第23話:【晴男】もう一度、ドイツへ
キャンプに行く前日。一月十日は昼からの出勤だった。雪は消えたが寒い日ばかりで、今日も薄曇りだ。
そんな中、店の前に晴れ着姿の女の子が居て驚いた。でもすぐに、成人式と察する。
――あれ。まひるちゃんと、真由美ちゃんもか?
結局、年齢をはっきりと聞いてない。今日の明日で会うのに、知らんふりでいいもんだろうか。
「知り合いの子に成人式のお祝いって、あげるもんですかねえ」
「うーん。贈り物って基本的に、来年の同じ日、どういう関係で居たいかなんじゃない? 成人式に来年はないけどさ」
売り場へ出る前に、休憩をとっていた田中さんに聞いてみた。
そんなもの相手次第だし、あげたければあげればって返事でも仕方がない。俺が聞かれたら、答えに困ってそう言った気がする。
でも思ったより格段に、きちんとした返答をもらえた。
「大事にしたいなら、いい物を。どうでもいいならあげない、ですか」
「そういうこと。女の子?」
「なっ、なんでですか」
なぜ分かるのかと自白するところだった。別に知られてもやましいところはないが、何だか気恥ずかしい。
いややはり、ひと回り近くも下の女の子と出かけるのは犯罪のような気が。
「だって最近、帰るの楽しそうだし。よくスマホ見てるし。上着も新しくなったし」
「だからって、この話と関係ないでしょう」
「じゃあ男の子向けの提案すればいいんだ?」
たしかに年明けから、例のフライトジャケットを使うようになっていた。ダウンはいいかげんにくたびれてたし、二度も酒を浴びてしまったから。
「……女の子ですけど」
「へえー、いいねえ。彼女?」
「いやいや。俺が二十歳の子とって、犯罪でしょ」
「そんなことないと思う、お互いの気持ち次第よ。いつ渡すの?」
そうかなあ、とは思わない。困ってたまひるちゃんを、家の近くまで送り届けた。俺はただそれだけの男だ。真由美ちゃんも含め、送り狼みたいになってどうする。
「明日、キャンプへ行くことになってて」
「キャンプ?」
「どうかしました?」
田中さんの眉間に皺が寄った。なんだその怪訝な顔は。
若い女の子とキャンプとか、あり得ないって話か? でも向こうからの提案だし、と求められてもない言いわけが頭に並ぶ。
「ううん別に。キャンプねえ、その記念みたいな物にしたら? アウトドア用のコップとか、帽子とか」
「ああ、いいですね。仕事が終わったら見に行ってみます」
「いいのが見つかるといいね」
成人式の贈り物となると、万年筆とか。堅苦しく考えてた俺には、目から鱗だ。礼を言って売り場へ出ると、そこに猪口店長が居た。
「何考えてんだ空上」
「へ?」
乾物を載せた台車から離れた手が、レジコーナー付近の柱を指さす。そこには高校の時に教室へあったような、飾りけのないアナログ時計が掛かってる。
時刻は午後零時十二分。今日の俺の始業時間は、午後零時だった。
*
「お休みのところすみません。今日はよろしくお願いします!」
後ろで二つに分けた栗毛が、ぴょこんと跳ねる。セリフと言い、二つに折れるようなおじぎと言い、今日は職場研修だったかなと思う。
西八玉子駅前のコンビニに、まひるちゃんと真由美ちゃんは待っていた。午前十時にここでと、もちろん約束の上だ。
特に何を持ってくるとは、お互いに相談しなかった。キャンプ道具は俺、食事は彼女たちと役割りは分かれてたから。
真由美ちゃんの持つ、ハマチでも釣りに行くのか? っていうクーラーボックスはまあ分かる。大きすぎだが、食材が入ってるんだろう。
しかしまひるちゃんの、ヒマラヤにでも登りそうなリュックは何だ。
いや女の子の荷物を尋ねるとか、俺にはできないけれども。
「こんなところまで迎えに来てもらってすみません」
「いいのいいの。行き先もこっちだし」
ともあれ、荷物を車に載せた。例によってレンタカーだが。ランクロなんて高級車じゃなく、いちばん安いグレードを選んだ。
トコタ自動車のポルチェ。丸っこい割りに中が広く、荷物がたくさん載ると思って。
「どの辺りですか?」
「高尾山。ひなた沢キャンプ場ってとこ」
「へえ、そんな近くでできるんですね」
近場でいいと言われたが、あまりに近い。八玉子からだと、三十分くらいで着いてしまう。
二人がドライブも兼ねてと考えてたら、当てを外したことになる。どうかなと横目で窺うと、後ろから真由美ちゃんの冷たい声が這い寄る。
「空上さん、ちゃんと探してくれた?」
「選んだし。近いほうが楽でいいとか思ってないし」
「あはは、思ってるでしょ」
からかっているのは声で分かる。「お、思ってません」と慌てて見せた。
「真由美、そんなこと言っちゃダメ」
「分かってるってば」
「大丈夫だよ。ほんとに真面目に探したから」
まひるちゃんも冗談と理解してるだろうけど、さすが親友を窘めた。
俺なら悪ノリで、似たような言葉を重ねただろう。どう育てばこんな素直な子が育つのか、親の顔が見てみたい。
――ああ、見たことあったわ。
「てことで、出発しよか」
「はーい」
二人仲良く、返事がいい。仲がいいと言えば、服装を相談してきたようだ。
動きやすそうなフード付きのジャケットに、モコモコのインナー。ショートパンツの下へは暖かそうなタイツ。
まひるちゃんがピンク系で、真由美ちゃんが赤っぽい原色系。らしい感じで可愛い。
対して俺はジャージのズボンに、何のロゴだか分からないトレーナー。フライトジャケットで、どうにか体裁がついてればいいんだが。
「あれ? 前に乗るの」
二人は当然に後席へ並んで座ると思ってた。でもまひるちゃんは当然のように、助手席へ乗り込む。
「はい。運転する人が眠くなるから、誰か必ず助手席に乗るものって」
「あー、気遣いは凄い嬉しいけど。近いし、平気だよ?」
――また品下陵の言いつけか。
そこまで縛られてると思うと、今日は是が非にも楽しませたい。
ちょっと強めに後ろへ移るよう言ったが、彼女は首を横に振る。
「そうしたいんです。お父さんだけじゃなく、お兄ちゃんも言ってたし。私は運転できないから、せめてここに居させてください」
「あ、ああ。うん、好きにしていいよ」
――やべ、ちょっと泣きそう。
なんとええ子なんじゃ、とエセ昔話風に叫びたくなる。
しかも家族から言われてたとは、危なかった。
「そんなにいい所なんですか? ひなた沢キャンプ場でしたっけ」
車を走らせ始めてすぐ、まひるちゃんが聞いた。向かう先に見える山々を、楽しそうに眺めつつ。
「うん、たぶん。何か気になった?」
「いえ。さっき空上さんが、笑って言ってたから」
「それは真由美ちゃんに笑わされたんだよ」
自覚はなかった。でも笑ってたなら、真由美ちゃんがからかったからだ。
そう思うのに、まひるちゃんはまた首を振って否定する。
「そうですけど、それとは違うんです。うーん、何ていうか。前に私を車で送ってくれた時、同じような感じだったなあって」
「へえ……」
心臓が、大きく跳ねる。
人生を諦めようとした日。妙な出会い方をした彼女に、救われた日。
どうして笑ってたか、やっぱり自覚がなくて分からないけど。
「あの日はさ、ドイツに行こうとしてたんだ」
「ドイツ?」
「大丈夫。日本にドイツがないのは知ってる」
聞き咎めたのは真由美ちゃん。「瞬発力いいね」と噴き出した。
「ひたすら遠くへ行きたくなって、たまたま旅行のパンフレット見てさ。こういうとこがいいなって」
「――ひなた沢も、そんな感じだったんですか」
まひるちゃんは、少し言葉を探した。何か勘付いてるのかもしれない。
この子はとても、他人の心に敏感だ。自分の気持ちはいつも置いていくくせに。
「写真で見たらね、そう思った。ふもとの原って、あの日行こうとしてたのとは違うけどね。なんだか静かな山の中って雰囲気」
こんなことを話す必要はない。この子たちと行くのに、そんな意識をする必要もない。
だけど今日、そうしたいなと思った。
「そうなんですね。私、見てみたいです。空上さんの行きたかったドイツ」
「ああ、すぐだよ」
昨日と同じ、薄曇りの空。しかし向かう山の先には、青い空が覗いていた。
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