第9話:【晴男】ちょっと、危ない
十二月二十六日の街。昨日まではモミの木やら星飾りやらで溢れてたのが、和に変わる。しめ縄を飾る家をよく見かけるし、
やって来た居酒屋にも、もう重ね餅が見える。まあ
――誰にでも平等な唯一の物は時間、って。誰が言ったんだっけ?
時計やカレンダーに従って、否応なしに移り変わる風景を見ていると、その通りとは思えない。
生まれつきで金持ちとか、超イケメンとか。親ガチャだの人生ガチャだのは、間違いなくある。
――俺なんか、
それでどうして、混み合うこの居酒屋の店長みたいになれないのか。
いや誰かの上に立ちたいとかじゃなく、いかにもうまく行ってますって風に見えた。
人生っていう時間の使い方が、よっぽど俺はヘタクソなんだろう。
「おーい、空上さんの番ですよ」
「あっ、悪い」
スマホのゲーム画面に、残り時間がカウントされてる。あと七秒。
どこを狙うか判断する間がなく、敵ボスの弱点へ直に攻撃した。
「えっ、そっち!?」
真由美ちゃんの声が裏返る。何かまずかったか? と画面を見直せば、春野さんの持ちキャラが絶好の位置に居た。
「あっ」
と後悔の声を出した時、俺のキャラがイレギュラーに動く。一旦あさっての方向へ行って、条件のシビアな大ダメージポイントに。
と。
まだまだ残っていたボスの
「この俺が簡単に滅ぶと思うなよ!」
恨みがましいセリフと共に、ボスキャラは四散した。
「あ、やった落ちた!」
「真由美、良かったねえ」
座卓の対面に座る女の子二人が、握手し合う。俺は内心「
注文を済ませ、お互い名乗り合って、その次がオンラインプレイとは予想外だった。
午後八時過ぎ。俺は一時間の残業の後、仕事着のままだ。
「いやー、空上さんありがと。この激烈クエスト、あたしもまひるも適正キャラが一個しかなくて」
「役に立てたなら良かった」
もうかなり前にやらなくなったアプリだったけど、まだなんとなく残していた。古いキャラが救済措置で強キャラになっていて、古参プレイヤーの面目躍如だ。
「空上さん、キャラたくさん持ってるんですね。凄いです」
「だね。あたしらの何倍居るんだって感じ」
春野さんも真由美ちゃんも、お酒を頼んでた。最初は高校生と思ってたけど、言わなくて良かった。
「春野さん、それ褒めてないよ。他に趣味がないって、バレバレじゃん」
「ええ? あの大きな車で、あちこち行くんじゃないんですか。おとといはキャンプに挑戦するって言ってましたよね」
そう、まだおとといだ。なのにもう再会して、しかも居酒屋とは。
場所の指定が桜が丘で、春野さんの勤め先かと思った。が、それは違うらしい。
「いやそれよりさ。あたしが真由美なのに、まひるは春野さんなの?」
「それは真由美が呼べって」
「そうだけど」
他になんとも呼ぶ前に当人から指定されれば、選択の余地がなかった。でも春野さんは俺の中で、もう固定されている。
呼び名くらい変えてもいい気はするけど、なんだか気恥ずかしい。
「あの車はレンタカーなの。おとといは特別で、好きなことをなんでもやるって決めてただけ」
「ああ、言ってましたねえ。何かいいことあったんですか?」
「――まあ、そんなとこ。自分へのご褒美ってやつ?」
ぱあっと朗らかに問われて、言葉に詰まる。どうにか苦笑で息を吐き出し、その勢いで嘘を並べた。
「大事ですね、自分の機嫌は自分でとる。我がまま言って、他に当たり散らすとかサイテー」
真由美ちゃんの湯呑みがぐいっと呷られ、景気のいい音で座卓に叩きつけられる。この子のだけ、日本酒だったのか?
たぶん春野さんの彼氏、品下くんに当てつけてるんだろう。だけど俺も、偉そうに言える立場でない。苦笑の苦の字が、辛になる。
「あはは……ええと、あれからは大丈夫だった?」
「おかげさまです。と言っても陵さん、まだ帰ってないみたいですけど」
言いながら、春野さんは傍らのスマホを手に取った。俺へと同じく、RINEのメッセージを送ってるんだろう。
「無責任なことも言えないけど、うまく纏まるといいね」
「ですね。陵さんが許して――じゃない。ええと、そうです。うまく纏まればいいです」
途中で言葉を呑み込んだ理由は、ぎらっと睨んだ真由美ちゃんの眼光。この分なら春野さんが優しく収めようとしても、食い止められそうだ。
春野さんはごまかすように「そうだった」と、自分のバッグを探る。
「これ、お菓子の代金とガソリン代です」
「え、いいって言ったのに」
「そういうわけにいきません、受け取ってください。あの時は、お世話になりました」
座卓の端を滑らせて、茶封筒が突き出される。前のめりになった春野さんは、そのまま頭を下げ続けた。
どうしたものか困って、真由美ちゃんを見る。するとこちらも頭を下げた。
「ええと、じゃあ。ありがたく」
貸した金を返してもらうなんて、いいんだろうか。いや俺としては貸したのでもなく、あげたつもりだった。
万引き犯はこんな気持ちかなと、二人の視線を気にしながら封筒を取り、懐に入れる。
一気に喉が乾いた。お茶のお代わりを探すと、薬味と一緒に急須が置いてある。どぼどぼ注ぎ、ぐっと呷った。
「……うぇっ。げはっ、げはっ!」
なんだこのお茶は、旨からい。煮詰めたうどんの汁でも飲んだみたいだ。
「えっ、空上さん!?」
「げほっ、げほっ」
さっと顔を上げた春野さんが、座卓を回り込んでくる。咳き込む俺の背をさすり、おしぼりを口もとへ当ててくれた。
「え、これ飲んだの?」
俺の湯呑みを持った真由美ちゃんは、そう言って立ち上がった。個室の襖を開き、店員さんに飲み物を早くと頼んでくれている。
「これって――あ、空上さん。だし汁飲んじゃったんですか」
「ええ、だし汁?」
「このお店、自分で調節できるように置いてあるの。ごめんなさい」
――うわあ、下手こいた。
元々取るところもない男が、ドジっ子属性を披露しても株が下がるだけだ。
しかもそれで、誘ってくれた女の子に謝らせるとは救いがない。
「いや、大丈夫。びっくりしただけで、慣れてるから」
「慣れてるんですか」
「あ、ええと。その……げほっ」
フォローのしようがない。もうどんな言葉も浮かんでこなくて、十秒くらいも沈黙が続いた。
突っ伏した俺と、膝立ちで背中をさすってくれる春野さん。襖の脇で見下ろす、真由美ちゃん。
「――あはっ」
「もう空上さん。そんな身体を張ったネタしなくても」
「あ、あははっ。ネタじゃないけどね」
「分かります、あははっ!」
女の子二人が笑って、俺も笑った。それでごまかせるならと思ってだけど、すぐに本気で笑い始めた。
それは春野さんと真由美ちゃんが、楽しそうだったから。皮肉とか社交辞令のない、生の感情だったから。
「あー、恥ずかしかった」
「そんなことないですよ、しばらくネタにしますけど」
「ちょっと真由美」
「いいよいいよ。笑ってもらえるなら」
春野さんのカシスオレンジ、真由美ちゃんのハイボール、俺のビールがやって来た。
ぐつぐつと賑やかな鍋も同時で、すぐに食べられるらしい。ようやく乾杯だってのに、なんで俺は一発芸を見せてるんだ。
「近くのお店は、だいたい顔見知りなんです。私は休んでるのに、自分の働いてるお店に行くのはなんか、ね」
「ああ、分かる分かる。俺も弁当くらいなら買うけど、がっつり買う時は別のスーパー行っちゃうよ」
「え、そうなの? あたし店員割引きで、山ほど買うんだけど」
真由美ちゃんは、洋服屋さんのシーユーで働いてるらしい。どうりでおしゃれだと言おうとして、危うく思い留まった。
「うん。でもここの店長さん、安くしてくれるって。ほら」
春野さんは伝票挟みを取り、真由美ちゃんに見せた。伝票をめくった下に、サービス券らしき物が見える。
「へー、太っ腹」
「ね。こんなにしてもらっていいのかな」
「してくれるって言うのを、遠慮するほうが悪いよ。その分いっぱい食べよ」
「そうだね!」
いいコンビだ。俺にもこういう友だちが居たら、もっと前向きなのかなと羨ましくなる。
居たらの前に、作ろうとする努力をしなかったのも自覚してるけど。
それから一時間半くらい、食べて話した。前半はおとといの様子を真由美ちゃんが聞きたがり、後半は二人がいつも何をしてるか俺が聞いた。
「そういえば空上さんのいいことって、何があったんです?」
俺は三杯目のビール。女の子たちは二杯目でグレープサワー。ほろ酔い加減の春野さんが、ちょっと怪しいろれつで聞く。
「え、内緒」
「ええー。教えてください、気になります」
「大したことじゃないんだよ、がっかりされるから言わない」
「知りたいですー」
――ほろ酔いじゃないな。
俺の袖を引っ張って、だだっ子っぽくなった。まあ楽しそうで、微笑ましいんだが。
「真由美ちゃん。春野さんって、いつもこんな?」
「春野さんじゃないですー。まひるですー」
「あ、ああ。はいはい、まひるちゃん」
真由美ちゃんも真由美ちゃんで、友人の惨状をケタケタ笑った。君たち、これ以上は飲んじゃいけない。
「いつもじゃないですよ、たまにありますけど。空上さん、気に入られたみたいですね」
「あ、そうなの? ありがたいけど、帰ろうか」
「はーい」
もう気分は、親戚のおじさんだ。返事のいい春野さんを真由美ちゃんに任せ、支払いを済ませる。
店を出て、表通りでタクシーを止めた。
「すみません、これで」
「はい、毎度」
運転手さんに万札を渡し、これで責任は果たしただろう。いや家まで見送るべきなのか?
「空上さん空上さん!」
「はい、なんでしょう」
「これ忘れてました!」
ただでさえ大きな声が、さらにでかい。典型的な酔っぱらいになった春野さ――まひるちゃんは、シーユーの紙袋を押し付けてくる。
ああ、俺の貸した上着か。
「嵩張るのに、悪いね。ありがとう」
「お礼を言うのは私のほうです!」
堂々巡りになりそうだ。諦めて、そうだねと引き下がる。とりあえず彼女をタクシーに乗せないと。
「おいっ!」
まひるちゃんの背中を押した時、夜の桜が丘に怒声が響いた。
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