第42話 清潔感、すさまじいです



———…って、あなたは誰ですか?!


振り返れば見知らぬ男性が立っている。私が見返えした途端、ぁ、と小さくつぶやいて、手に持っていた本で顔を隠してしまった。


「あの、お顔が見えませんが?」

「……何だか妙な気持ちなんだ。君と初めて顔を合わせるようで」


ぇ、初めてお目にかかりますが……この声はディートフリート様ですよね??


角度を変えてジッと覗き込めば、恥ずかしそうに赤くなって私の視線から目を逸らせようとする。伏せた翼のような睫毛から、エメラルドの瞳が薄く覗いていた。


「本をどけてください」

「いや……いい」

「どうしてですか?」

「……照れているからだ」

「どうして照れているのですか」

「どうしてもだ」


このままでは互いにくるくる回っているだけで埒があかない。

ん———…。


「ディートフリート様っっ。髪もスッキリなさって、お髭も整えられたのでしょう?!私に見せたくないならもういいです。もう見たくありませんっ」


今度は私がそっぽを向けば、


「リリアナ……」


むくれた頬に綺麗な指先が伸びてきて、そのまま私の顔をくいっと持ち上げた。


「すまなかったな。柄にもなく本当に照れているんだ、許してくれないか?」


私を見つめるエメラルドの瞳が近すぎる!

もちろん本はなくなっていて、その面差しに見惚みとれ声が出ない、動けない。


あなたがディートフリート様?!


———そんな言葉が頭をよぎった。



「か……」



——— かっこいいーーーっっっ



「これで一緒に街を歩いても、君に恥をかかせずに済むだろうか?」


あぁ、これで納得がいく。


ウルフ公爵、いいえ。

ディートフリート様は。


第一王女自らが望む縁談を持ち込まれるほどの、美青年だ———。


心許なく揺れる公爵の眼差しは私を離さない。このままでは心拍が非常事態になりそう!

顎に触れていた指先がスッと離れた。途端に力が抜けて、私の身体はようやくまともな呼吸を取り戻す。


「……お髭、なくなったのですね」

「ああ。数年ぶりに顔が涼しいよ」

「髪も……っ」

「今朝、理髪師を呼んで髪と髭を切らせた」


の正体、今わかりました。


「しょ……」


———あなたは、


「正直に……申し上げてもいいですか」


「勿論」と、形のいい唇が白磁の肌の上で弧を描いて言葉を紡ぐ。私を見つめる公爵は溢れるばかりの光を背負い、とてもとても眩しくて。


「素敵ですよっ。清潔感、すさまじいですっっ!」


———私とは、やっぱり生きる世界がちがう人です。


公爵が安堵したように息を吐いたのがわかる。無理からに目を逸らせ、私はそのままうつむいてしまった。


「君のほうこそ、」と何かを言いかけた公爵が言葉を詰まらせる。

ですよね……自分がダメなことはもうじゅうぶんわかっているのです。今更落ち込みません。


「……、その、あれだ。このまま一緒に階下したに降りよう、そろそろ馬車を出そうと思う」


私をエスコートする手のひらがスッと差し出された。

掠れる声で言葉をしぼりだす。


「いいえ、私は……本を選びに来たのです。終われば一度部屋に戻ります。用意がまだ残っているので」


とっさに嘘をついてしまった。用意なんてとっくに終えている。


「そうか。ならば後で迎えをろう、支度が済んだら知らせてくれ」

「ディートフリート様は、どうして私をモリスに連れて行こうとなさるのですか」

「それはモリスに行けばわかる。何も疑わず、君はただ心安らかにしていればいい」


伸び放題の髪から覗いていた眼差しも、今こうして私を見下ろす眼差しも……紛れもなく同じもの。

公爵は惨めなじゃなかった。王子様にかけられていた悪い魔法が解けただけ。


眉目秀麗を絵に描いたようなこの男性は、やっぱりディートフリート様なんですね。


こんなに近くにいるのに、あなたが遠くに行ってしまったような気がして——なんだか少し寂しいです。


「どうした? 顔色が優れないが」


顔をあげて精一杯の笑顔をつくろう。


「いいえ、平気ですよっ。モリスに行けるの、楽しみにしていますね……!」


ふわりと頭を抱かれて、おでこが公爵の胸元にくっついた。キョトンとする私の頭の上から言葉が降りてくる。


「……愛らしいな。やはりその色、とても良く似合ってる」


こっ、この体勢は?!危険なくらいトキメキますよ???


でも、このシチュエーションで愛らしいと言われても———っ。





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