第58話 雪降る夜は



——ぼうっとしていた。

そうだ、扉を開けなきゃ!


真鍮製のドアノブを手にすればヒヤリと冷たく、火照ってぼやけていた意識が輪郭を取り戻す。


扉の向こうに公爵がいる。私が部屋の扉を開けるのを待っている。早くしなきゃいけないのに……最後までためらってしまう。


「今、開けますから」


意を決して「ふぅ」と一息つけば、力を込めてノブを押した。


ガチャリ……鈍い音を立てて開いた扉の向こう側には、バスローブでもなければナイトガウンでもなく、晩餐の礼服のままの公爵が立っていて——伏せていた睫毛を、ゆっくりと持ち上げた。



———まだ着替えていない!?



ということは、湯浴みもまだですよね、眠る準備をしていたのではありませんね、やっぱりティータイムでしたか、それとも手作りのお菓子ですか、それとも、それとも——◯△◇×××!!


「あ、あのっっ、違うんです、この格好は……っっっ」

「……ン?」


公爵の両目から矢印が出て、私の夜着の開け透けな胸元に注がれた。


「 ぁ…っ 」


気付けば、扉を開けたことでまた羽織りのがはだけている!

慌てて両手で掻き抱き、無意識に寄せてしまったせいで胸の谷間が倍増した。


「…」


矢印が出たまま片手のこぶしを口元にあて、公爵が言葉を失っている。無言のまま、翼のような睫毛が一度だけまばたきをした。


「あの……ディートフリート様……?」


もしかして、また、照れている??

何だろう——この母性をくすぐられるような感覚は。


公爵は口元から静かにこぶしを下ろし、今度は直立してしまった。まるでを見てしまった少年のよう!



か、…………かわいぃのですけどっっ。



直立を解いた公爵は目を泳がせ、少し慌てたふうに礼服の上着を脱いだ。


「その……格好では、寒いだろう」


そして私の薄着の背中にそっと羽織らせてくれる。

公爵の上着の小高い襟は、私の両頬を耳の高さまですっぽりと包んでしまうのだった。


「ちょっと重いかも知れないが」


はい……重いですし、私には大きすぎます。

でも上着に残った公爵の体温が、薄い羽織りを通して背中いっぱいに伝わって、あたたかい……。

それに普段から公爵がまとっている香水?の、爽やかないい匂い。


心地良いあたたかさと、公爵の香りの威力に恍惚こうこつとしていると、



「では、行こうか」


——へ?行こうかって、いったい何処に??

私のお部屋で過ごすのではないのですか。



「君に見せたいものがあるんだ。夜が更けてしまったから明日にしようかとも思ったが、早く見せたいと気持ちがせいてしまってね。このままでは眠れそうにないから、少し付き合ってもらえる?」


「 ぇ? ぁ、……はい。私は……かまいませんが」


公爵の手がスッと差し出される。

んん?

戸惑っていると、大きな手のひらが私の手を取り、指先ごと包み込んだ。


「あ、いや……その、ッ。灯りが無くて暗いんだ。手を繋いで歩けば、互いに安心だろう?」


——暗い廊下を歩くのを、私が怖がると思って?


顔を覗きこむと、言ったそばから頬を紅くして、照れ隠しなのかそっぽを向いている。


そんな公爵は……やっぱり、かわいぃです。


男性を可愛いだなんて変かも知れないけれど、大きな身体いっぱいに照れている姿にキュンときてしまうのは、母性本能、それともギャップ萌え?


「お気遣い、とっても嬉しいです……ディートフリート様」


自然と頬が緩んで……見上げれば私と同じように頬を緩ませた公爵の、優しく揺れるエメラルドの瞳と目が合った。

何だかひどく切なくなって、公爵の手のひらにきゅっと力を込めれば、返事をするように公爵も指先を握り返してくれる。



あぁ……好き。

大好き。



しっかりと手を繋いで歩きながら、上着の襟元にもう片方の手で触れてみる。公爵のものだと思えば、この上着さえも愛おしい。


「私に見せたいものって……何ですか?」

「さて、何でしょう。楽しみにしてて」


どこに向かっているのかわからないけれど、背中から、指先から……公爵の体温が伝わって、私の胸が甘やかな鼓動を打ち始める。



私たちは今、一緒に頬を染めているだろう。



しんと静まる宵闇の廊下には、ふたりぶんの靴音しか聞こえない。雪降る夜はとても静かだ。

繋がれた手を恥じらいながら——激しく胸を叩きはじめた鼓動が公爵に聞こえやしないかと、気が気ではないのだった。






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