第25話:【晴男】むしろ、君のために

 受け取った手紙は、バランスの悪いヘタクソな文字で書かれてた。近しいところで、俺の字に似てる。


 封筒の当て名と同じく、書き出しも春野まひるさまだった。その次にいきなり「十二月三十一日の夜、春野さんを連れて行こうとしたのは僕です」と続く。

 僕、は大学の時に品下陵の後輩だったらしい。今もパチンコ屋でアルバイトをする後輩だそうで、何の因果でとそこは不憫に思う。


 大学時代の恥ずかしい失敗を弱みに握られてて、あの茶番に付き合ったそうだ。ただしあくまで、サプライズ企画として。

 だが後から聞けば、紛れもない犯罪行為と分かった。だから謝りたくて、この手紙を送ったと書かれてる。


 その割りに、どこを見ても名前がない。代わりというか、携帯電話の番号はあった。

 僕、の言い分では、名前を明かしてもまひるちゃんが不愉快だろうからと。でも電話番号は本物なので、かけてくれれば何でも話す。警察に届けても構わないそうだ。

 これ以上何かするなら職場に明かし、自首すると品下陵にも言ってあるらしい。


「品下くんの性格からして、こんな脅すようなことしたら逆効果にならないかな」

「……かも、です。でもあれから、今のところは何も起こってないです」


 まひるちゃんが頷くのに、少しの暇がかかった。こんなのは悪口でなく、事実の確認と思うんだけど。


「その前のことも書いてあるね。俺と初めて会った時の」

「ずっと、嘘吐いてたみたいです」


 品下陵が年末付近で里帰りするのは、毎年恒例だったようだ。そこで会う昔なじみに、彼女が居ないとバカにされるのも。


「本当は居るし、って言いたくなるとこまでは分かるけど。嘘に事実を合わせるのは、どうもね」

「そのためだけに私、付き合わされたんですね」


 大学の友だち。つまり真由美ちゃんの彼氏と酒を飲みに行って、品下陵はまひるちゃんを見つけてしまう。


 特に好きとも思わずほとんど冗談で「彼女になってくれねえかな」と言うと、紹介してもらえた。

 これを幸い、地元の友人たちに言っていた彼女として紹介するつもり。と武勇伝にまでするとは。


 ――学生気分が抜けねえなあ。

 正直言ってちらほらと、分からんでもない部分はある。

 だけど最初から最後まで嘘まみれで、裏ではまひるちゃんを貶める。これは一ミリも共感できない。


「強がることはさ、あるよ。でも俺なら、そんな嘘で付き合い始めたのを後悔する。でもそうなったら、せめてその分大事にしようって思う」

「空上さんは優しいですね」


 困ったふうに首を傾げ、まひるちゃんは苦笑を浮かべる。

 瞬間、しまったと悔やんだ。


「あ――いや、庇ってるわけじゃなくて」

「分かりますよ。庇ってもないですし」


 ――ほんとに? ほんとに分かってくれてる?

 なんて問い詰めたらキモい。が、聞きたくて堪らない。

 しかしキモがられるのは嫌なので、泣く泣く話を戻した。


「ええと、この手紙は分かったけど。相談に関わるって?」

「それはですね」


 一旦、彼女は言葉を切った。川面を向いてしゃがみ、落ちていた大ぶりの葉を拾う。

 クマザサとかだろうか。分厚いそれを折り曲げ、何か作るらしい。


「居酒屋さん、辞めようと思うんです。店長さんやお客さんに、なんだか気を遣わせてる気がして」

「あー……」


 そんなことはあるだろう。うちの店アルファスのパートさんが同じ目に遭ったら、間違いなく腫れ物を触る扱いだ。

 自分よりも周りの人間を優先するまひるちゃんに、それはきっと堪え難い。


「一応言っとくとさ、オッサンたちはすぐに忘れると思うよ。春野さん自身の気持ちの問題かもだけど」

「です。その、かもです」

「だよねー」


 これ以上なく予想通りの答えなのに、もう言葉に詰まった。苦し紛れの軽薄な「だよね」が恥ずかしい。

 自分だけじゃ決められないから相談と言ってたが、どう答えればいいんだ。


 いつか彼女自身が気にしなくなるなら、続けるのもいい。どれだけ待ってもそんな時が来ないなら、拷問でしかない。

 どちらにせよまひるちゃんの心持ちの問題で、アリと答えてもナシと答えても、当てずっぽうの無責任になる。


「うーん。この手紙が関わるってのは?」


 考える時間稼ぎに、コピー用紙と封筒をひらひらさせた。

 まひるちゃんはちらと振り向き、すぐに川面へ視線を戻した。手にはできあがった笹舟があって、そっと水に置かれる。


 さあっと。見た目の流れよりも早く、舟はさらわれて行った。スケール感を合わせれば十数メートルの高波に揉まれ、突き出た岩に叩きつけられる。

 完全に逆さのまま、舟は下流の滝へ向かって見えなくなった。


「その人は、たぶん嘘を吐いてないと思います」

「うんまあ。この番号にかけてみれば、嘘かほんとか分かるんだし。そんな見え透いた真似をしない、気はする」


 彼女の言わんとすることを、俺はまだ察してない。そう思うなら、なおさら気にしなくていいのではって話になる。

 声に出す前に、たぶん視線が「どういうこと?」と問いかけた。


「私。もうあの人のことを信用できないんです。だから申しわけないけど、このお手紙も。このごめんなさいが今は本当でも、またいつ気持ちが変わるんだろうって」


 まひるちゃんの声に、上ずったり強張った感じはない。だけど、ひと言ずつ自分で頷く動作が、喉の奥から絞り出すために思える。


「品下さんを脅してるみたいって、空上さんも言いましたよね。それって、そうしないと何かやりそう、とも取れますよね」


 ――ああ、やばいな。

 ぶるっと、背すじの寒さに震えた。

 彼女はこの結論を得るまで、品下陵との記憶をどれだけ繰り返したのか。

 これは春野さんにとって、最大級の悪口雑言に違いない。


 仕事を辞めるか否か。自分のこれからを考える根拠に、そんなものがほぼ確信として言葉に出る。

 この子の心には、どれだけ醜い傷が刻まれたんだろう。


「それならあの人の知らないところに行かないと――」

「あのさ。あ、遮っちゃってごめん。一ついいかな?」

「え、はい。なんですか」


 沢の底へ沈みかけていた声が、ふわっと浮き上がる。返事をして、笑った彼女が振り向いた。


「言いたいことはたぶん理解した。足りてなさそうなら、また言って」

「はい」

「でね。大事なことが抜けてると思うんだ」


 どんどん逃げ道がなくなると、人間は極端な方向へ飛び込んでしまう。嫌なものに背を向け、落ち着いて立ち去ればいいだけなのに。

 汚れてない膝を払い、まひるちゃんは立ち上がった。「大事なこと?」と首を傾けて。


「春野さんはどうしたいの? いやこの変な状況でなかったとしてさ、あの居酒屋さんにずっと居たいのかってこと」

「それはええと――」


 現状維持、って結論は難しい。でもこの次にどんな道を選ぶとして、選ぶ基準や環境はとても大事だ。

 冷たい急流に溺れながらつかむのと。暖かいひなたで、分かれた登山道のどれにしようかじっくり考えるのと。


「お話したか分からないですけど、洋菓子屋さんで働きたくて」

「なら、さ。そうしてみるチャンスかもしれないよ。この先どこでどうしたいか考えて、ついでに余計なスパイスを払い除けるように選べばいい」


 よほど意外な答えだったらしい。まひるちゃんの目が真ん丸に、一応は縦に揺れる顎がぽかんと口を開けさせた。


「ついで、ですか」

「ああ、そんなもんだよ。いつも春野さんは、目の前の誰かにどうしてあげようって考えてくれるでしょ。でもたまには、春野さんのために考えてみようよ」

「私が、私のために」


 たぶん、困らせてる。これくらいで「そうですね」と言う人なら、そもそもこんなに考え込まない。

 事実、彼女は眉間に皺を寄せ、俺の目をじっと見つめた。そこに真実とか、浮かんでこないと思うんだが。


「そうそう。で、もう一つついで。俺も春野さんのために、探すよ。雇ってもらえる洋菓子屋とか、住むとこを。これは俺がそうしたいんで、やらせてもらえると助かる」

「つまり居酒屋さんを辞めなさいって言ってますか?」


 惑ってた視線が、ハッと現実に返る。そこで俺ももっともらしく、「うんうん」と首肯してみたりする。


「変に気を遣わせるから内緒って言われたんだけど。居酒屋の奥さんがね、春野さんはやりたいことに舵を切ったほうがいいって言ってた」

「奥さんが……」

「もちろん、ああ・・なる前にだよ。やりたいことがあるのに、なまじ続いてるから辞めにくいんだろうって」


 これは正直、忘れてた。何か考える材料はって考えるうち、ふっと思い出した。


「春野さんは、もっと我がままになっていい気がする。優しい気持ちを誰かに分けてばかりじゃ、自分が空っぽになっちゃうよ」

「……それ、前にも聞きました」

「あれ、そうだっけ。ワンパターンでごめん」


 ――おい、語彙力。

 知ったふうにアドバイスしてこれは、凄まじく滑ってる。居もしない虫を追い払い、ごしごしと顔をこすった。


「そんなことないです」

「まあでも、それが俺のお勧めってこと。相談の答えになってればいいんだけど」


 まひるちゃんの手が、口もとを覆う。呆れて笑ってる、んじゃないことを願いたい。きっと冷えた手を温めてるだけだ。

 しかしやがて見えた口は笑ってた。まあ仕方ないかと、俺も笑う。


「ありがとうございます。凄く凄く、助かりました!」

「そっか。なら良かった」


 勢いよく、二つのおさげが跳ねる。下がった頭を「まあまあ」と上げさせ、テントの方向へ足を向けた。


 ――カッコ悪いな俺。

 歳に見合った話もできないのかと、少しの自己嫌悪に襲われながら。

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