第51話 また会える





シモンおじいさまが扉を開ければ、後ろに二人の護衛をつけた公爵が立っていた。お屋敷の前に馬車を付けて、私を迎えに来てくれたのだ。


「リリアナは?」


暖炉の前でうたた寝している私を、ノアおばあさまがそっと起こしてくれる……公爵様ですよ、と。


「ぐあっ!」


変な夢——公爵とイレーヌ王女が口付け寸前——を見ていたせいで、可笑しな声が出てしまった。


頭をブンブン。

悪夢の残像を両手で払いのけながら、寝ぼけまなこで戸口に向かえば、居合わせた全員の大注目を浴びていて、焦りと恥ずかしさが込み上げる。

プッ、と吹き出す公爵、ああ。


私の『変な女度』、今ので確実に上がりましたよね……?!


馬車を背にした公爵の隣に立つのも……恥ずかしいっ。

肩をすぼめて小さくなっている私に、ノアおばあさまが背中をさすりながら笑顔をくれる——気にしないで、と言ってくれているみたいに。


「シモン、ノア。あなた方二人には、両親の生前、随分世話になりました。一度お礼をと思っていましたから、今日はお会い出来て良かった」


胸に拳をあてて、公爵がご夫婦に頭を下げる。

これは最上級の敬礼だ。


“人生の先輩方“にきちんと敬意を示して偉ぶらない。

こういうところ、公爵は素敵だと思う。誰にでも偉そうで、とにかく身分をひけらかそうとするお父様とは正反対な人だ。


「リリアナ様」


心を込めてお礼を言い、馬車に乗ろうとする私をシモンおじいさまが引き留めた。


「一つ、あなたにお伝えしたい事がございます。リリアナ様は路上を歩きながら、人の目をとても気にしておられた。それはあなたが俗に言う『忌み子』であるからでしょう」


私は絶句してしまう。

シモンおじいさまは忌み子を知らないわけじゃなかった。知っていたのなら、なぜ私に、優しくしてくださったのですか——…。


「シモン?」と、公爵も眉をひそめて彼を見ている。



——『突然の変異』は、いにしえの頃より様々なたぐいが存在します。鉄錆色の髪色と瞳を持つ者もその類の一つだが、残念ながら好まれるものではなかった。そしてそれはしばし、心無い者によって『忌み子』と呼ばれたのです。


『赤錆色の髪と瞳を持つ忌み子は不幸を呼び込む』


この文言は間違っています。

俗世で余りに長い時を経る間に、徐々に間違った文言に変わってしまったのでしょう。


それに元はといえば——人々の思いやりが生んだ言葉なのです。


変異を持つ者が嫌悪されないように、守られるようにと願いながら生まれた文言が、逆に人々の嫌悪を呼ぶものに変わっしまうなど……皮肉なものじゃね。


『鉄錆び色の髪と瞳を持つ者を不幸な忌み子と呼ぶなかれ』


——これが、正しいのです。



『非常識な母親。忌み子を連れてよく外に出られたものね?!』


お母様、ごめんなさい。

私のせいで。


ずっとずっと、悔やんでいた。

私が外に出たいって言ったから。

お母様が、人に悪くいわれた。


私のせいで。



「シモンおじいさま、ノアおばあさま。この町の人たちは、あなた方お二人が長い年月をかけてそう伝えて下さってきたから、皆がただしい言葉を知っているのですね。だから私にも、笑顔で優しく接してくださるのですね……」


身体が、口元を覆う指先が、震えてしまう。

ああ——。

泣いちゃダメだ。


「まあまあ。やはり辛い想いをなさってきたのね。大丈夫ですょ……」


ノアおばあさまはそう言って、抱きしめた私の背中を、何度も、何度も、優しくさすってくれた。







「帰りもこの町に寄るのですか?」

「いや、別のルートだ。山道を一気に下る」


ヘーゲルリンデには、結局三時間ほどの滞在となった。

けれど私にとって(たぶん公爵にとっても)、その僅かな時間は人生のなかで、かけがえのないものになるはずだ。


は?」


再びモリスに向かい始めた馬車の中で、公爵が私の膝の上に目をやった——私を心の底から温めてくれている、藤色のブランケット。


——本当に古いものですが、どうかおそばに。リリアナ様に、持っていていただきたいのです。そしてこれを見て、ヘーゲルリンデの美しい町を……私たちふたりの老人のことを、思い出して。


「ノアおばあさまにいただいたのです。私の、お守りです」


馬車の背を見送るシモンおじいさまとノアおばあさまの姿を思い出す。

二人とも、初めてお会いした時と同じ優しい笑顔で……いつまでも、私たちに手を振ってくださっていた。


「お優しいご夫婦でしたねっ。いつか……またお会いしたいです」


藤色のブランケットに頬を寄せれば、ほのかに焚き火のにおいがする。

柔らかなその温もりは、ノアおばあさまの優しさのよう。


公爵は憂いを帯びた眼差しを伏せる。

その憂いを、私に気付かれないように———窓の外を眺めながら。



心臓の病が悪くてね。

医者の様子を見れば、ノアは、もう長く持たないでしょう。

僅かに残った命の灯火が消えるまでに、お二人に会えたことを、それはもぅ……喜んでおりましたさ。



のどかな景色を縁取る窓の外は陽が落ち始めて、雪原の白い雪が燃えるように朱い。


「——ああ。また会えるよ」


小さく呟いて、公爵は再び書類を眺めはじめた。


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