第21話:【晴男】さても、驚きの朝

 年越しのできごとは、もう事件と言っていいだろう。結局警察沙汰にしなかったが、話のネタと言えるレベルを外れてた。


 とはいえ俺は部外者だ。誘拐や暴行の被害者が誰か、言わずもがな。他には居酒屋の店長が、あの日の飲食を全部おごりにしたことくらい。


 明けた朝からまた俺は、代わり映えしない仕事場アルファスに居た。

 いや初売りだから、特売品を狙ったお客さまは多い。そういう意味で特別だけど、忙しいのは正月に限った話じゃない。


 しかも一日の午後にもなれば、波が引く。二日と三日なんて豆腐やパンなんかの日配品が補給されず、年間でも指折りのまったりした時間が流れる。

 口うるさい俺の上司、猪口店長も棚にない商品を売れとは言わなかった。


 四日に流通が戻ると、少し忙しかった。火曜日で、冷凍食品のポイント四倍デーだったせいもある。

 五日の水曜日は、全商品のポイント二倍デーだ。それでも週末の賑わいに及ばない。


 てな具合いに。世間から正月気分が抜けるまで、俺は毎日出勤してた。十二月二十八日に休んだきり、八連勤だ。

 また社畜に戻ったようで嫌だったが、仕方ない。出られるパートさんが減るから、正社員で対応するしかなかった。


 そうして一月六日。さほど疲れた感覚もなく、また何して過ごせばいいんだと悩むでなく、久しぶりの休日を油断して迎えた。


「――寒っ」


 畳に直敷きの布団で、目覚めてすぐにそう言った。毛布を二枚使いの布団の中は平気だが、顔に触れる空気が冷凍庫みたいだ。

 カーテンの外が暗い。ゆうべぐずついた天気だったけど、やっぱり雨が降り始めたか。


 と思ったけど、雨音がしない。まさか勘弁しろよと、新年早々の神頼みをムダに消費した。


「うぅわ……」


 毛布を一枚引き摺り、カーテンを開けた。結露でびしょびしょの窓の外に、ほぼ一色の世界が広がる。

 雪だ。


 ただちに回れ右。毛布を元へ戻すと、布団の虫になる。蝶にも蛾にもならず、永遠に自分の体温でぬくぬくしていたい。

 しかしよく寝た感もあって、二度寝はできなかった。布団の中にスマホを引っ張り込み、ほんの一分前と同じ呻きを漏らす。


「一時……」


 午後のだ。

 これほどの寝坊は、朝から晩まで働き詰めだった頃にもしたことがない。そもそも休んでなかったから、寝坊する暇がなかったのもあるけど。


 そんなに疲れてたのか? と誰も答えてくれない疑問はさておき、スマホの画面にまた驚いた。

 RINEのマークが出てる。誰かからメッセージが来てるってことだ。差出人の候補は二人しか思いつかず、どちらももう来ないと思ってたのに。


【春野まひる】朝からすみません。お願いがあるんですが、次のお休みはいつですか? お時間のある時に教えていただけたら嬉しいです。


 ――お願いってなんだ。

 休みを教えるのがお願いなのか、その休みの日にお願いをさせろと言うのか。

 そんなもの、どっちだって同じだが。問題は、俺なんかに今さら何の用かだ。


 ニット帽の男。指図しただろう品下陵。どちらも年越しと同時に、解決したはず。だから引っ越す必要がなくなり、俺が彼女に関わる理由もなくなった。

 仕事中にそうと気付いて、ちょっと寂しく思ったもんだ。でも今度は俺がストーカー扱いなんて、シャレにならない。

 また話すことがあるとは思ってなかった。


 それともまさか、あれだけきっぱりと十数人に見守られながら振られたのに。また奴が何かしたんだろうか。

 メッセージの受信は、午前八時ちょうど。七時台は迷惑かなとか考えて、待ち構えて送る様子が目に浮かぶ。


 ――ってことは、切羽詰まってはない?

 掛け布団の中でちまちまとスマホを弄るオッサンは、しばし考える。

 だけど用件を聞くくらい、躊躇することもないだろう。結局そういう安易な結論に至った。


 休みと言うなら今日だと、さっきまで寝ていた事実は伏せてメッセージを送る。

 すると五分も経たずに返事があった。


【春野まひる】今、お電話しても大丈夫ですか?


 彼女も忙しくしていないようだ。まあアルバイトは夕方からで、それはいつもなのかもしれない。

 俺は大丈夫だよ。と返事をすると、すかさずRINE電話が鳴った。


「もしもし、何かあった?」

「お休みのところすみません。何かって――ああ。いえ、そういうのじゃないです」

「なら良かった」


 周りに人の気配。走る車の音。ちょっと緊張ぎみな彼女の声は、電話だからか。というか真由美ちゃんの声が「空上さん何してんの」と聞こえる。

 当人の言う通り、そういう・・・・用件じゃなさそうだ。


「空上さんは暇で、ゴロゴロしてるよ」

「そうなんですか? 疲れてまだ寝てたら申しわけなかったなって、すみません」

「え、朝の? そ、そんなわけないじゃん。スマホ置きっぱなしで気付かなかっただけ、ごめんね」


 無意味な見栄を張る。「早起きですね」と優しい彼女の声が、良心に痛い。


「あの。色々お話したいことがあって、次のお休みがいつか教えてもらえますか?」

「え。今日じゃなくて、また次? ええと、十一日だけど」


 答えると電話の向こうで、作戦会議がされた。たぶん真由美ちゃんの都合を聞いている。


「あの。凄く図々しいお願いなんですが」

「何?」

「キャンプに連れていっていただけませんか? ええと、デイキャンプって言うんでしたっけ」


 キャンプと言えば普通はテントに泊まるけど、日帰りするのがデイキャンプだ。それ自体は珍しくも何ともないが、まひるちゃんから頼まれるとは思わなかった。


「いいよ。真由美ちゃんと三人だよね、場所の希望とかある?」


 お話とやらを、わざわざキャンプ場で聞くのか。連れてけと言われても、俺も初心者なんだが。

 不安はありつつ、彼女の頼みを断る選択肢は俺になかった。

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