第四幕:その理由は?

第27話:【晴男】それは、どうなの

「何考えてんだ空上」


 夕方の休憩の後、猪口店長が唐突に言った。日の沈む前に店舗外の売り場を見に行ったら、わざわざ着いてきて。

 いや唐突でなかった記憶も希少だけど、苛ついた口調の心当たりがなかった。


 ――いよいよアレか。空上のくせに生意気だ、って?

 どこかのガキ大将なら、いざって時には親友になるんだが。目の前のお方には、どうも期待が持てない。


「なんでしょう」

「お前、うち辞めてどうする気だ」

「辞める? なんの話です」

「休憩室で、読んでたろ。就職情報誌」


 ああ。と思い当たる。

 デイキャンプの次の日。まひるちゃんは、辞めたいと居酒屋の店長に伝えたらしい。もちろん即日ってことにはならず、一月いっぱいは働くそうだ。


 それも一週間前のことで、今日まで俺は休みがなかった。で、たまたま置いてあった情報誌を眺めてた。


「あれはアルバイトの誰かのですよ。知り合いが仕事を探してて、ちょうど良かったんで」

「紛らわしい……」

「心配をおかけしたんですかね」


 猪口店長は、細かいことをよく見てる。十二割ほどは誰かへの小言になるので、みんな視界から逃げていく。

 まあネチネチしてるだけで、間違ってもないんだが。


「違え。もうすぐ本部が来るんだからな。このタイミングで辞める辞めないって、困るんだよ」

「なるほど。でも今のところ、そんなことは考えてないんで大丈夫ですよ」

「今のところ?」

「言葉の綾です」


 上目遣いに睨みつけられ、荒々しい鼻息を浴びせられた。もう少し何か言ってやることなかったかな、なんて顔で周囲を見回し、結局そのまま立ち去った。

 すると立て続けに、別の人から声をかけられる。


「空上さん、おつー」

「お疲れさまです、田中さん」


 もう帰宅する格好の、田中さんがやって来た。腕にはエコバッグがかかり、たぶん三つ四つほどの見切り品が入ってる。


「またやらかしたの?」

「また、って」

「違うの?」

「今のは違いますよ。俺が仕事辞めると勘違いしたみたいで」


 根本的にいい人だが、若干の黒いユーモアがにじみ出る。「辞めないよね?」とすぐさま言ってくれるのは素直に嬉しい。


「業務査定があるから、店長が気にしてるだけです」

「そういうことね。来週だっけ、問題ない?」

「俺はまったく」


 年に一度。うちの会社アルファスの本部の人間がやって来て、店舗の隅々までを確認する行事がある。

 チェーン店である以上、一定のマニュアルがあって、従った管理をしてるか調べるために。


 対象は建物や商品に留まらず、従業員もだ。と言っても「直属の上司に話せないことを密告してもいいよ」という機会だが。

 俺にもパートさんという部下が居るので、人ごとでない。けど、今さら取り繕ってもと思ってる。


「強気ね。ないことないこと言っとくわ」

「勘弁してくださいよ」

「え? 褒めるってことよ」


 ないことばかり言うのが、褒めること。どうも今日は、黒コショウの在庫過多らしい。


「――勘弁してくださいよ」

「冗談、冗談。そういえば彼女は元気?」

「彼女じゃないですって。ああ、田中さんの言う通り、アウトドア用のカップをあげたら喜んでもらえたんです。ありがとうございました」


 どうして俺に彼女を作らせたがるんだ。そういう話にしたほうが、からかうネタになるからだろうけど。

 まあ厭味のない人だから、からかわれるのはまんざらでない。


「いえいえ。空上さんみたいに腹に一物ない人なら、何でも嬉しいって。見当違いでもね」

「見当違いって?」

「言葉の綾よ」


 腹に一物は、ないんだろうか。悪巧みって意味なら、たしかにそれほど賢くないが。


「店長との話、聞いてましたか」

「そんな聞き耳なんか立ててないってば」

「ええ? 別に構わないんですけどね」


 自分の首をかけてまで、俺の助命を直訴してくれた人だ。立ち聞きも心配してだろうし、むしろありがたい。


「仕事探し、彼女のためなんでしょ?」

「聞いてたんじゃないですか。で、彼女じゃないです」

「聞いてないとは言ってない」


 何かよほどいいことでもあったのか、田中さんはまれに見る上機嫌のようだ。ニヤッと男前に笑い、俺の腕を叩く。


「まあでも、そうなんですよ。洋菓子屋さんがいいんですけど、どこかご存知ないですか?」

「うーん、あたしもそんなに出歩くほうじゃなくて。でも気にはしてるね」


 話す間にも、どんどん空が暗くなる。田中さんはキーホルダーを取り出し、指に引っ掛けてくるくる回した。


「お手数かけます」

「いいよー。彼女、大事にしてあげて」

「でーすーかーらー」


 一本調子に、怒ったふりで文句を言う。すると楽しげな「あははっ、またね」という返事。

 そのまま田中さんは、駐車場のいちばん遠い辺りへ。そこに真っ赤な愛車が駐まってる。


 すぐ、ミッサンのダイズルーカスは俺の脇を通り過ぎた。わざわざ遠回りして、面白い人だ。


 *


 今日は閉店の午後九時が終業時間だ。全員が閉店作業をする中、自分だけ帰る勇気はさすがにない。


 でもレジ締めはパートさんがやってくれるし、金銭の出納確認は店長が居る。開店から閉店まで、あのお方はほぼ毎日居るわけだが。よく続くもんだと、去年までの自分を棚に上げた。


 それでやることと言えば掃除か、他の部門の片付けを手伝うくらい。

 ――さて今日は。

 なんて完全に人ごとで様子を見てると、日配担当の社員があたふたしてた。


「忙しそう?」

「あっ。空上さん、お疲れさまっス。今月、何度もチャンスロスしちゃってて」


 乳製品やハム類。パンやデザート、豆腐に漬物。なんていう、毎日配送される商品の担当だ。

 たぶんよそのスーパーでは、和日配わにっぱい洋日配ようにっぱいに分かれてる。


 それをアルファスでは一人の社員に担当させるから、忙しくて仕方がない。

 しかもクリスマスから正月を経て、商品がだぶついたり、棚をすっからかんにしてしまったり。調整の難しい部門だ。


「あー、あるある。新人にやらせる部門じゃないのよ。まあ、失敗して当たり前だし。最初の年の試練と思って」


 昨年度入社の、担当を持つのは初めての正社員。たしかこの子は大卒で、二十三歳だったか。刈り揃えた短い髪と、元気の良さが運動部出身ですと主張する。

 ただし今は、塩わかめみたいになってるが。


「このままだと業務査定で、かなりやられるって」

「店長が?」


 俺より二、三センチ高い背丈と、たくましい胸板が縮こまってる。「はい」という返事は、もう泣き出す寸前だ。


「大丈夫だよ。それでやられるなら、きちんと教えない店長もやられるってことだから」

「そうなんスか……でも俺、少しは挽回しときたくて」


 ――偉いなあ。俺そんな殊勝な考え、あったかな。

 今日から百点を連発しても、既に赤点を出したのは消えない。でもまあ、気持ちは分かる。


「うーん、じゃあ手伝うよ。俺も優等生じゃないから、あんまり参考にはならないかもだけど」

「えっ、いいんスか。お願いします!」


 たったこれだけで、もう勝利は確定みたいな現金さが清々しい。

 日配担当の新人社員は、何やら書類を束にしたバインダーを俺に押し付ける。


「何これ。発注表と、売上伝票と――全部持ち歩いてんの?」

「です。根拠もなしに仕事するなって」

「店長が?」


 今度は元気よく頷く。俺はため息を吐きたくなった。

 ――間違ってはないんだよ。根拠をもとにって指示したんなら、何が根拠になるかも教えてやれよ。

 皆まで教えたら損、とでも思ってるんだろうか。首をひねりつつ、必要な書類をいちばん上にしてバインダーを返す。


「とりあえず慣れるまでは、これだけ見とけばいいんじゃないかな」

「これ、って全店配送表っスか」

「そう。あひるのここの店と同じ規模の店をチェックしてさ、全部真似するわけ。んで毎回、違ったなーってのを足し引きしてく」


 ――あ、黙っちゃった。そんな適当でいいのかって呆れられてる?

 自分の店の実績から未来を予測できるようになれば、それは強い。でも同じ会社の別の店で、既に誰かやってるのを真似たほうが早い。


 自分で必殺技を編み出さなくても、そうやって五年も経てば結果は同じだ。

 と思えるのは、この半月ほどがあったおかげだけど。これを新人くんに分かれと言っても、無理があるかも。


「さすが影の店長っスね!」

「か、影の? なんて?」


 なんだそれは。そんなものなりたくないし、言われて嬉しくない。たぶん拒否反応で、俺の顔は面白いことになってる。


「え。違うんスか? 鮮魚の人が言ってました」

「勘弁だよ。それはともかく、やってみよ」


 掘り下げるほど、きっと墓穴だ。なかったことにした。

 真似るだけと言った通り、発注や棚管理はあっという間に終わる。しかし新人くんは、これ幸いにあれもこれもと質問を重ねた。


 おかげで久しぶりに、退勤の打刻が日付けを跨いだ。まひるちゃんからのRINEに気付いたのも、その時だった。

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