第35話 あなたへの想い




公爵の外出を聞かされてから数時間が経つ。

とうに荷造りを終えた私は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

夕刻が近づく空のは、遥か遠くに浮かぶ雲をほんのり茜色に染めている。

私の目の前に広がるその色は、とても綺麗で。


『そう……何時頃、お戻りになるの?』

『久方ぶりにご自身で買い物に出られたと聞きましたので、いつになるかは』


風にさらわれた髪が頬を叩いた。

鉄錆色だ、忌み子の色だと蔑まれ続けたこの髪を、公爵は夕陽の色に似ていると言ってくれた。

だから前よりも少しは、この髪色が好きになれたんだ。


「エヴリーヌ先生と、あなたのお陰です」


もしも公爵が面立ちにコンプレックスを抱いているのなら、どうにかしてその気持ちを軽くしてあげたい、私が公爵にそうしてもらったのと同じに。


禁断の部屋にあったピアノの上には、小さな四角い額の中に収まった公爵がいた。隣で肩を抱かれていた幼い少女は、公爵の亡くなった妹だろう。

兄妹が描かれた絵画の細部までは見えなかったけれど、ぼんやりと目に映ったのは——口元に髭は無く、髪も“整った“青年。


「お顔、もう少しちゃんと見ておけばよかった」


伸びた前髪と無精髭の下にある、公爵の『素顔』とは。

それを隠し続ける彼の想いとは、一体どんなものなのだろう?


——この風貌のせいだろうが、私は世間の嫌われ者だ。


いつかの公爵の言葉が私の胸を刺す。


「……どうすれば」


どうすれば、公爵の重い心が軽くなるのかしら。


「コンプレックスがあるにせよ、お顔を事は必要だと思うの」


人を遠ざけているのは公爵の面立ちそのものではなく、狼みたいな髪型と無精髭という風貌なのだから。



イイ———ン……



いななきを聞いて階下の庭園を見れば、正門脇のロータリーにランカスター家の豪奢な馬車が入るのが見えた。


「ディートフリート様……っ」


家紋の入った扉が開いて、ピシリと整った装いが清々しい宵闇色の髪の男性が、スマートな所作で地に足を下ろす。


「あんなに、素敵なのに……?」


それがボサボサの髪とお髭のせいで、台無しになっているなんて。


立居振る舞いも、ふとした仕草もスマートな彼だからこそ、気付いて欲しい。だからこそ、心を込めて伝えたい。



「あなたは素敵です……とっても」



それから半時間ほど経った頃、ノックの音とユリスの声がして。


「旦那様がお戻りです。お会いになられますか?」




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