第24話:【まひる】ひなたの沢

 私の背丈くらいの、小さな滝。だけど賑やかに、真っ白な飛沫を散らす。それでいて、深そうな淵から穏やかな流れが伸びた。

 沿って進む砂利道ごと、両側から細い枝の屋根が優しく覆う。すっかり晴れた青空も見えて気持ちいい。


 静かな山の中、と空上さんが言ったのに納得。ここで撮った写真を見せられたら、どこか北欧の手つかずの森と信じられる。

 私がジャンプしても渡れないくらいの川は、それくらいに透き通ってアクリル細工みたい。川面を走った風が、氷を撫でたようで気持ち良かった。


「さっそくなんだけど、これ」

「うわ、どんだけあるの」


 逆さにした彼のリュックから、たくさんのお菓子が落ちてくる。ポテトチップみたいな物から、お店で買ったドーナツまで。

 ブルーシートの上に、ちょっとした山ができた。真由美が驚くのも無理はなく、空上さん自身も「いやあ……」と頭を掻いた。


「母親がさ、持ってけって聞かなくて。今日食べきらなくていいから、二人で持って帰ってよ」


 ここまで来る途中、車の中で出してもらったクッキーを二袋空けていた。主に真由美が。

 これで足りる? とリュックを背負わされる空上さんの姿が目に浮かんで、思わずクスクス。


「えっ。空上さんてマザコン?」

「勘弁して。俺もいい歳だから、放っとけって言うの。でもいつの間にか買ってきてて」

「そ。なら良かった」

「良くないよ、春野さんに笑われたよ」


 助けを求める顔。バカにしてないって言うべきだった。でもなぜか、別の言葉が口から漏れる。

 

「だいじ、です」

「ええっ?」


 最初は困った顔が、すぐに笑ってくれた。伝わったらしい。


「そうなんだけどね、まあいいや。火、点けるよ」


 ひなた沢キャンプ場と彫られた柱から先。テントを張ったりしていいスペースは、それほど広くなかった。

 ちょっと大きめの幼稚園の園庭くらい。でも立派な瓦葺きのトイレと、神社の手水場みたいな流しがある。


 いちばん奥まった、登山道の脇に私たちは陣取った。他にお客さんは居ないみたいで、登山する人も見かけない。

 空上さんはブルーシートの端で、何か銀色の道具を組み立て始めた。「ええっと?」と少し悩みながら、五分くらいでできあがる。


「これに火を?」

「そうそう。焚き火台って言うんだけど、篝火みたいでしょ」


 ピラミッドを逆さにしたような容れ物に、脚が付いてる。彼はその中へ、薪を重ねていく。言われてみれば、たしかに時代劇で見た気がする。


「料理はその上ですればいいんですね」

「それでもいいし、もう一つバーナーもあるよ」


 焼き肉のできそうな網が載せられ、火もだんだんと大きくなっていく。木の爆ぜるパチパチを、目の前でしゃがんだままずっと聞いていたくなる。


「おーい、まひる。あたしたちも用意しないと」

「あっ、ごめん」


 言いつつ、真由美はもう私のリュックを開けている。最初に取り出したのは、雪の中を買いに行った例の物。

 ナップサックに入れているのを、彼女はサッと空上さんの視線から隠す。


「はい、ニッフィー」

「何。ダメなの」

「ううん。名前で言っただけでしょ」


 次に出したレジャーシートを、真由美はニヤニヤしながら差し出した。いちいち「やめなよ」とは言わないで、チクチク。どうやり返していいか分からない私は、ほっぺを膨らませるしかなかった。


「あ、これもニッフィーなんだ」

「えっ。変、ですか――?」


 前に空上さんは、好きな物は好きでいいと言ってくれた。だから真由美みたいに意地悪を言うはずないのに、ビクッと反応してしまう。


「変じゃないって。好きな物をこうやって使えるの、勇気あるなって思ったの。俺、貧乏性だから、大事と思ったらしまい込んじゃう」

「わ、分かります。私も大事なのは引き出しに。これはすぐ買えるやつなので」

「使い分けてるんだ、いいね」


 アウトドアのノリなんだろうか。彼は親指をグッと立てて褒めてくれた。私も真似て「はいっ」と。

 おかげで自信を持って、レジャーシートに調理道具を並べた。ニッフィーのフライパン、ニッフィーのお鍋。お玉や菜箸、まな板も。


「おお……」


 あれ、空上さんが驚いてる。真由美は笑ってる。不安になって、彼をじっと見つめた。すると慌てて、ぶんぶん手を振った。


「いや、変じゃないよ。そんなに色々あるんだと思って、感心してたの」

「無理しないでいいですよ」

「無理なんかないよ。好きな物使えば、テンション上がるでしょ。それをどうこう言う理由ないし」


 あははっ、と軽く笑う彼。なぜか心臓が、どくんと高く鳴った。

 ああしてほしい、こうしてほしい。って、頼まれたのを実践するのは楽しい。


 うまくいった時。頼んだ人が喜んでくれると、嬉しさが二倍になった気がするから。

 ――なんでこの人は、私の好きにしろって言うんだろう。


「空上さんていつも、自由にしてって言ってくれますね」

「そりゃあね。誰かに押さえつけられて言いなりって、死ぬほどつらいし」


 彼は今度はテントを用意するらしい。袋から出しただけで形ができあがったけど、飛ばないように止めるみたい。

 強度をたしかめてるのか、両手でロープをぐいぐいと引っ張った。


「あっ、ごめん。今の俺のことね」

「え。あ、いえ。大丈夫です」


 ふっ、と我に返った感じで、言葉が付け足された。

 何を謝られたか分からなくて、ごまかす。けど空上さんが作業を再開してすぐ、気付いた。品下陵さんのことだ。


 でもお別れした人だから、今さらと思う。それより彼が何気なく、薄笑いで言ったことが気になる。

 ――死ぬほどつらいって、何かあったのかな。


 *


 ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、ブロッコリー。切った野菜は待機させ、お鍋に入れた手羽元を火にかける。

 これだけで、とりあえずのやることは終わり。マシュマロを枝に刺した真由美が、焚き火の前にかじり付く。


「あたし見てるから、散歩でもしてきたら」

「あっ、うん」


 今日ここへ来たのは、空上さんに相談するため。だから煮る時間の長いメニューを選んだ。


「空上さん、案内してあげてください」

「俺はいいけど。真由美ちゃんは?」

「あたしはマシュマロの焼き具合いの研究を」


 いかにも本気ですっていう顔が、逆にふざけて見える。もちろん本気のはずはないけど。


「じゃあ、ちょっと登ってみる?」

「はいっ」


 教えてもらいたいことがあると、空上さんにも言ったはず。だからか彼は深く聞かず、登山道を指さす。

 泥ジミのとれなくなったベージュのスニーカーを、キュッと履き直した。


「何かあった?」


 登山道と言っても、まだ平坦に近い。下流では穏やかな川だった水の流れが、岩間を滑る沢に変わった。

 さらさら鳴く他は、二人で踏む落ち葉の音だけ。


 黙って後ろを歩く私に、空上さんから声をかけてくれる。

 何も気負わなくていい。相談した結果で、何もかもが決まるわけじゃないんだから。

 分かっていても、返事をするには深呼吸が二回必要だった。


「何かってほどじゃなくて。自分だけじゃ決められないことがあって。相談に乗ってほしかったんです」

「そういうことか。勤まるかな」

「だっ、大丈夫です。変に責任とか感じなくても。意見をもらえたら」


 私の中にない答えが聞けたらいい。だから遠慮をされたら意味がない。でも気に病ませるのは困る。

 という気持ちがうまく言葉にならず、早口でまくし立てた。


「分かった。頑張る」


 そんなに頑張らなくても。なんて言い出すと、おかしな感じになりそうでやめた。

 空上さんは足を止める。そこから先、沢が森の深いほうへ向きを変えた。Vの字で遠ざかる景色に、たくさんの木洩れ日が射す。


「でもその前に、これ。読んでみてもらえますか」

「何、手紙?」


 上着のポケットから茶封筒を取り出す。当て名が私になっているのを見て、彼は「読んでいいの」と首を傾げた。


「相談に関わると思うので」

「分かった。読ませてもらうね」


 私がしたのと同じに、封筒が裏返される。でもそこには住所も名前もない。そっと、四つに折られたコピー用紙が取り出された。


「これ、本物かな」


 A4用紙いっぱいに書かれた文章を読み終えた空上さんは、封筒と中身を何度もひっくり返した。その動作と、本物かなと考えたのは私も同じ。


「分かりません。でも関係ない人が、わざわざそんなことしないかなって」

「まあ、そうだけど」


 差出人不明の手紙。中の文章の最初に、素性が書かれてた。年越しの日、私を連れて行こうとした男ですと。

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