第53話 夢でもいい



「どうして…——簡単に腕を組ませたり、そうやって思わせぶりな事をおっしゃったりするのですか。そんな事を、されたらっ……みんな戸惑います。それとも……そういう気持ちになるのをわかっていて、わざとそんなふうになさるのですか」


女性に……?女性は?


いいえ、違う。

一般的な話をしているんじゃない……戸惑っているのは、だ。


恋のフラグなんて立てちゃいけない。

『好き』になっちゃいけない。

自分の気持ちに、必死で蓋をしようって、頑張っているのに。



だと……言ってください」



公爵がどんな表情をしているのか見たくなかった。だから顔を逸らせてうつむいた。

ひどく戸惑っている自分の顔だって見られたくない。ここが馬車の中じゃなければ、今すぐ逃げ出して部屋に閉じこもってしまいたい。



だって——…あなたが、私を『正式に妻に迎える』なんて、おっしゃるから!



「……リリアナ?」


「はっきりそう言ってくださらないと……気持ちが辛いです」

「なぜだ……?私は何か、君の気に触ることを言っただろうか?」


「言いました」


「君の父親をと言った事か?」

「ちがいます」


「ならば——」


公爵は言葉を詰まらせる。


「君を正式に、妻に迎えると言った事か?」

「………っ」


「はい」と答える代わりに小さくうなづいた。



「こっちを向いて」



公爵の両手が私の肩をつかみ、そのまま向かい合わせるようになった。でも私は、まだ顔を上げることができない。


「私は君に、思わせぶりな態度を取った覚えはないし、冗談を言ったつもりもない。私はケグルルットを。そして君を……」


両肩に置かれた公爵の手に力がこもった。

思わず顔を上げると、今度は公爵が顔を逸らせ、睫毛を伏せている。


肩に置かれた力がフッと緩んで、解放された。


「……あ、の……」


そっと声をかければ、


「君の気持ちも聞かずに、妻にするなどと、一方的な事を言ってすまなかったね。君に拒絶される事を想定していなかった自分が恥ずかしいよ」


私を見つめ直したエメラルドの瞳が、ひどく心もとなく揺れている。


「拒絶だなんて……ちがいますっ!だって、私……」



——あなたが好きだもの。


『妻』だなんて言葉の破壊力に、心が潰れてしまいそうなんです。



「私……をっ。ケグルルット伯爵の人質として利用すると、ディートフリート様はおっしゃいましたから……先程の言葉に、ただ戸惑っているのです」


「リリアナ。これだけは知っていて欲しい。エレノアの代わりに君がやって来たのは想定外だった。戸惑いもした。どう扱えばいいのかわからずに、君を人質にするなど傲慢だったと……反省している」


ガタンッ。


馬車が強く揺れた。瞬時に公爵の手が伸びてきて、私の腕を支えてくれる。


「大丈夫か?」

「……あ、りがとう、ございます」



——私を人質にすると言った事を、反省している……?



「私は君を人質だと言った。だが君は初めから、じゃなかった。ランカスター家の陰鬱に差し込んだ一筋の『陽光』——それが、君なんだ。暗い城の中で、皆んなが君を追っていた。失われてしまったランカスター家の『陽光』を、皆がずっと求め続けていたんだ」


「陽、光……?そんな……。私は……そんなものではありません。だって、私と一緒にいれば皆んなが不幸になるって……お父様が……お母様が亡くなったのも、私のせいだと……ピアノの先生が亡くなったのも、私に優しくしたからだと……っ」


リリアナ、私を見て。


朦朧もうろうとする遠い記憶のなかで、公爵の声がする。

大好きな——低くて艶のある声が、私を呼び戻す。

はっと顔を上げれば、今度は途方もなく優しい眼差しに見下ろされていた。


「君といると……幸せなんだ。君が、愛おしいんだ。そばにいたいし、もっと触れたいとも思う。大切にしたいと思う。人を不幸にするなどと根拠のない鬱屈は、今この場で私が払拭してやる。君は私に、君を想う幸せをくれたんだ」


私は、両手を伸ばす。


「ディートフリートさま……これは夢なんですね……?私はまた、あなたの肩で眠ってしまって……とても幸せで、素敵な夢を、見ているのではないですか……」


そのまま、伸ばした手ひらで公爵の頬に触れた。


「だって……そんな風に言ってもらえるなんて。夢の中以外、考えられないでしょう?」


私の手の甲に、公爵の手のひらが重なる。


「リリアナ」


片手が引き寄せられたのと、馬車が再び大きく揺れたのと、ほぼ同時だった。「あっ」と声を上げれば、後頭部が大きな手のひらに包まれて——私は身体ごと、公爵の腕の中にいた。


「夢でもいい。こうして君を抱けるなら」



——ああ、キュンと胸が痛むって……痛すぎますっっ。


心がぎゅーっと鷲掴みにされているみたい。

このまま心臓が止まって天国に召されても……神様を恨んだりしません!



「申し出を、受けてくれないか」



身体が解放されれば、すぐ近くに公爵のきれいなお顔があって。

茹でだこみたいな私を見て、ふっと頬を緩ませる。


「我、ディートフリート・ランカスターは、リリアナ・ケグルルットを花嫁に所望する」


「 ぇ…… ? 」

「結婚しよう」







———こく、こく、こく。


この時は驚きすぎて、あっさりうなづいて(三回も!)しまいました。

やっと公爵を『好き』だと気付いたばかりの、まだまだ無垢むくな私の恋心。


婚約するって……結婚するって。


『身も心もあなたに捧げます』って言う契約みたいなもの。

初心な私を惑わせる、ディートフリート様。


ドキドキしっぱなしの心臓が——いつでも非常事態です!




(続・モリス編)


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