第52話 指先が…熱を帯びて
「——ああ。また会えるよ」
小さく呟いて、公爵は再び書類を眺めはじめた。
(何が書いてあるのかな———— 。)
相変わらず私と公爵の肩と腕とが重なっている。
公爵の手元を覗いてみれば、…… んっ、んん??小さい文字がビッシリでよく見えない!
どうにか覗こうとする私に気が付いて、
「……ン、これか?」
と、持っていた書類の束を差し出した。
「えっと、……。お仕事の邪魔ですよね、すみませんっ」
「興味があるなら見ていいよ」
「……では、ちょと、だけ」
受け取ったものを
ほとんどがタイプライターで打ち込まれたものだけれど、所々に散らばっている手書きの文字は、公爵が書き込んだもの?
知らない土地の名前が連なっていたり、文字がビッシリ詰まっていたり。
「『お仕事』って……ちっとも面白くなさそうですね」
思わず呟くと、フッとまた笑われてしまった。
お仕事ですもの、面白くなくて当然でした……。
「あの、ディートフリート様。ずっとお聞きしてみたかったのですが」
書類を戻された公爵が私を見遣れば、やっぱりお顔が近いっっ。
「こ、公爵様って、普段何をされているのですか?!その書類も、お仕事なんですよね……?」
気恥ずかしさを隠そうとした、苦しまぎれの質問。
「知りたいか?」
「はいっ!」
「何もしていない」
——…へ?!
「と、言えば少し違うかもしれないな。正確には、私は指示を出すのみで、実際に動くのは別の人間。公爵家は代々受け継ぐ土地を貸して権利収入を得たり、企業家に資本投資をしたりと、そんなところだ」
「へぇぇ……」
「ノブレス・オブリージュと言う言葉を聞いたことがあるだろう?地位のある者は同時にその責任と義務を伴うと言う意味だ。我がランカスター家は、昔から慈善事業にも力を注いでいる」
——例えば、と、公爵は窓の外を指差した。
「あの橋脚も一族が建てたものだ。他にもランカスター家の領地には、公爵家の資産で造られた多くの橋や水車などが点在している」
なるほど!
ヘーゲルリンデの人たちが公爵にお礼を伝えていたのは、そのせいなのね。
「……土地売買取引で他者と競合し、潰し合うこともある」
リリアナ。
不意に名前を呼ばれて顔を上げれば、先ほどまでとは違う強い眼差しで、公爵が私を見つめている。
「君は、父親が好きか?」
唐突な質問に戸惑ってしまう。
この場で、どうしてそんな事を聞くのだろう?!
「私、は……お父様、を……」
お父様——と、呼ぶのも憚られる——あの人は父親と呼ぶべき人じゃない。
身体中の
「お父様を、ケグルルット伯爵を『好きだ』と思った記憶は、もうずっと昔にどこか遠くへ飛んで行ってしまいました」
「……そうか。ならば潰してもかまわないな?」
公爵は書類をつかむ指先に力を込めた。白い紙の束が容赦なく歪み、破れるかと思うほどに。
——潰すって。
サラリと言いましたけれど、本気、ですか——?
公爵が、ケグルルット伯爵との間に何らかの強い確執を抱えているのは知っている。先代のランカスター公爵様は、あれほど仲が良かったのに。
(いったい、何があったのですか。)
聞いてみたいけれど、『ケグルルットの人質』の立場の私が深く関わってはいけないような気がした。
「君の気持ちが知りたかった。あんな男でも、君の父親だ。私が『どうにかする』ことで、君に嫌われては困るからな」
なんて、
……やっぱり冗談ですよね?
嫌うも、嫌わないもっ。
どんな言葉を返すべきか悩む私の膝の上に、筋張った男性らしい手が伸びてきて——私の左手をとても大切そうに持ち上げて、指先にスッと口付けた。
「 ………… !?」
「その時が来たら。正式に君を妻に迎えると、ケグルルットに伝えるつもりだ」
じょ、
冗談が、過ぎます———っっ!!
「ちょ、ちょっと、待ってください」
公爵の唇が触れた指先が、熱を帯びて……。
慌てて左手を引っ込め、椅子の端っこにのけぞった。
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