第45話 冗談だと思いたいですが
「私……っ」
母が幼い私を連れて街に出れば、道往く人々の嫌悪の眼差しが母と私とに向けられた。疫病持ちでも見るような棘のある視線、囁かれる心無い言葉。
あの頃の私はその
「ここで待っています」
私は笑顔を作る、湧き上がる寂しさを仕舞い込んで。
「また余計な心配をしているのなら……」そんな公爵の気遣いを遮ってしまう。
「お、お店で食事を摂るなんて、小さい頃以来で経験がないんです。マナーの自信もありませんし、変な失敗をすればディートフリート様に恥をかかせてしまいます。気にしないでください、留守番なら慣れているんです。それにお腹もぜんぜんすいていませんし!」
お願い……っ。私のお腹、今は鳴らないで。
本当は知らない町の風情だって見てみたい。だけど……。
「それは本心か?何度も言うが、私への迷惑などとつまらない事は気にするな。ほら、行こう」
扉を開けて外に出るよう促すので、私はいよいよ困ってしまう。
「あなたに私の母と同じ想いをさせたくないんです。私を連れていることでみんなが嫌がります。お店にも入れてもらえないかも知れません。私のせいで、誰にもご迷惑をかけたくありません……っ」
何度言っても聞かない駄々っ子のような私に、公爵は呆れるでもなく失望するわけでもなく、だた穏やかに頬を緩めた。
「それで、お母様は君を遠ざけたか?皆が嫌がるからと、迷惑だからと君を外に連れ出さなかったのか」
「それは……」
「気にしなくていいと、
『言いたい人には言わせておけばいいの。』
そう言って笑ってくれた母の言葉を思い出す。
「ならばもう気にするな。それでも君が行かないと言うなら、私も馬車に残る」
冗談だと思いたいですが本気ですよね?
ますます困ること、言わないでください……。
*
先に馬車を降りた公爵が私を見上げて手を差し伸べている。公爵の気配りは的確で抜かりなく……そこは最上位貴族のご嫡男、女性の取り扱いには慣れていらっしゃるのでしょう。厚意に甘えてエスコートを受け、馬車を降りた。
公爵が後方の馬車に向かって手をあげている、何かの合図かしら。
「…——寒いっ」
街からほんの二時間ほど。北東地方の空気がこんなにも冷たいなんて。
私の存在を恥じたケグルルット家ではほとんど屋外に出してもらえなかったので、この時期の外気の寒さも忘れてしまった。
それにしても……警護の騎馬が三頭と使用人たちが乗る六人用の馬車、荷馬車が一輌。こんなに
伯爵家の父も裕福だけれど、やはり公爵家は比べ物にならないと思い知る。それに別荘ではどのくらい過ごすのだろう?確かに私、この旅のことを何も知らない。
「リリアナ様!」
聞き慣れた声がしたと思えば、何かを抱えた一人のメイドが駆け寄った。
「ユリスっ?!あなたも来てたのね!」
「はい、
「嬉しい。ユリスがいないと心細いもの」
ユリスはそっと頬を寄せて、
「…——旦那様、見違えましたねっ。古い家令は存じておりましたが、旦那様の素顔。私も今朝初めて拝見いたしました」
笑顔を浮かべて薄着の肩に暖かいものを羽織らせてくれた。
「これって——…」
フードの端にぐるりとシルバーミンクの毛皮の付いた、とても高価そうなコート。そしてそれはワンピースと同じ桜色で……。
「旦那様からでございます。荷馬車に備えておくようにと出発前に持ち込まれました。モリスは冷えるので、
「街で……?」
「お揃いの手袋もありますよ」
この素敵なコートを、私のために?
「ふわふわで可愛い……っ」
身体を包みこむ柔らかなあたたかさが、私の心を幸福で満たしていく。
「では、行ってらっしゃいませ!」
「ユリス達は行かないの?」
「使用人はこの付近で食事を摂りますので」
リリアナ様、ファイトですよっ。
ユリスの応援……いくら頑張れと言われても。
私は公爵の婚約者じゃない。
公爵と私の間に『恋のフラグ』は立たない、立ててはいけないのだと、そろそろちゃんと伝えなければ。
少し離れたところで老齢の男性と親しげに話す公爵がいた。男性の隣の女性は奥様かしら。
町の人だと思えば無意識に身体が震え、コートの襟元をぎゅっと掴んでしまう。私を見た彼らがどんな反応をするのかと思うと怖くなって心が縮んだ。
「リリアナ!」
あの手招きは当然のことながら、こちらに来いと言うことですね…——。
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