第56話 その先に起こること(1)




『モリスの別荘』という名の『古城』は、ランカスター公爵家の財力と栄耀を彷彿とさせるもので、別荘と呼ぶにはあまりにも豪奢な佇まいを醸している。


近隣の従者が管理していると聞いているけれど、雪帽子をかぶった白椿が爛々と咲き誇る庭園はもちろん、城内の隅々に至るまで手入れが行き届いていた。


「——あとどのくらいかかる?」


「凍結の所為せいで街道が塞がれ、我等の到着が遅れましたことをお詫びいたします。今朝から性急に作業を進めておりますが、何しろここ数年、完全に放置されておりましたので」

「事情は致し方ないが、出来るだけ急いでくれ」


は古城内の一角に堂々たる風格を示し、存在していた。

晩餐の席を立った公爵が向かったその場所を、私はまだ知らない。



「ねぇユリス、ディートフリート様のお部屋って……」


大理石を敷き詰めた廊下や部屋の隅々まで塵ひとつ落ちておらず、糊の効いたベッドシーツだって皺のひとつも見当たらない。

公爵が訪問を決めた時点で、私たちよりも先に使用人たち数名が送られたというので、彼らが部屋を快適に過ごせるように整えてくれたのだろう。


「お隣ですけれど?」


私の問いかけにユリスが即答した。


「……そう、よね」


公爵のお部屋は、別荘ここでもお隣。

私が支度を終えるまで部屋の前で待つ、なんてことができるのも、部屋が隣り合わせだからと納得する。


「私が先ほど通りがかったときは、旦那様はお部屋にいらっしゃいませんでした。明かりも消えていましたし」


だとすれば、公爵が言った『準備』というのがなんなのか、ますますわからなくなってしまう。

私と同じように着替えたり、湯浴みをしたり……てっきりをしてるものと思っていたから。


「実はね……ユリス」


自室で着替えや湯浴みをするあいだ、いつ公爵が部屋を訪ねてくるかと思えば気が気でなかった。

はっきりと時間を聞いたわけではないので、ただ漠然と待つより他はない。


「……絹のようにたっぷりと艶やかで。本当に綺麗な御髪おぐしですね」


腰まである私の髪をかし、後頭部に結わえながら、ユリスはうっとりした表情かおをする。

単に私を気遣ったお世辞だろうと思ったけれど、ランカスター家に入ってからはユリスの勧めで素肌や髪の手入れをきちんとするようになり、以前は乾燥しきっていた髪の状態が少しずつ良くなっているのは確かだ。


「ディートフリート様が……済ませたら、私の部屋を訪ねるとおっしゃったの」


晩餐での公爵の言動をそれとなく説明すれば、おそろしくテンションを上げたユリスが疾風さながら衣装部屋に駆け込んだ。

クローゼットの引き出しを開ける音がして、何やらゴソゴソしていると思ったら。


「リリアナ様……とうとうが来ましたねっ。ユリスの『お泊まりセット』です。用意しておいて正解でした!」

「お、お泊まりセット?……別荘に泊まるための支度なら、私も持ってきているのよ、ユリス」


足元に置いてある布製の袋には、大切なものを惜しげなく詰め込んできた。膝の上に抱え上げて、中身をひとつひとつ取り出して披露して見せる。


「木蓮の花の香りの石鹸に、歯ブラシ、お気に入りのフェイスタオル。それから柘植つげの櫛でしょう……見て、これも持って来たの」


最近、とても大切にしている——『オオカミ』の編みぐるみ!

編み物を趣味にしているメイドに教わりながら苦心の末に作り上げたもので、犬のような顔をしたそれはちゃんと白い服を着ていて、柔らかな毛糸が頭の周辺いっぱいに縫い付けてある。

私の手のひらにすっぽり馴染んでいるけれど、ひどく不恰好で……だけどそこがとても愛らしいのだ。


「リリアナ様……。それは『お泊まりセット』ですね?」


編みぐるみを愛おしげに見つめる私の目の前に、ぱさりと置かれたもの——。



(続ー2)

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