第29話:【晴男】きっと、保証する
一月二十日。木曜日の午後一時に、八玉子駅北にあるパンの店へ。まひるちゃんの要望と送ってくれた地図に従い、辿り着いた。
ふわっふわ・ぶらんじぇりという名前に少し怯んだけど、むさ苦しい俺が入ってもどうにか大丈夫そうだ。
紅白でめでたい感じの店内へ、まひるちゃんは居た。パンの売り場の奥にテーブルが置かれ、飲食もできるらしい。
「お待たせ。あれ、真由美ちゃんは?」
席を立った彼女は、気をつけから頭を下げる。髪を後ろでぎゅっと縛り、なんだかいつもと印象が違う。
それは服装のせいもあるだろう。上下をベージュのパンツとジャケットで揃え、ピシッとしてる。
その隣に親友の姿はなく、席を外してるんだろうとトイレの所在を探した。声に出しそうになって、慌てて呑み込んだのは内緒だ。
「あ、いえ。今日は私だけです。真由美はお仕事で」
「そうなんだ。いつも一緒だから、今日もかなって」
他に客は、買い物帰りっぽい二人連れのおばちゃんだけ。表の道に決まった人通りはなく、常連さんだけで成り立ってますと自負を感じた。
「あの。パンを選んだらそのまま食べられますけど、どうしますか?」
「だね。取ってくるよ」
コーンとツナとマヨネーズのやつ。ハチミツバターとかいう犯罪的なやつ。二つをトレイに載せて戻ると、店員さんが待ち構えてた。
ホットカフェラテを頼んで座る。まひるちゃんの手もとに、透明なティーポットがあった。彼女は紅茶党らしい。
「お忙しいのに、度々すみません」
「全然。今日は休みだし、休みにやることないし、付き合ってくれる奴も居ないし」
オッサンの侘しい事実だ。ここで格好をつける理由もなく、「春野さんくらいだよ」と自分を笑う。
「そうなんですね。でも、ありがとうございます」
「いえいえ」
自虐ネタのつもりだったが、なぜか彼女は嬉しそうにした。単に笑っただけかもだけど、そう見えた。
「ええと。それで相談なんですけど――」
腰を落ち着けるなり、すぐに切り出された。おや? と思うが、もちろん構わない。
聞けば毎日、駅周辺を歩き回ってると。情報誌やネットも駆使しつつ、自分の足で。
今日も例外ではなく、午前十時から何軒もに飛び込んだらしい。結果は断られるか、求める環境でないかだったそうだが。
「それは凄いね。熱心というか、一途だね」
「店長さんと奥さんが、頑張れって言ってくれたんです。いいところを見つけないと申しわけないので」
――堪らんいい子だなあ。
居酒屋さんへの義理立てとか。オッサンの涙腺を刺激するのは、やめてほしい。
反面、懐かしい気持ちもある。ここって勤め先を一つ見つけ、ずっと腰を据える。そうでなければいけない、と俺も考えてた。
たぶん就職して三、四年で失った気持ち。失ったのに気付いたのは、去年の暮れ。
「で、その吉祥寺のカフェがいい感じと」
「そうです。でも採用してもらえるのが随分先みたいで」
「なるほどねえ」
大筋は聞いたようなので、ツナマヨコーンを口に入れる。棚に並んでたやつだから、特段に温かくはない。だけどじゅわっと、クリームめいた食感が心地いい。
正直な感想として、そのカフェに拘る必要はないと思う。
貴重な発掘物には違いないだろうが、必ず他にも掘り出せる。まひるちゃんはまだ若く、一人の経営者が見込みありと認めたんだから。
問題は彼女の生活費くらい。俺が貸してもいいけど、きっと断られる。すると親御さんの世話になるか、他に繋ぎのアルバイトを見つけるか。
ただそうすると、また「店長さんと奥さんに申しわけない」だろう。結局この相談は、まひるちゃんの気持ちの落としどころってことになる。
「吉祥寺より向こうには行かないの? 通勤の問題かな」
捜索範囲は、西八玉子から簡単に行ける駅ばかり。もっと都心に向かい、新宿や池袋で探せば対象の数が桁違いになる。いっそ横浜へ行ったっていい。
自分の行動範囲で選びたい気持ちと、実家と繋がっていたいのかなと思う。
「そうですね、通勤を考えると家賃か電車賃が高くなるので。でもそれだけじゃなくて」
「なくて?」
「作るのと、売るのと、別々は嫌なんです。私の作った物を、どんな人がどんな顔で食べてくれるのか見たくて」
少しずつ、まひるちゃんの顔が近付いてくる。このツナマヨコーンを作ったのは、彼女だったのか? いや違うけど。
「あー」
同意の意味で声を上げると、顔が遠のく。前のめりになったことを、恥ずかしそうに俯いて。
彼女の言うように、都心へ近付くほど店内の分業が進むのかもしれない。作る人間は作り続け、売る人間も同じく。
それはおいしいお菓子を買ってもらう行為でなく、商品と金銭の交換をどれだけ効率化できるかになる。
地価の高くても儲かる店は、そうでなければいけないんだろう。
「すみません。自分のお店を持つわけでもないのに、偉そうですよね」
「いや? そういう気持ちは大事と思うよ。スーパーの陳列だってさ、パートさんごと好きな商品は綺麗に並ぶもんだし。思い入れのあるに越したことはないかな」
笑顔がこぼれる。
俺が言ったからって、それがこの世の真理でもあるまいに。まひるちゃんは「良かった」と心底ほっとした息を吐く。
「俺なんか、何もないから。スーパーに就職したのも、成り行きでしかなくて」
「そうなんですか――」
「うんうん。だから俺が二十歳そこそこの時より、春野さんは何倍もきちんとしてる」
「そんなことないと思います」
優しい彼女の言葉が気恥ずかしい。そんなことあるんだよと、また自虐に逃げる。
「ああ、そっか。俺がゼロだから、何倍もってのはおかしいか」
「空上さんはゼロじゃないです!」
今まで聞いた中で、いちばん大きな声。離れた席のおばちゃん達が、顔をこちらに向ける。
思惑としてこれで笑わせ、なんだか力んだまひるちゃんをリラックスさせようと思ったのに。彼女はちょっと困った風に、眉尻を下げた。
「あ、ああ。春野さんが焦ってるみたいだったから。和ませるつもりだったんだけど。不愉快だったね、ごめん」
「いっ、いえこちらこそ。でも空上さんは何でもできる凄い人です」
この場面でなくても、そうかなあと乗っかれる性格はしてない。「あ、どうも」なんて曖昧な返事になった。
おばちゃんたちの視線もあり、沈黙の時間が過ぎる。
やがて再びまひるちゃんが口を開いたのは、お互いにカップも皿も空になってからだ。
「私、焦ってますか?」
「そう見えるかな。期限が決められてるでもないのに、一瞬でも早く決めようみたいな」
さっき話し始めた時。彼女は俺の都合を聞かなかった。
休みだから大丈夫と言いはしたけど、それでも「何かされてたんじゃ?」みたいなことを聞くのがまひるちゃんだ。
「期限は一応ありますけど……」
「働かないと生活に困る、でしょ? それはそうなんだけど、本末転倒だよ」
リミットはある。が、振り回されては意味がない。と言ったのに、彼女の顔には疑問符がありありと浮かんだ。
「そもそも転職とか引っ越しはさ、何のためだった?」
「それは年末に――じゃなくて、私のやりたい方向に舵を」
というところまで声に出し、まひるちゃんは「あっ」と自分の口を塞ぐ。
「でしょ。あくまで目的は、春野さんの夢に近付くことだよ。どこで働くかは手段」
「手段の都合で目的を左右させちゃダメですね」
「と、俺は思うよ」
別席のおばちゃんたちが、ガタガタと帰っていく。その背中を見送り、まひるちゃんの首が縦に揺すられた。
しかし表情から迷いが消えない。
それはそうだ。生活に困るかもという問題の解決にはなってないんだから。
「で、さ」
「はい」
「もうちょっとだけ、探してみようよ。俺も今日は何時までだって付き合えるし」
「でも、カフェのオーナーさんが」
気遣いのまひるちゃんに、宙ぶらりんが心地悪いだろう。それはとてもよく分かる。
「うん、今からでも連絡したらいい。そうだなあ、今月いっぱいは他に探してみて、それから返事させてくれって」
「そんな我がまま、言ってもいいんですか」
たしかにちょっと、我がままかも。けどそう言っては、遠慮の虫が活発に動き出す。
「我がままじゃないよ、半年以上先の話でしょ? 十日やそこら伸ばして、影響なんかあるはずない。それをダメって言うなら、縁がないんだよ」
言いながら俺自身、そうだよなと納得する。彼女はどう受けたものか、空の皿を見つめて考え込んだ。
「保証するよ。きっと同じくらいにいい所が見つかる。それまで、住む場所や食べる物に困ったりもしない」
――何で俺、言いきってんだ?
本当に困った事態になった時、対処の見当はない。樹海に撒かなかった金を使えば、ひと月やふた月はどうにかしてあげられるけど。まひるちゃんが拒むだろうから。
それでも彼女に、大丈夫と言ってあげたかった。その理由がどこから湧くものか、自分でも分からない。
もしかすると縁の浅からぬこの子を、妹とでも感じてるのか?
「……分かりました、信じます。カフェのオーナーさんにも、空上さんの言った通りに伝えてみます」
そう返事のあるまで、なかなかの時間が必要だった。まひるちゃんはティーポットからカップに二杯を注いだし、俺はカフェラテをお代わりした。
けど、答えた後の彼女からは力みが消えた。この間のデイキャンプの時、とまではいかないが。「この後、ここに行こうと思うんです」とスマホを見せる声は、俺の耳にも弾んで聞こえた。
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