようにして雪の下を掘る。土壌が砂質で柔らかいのがせめてもの救いだ。


指示された場所に積み上げた真珠しんじゅは一塊の雪にも見える。

処々に紅い色と砂泥が混ざる乳白色の塊に、掘り出したばかりの一粒ひとつぶを乗せた。


強引に土を掻き出して何度か指を切ったが、手首から下はとうに触覚を失い、掘り始めた頃の痛みも冷たさも、今はもう感じない。

凍傷の懸念はあるものの、雪と土を掘るには好都合だ。


点々と視界に増えてゆく発掘跡を足元に眺める。狭い裏庭の一角、まだ触れていない場所があるはずだ。


あといくつ掘り当てればこの屈辱から解放されるのだろうか。

踏みつけたばかりの白椿の花弁が萎えている。この花弁を数えれば数は把握できるが……。


「どうせまたイレーヌ様の気まぐれな暇つぶしだろう?くっだらねぇ」

「全部で八十三個だってよ」

「埋めた奴らがを上げるほどの数だぜ?」

「それを素手で掘り返してるはアホか、指が潰れるっての」

「全部本物の真珠なんだぜ……!あの山の中から何個か取ったってバレねぇよな?!」

「お前もアホか。イレーヌ様に知れたらそれどころじゃねぇ、真珠ごとミンチにされて今夜の犬の餌だ」

「その前にあの男に食ってかかられる」

「アイツ、なんか強そうだしな……」

「クソッ、足もと寒いっつーの」

「そもそもアイツぁ誰なんだ?!」

「奴の馬は見かけたがどっから来たのかは知らん、どうでもいい。俺らには関係ねぇだろう!」


私の動向を見張る下兵らの気怠げな罵声は止むことがない。


私とて、くだらん事だと理解わかっている。

だが———。


『今わたくしに、馬鹿げていると言ったこと。後悔するわよ、ディートフリート。あなたの次に馬車を降りたあの令嬢は誰かしら……新しい家族にでもするつもり?貴方にとって特別だから、両親を失ってから一度も寄りつかなかったモリスにまで連れて来たのでしょう。貴方が見初めたあの令嬢、いったいどんな子なの?一度会って話がしたいわ』


くだらんと言い捨てて新たな火種を生み、私怨の転嫁でリリアナをイレーヌの毒牙にかけるわけにはいかない。



身勝手で我儘だが、私に対してはひどく献身的だったイレーヌをかつて愛そうとした事もあった。


だが彼女の性癖は、《嗜好殺人》———。


揚々と笑うイレーヌの、瞳の奥にたぎるのは殺意、それも悪意のないだ。

イレーヌ自身は手を汚さずに家臣を使い、息を吸うように易々やすやすと人を殺める。


当時、ある貴族令嬢が何者かに拉致された上、王城にほど近い林の中で遺体で見つかった。

殺された令嬢は既に両親を亡くしていて、幼くして爵位を継いだ彼女の後ろ盾となり親代わりを務めていたのが、私の叔父リュシアン・ランカスターだ——実の父娘のように愛し、互いに支え合っていた令嬢を失い、生ける屍のようになったリュシアンを、父は自分の参謀役として城に迎え入れた。


父の右腕となったのちもリュシアンは事件について調べ続けた。

イレーヌの関与を疑うリュシアンに、イレーヌ自身が嬉々として戦慄の自白をする——令嬢を殺めたのは自分だ、ただ殺害計画を楽しみたかった、悪気はなかったのだと。

令嬢の他にもイレーヌの周辺には不審死が相次いでいた。だがいずれも確たる証拠は無く、国王があらゆるものの隠蔽に尽力していたのは否めない。


——私はイレーヌを糾弾し、彼女との婚約を強引に取り下げた。

それが引き金となり、戦場のウルフ公爵としてその後の人生の大半を過ごす事になる。



そもそも隣国セルビア国王妃の椅子に陳座しているはずのイレーヌが、モリスの離宮に籠っているというのは全くの想定外だった。

あらかじめ知ってさえいれば、リリアナをモリスに連れ出すなど考えもしなかったはずだ。


ヘーゲルリンデから王都に引き返さなかったのは、僅かな油断と……何より、リリアナにサムエドの名器を弾かせてやりたいという願望が、警戒心に勝ってしまったのだ。


『貴方に会うことなんてもう二度と無いと思っていたわ。

それが桟橋の向こうにランカスター家の馬車がやってきて、使用人たちが出入りを始めたものだから……


ディートフリート、貴方が来るって確信をしたの。


わたくしの手紙は見てくださった?

今朝届けさせた二通目は?

そうよね、あれを見たのだから貴方がここにいるのよね。


——隣にいる女性は誰なの。


たったこれだけで、離宮に馬を走らせて飛んで来るのだもの。

あの令嬢をわたくしから守ろうとする、貴方のったら!大したものね。


ふふっ、心配は不要よ?

死にぞこないの男への恋情なんか、もうとっくの昔に消え失せたわ。


そうよ、だから。

貴方が誰と結婚しようがどうだってよいの。


ただ、貴方に差しあげたわたくしの『大切なもの』——わたくしの『想い』は返してもらう。


使用人たちが送葬のためのネックレスをほどいて、真珠を離宮の裏庭に埋めたの。

八十三粒、貴方に出した手紙の数と同じだけの、死んでしまったわたくしの『想い』が雪の下に埋葬されている。


それらを一粒残さず掘り当てて、わたくしに返して頂戴。

そうすれば離宮の外に出してあげるわ。


宝さがしのようなものよ、簡単でしょう?


わたくしはとっても優しいから、見つけやすいように目印をつけておいてあげたのよ?

真珠はランカスター家の象徴、白椿の花弁の下に埋まっている。


この雪が吹雪に変わる前に全部見つかれば良いけれど。

まぁせいぜい、その綺麗な指先が氷漬けにならないよう気をつけるのね。


貴方はわたくしがだとわかってる。

逃げることが無意味だとも。

どこにいたって、貴方や、貴方の大切なものの命を奪うことなど容易たやすいの』



ディートフリート……貴方は《私の本質》を知っている。



落下する雪が灰色の空に溶け込んだ。

見上げれば無防備な顔面の上に冷たい結晶が落ち、わずかに残った熱を奪う。


「……リリアナ、君は何も知らなくていい」


陽光のように明るくかがやき、純粋な美しい心のままでいて欲しい。

残酷でみにくく歪んだものになど、一瞬たりとも触れずに済むように。


もしも私がこのまま帰らなくとも、後のことはリュシアンに一任してある。


長時間、雪空の下に居続けた身体は冷え切り、呼吸は浅くなる。

両手の指先は紅く血に染まり、拳をどうにか開くのがやっとだ。


やはりもう、戻れないのか……?


雪の地表にひざまづく。

感覚を失った拳を薄く積もった雪の上に押し当てれば、紅い染みが白い雪に滲んでゆく。


思いがけず、笑みがこぼれた。


君を手放せぬのは『星月夜ほしづきよ』の奏者だからじゃない。

いつものように、そんなのは嘘だと笑うかもしれぬが。

自分でもあきれるほど……リリアナ……私は、君が大事だ。


『ディートフリート様っ……早く帰ってきてください……!』


次第に強まる風、今にも千切れそうな耳にリリアナの声が届く。

何も知らせていないのだ、時間を過ぎても戻らぬ私の身を案じているだろう。


頬を染めて私を見上げる、あの愛らしい瞳を泣かせたくはない。


必ず演奏を聴きに行くと約束をした。

たとえ指を失おうと残り全てを探しあて、この馬鹿げた遊びを終わらせる———。






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