第13話:【晴男】それって、いいのか

 田中さんの手配した中華料理屋は、いわゆるラーメン屋でない。回るテーブルがあったりする、本格的なところだ。

 一度来たことがあったけど、個室があるとは知らなかった。昔はカラオケボックスだったらしく、二階がほぼそのまま残ってる。


「ねえ空上さん、あの日は何してたの?」


 俺の謝罪を音頭に、乾杯を済ませた。なぜかパートのみんなは「今年もお疲れさま」と忘年会に突入したが。「その話はこれで決着ね」と言った田中さんが仕向けたらしい。


 ――で。その田中さんが、その話・・・を蒸し返してくるわけだが。

 まあまあ。例のお菓子を放出したので、気になるよなと思う。


「見ての通りです、富士山方面に行ってました。到着しませんでしたが」

「へえ、いいねえ。きれいだった?」

「ずっと天気が悪かったんで、見えなかったと思います」


 賞味期限を考え、残りの二十数箱を全て。部屋の入り口に山積みしておいた。

 田中さんは違う種類のを二箱取り、表の謳い文句を読みながら問う。俺の返答に「思います?」と、すぐ目を向けてきたけど。


「車、運転してたんで。キャンプに行こうと思ったんです、自然の中に居たらスッキリするかなと思って」

「キャンプいいね、うちの旦那も行きたいって言ってる。あたしはやったことないけど」


 ビニール張りのソファーと、安そうな化粧板のテーブル。回鍋肉と唐揚げを取った田中さんは、その皿を俺に渡した。菓子箱は膝の上へ確保したまま。


「ありがとうございます。一緒に行かないんですか?」

「誘ってくれれば行くけど、一人で楽しみたいならどうぞって感じ? 言って旦那も、誘われて何回かやったってだけみたい」

「そんなもんですか」


 田中さんはテーブルを回し、フカヒレスープを取った。うまいよなと思ったら、それは自分で食べるらしい。

 もちろん俺も三十二歳児だ、自分で取れる。


「そんなもんよ。じゃないと今日、あたしもここへ来れないでしょ」

「なるほど。でも、誘われれば嫌じゃないんですね」

「そりゃあね。虫とか蛇とか、どうにかしてくれるんなら。あと、食べる物も」


 レクリエーションではあるし、家事をするより楽。ということか、たしかに「そりゃあね」だ。


「まあ目的は達成したんじゃない?」

「え、目的って」

「キャンプできなかったんでしょ。だけどスッキリできたんじゃない? あれから空上さん、元気になったよ」


 いつの間にか、話題が戻ってた。縦と横と、首をどう振るか返答に困る。


「ええと……」

「そうでもない?」


 ――話してみるか?

 言っては怒られるが、年長者。仕事も俺自身もよく知ってる。他に適当な相談相手の心当たりがない。


 九人でも余裕のある大部屋。こっそり見回せば、何人かが奥にあるカラオケの機械を触り、残りはそれぞれ食べて話していた。


「もう、やめようと思ったんです。どうにでもなれって、思いつくまま。でも結局、やろうとしたことは何もできなくて。成り行きでその日のうちに帰ってきちゃって」

「うーん……」


 田中さんの眉間に皺が。

 聞いてくれたと言え、飲み会の流れで話す内容じゃなかったか。この人なら笑い飛ばすなり、何かヒントをくれると思ってた。


「あ、いや、すんません。場違いでしたね」

「えっ、そんなことないよ。おばちゃん、頭の瞬発力ないから」

「そんなそんな」


 漫画みたいに描き文字を加えるなら、イヒッと。田中さんはイタズラっぽい笑顔を作った。


「仕事をやめるのもアリと思うよ。まだ三十、いくつだっけ。全然他のことできるだろうし。でも言ったけど、元気になった気がするよ。ミスの数は変わってないのに」

「あいたっ」


 この人は労うとか慰めるとかいう意味を、知ってるのか? 知ってるんだろう、思わず笑った自分に気付く。


「吹っ切れたっていうか、投げやりなんだと思います。働いてくれてるみなさんに、失礼なんですけど。いつでもやめてやるって、ヤケクソなのかな」


 仕事をやめるのなんか簡単だ。なんならクビにしてくれ。みたいな気持ちが胸にある。

 だから出勤はともかく、退勤はとっととするようになった。元気と言うなら、そのおかげだろう。


「そうは見えないけど」


 いかにも意外そうに、田中さんは首を傾げる。その反応こそ俺には意外で、「ええ?」と同じ向きに首を曲げた。


「あたしが思うのに、空上さんて一度に抱え込みすぎなんだわ。おにぎり作るのとトイレ掃除と、花に水やりは同時進行できないの」

「場所と衛生管理と、そもそも手が足らないですね」

「そうそう。普通は順番をつけるんだけど、うちの店長もいっぺんにやれって言うわけ。それであなたは、本当にやっちゃう」


 思い当たる節に事欠かない。一日の最初に課されるタスクが、一時間かかるものを十個とか普通にある。

 それらを片付けていくうちに別の仕事が生まれ、終わったと思ったのにやり直しも。


「ある意味、器用な人だと思うの。でもそれって、凄く疲れるの。だけどここ何日の空上さんは、今はこれっていうのを見極めてる気がする。あたしらにできることは、振ってくれるし」

「いやそれは――」


 褒めすぎだ。最低限、これだけやっとけば文句ないだろって。その途中でパートさんに相談されたことは、良きに計らえってしてただけだ。


「ていうのを自分では、投げやりって思うのかな。だけどそれでいいと思うよ、空上さんて知らないことないんだし」

「んなわけないでしょ」

「あるでしょ。この五、六年で全部の部門を回ったよね」

「まあ、それは……」


 正確には七年かかってる。一年か一年半ごと、精肉、鮮魚、青果、惣菜、日配と担当してきた。

 毎度店長に、例のお言葉をもらって。


好子よしこさーん、カラオケ使えるみたい」

「あっ、あたしの歌!」


 どう受け止めていいやら悩むうち、ロックな感じの音楽が流れ始めた。田中さんは跳ねるように向かって、マイクを握る。

 ――田中好子なら、歌が違うでしょうに。

 まあそっちは俺の母さんが好きなんだが。


「――もしヒーローだったら」


 気持ち良さそうに、サビへ入っていく。俺も知ってる、往年の名曲。

 空上晴男はスーパーヒーローじゃないと。労ってくれてる気がするのは、完全に気のせいだろう。

 翼を失った天使とか、俺には居ないし。


 *


「冷凍食品、うんとあるから。好きなの食べるさ」

「うん、気を付けて」


 次の日、二十八日はシフトが休みだった。俺は休まないだろうと、店長の目論見が透けて見える。

 指示通り素直に休み、寝坊しようと思ったのに、いつもの時間に起こされた。


 そのまま朝飯なんか食べたら二度寝もできなくなって、母さんがパートへ出かける時間になった。


「今晩、忘年会だから」

「うんうん。聞いた」

「町内会費、集金あったら水屋ね」

「分かった、行ってらっしゃい」

「ああ、そだ。冷蔵庫のゼリーとか大福とか、食べていいから」

「ありがと。時間大丈夫?」


 アウトドア用の裏起毛の上下を着て、ムダにしゃれてる。表の扉を半分開け、振り返った格好で注意事項が多い。


「じゃあ行ってくるさ。久しぶりなんだから、ゆっくり休んで」

「そうする、気を付けて」


 やっと出かけた。気遣ってくれるのはありがたいけど、さすがに子ども扱いが過ぎる。

 鍵をかけようとノブに手を伸ばすと、また開いた。


「今日、最後の燃えるゴミだったー」

「やっとくやっとく」


 わざとじゃないと信じたい。苦笑で送り出し、宣言通りにゴミを集める。

 今年最後と聞いて、部屋を片付けるかと一瞬思った。が、やめた。一日まるごと休むのは、たぶん一年以上ぶりだ。


「うぅぅぅぅ」


 アパートのゴミ集積場へ出し、表の戸の鍵をかけ、すっかり冷えた布団に戻った。

 きっと体温がマイナスになってる。寝転んだまま膝を抱え、それでも震えた。畳の間から風の吹く安普請が恨めしい。


 ――にしても、ゆっくりってどうするんだっけ。

 五分くらいでようやく、震えが止まった。手を出せば寒いので、布団の中へ顔を突っ込む。

 スマホのアプリはいくつもあるが、やる気にならない。動画サイトを巡回しても、ピンとくるのが見つからなかった。


 友だちと遊ぶなんて、直近がもう何年前か。どの道、平日休みの奴が居ないけれども。

 DVDでも借りてくるか。という俺の提案は、何を見たいか考えるのが面倒と言う俺に却下された。


 じゃあ家でできること、と言えば料理か掃除くらい。そんなもの、もっと面倒に決まってる。

 ――そうか、それで暇だから店に行ってたんだ。


 やることがなくて、前の日の失敗を反すうして、うっかり改善案なんか思いつく。それを実行しに出かけるとか、バカバカしい。社畜になるのはもう嫌だ。


「暇だ……」


 息苦しくなって、布団から顔を出す。窓のカーテンは母さんが開けていて、空がよく見えた。

 今日はグレーじゃない。昼ころには、けっこう暖かくなりそうだ。


 ――まひるちゃん、どうしてるかな。

 あんな歳下の子に遊んでもらおうとかは図々しい。いや、なんだか犯罪臭のする気がした。

 でも泣き顔が最後なのは気になる。だけどこっちから連絡するのは犯罪臭が、と堂々巡り。


 結局一時間ほどゴロゴロして、駅前のコンビニに。いちばんうまそうなカップラーメンを買い、持ち帰って食う。というのが、夕方までに行った全てだ。

 強いて言えば、大福も食ったけど。


 これがそのまま、一日の全てになるはずだった。しかし、RINEで送られたメッセージが予定を変えた。

 午後七時過ぎ。焚き火の動画をぼんやり眺めていた目に、着信の通知が届いた。それだけで、短い文面が読み取れる。


【春野まひる】助けてください


 どういう意味だ? と、すぐに察しなかった俺は休みにボケていた。

 少し考えて、例の彼氏くんが思い浮かぶ。


 ――またあいつか。

 そうと分かれば、迷いはなかった。まひるちゃんのアイコンから、電話をかける。

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