第27話 棘(1)
*
——ピアノが弾きたい。
お父様に禁じられてから、ずっと願い続けてきた。
幼い頃、お母様と一緒に弾いていたピアノは単なる指遊びではなくなって、お母様の友人だったエヴリーヌ先生に師事し始めた数年後には、演奏会の課題曲を全て暗譜して弾きこなすまでになった。
忌み子の私をお母様が気遣うほど、お父様は面白くない。溺愛するエレノアの演奏が思うように上達しなかったこともあって、お父様はますます私を遠ざけていった。
「あんなふうに見せつけられては、エレノア様がお可哀想……!」
「でも天使のようなエレノア様とは違って、リリアナお嬢様は所詮ピアノだけ。そもそも忌み子など誰も相手にしやしない」
メイド達が聞こえよがしにそう囁くのを、幼かった私は唇を噛み締めながら聞いていた。
自分にはピアノしかないのだと——残された最後の希望を失わないように、命懸けのつもりでピアノの鍛錬を続けた。
そんな私を『誇らしい』と言ってくれたお母様は、十歳の誕生日に亡くなった。
唯一、私の誕生日を祝ってくれたお母様。喪服でピアノを弾く私を気味悪がり、お父様は——あの日初めて私に手をあげた。
どんなに悲しい時も、辛い事が重なっても、鍵盤を叩く指先が紡ぎ出す旋律だけが、私の心を癒し続けた。
「——リリアナ様」
眠れずにいた夜をやり過ごし、心ここに在らずの私はユリスの呼びかけにようやく視界を取り戻す。
昨日の公爵とのやり取りに、何故だかひどく心が乱れて……こんな時にこそ、鍵盤が弾けたら——。
「このお城にピアノはないの?」
朝食後の紅茶を注ぐユリスの手が止まる。
「こんなに立派なお城ですもの。どこかに一台くらい在るわよね?」
再び手を動かしはじめたユリスは、
「さ、さあ……どうでしょう」
その曖昧な反応は、なに??
「ピアノを弾くなとは言われていないもの。どこかにあるなら、私……お借りしたいのだけど」
「あ、いえ!思い出しました。城内にピアノはございません」
「……ほんとうに?一台も無いの!?」
「はい」
ぇ——…盛大な社交会まで開かれていたのに?その頃なら楽隊だって抱えていたはずでしょう。
それにユリスのあの反応はっ……違和感しかない。きっと在るのだ、どこかに!
キョロキョロしながら廊下を歩いていると、運悪く(!)リュシアンに出くわした。
明らかに私を訝しむ目つき。
お城の使用人たちとは随分打ち解けられたけれど、メイド長のラミアとこの人は苦手だ。
「こんなところで何をしているのです」
ほらきた。
もじもじしていたら、怪しまれるに決まっている。ここは堂々と——。
「お散歩ですが、何か?」
こんなふうに小生意気な口の聞き方をするから、余計に疎まれるのよね。
でもここで引き下がるわけにはいかない、お城のどこかに在りそうなピアノを、探し出すのだから。
「前にも言いましたが」
カツカツ靴音を響かせて私の目の前に立つリュシアンの、刺すような眼差し——とにかくこの人は圧が強いのだ。
「わかっていますよね。この城にとどまりたいのなら、余計な詮索をしない事です」
そうです、とどまりたいのです……このお城に。
リュシアンはそんな私の心情を知っているかのような口ぶりだ。実家には、帰りたくないと——。
「はい……承知しております。
探索はしますけどっ。
スカートの両端を摘み上げ、丁寧にお辞儀をしてからリュシアンに背を向ける。
その時、彼がどんな顔をしていたのかはわからない。けれど『散歩』をやめろとは言われなかった。
「リリアナ様」
ホッとした矢先、リュシアンに呼び止められた。
まだ何か?!
「——体の痣は消えましたか」
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