第55話 戸惑います!




晩餐の時間が刻々と近付いている。

あまり気乗りがしないのだけど……。

悶々とした気持ちのまま、扉を開けて廊下に出た。歩き出そうとしたところを、


「リリアナ様」


囁かれるように呼ばれ、ユリスを見れば目をパチクリさせて私の背後を遠慮がちに指差している。


「 ぇ? 何、どうした……の……っ」


振り返れば、なんと。

晩餐のための礼装を決め込んだ公爵が、目を閉じて腕を組み、壁にもたれかかっていて——これはまさかの、?!


ダイニングルームまで介添えをしてくれるはずのユリスは、私たちふたりの邪魔をしないようにと配慮したのか、さっと会釈をし、絶句する私を置いて煙みたいに消え去ってしまった。


カタン、と扉を閉めても、


「……………」


公爵は睫毛を伏せてうなだれたまま、ピクリとも動かない。



(眠って、いる……???)



無防備なその寝顔に少しだけ緊張を緩めた私は、起こすことも忘れてまじまじと眺めてしまう。


今夜、長身の公爵が身を包むのは——私の衣装と揃いの絹仕立ての生地に、銀糸で縁取りのラインが入ったロングジャケット。

胸元の控えめなジャボを、瞳と同じエメラルドのピンブローチで刺し止めて。シンプルながら洗練された着こなしはいつも通りだけれど……違っているのは、これまでのようにお顔に伸びた前髪とお髭が無いことだ。


それにしても、この造形美。

まぶたを閉じていても、まるで彫刻のように整った面立ちをしている。

顔全体の半分以上を隠していた宵闇色の前髪は、今はそのほとんどが後頭部に向かって撫でつけられているけれど、一部分が、意図してかそうでないのか額に落ちていて——そんなきちんとしすぎないさまが、彼が時々見せるなまめかしさを引き立てている。


(頭から足元まで、すっかり王子様ですね)


変貌を遂げた公爵を見て、惨めな自分とは生きる世界が違うと思ったのは今朝のこと。なのに、今となれば——。


公爵の寝顔をそうっと眺めていれば、切なさが込み上げてくる。『婚約者』という言葉が胸をいっぱいにする。


(あなたを前にすれば、私はこんなふうに戸惑ってしまう。きっと、この先も、ずっと。)


「ふぅ……」


無意識に小さなため息がこぼれ出て、公爵のすぐ隣の壁に背中をつけた。

こんなところで意味もなく、ふたりで並んで。人が見たら、きっと奇妙だと思うだろう。

けれど眠っている公爵の隣にこうしていられることが、なぜだかとても幸せに思えて……どうか起きないで欲しい、もう少しだけ、この時間が続いて欲しいと心根こころねから願ってしまう。


——ぽふっ。


頭に重みを感じてハッと顔を上げれば、私を覗き込むエメラルドの瞳が唐突に近づいた。


「そばにいるのに、なぜ声をかけなかった?」


この瞳のきらめきに、何度でも吸い込まれそうになる。目が合えば言葉を失ってしまう。


「 ぁっ…… よく、眠っていらっしゃったので」

「人の気配にも気付かないとは。私も随分となまくれたものだ。こんなことでは、いざという時に君を守ってやれないな?」


ぽふ、ぽふ。

頭に乗せられたままの手のひらで、二度軽くたたかれた。


(び、びっくりしました……!あなたが、急に目を覚ますからっっ)


行こうか。

呟いた公爵が、ごく自然な所作で腰元に手を添えてくる。

公爵の言葉が、私を見つめる優しい表情が、触れられる手のひらが、いちいち私を腑抜けにしてしまう。


高鳴る鼓動を悟られないように、ぎゅっと身を固くして唇を噛みしめた。

そんな私の様子に気付いた公爵が、窺い知れない表情を浮かべた事も知らないで。



「……そんなに、『へん』でしょうか……」


食事の席では、やっぱりじっと見られてしまう——顔立ちが地味な私には、華やかすぎるこの髪型を!


——ああ、もう、恥ずかしい。

早くお部屋に帰りたい。なんだろう?胸の奥を刺すようなこのは。


前にも似たような気持ちになったことがあった。

公爵の前で、初めて髪を下ろした時だ。

そしてそれを——された時だ。


「ヘンって、何が?」


なにが、『何が?』よっっ。

変だと思って、そうやって私をじっと見るのでしょう?見返せば気まずそうに目を逸らせて……。そういうの、いくら鈍感な私だって、気付くんです。


「リリアナ。——苦手なら残していいよ」


公爵は片手を上げ、壁際に控えていた給仕を呼んで指示を出している。


「何か別のものを」


そうか。

メイン料理に手をつけていない私を気遣ってくれたのね。


(誤魔化そうとしたって、無駄ですから……っ)


「ディートフリート様、平気です。ぼうっとしていてごめんなさい……鹿のお肉、ちゃんといただきます……」


デザートを終える頃、数杯目のワイングラスを空にした公爵が、テーブルに片肘をつき、熱っぽい目を私に差し向けた。

今夜はいつもよりもお酒をたくさん召し上がったようですが——少し、酔っていますか?


「このあと着替えたら、私の部屋においで。私が君の部屋に行っても良いが……どうする、どうしたい?」


口に含んだチェリーを種ごとゴクリと飲み込んでしまった。公爵の口元から放たれた言葉に衝撃を受けたのだ。



どうするもなにも。



——婚約者扱いになってから……公爵がなんですけどっっ!?



「……ウン?」

「……へ??」



このとき私は、途方もなく間抜けな顔をしていたはずだ。


「先に退席するが、君はゆっくり食事を済ませるといい。部屋に行くから、待っていて」


ナプキンをテーブルの上に置き、公爵が立ち上がる。

通りがかりに長い指先が私の頬をかすめていった。


びくんと肩が跳ねる———い、今のはなんですか!?

きゅんが、止まらないのですけど!


公爵が

眠る前に……何かの相談?!自分で淹れたハーブティー?それとも手作りの琥珀菓子?◯△◇××……!


いやいやいや。

挑発的な(?)あの表情からしても、今までの訪問とは毛色が違う気がする。


それに、準備を終えたらって……。

いったいなんの準備?!



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