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「わかるかっての」
私は広場のベンチに座りながら、由麻には悪いと思いつつも、歯止めの利かない愚痴をこぼしてしまった。
夕暮れが見える。もう上着を着ていないと、寒い。隣には美保子がいて、ずっとドラムのイメージトレーニングをしながら、私に相槌を打っていた。
広場には、運動部が行き来している。私はここに来ると、あの日のことを思い出してしまって、胸がいっぱいになる。直視したくないから、目を伏せた。
CDの鑑賞会が終わって、バンド活動予定のない私たちは、せっかくだからそのまま三人で帰ることにしたのだけれど、紗良が課題を思い出したというので、それが終わるまでこんなところで待っていることにした。それ以外に選択肢なんて無かった。私は、別に家に帰りたいわけではなかったから。
それにしても、すごい演奏だった。まだ、耳鳴りみたいに残っている。
家に帰ったら、弾きたくもないギターを抱えてみる気分にすら、私はなっていた。
どれだけ弾き込めば、あのレベルに達するのか。いや、きっと私なんかでは追いつけない領域にある。これは才能の差というより、好き嫌いと環境の違いだと思った。恵まれた環境にいる、好きで弾いている人間になんて、勝てるわけがない。
あんな高みに、人に誇れるように、上り詰めようと思って始めたギターなのに、今ではなんで辛い思い出ばかりなのだろう。
「結構良かったわね」と美保子が右手でスティックを振り回す動作を止めないで、私に言った。「テレパスなんて、聞いたこともないバンドだけど、あんなのも日本にいたんだって、思っちゃった」
「私も、ないわ。日本人みたいだけど」
デビューはすれど、半分アマチュアの領域に突っ込んでいたバンドだろうか。
あの音。ギターソロ……。
どんなギターを使っているのだろう。似たような音を聴いたことがある気がする。同じギターを使ったって、私にはたどり着くことも出来ないと思うけれど、単純な好奇心で知りたいとは思った。
あんなフレーズをまず構築するなんていうのが、私には不可能だった。
「遠いわ」
「なにが?」美保子が首を傾げる。
「実力」
「奈津乃だって、上手いと思うわよー」
軽薄に、それでも本当に褒めていると確信できる口調で、美保子が言った。
「……ありがとう」私は、悪いことをしたみたいに頭を下げた。「でも、この悩みはギター弾きにしかわからないわ。なんであんなソロが弾けるのか、どれだけ考えたってわからないもの……」
「あのバンド、ドラムは私のほうが上手いくらいだったわよ」美保子が、冗談でも自信があるわけでもなく、事実としてそう口にした。「わりと単純なリズムパターンの繰り返しだったわね。ドラムソロなんて当然取ってないし」
「……ギターの人が抜きん出ていたってだけかしら」
それだけで、あの段階にまでバンド自体のレベルを上げられるのだから、恐ろしいものではあった。
風が私を突き刺す。
「あんなのに勝たないといけないのかしら」
「奈津乃なら大丈夫だって」
「無責任よ、励ます方はいつも……」
紗良を待っていたはずなのに、私達の前に現れたのは、見たくもない顔をぶら下げた女だった。
「ねえ網城。この後時間ある?」
そう私の名字を呼びながら、少しも楽しそうな表情を浮かべなかった女、つまり長浜恵子は、腕を組みながらどう見たって嫌そうに尋ねた。
私は眉をひそめながら、美保子の方をちらりと見て、それから答えた。
「これから帰るんだけど」
思えば、あの外部演奏会のとき以来、初めてこの女と会話をする。長浜は由麻のバンドのドラム叩きだったけれど、きちんと会話すらしたことがないので、印象にも残っていない。演奏内容よりもこの派手な容姿の方が、目立っているくらいだった。どうしてここまで金髪に染めるのか、その理由を一度くらいは訊いてみたって良いかも知れない。
私が突っぱねるように答えたっていうのに、長浜は食い下がった。そもそも彼女は、私のことが嫌いなんじゃないのか。
「急用なんだよ。来て。なんか奢るから」
「要件は何よ」
「着いてきてって。行けばわかるから……お願いよ。大事な用なんだよ」本気で申し訳無さそうに、長浜は言う。「なんか後で奢るからさ……」
あんたに奢られたところで、何食べても不味いだけよと言い返しそうになったけれど、この女がここまで私に頼み込むなんて、余程の異常事態なのだろうなと、私は頭の隅で理解した。
なにかがある。私を騙そうとしているのか、本気で困っているのかはわからない。
だけどこのまま帰るのは、小骨が喉に刺さったような気持ち悪さを覚えないでもなかった。
どうせ、帰ったってやることなんて、無いんだから。
「……下らない用事だったら怒るわよ」
私は立ち上がって、美保子に一瞥を向けた。それだけで言いたいことは伝わったのか、彼女は微笑んで手を振った。
少しも嬉しそうな顔もしないで長浜は、ありがとうと言いながら私を連れて広場を離れた。
向かう先は、本館。その三階だった。授業でこの近くの教室に来ることはあったが、長浜が案内したのは、開いたこともない扉の向こうだった。使われていない教室なのだろうか。廊下の奥、かなり辺鄙な場所にあった。この学校は、教室が余るほどの経営状況なのかと思い知らされると、途端に唇を噛みたくなってくる。
扉をくぐって、教室を確かめる。なんてことのない、普通の部屋だった。数組の机と、教卓。教卓の上には、CDプレイヤー。奥には締め切った窓。床は掃除すら行き届いていないのか、汚れが残ったままだった。
そこには、堀切あきが座っていた。教卓の前の席だった。彼女は私を認めると、軽く挨拶をした。さっきまで、スマートフォンを触りながら、暇をつぶしていたらしい。彼女も、由麻のバンドのメンバーだった。長浜同様に、私のことが嫌いなはずだが、そんな連中が今、この部屋で一堂に会していた。
「で、何の用事?」
私は部屋の真ん中で、長浜に振り返って尋ねた。
長浜はがらりと扉を閉じた。外と遮断される。密閉された空間にいると、少しだけ酸素が薄くなったような感覚があった。
けれど外には、人の気配があった。
誰かが、この教室の前にいる。
私は身構える。こいつらのことだ。私をモップやバケツでボコボコにでもするつもりだとしても、全く不思議ではなかった。殴られるのは嫌いだから、私は退路を探した。窓が一番だろうか。ガラスに椅子を投げつければ、なんとか逃げ出せる。問題は三階という点だったが。
そうしていると、扉の下にある薄い隙間から、紙が生えてきた。外の人間が、私に手紙をよこしたのだろう。
「網城、来て」長浜が私を呼ぶ。さっきとは打って変わって、楽しそうでいて高圧的な態度だった。「その紙を拾って」
逆らうのも怖かったので、私は言うとおりにする。扉に近づいて、紙を摘んで拾い上げた。ぺらぺらと、空気の中でたわむ音がした。
折りたたまれているので、開いて紙面に目を落とした。そこには、真新しいインクで書かれた文字が並んでいた。
『例のアルバムの謎を解いたら、帰してやっても良い』
ああ、なるほど。
つまり、私は閉じ込められたってことか。
「……ふざけないでよ」私は長浜を睨んだ。「帰るわ。付き合ってられないわよ」
「待ちなさいよ」長浜は手のひらを見せて、私を止めた。「探偵網城奈津乃さんが逃げるっていうの?」
「そうだけど」
「逃げたら、言いふらすよ。あんたが、推理なんて出来ないって。みんな、聞いたらどう思うんでしょうね。紗良や美保子も、由麻だって失望するよ」
私は黙る。
今更失望されたって怖いものなんて無いはずなのに、ひょっとしたら紗良や美保子や由麻が、私をついに見限るかも知れない。
冬の時代を、また迎えることを想像すると、身体が強張った。嫌われたくない。推理なんて出来ないのに、推理が出来るという名誉にすがりたい。まだ自分を、他人より優れた地位に、努力もしないで持っていきたい。嫌われたくない。彼女たちに嫌われて、一人になりたくない。ずっと、家の中にいるみたいな気分に、学校でもなりたくない。
「……外道よ、あんたたち」
私は、結局そう言い返すだけで、精一杯だった。
なにもない部屋だ。いくつか並べられている机と椅子のセット、その一つに私は黙って腰掛けた。堀切は私が座るのを見ると、自分は立ち上がって、入り口の辺りの壁にもたれている長浜の隣に収まった。
教卓の上にCDプレイヤーが乗っていたのは、そういうことだったのか。そこにはきっと、あのアルバムが収録されたCDが既にセットされているのだろう。
CDプレイヤーという異物以外は、取り立てて暇を潰せるものはなにもない。ロッカーもない、本棚もない。監獄のほうがマシなのかも知れない。
「アルバムの謎って、なによ」
私は、確認のつもりで尋ねた。長浜は親切に、詳しく説明してくれた。
「さっき聴いたでしょ? 船元の私物入れから見つかったあのアルバムよ。観客が吹き込んだとされる英語の朗読の部分が、一体何なのかをはっきりさせるまで、出してあげないから」
あの謎の朗読の部分か。当然、他の部分に不自然な点は見当たらない。けれど、考えたって、わかるようなものでもないだろう。バンドの人間が誰なのかすらもわかっていないのに。
「CDはもうそこのプレイヤーにセットしてるから、聞きたかったらいつでも再生してくれて良い」長浜はわかりきったことを指し示した。「さっきの、由麻がプレイヤーに入れた方のディスクが入ってるから」
「コピーした方ってこと?」
「そう」長浜が頷いて、それから、あ、と口に出して言う。「そうだ。網城。スマートフォンを渡して」
「はあ? なんで」
私は睨みつけながら尋ねた。怯みもしないで長浜が私に近づいてきて、手のひらを上に向けて差し出した。そこにスマートフォンを置け、という意味だろう。
「外部と連絡を取って、変なヒントを得られても困るんだよね。不正防止よ」
まさか、せれな先生が今までの謎をすべて解いてきたことを、こいつらは理解しているのだろうか。
私は鞄を探って、取り出したスマートフォンを、長浜の手のひらに大人しく渡す。彼女の油臭い手が私のスマートフォンを、鷲が獲物を掴むみたいにして、握りしめた。それから、画面を見もしないで、自分のポケットに滑り込ませた。
「じゃあ、ここで見張っておくから」
「…………暇なの、あんた」
私は悪態をつきながら、
上着の内ポケットを上から撫でた。
そこには、本当にいつも使用している私のスマートフォンが入っていた。
ちらりと長浜と堀切を、横目で確認する。大丈夫だ、気づいていない。
さっき彼女たちに渡したものは、私が音楽用に使っているに過ぎないスマートフォンだった。機種変更の際に要らなくなった先代を、こういう風にずっと使っていた。それが、こんなことに役立つなんてことは、一度だって考えたこともなかった。
誰がお前たちなんかに従うか……
この先の展望は見えなかったけれど、ひとまず私は長浜を出し抜けたのかもしれない。
そうは言うものの、あの朗読が一体何なのかだなんて、私にはわかるはずもない。せれな先生の威を借っていたに過ぎない私なんかには。いや、せれな先生だって、こんな意味のわからない、悪戯の範疇を出ない謎を、推測だけで答えを導くなんて芸当が、出来るはずもないだろう。
机に両方の肘を置いて、両手で顔を支えた。考えるしか無かった。推理能力なんて私になくても、無理して頭を使う以外の選択肢しか許されていなかった。ひょっとしたら、なにか妙案をひらめくことだって、あるかもしれなかった。
「メモくらいちょうだいよ」
私は長浜に声を掛けた。別に必要なかったが、何か面倒なことを長浜に頼みたくなった。
長浜は予想していたのか、自分の鞄から、ノートとボールペンを取り出して私に、片手で差し出した。
「授業に使ってるやつだけど、好きに使っていいよ」
「……どうも」
私はノートを開いた。英語の授業のものらしく、英文がびっしりと執拗なくらいに書かれていた。私のノートとは大違いだった。面倒なので、ノートを提出しろと言われる授業以外は、ペンを握ることもなかった。
ボールペンは、至って普通のもの。黒しか出ない。ペン先は0・7ミリの太さだと、頭の方に書いてあった。長浜も普段からそれほど使わないのか、インクは殆ど減っていない。私には、自分のいつも使っている筆記用具を使わせたくないのか。その一点だけで、長浜が私から取る距離を感じた。
「堀切。CD流して」
私は、面倒くさい人間だと思われたくて、そう要求する。堀切は「は?」と漏らして訊き返してきたけれど、負けないで私も顎でプレイヤーを示したら、堀切は意外なほど従順だった。教卓に近寄って、再生ボタンを押した。
さっき聴いた曲が、また流れてくる。部室にあるものよりも、小さいプレイヤーだったので、音質はかなり落ちる。こんなもので、謎の手がかりを拾えるのかどうか不安だった。
聴きながら、私はノートに考えをまとめるフリをして、上着を少しだけめくって、内ポケットに挿してあったスマートフォンを起動させた。当然、長浜や堀切の位置からは見えない。
誰かに連絡を取るしか無いか。こんなバカな連中に、付き合ってもいられない。連絡帳を開くけれど、真っ先に指が動いた先が、せれな先生だった。先生なら、なにか良い知恵をくれるか、船元に連絡をして、私をここから連れ出してくれるかしてくれるだろう。
でも、指が動かなくなった。
せれな先生は、この前のことがあってから、一度も連絡を取っていなかった。そのことが、毒ガスを撒いたみたいにずっと胸に残り続けている。
私から連絡を取る勇気なんて、まだない。
いや、私なんかが困っていても、もう先生は助けてくれる動機すら持っていないに決まっている。
違う誰かにするか。
私の目の前から、銀川せれなという文字が消えた。
由麻や、紗良、そして置いてきた美保子。この三人しか残されていない。全員で考えれば、なんとかそれらしい答えを導き出すことも可能だと思った。脳みそを四つ使って、先生一人分になればいい。それだけでいいはずなのに。
出来るのか。
せれな先生無しで。
首を振って、背を伸ばした。私が大きく動くと、長浜と堀切が私に注目をするから、それが少しだけ面白かった。こいつらも、何が目的で私の見張りなんてやっているのだろう。
そうか。私には朗読の謎の他にしなければならないことがあった。
長浜と堀切を操っている人間が、一体誰なのか。おそらくは、部屋の外にいて手紙を差し込んできた人物を、同じだろう。
CDは、曲が終わって、例の朗読部分が流れていた。
耳を傾けた。発音自体は、大したことはない。日本人が普通に英語を読み上げているに過ぎない。そのおかげだろうか、単語の一つ一つが聞き取りやすかった。とりあえず、聴こえてきた部分を、わかる範囲でメモに残した。
それにしても、朗読の声ははっきりと聞こえる。雑音にまみれてしまいそうなのに、これだけきっちりと録音されているのには、なにか明確な要因がある気がした。恐らくだけれど、マイクの距離が近い。この女は、録音用のマイクの近くで、その英文を読み上げていた。
書き写した文章を、眺める。
この文章、何処かで見たような気が……
「……シャドーオブユアスマイル」頭の部分を、声に出して読んでみた。「なんだっけ、これって」
尋ねたわけではない独り言だったのに、聞いた堀切が、自慢気に笑いながら答えた。
「それは、『いそしぎ』よ。網城、ジャズ研究部なのにそんな事も知らないの?」
堀切を、長浜が殴った。
「バカ! 網城にヒント与えてどうすんのよ!」
「痛……ごめんってば」堀切は申し訳無さそうにしていた。犬で例えるなら、耳が垂れ下がっている。「『いそしぎ』の原題も知らない網城のことをバカにしたくなっただけなんだよ」
いそしぎ。今ではジャズ・スタンダードの一つとされる名曲だった。その原題こそが、ザ・シャドーオブユアスマイル。歌いだしの歌詞も、この英文から始まる。そんなことは、堀切に言われるまで、思い出しもしなかった。彼女には、少しだけ感謝してしまった。
この朗読女は、ずっといそしぎの歌詞を口にしているのか。だからどうなんだと言えばそれまでだったが、何も知らない気味の悪い音声だった時と比べると、いくらか現実的な正体がそこに隠されているような気がした。
いそしぎを初めて聴いたのは、先生の家だった。せれな先生は、色々なバンドが演奏したいそしぎの音源を、研究目的なのか大量に持っていた。
曲だけを抽出すると、暗くて物悲しいような雰囲気だけが漂っている、ネガティブな曲というイメージだった。先生に聴かせてもらったバージョンは、軽快なアレンジが施されていて、暗いだけの曲という印象はそこにはなかったけれど。
歌詞の意味は、まったくわからない。邦題の『いそしぎ』とは、鳥の名前だったはずだが、原題には関係がなかったと記憶にあった。
「堀切、長浜」私はメモを眺めながら、二人を呼んだ。明らかに、彼女たちも嫌がっていたが、私だって本心であればこいつらに関わりたくもなかった。「あんたたち、英語はわかる?」
「あんた調子に乗らないでよ」長浜が首を振った。「わかってたって、教えるわけ無いでしょ。自分で考えろって言ってんの。それとも推理なんて出来ないってこと?」
「……ちょっとした雑談じゃないの」
「人と話すことなんか、好きじゃないくせによく言うよ」
「…………」
もはやこのCDから得られることは、もうさほど無いと踏んだ私は、さらに長浜と堀切に絡んでいった。嫌いな人間と取るコミュニケーションのほうが、上手くいくのかも知れないと心の何処かで思った。お互い、変な社交辞令も何もなくなるからだろうか。
下らない話をしている間に、私は指先で、上着に隠したスマートフォンを操作して、メールの文面を少しずつ完成させていった。誤字も脱字も、気にしているわけにはいかない。送信先は、紗良にしようとさっき決めた。理由はなかった。
「長浜は、このアルバムのこと、どう思ってんの?」
問われた長浜は、わざとらしくため息を吐いてから、答えた。その顔にノートでも投げつけたくなった。
「……いたずらでしょ」
私が尋ねたのはアルバムとしての完成度だったのだけれど、こいつの頭の中にはあの謎のことしか無いようだった。私は、不満に思いながらまた訊いた。
「じゃあ、その動機は?」
「そんなの、嫌がらせでしょ。バンドメンバーへの。嫌いだったんだよ、テレパスってバンドの人たちのことが。だって、嫌でしょ、ライブ音源にそんな声が乗ってたら」
「その根拠は?」
「ないよ」長浜はめんどくさそうに首を振った。「私達だって、詳しく推理は聞かされてないから」
「誰に?」私はすかさずそこを突っ込んだ。
「…………あ」長浜は口をふさいだ。「卑怯だ、網城。そうやって、口を滑らせるのを待ってるんだろ……」
「ふうん……」
私は鼻息を漏らした。つまり、こいつらの背後にいる人間は、一定の回答を得ているということか。それが推理に因ってなのか、当事者や関係者から訊いたのかは、定かではないが。
いや、CDが発掘されたのが二時間ほど前でしかない。その僅かな間に、当事者を見つけ出して朗読の正体を知ることなんて可能なのだろうか。私には、そんな芸当は可能だとは思えなかった。
持ち主である船元なら、何か知っているのだろうか。あんなところにCDを押し込んでいるくらいだから、さして思い入れがあるようにも見えないのが、気になるところだった。
それかもうひとつ可能性がある。長浜堀切の背後にいるのが、朗読の当事者、もしくは当事者と関係の深い人物。
わからない。
広がっていくだけで、何一つ断言はできなかった。
音源を訊いた。堀切を使って、朗読の箇所を繰り返して流した。彼女は最初こそ嫌がってはいたが、何処か私とともにこの謎について挑んでいるという錯覚を覚えているのか、自分の考えを口にするようになった。
ばかなやつだ、と私は正直に思った。こっちは欠片も友情を感じていないっていうのに。
そういう部分が、この女の可愛いところであり、可哀想なところでもあるのだろう。
「嫌がらせだって言うなら……」堀切はプレイヤーに肘を置きながら、言う。「メンバーの誰かが悪いことしてるってこと?」
「そうなんじゃないの。嫌がらせだとするなら」
「何やったのかな……網城、何か考えてよ」
「私は嫌がらせだってまだ断定してないわよ。そこの長浜にでも訊きなさいよ」
堀切は首だけを長浜の方に回して、彼女の答えを嬉しそうに待った。まるで犬だ、と私は感じた。
「……それかこの朗読してる女の意地が悪いんだ」長浜も、観念して口を開いた。「メンバーの性別は書いてないけど、付き合ってて捨てられたんじゃないの。だからこんな変な音声を吹き込んだんだよ」
「捨てられたんだとしたら、ライブに呼ばれるかしら」音源に耳を傾けていた私が今度は言った。「これって、食事も出ることから、指定席なんじゃないの。別れてたとして、そんな女を呼ぶって……狂ってない?」
「面倒くさいもんだよ、恋愛って」長浜は知った風な口を叩いた。「別れてたから呼ぶなんて言う人間だっているもんだよ。それも嫌がらせじゃなくて、仲が良かったんだからっていう善意でさ。まあ、網城は子供だから、恋愛なんてわからないかもしれないけど」
「うるさいな。長浜はどうなのよ」
「答える義務はないよ」長浜は腕を組んだ。「ていうか、私に訊くな、話しかけるな。早く推理しろよ」
「わかってるわよ……」
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