第30話:【まひる】飲みましょう

「えっ、ふわっふわとろとろ? 何それ、食えば良かった」

「甘い物、そんなに好きなんですか?」


 お昼ごはんの後、ネットの募集を見て行ったお店は断られた。

 募集してるのに断るって、もう他の人が採用されたのかな。雰囲気が良さそうだったけど、仕方ない。


「たくさんは食べられないけど、好きだよ」

「すみません、言えば良かった」

「いいよいいよ。次の楽しみで」


 空上さんと歩く街は、寒く感じない。細い路地から向かう風が、昨日はとても冷たかったのに。

 真由美と居る時も、暖かかった。私が一人だと、気温が下がるのかな。雨女じゃなくて冬女だ。

 でも誰かと一緒なら大丈夫。今度から、誘う理由が一つ増えた。


 前に貸してもらった緑の上着。初めて会った時と同じ、黒いズボン。空上さんの格好は、たぶんお仕事と兼用なんだろう。

 彼は服装に拘りがないみたい。でもきちんとお洗濯がしてあるし、デイキャンプの時は動きやすいのを着てた。

 だから全然問題ない。もし私が選んでいいなら、もっとカッコ良くなると思うけど。


「お菓子のあるとこは多いけど、そこで作ってるって店は少ないもんだねえ」

「えっ。あ、そうなんです。パン屋さんなら、結構あるんですけどね」


 先週も探した八玉子の街。その時より北側に範囲を広げて歩き回る。

 よく知った町だからか、探すのに慣れたからか。目を配りながらも、別のことを考えてた。

 真面目なつもりだけど、どうもお散歩を兼ねてる気がして楽しいと感じてしまう。


「そっか。お菓子をやってるパン屋さんもあるよね」

「たくさんあります。どうかしました?」

「ううん、ちょっとね」


 私に合わせ、歩く速度は変わらない。そのまま彼の視線が、宙のどこかへ向く。

 ――何か心配ごとかな。

 そう思っても、なんでもないと言われたら聞けなかった。 


「あそこのお店、行ってみようかな」

「ああ、ほんとだ。張り紙がしてあるね――ネットには出してないや」


 半地下になった、イタリアンのお店。通りの端に置かれたメニューの看板へ、スタッフ募集の紙が貼られてた。

 空上さんが調べてくれたけど、転職サイトとかには載ってないらしい。


 近付いてみても、時給とかだけで内容が詳しくなかった。だけど逆に「菓子職人パスティッチェリアは要りませんか」と売り込むチャンスだ。

 鏡を出して気合いを入れる。よし、寝ぼけた顔はしてない。


「すみません、行ってきますね」

「すまなくないよ。頑張って」


 彼は手を振り、「その辺に居るから」と歩き去る。私が気を遣わないよう、姿の見えない所へ行ったんだと思う。


 階段を下りながら、もう一度空上さんを探す。と、二十メートルくらい先でこっちを見てた。

 ――頑張る。

 ぎゅっとこぶしを握り、お店の中へ飛び込んだ。


「……ダメでした」


 ものの三分。間に合ってる、を三回言わせるのが限界だった。肩を落とした私に、空上さんが駆け寄る。


「おけおけ。次行こう」


 短い声の中に、いちいち気にするなって気持ちが感じられる。次はうまく行くって、励まされた気もする。

 うん、一喜一憂したってしょうがない。分かってるけど、心が少し下り坂へ向かう。

 それを彼は、たったふた言で癒やしてくれた。


 *


 午後六時。捜索を終え、晩ごはんを食べることに。付き合ってもらったお礼に私がごちそうすると言ったけど、空上さんは頑なに断った。


「お疲れさまー」

「ありがとうございました」


 ビールとウーロン茶。同じジョッキで乾杯した。私がひと口飲む間に、彼はぐいぐい飲み干す。「ぷはっ」と息吐く口もとへ、白い泡がたっぷり付いた。


「ネットに頼らない店も、たくさんあるんだねえ」

「そうみたいです。今行ってる居酒屋さんもそうだったので」

「うん。大変だけど春野さんのお眼鏡に適う店を探すなら、これしかないね」


 今日も収穫はなかった。だけどなぜか、何やら充実した気持ち。

 お仕事を探すことの目的と手段。を、また空上さんが教えてくれたからかな。


「そんなお眼鏡なんて」

「ええ? いい意味だよ。こういう所で働きたいってイメージがきちんとあるのは凄いって」


 昨日までは頭の中で、一人反省会をしてた。ああ言えば良かったな、こう言えば反応が違ったのかなって。

 だけど今は、もう明日のことしか考えてない。きっといい所が見つかると。


「空上さんはどうだったんですか?」

「ん?」

「就職する時、成り行きだったって」

「ああ、うん」


 彼はどんな気持ちで働いてるんだろう。今日一緒に歩いてて、聞きたくなった。

 お休みは、あまり多くないらしい。朝早かったり、夜遅かったり、時間もまちまち。それなのに、いつも私に元気をくれる。

 ――どうしたらそんな風になれるの?


「うーん。あらためて考えると、どういう仕組みだったのかな。よく分かんないけど、学校に来てた求人から選んだの」

「学校に求人?」

「俺、高卒なんだけどさ。進路希望で就職を選ぶと、募集してるとこの一覧をくれたのよ。A4用紙に二枚とか」


 意外な話だったけど、思い出してみれば、製菓学校にもそういうのはあった。卒業の人数には全然足らなくて、大きな企業の工場とかばかりだったと思う。


「何の仕事でも、とにかくすぐに働きたくて。たったそれだけから選んで、先生に申し込みを頼んで、気付いたら就職してた」

「それはそれで凄い気がしますけど、どうしてそんなに働きたかったんですか」


 聞くたびに「どうだっけな」と考える間があった。十数年前のことで、無理もない。


「うーん。ぶっちゃけると、母さんだよ。俺の父親が、小学生ん時に死んでて。大学とか何とか、そういう選択肢がなかった」

「ああ……」


 ――そうだ、前に二人暮らしって。

 聞いてたのに、想像力が働かなかった。悔やんでも、聞いたことは取り消せない。


「すみません、失礼なことを」

「いや、いいんだって。気を遣わせるなと思っただけで、俺は構わないの。何でも聞いてよ」


 もう半分になってた二杯目を、空上さんは飲み干す。通りかかった店員さんを呼び止め、温かい焼酎を頼んだ。


「じゃあなんでスーパーかって言うと、他に知ってる職業がなかったの。いや、知ってるよ? 運転手さんとか、消防士とか。何ていうかな、自分の周りにね」


 私が黙ったせいで、彼は言葉を急がせた。でも言いたいことは分かる。

 知識はあっても、具体的なイメージがつかなかった。だからよく知ってる、スーパーの店員さんになろうと思った。

 たぶんそれまで、ずっとお母さんの買い物をお手伝いしてたんだろう。


「あの。聞いて良ければなんですが、お父さんはなんで亡くなったんですか」

「交通事故だね。ルート配送のトラックだったんだけど、大雪の日に横転したの」

「それは、大変でしたね」

「俺はそうでもないよ」


 嘘じゃないと示すように、空上さんは声を出して笑う。その通り、きっと本心に違いない。苦労したのは自分じゃなく、お母さんだと。


 でも、違う。彼は優しいから、そう感じてしまうだけ。いつもこの人は自分のことなんか二の次で、他の誰かのためにしか感情を動かさない。

 出会った最初からそうだった。


「ええと――」

「ごめんね、変な話になって」

「そんなことないです。私、空上さんのこと聞きたいです」

「ええ? 面白いこと何もないよ」


 ――空上さんの役に立てること、何かないかな。

 たくさんのことを彼にしてもらった。でもそれとは関係なく、何かしてあげたい。

 だからと「何かありませんか?」なんて聞くわけには。できれば気付かれないくらいさりげなく、役に立ちたい。


「何でもいいです。そうだ、前に言ってたいいことって何ですか」

「ええ? まだ覚えてたの」

「だって知りたいので。私も飲みますから、空上さんも飲みましょ」


 焼酎を持ってきてくれた店員さんに、カシスピーチを頼む。「やれやれ」と言いつつ笑う空上さんと、二度目の乾杯をした。

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