第26話:【まひる】私は幸せ
手羽元を煮たお湯で野菜を茹でる。その監視は真由美に任せ、私はフライパンを握った。
ガス缶とバーナーだけ、っていうコンパクトなコンロ。意外と強い火力が、手羽元においしそうな焦げ目を付ける。
お酒とみりんと、しょう油。手間はかからないけど、トロトロお肉を崩さないのが難しい。
「うわ、やばいね」
「ど、どうぞ。うまくできたと思うんですけど」
ほろほろ手羽元の照り焼きと、クリームシチュー。冷たい風にどちらも、真っ白な湯気をもうもうと立てた。
ニッフィーの取り皿を持った空上さんは、手羽元をがぶり。
「――ん? え、なくなったよ。噛む前に溶けて消えたんだけど!」
「ね。まひる、料理うまいでしょ」
「うまいうまい。腕もだし、シチューも」
お腹空いてたのかな。彼はガツガツな感じで、ニッフィーのお椀を傾ける。あっという間に空にして、「お代わりある?」と。
「すみません、もっと大きな器にすれば良かった」
「ええ? そんなことないって。本当にうまいからさ、なんなら鍋ごとでもいいけど」
焚き火で真っ黒になったお鍋を、空上さんは丁寧に拭いてくれた。すっかり元の赤に戻ったお鍋から、今度はこぼれそうなくらい並々とよそう。
「おにぎりもあるよ」
「うわー、たまらんね」
「梅とこんぶね」
真由美のおにぎりは十個もあった。冬だから残っても大丈夫だろうけど、作りすぎじゃない? と思ったのに、彼はふた口で二つを飲み込んだ。
「あたしたちは二つずつで十分だから。空上さん、六個食べていいよ」
「え、いいの? でもそんなに食えるかな」
――男の人って、たくさん食べるんだなあ。
感心したけど、そういえばお父さんとお兄ちゃんもだったと思い出す。みんなで一つの家に住んでたのが、何十年も前の気がする。
座ってると風がますます冷たく感じて、私もシチューをお代わりした。真由美もだ。空上さんの三杯目で、お鍋が空になる。手羽元もおにぎりもなくなった。
「あー、もの凄いうまかった。二人ともありがとう」
「お口に合って良かったです」
「うちのも空上さんくらい褒めてくれたらいいのに」
三人とも真似し合うように、お腹をさすった。足を投げ出し、空上さんと真由美は寝転んだ。
「食後にコーヒーとかどうですか?」
「お、いいね。でも淹れる道具がないよ」
「それはですね――」
隠してたナップサックから、中身を取り出す。遅れたクリスマスみたいな、緑色のラッピングの。
「じゃーん」
「じゃーん、て。どしたのこれ、誰かのプレゼント?」
「空上さんにですよ」
彼の顔の前へ。すると表情が見えなくて、しまったなと思う。でも、がばっと起き上がってくれた。
「俺に? え、なんで?」
言いつつ上から、下から。横からも、空上さんは袋をぐるぐる。彼の腕にも抱えるくらいあるのに。
――早く開けて見てほしいな。
待っていても、なかなかその素振りがなかった。
「ええと、開けていい?」
「もちろんです」
そうか、開けてくださいと言ってなかった。律儀な彼の手がリボンを解き、丁寧に畳んで脇へ置く。テープを剥がすのも、袋が傷付かないよう慎重に。
ブルーシートに置き、ゆっくりと取り出すのは、黄金の像でも出てくるのかなと思う。
――いい人だなあ……。
しみじみ、優しい彼の動かす手や顔を眺めた。
「おっと、なんだこれ。エス――エスプレッソ? わあ凄え、エスプレッソ作れるんだ? で、こっちがコーヒーミル。挽き方が調節できるんだって!」
「子どもみたいね」
まだ箱から出さず、表に書かれた文章だけで歓声が上がる。
ちょっと皮肉っぽく笑う真由美に「そんなことないよ」と釘を刺す。でも私も、クスクス笑った。
「こんなに喜んでもらえたら嬉しいよ」
「それは当たり前」
なんて言ってると、ようやく箱が開けられた。ステンレスの銀色が眩しい、水差しみたいな格好のエスプレッソメーカー。
コーヒーミルは小っちゃな水筒っぽくて、手回しのレバーが付いてる。
「エスプレッソ豆もあるよ」
「いや嬉しいけどさ。もらっちゃっていいの? 誕生日じゃないけど」
クーラーボックスから、真由美が豆を出してくれた。ためらいがちに、空上さんは受け取る。
「お礼です」
「ええ? 何もしてないよ」
「してくれました。あれもこれも、たくさん」
あれとかこれとか、中身は並べなかった。今わざわざ言うことじゃない。
すると彼も「そっか」とひと言。あぐらのまま、お侍さんみたいに「ありがとう」と頭を下げた。
「ほんと嬉しいよ、家でも使お」
「そうしてください」
「でもこんなのもらっちゃうと、俺のが出しにくいな」
真由美の言った通り、お気に入りを手放さない子どもみたい。と思ったら、おもちゃがそっとブルーシートに置かれた。
俺のがって何のことか、空上さんは自分の荷物から何やら取り出した。
「昨日、成人式だったでしょ。二人もかなと思って、大した物じゃなくて恥ずかしいんだけど」
「えっ? ああ、ええと。どうしよう真由美」
同じ梱包の、両手にちょうど載る箱が二つ。私と真由美とに差し出された。
「お祝いなんだから、もらえばいいよ。空上さん、ありがとう」
「あ、ありがとうございます」
私たちのちょっと微妙な反応に、彼は首をひねる。けど「開けてみてよ」と言ってくれた。
「ちょうどいいしさ」
「ちょうどいい?」
空上さんの手に、またコーヒーミルが握られた。さっそく豆を入れ、ぐるぐるし始める。
意味が分からないまま、とりあえず箱を開けてみた。中には深く落ち着いた銀色の、マグカップが見える。
「ちょうどいいって、こういうことですね」
「でしょ。チタン製でさ、丈夫なの」
「わあ、軽い」
マグカップを持ち上げると、そこにないみたいだった。残った紙の箱のほうが重いくらいに感じる。
全く同じ物を、真由美も目の前に持って眺めた。
「へえ、マグカップにしたんだ」
「ん、どういうこと?」
「ああ、ごめん。これとは違う話」
彼女の声はとても小さくて、空上さんには届かなかったみたい。意味が分からなかったけど、関係ない何かを思い出したんだろう。
「じゃあ、すぐ使わせてもらいますね」
「そうしてよ」
「ちなみにあたしたちの成人式は、去年だったけどね」
贈り物をし合って、みんな嬉しいってなったのに。不意に真由美は爆弾を投下した。
言い出すか迷ってた私は、あたふたと彼女の口を塞ぐ。
「もう真由美、なんで今言うの!」
「内緒にしてるほうが感じ悪いでしょ」
「そうだけど、でも」
空上さんを見るのが怖い。おそるおそる、錆び付いた歯車をどうにか動かす気持ちで。
盗み見た彼は、頭を掻いて笑ってた。
「気遣ってもらったのに、すみません」
「すみませんは俺のほうだって。まあ、アレだよ。一年遅れだけど、許して」
許すなんて。この人と出会って、まだ一ヶ月も経ってない。それなのにもう、受け取ったものを数えきれない。
だけどきちんと、プレゼントとしてもらったのは初めて。
「必ず大事にしますね」
と、心から思った。
「あ、そうだ。デザートの用意もしてきたんですけど、お腹の余裕ありますか?」
「ありますあります、って。もしかしてここで作るの?」
お菓子をたくさんくれた空上さんと、そのお母さんには申しわけないけど。私はフライパンの汚れを拭き取った。
心得ている真由美がバターと牛乳、ケーキミクスを出してくれる。
「うわあ、大掛かりだね。パンケーキ?」
「パンケーキショートケーキ、です」
そのまんまなネーミングを聞けば、なんとなく想像がつくはず。
ふんわり焼いたパンケーキを冷まし、フルーツミックスの缶詰と生クリームを。上にもう一枚重ね、生クリームでお化粧をしたらイチゴを載せる。
「おお、ホールケーキが……」
「生クリームが冷凍のなのは、見逃してください」
クーラーボックスを台に、ターンテーブルもない中では上出来。三つに切り分けると、空上さんもエスプレッソを淹れてくれた。
「うわあ、うめえ。こんなとこで作れるなんて、さすがだね」
「いえいえ。空上さんの淹れてくれたのも、おいしいです」
こんな所で、は本当に。気紛れに動画を見てなければ思い付かなかった。
もぐもぐ空上さんを見てたら、ほっとする。のに、真由美が「ねえねえ」とイタズラっぽく笑う。
「豆を選んだの、あたし」
――そうだけど。言わなくて良くない?
頭を抱えてたら、言った当人が笑い出した。
「あ、そうか。豆も道具ももらったんだった」
こんな悪乗りになんか、付き合わなくていいのに。空上さんも、参ったなあって笑う。
「もー、真由美。やめてよね」
「いいでしょ。今度はちゃんと作ったやつ、食べてもらいなよ」
こうなったら私も笑うしかない。彼女の肩を強めにぺちぺち叩く。と、思いがけないことを言われた。
「ああ、うん。そうだね」
「えっ、また作ってもらえるの? こんなうまい物」
「まひるの本気は、こんなもんじゃないですよ」
「マジで?」
何も特別じゃなくていいんだ。お菓子を作ったから食べてください、で会えるんだ。
想像したら、なぜか胸がドキドキする。息も苦しくなって、エスプレッソを飲むと甘く感じた。
身体がぽかぽか。むしろ暑いくらい。
――ねえ、真由美。この人ね、私の気持ちを教えてくれたんだよ。どうするのが正解か、じゃなく。私がどうしたいかを気付かせてくれたの。
お互いのケーキを奪う素振りでふざけ合う二人を見てると、そんなことが頭に浮かんだ。
今日、空上さんに「また」とお別れを言った後。すぐに話そう。
でもそれは、この時間が終わるってこと。いつまでも終わらなければいいのに。だけど私の親友に、彼のことを話したい。
こんな贅沢な悩みを抱えるなんて、どうかしてる。間違いなく、こんな私は幸せ者だ。
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