甘い夢に見たシケイダ

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   ■犯人


 やってしまってから、肩で息をしている自分に気づいた。

 そして落ち着くまでの数分間、これがどの程度の犯罪に抵触するのか、もしかしたら大した扱いを受けないのではないか、といった打算的な事を考えていた。結論は出ていない。私であることがバレたらまずいという事実だけが、冷静になった頭に浮かび上がってきた。

 部屋を、煙草を吸うような気持ちで眺めた。

 軽犯罪の類は、生まれてから一度として犯した記憶がなかった。今日は、その優等生だった自分を、かなぐり捨てた記念すべき日なのではないか、と誇らしい気持ちすら覚えた。

 大丈夫だ。自分に言い聞かせて、部屋から立ち去った。この時間、この棟に人なんてほとんどいない。習慣的に解錠はされるが、誰も近寄って来ないのは、入念な下調べによって導き出されていた。

 廊下を小走りで進んだ。自分の足音が、恥ずかしいくらい大きく響いた。ベールを被せて、隠せるようなものでもなかった。まるで裸で歩いているのにも等しい。

 誰にも見られないで棟を出てから、ようやく後悔にも似た感情を抱えていることに気づいた。今更、そんな罪の意識を持った所で遅いというのに。大丈夫だと自分に言い聞かせるのは、さっっきの行為から十度目だった。リカバリーは既に考えてある。全ては計画通りだった。

 こうするしかない。

 こうしないと、私は納得できない。

 理由は、銀川せれな。

 彼女をここへ、こさせたくなかった。



   □奈津乃


 いつものレッスン部屋で、飽きもしないでギターを弾き続けている私を、せれな先生が褒めるなんてことは、別に珍しいことではない。

「やっぱり、奈津乃ちゃんは上達が早いわね」

 私の演奏をずっと観察していたせれな先生が、そう呟いた。

 嬉しいとは思うけれど、私は訝った。この人の基本方針が最近わかってきた。とりあえず褒めて伸ばそうというのが、彼女の念頭にあるみたいだった。厳しい指導よりも、そのほうがずっと良かったのだけれど、安易に褒められたところで、由麻なんかは私よりもずっと技量が卓越している、という現実から目を背けることも出来ない。

 それに、先生の言動には、私をそれまでの生徒と比べている節があるような気がして、変な気分になってくる。

「前にいた生徒は、どれほどの実力だったんですか?」

 我慢できないで、私は尋ねた。自分でも、自然な切り出し方だったと思ったけれど、先生の顔はどこか面食らったようだった。

「奈津乃ちゃん、そういうのあんまり知りたくないでしょ?」

 そう微笑んではぐらかされた。確かに、知りたくもないといえば本心だが、気持ち悪いもの見たさという感情に近かった。森の中で、どんな気持ちの悪い虫がいるのかもわからないのに、石を裏返すような行為だった。

「でも、そうね」先生は髪をいじりながら、椅子に座り直して足を組んでから、答えた。その姿勢が、妙に絵になっていた。「美空……ジャズ研究部の顧問の紹介よ、全員。といっても、奈津乃ちゃんを除いたら、二人だけか」

「へえ」まあそんなところだろうと思っていたので、私は感嘆の声をわざと上げた。「じゃあその二人も、うちのジャズ研究部の人間なんですか?」

「そうよ。でも結構すぐに辞めたかな。あ、私の所為じゃなくて、本人の都合だったわ。この二人も入れ替わりで入ってきたから、この家に二人以上生徒が来たことってないのよね。今も奈津乃ちゃんしか教えてないし」

「そうなんですか」

 誰だろう。由麻が追い出した四年の連中だろうか。先生は、彼女たちの年齢を口にはしなかった。

 だとすると、まだジャズ研に残っているのかもしれない。

「それでも、美空が気を利かせてくれるのか、見込みのありそうな子を連れてきてくれたの。それが奈津乃ちゃんよ」先生は、心の底から嬉しいのか、にこにこしながら言った。「私が、まあ、世間から離れた生活してるから、美空が心配して若い子を連れて来てくれるんでしょうね。私としては、もっと若い子と関わりたいって思ってるんだけど」

「……意外です」

「あ、そうだ奈津乃ちゃん」急に話題を反らせる先生。「聞いた? 今度ね、奈津乃ちゃんの大学で講義することになったのよ」

「講義? 先生が?」私が嫌で受けている授業のイメージと、せれな先生がまるで結びつかなかった。「……できるんですか?」

「いやねえ。こう見えてもたまに依頼があったらやってるわよ」先生は言いながら眼鏡を持ち上げた。「まだ美空から聞いてないのね。人類史と音楽について話すつもりだけど。確か美空の授業の枠にゲストっていう形で出るんだけど」

 確かに船元本人から、そのような話を授業中に聞いたような気もしたが、私が授業をちゃんと受けていないのが露呈しそうだったので、私は何も言わなかった。

 それにしても、あのつまらない授業に先生が来るのか。私は思い出しただけでため息を吐きそうになった。内容が問題というよりも、船元先生の態度が憂鬱さを醸し出しているのが、私は気になっていた。彼女は何が面白くないのか、酷くつまらなそうに話す。

 先生は一旦部屋を出て、それから紙を一枚、手にひらひらとさせながら戻ってきて、私に手渡した。

 受け取って眺める。そこには特別授業の案内と、先生の紹介が書いてあった。

「銀川特別講師って……なんか仰々しいですね」

「美空の授業を履修している人はもちろんだけど、取ってなくても事前に申し込めば誰でも受けられるらしいから、それなりに生徒が集まると良いけれど」楽しげに、せれな先生は言った。「奈津乃ちゃん、宣伝しておいてね」

「はあ、まあ……できる限りは」

 私はプリントを両手に持ちながら、ギターをそのまま床に落としてしまいそうになった。



   ■犯人


 その日の朝は、緊張で朝食があまり喉も通らなかったから、昼頃にはひどい空腹を覚えていた。

 食事自体は行った。食欲なんてなかったけれど、何も考えないで食べ物を口に運んで、目を閉じて顎を上下に動かした。飲み込む力がなかったから、水で流し込んだ。美味しいとも不味いとも思うほど、心の余裕がなかった。

 電車に乗ったときには疲れていた。音楽を聴くような気分にすらなれなかったので、隣の人間の話を、じっと聞いていた。そうしていると眠たくなったり、正気に戻ったりしたが、私は結局計画を変えなかった。

 隣に座った女達の話は、スーパーで何が安いのか。ただそれだけだった。冷凍たこ焼き、ヨーグルト、炭酸水。どうもそれらが安いらしい。

 そんな話題で、どうしてここまで話せるのか。私には不可能だとしか言えなかった。そもそも、本気で買い物をしたことがない。適当な所で、適当に買うのが時間効率的に一番優れている。僅かな値引きのために、いろいろな店を馬鹿みたいに回るなんて、趣味にしても狂っているとしか私には思えなかった。

 飽きたので、窓の外を眺めた。空腹は全く感じていないのだけれど、パン屋を通り過ぎるのが見えた。最近できたらしい、人気のパン屋だった。人から聞いたことがあった。私は、口にしたことすらなかったのだが、話を聞いているだけで、欲求が刺激されるようだった。

 あの店は、今日も行列を作っているのだろうか。人気の、数量限定特別パンがあるとは聞いていた。暇だったので、一度食べに行こうと思い立ったことはあったが、こんな田舎では滅多に見られないくらいに、信じられない行列を目にして、足がすくんでしまった。私はそれを見て、死にかけのムカデの姿を思い浮かべた。そうまでして食べたいものでもない。私は悪態をつきながらその場を去ったので、今日に至るまであの店のパンを、一つとして口にしたことがなかった。

 食べるとするなら、朝早くから並んでおかないといけない。そう、今日みたいな日が一番いいのだけれど、私の方に用事があった。パンは、またの機会にしよう。そうやって、ずっと先延ばしにしていくことで、実際に飲み込む所まで行った食べ物はない。

 よくもまあ、そんな労力が捻出できるものだ。

 どういつもこいつも、私には信じられない時間の使い方をしている。

 私はと言うと、これから軽犯罪を犯そうというのだけれど。

 銀川せれな。

 彼女が来ないように、私はそこまでするつもりだった。



   □奈津乃


 いつも、先生は車をあまり使わない。

 こう見えて、彼女は運動不足を自覚しているのだろう。今日も大学まで歩いて行くと言い始めた。学校は、教育機関の大半がそうであるように、坂の上に建てられていた。一日だけならまだしも、毎日通っていると吐き気を覚えるくらいには疲れることもあった。私はそれを理由に徒歩なんて提案を取りやめてもらおうと思ったのだけれど、運動不足の割に歩くのが好きな先生の楽しそうな顔を見ると否定もできなかった。

 校門をくぐると、変な雰囲気を感じ取った。どこか騒がしいような、校舎の二階から誰かが飛び降りて、それでも死にきれなかった後みたいな、喧騒とも言い難いどよめきが、聞こえるような気がした。

 校門から、本校舎までは勾配もなく一直線。駐輪場と駐車場なども、ここから見えた。本校舎の裏手に回ると広場があって、それを超えると別棟がそびえ立っていた。本校舎は真っ白に外壁が塗ってあったが、別棟はコンクリートがむき出しだった。別棟の方が新しいと聞いたことがあるのに、どう見てもこっちのほうが古く感じた。

 運動サークルが使う運動場や体育館は、また違った方向にあるらしいのだが、用事がないので行ったこともなく、どこにあるのかもしらない。私達の部室は、別棟に押し込まれていた。

 そこで、私の靴紐が解けた。

「あ、ごめんなさい、紐が……」私は屈んで、せれな先生を見上げながら言った。「結んでおくんで、先に行って下さい」

「良いわよ、授業もまだだし」

 見下ろしてくるせれな先生の圧力を感じながら紐を結んでいると、そこへ船元美空顧問が、靴の底がすり減るような歩き方で向かってきた。

 彼女もこの姿勢から見上げると、頭の頂点が高い上空にあるように感じた。

「せれな! 大変よ!」

 船元の顔は怒っていた。

 せれな先生はその表情を見て、自分がなにかやらかしてしまったのかと思ったらしく、両手のひらを船元に向けた。

「な、なによ」

「大変だから、早く来て!」説明する気のない船元は、私達を急かす。「授業で使う教室! 場所はわかる? 来て!」

 本当に慌てているのか、それだけ伝えると彼女は別棟の方に消えた。

 私は紐を結んで、せれな先生と頭の位置を揃えた。

「なによ、美空のやつ」先生は呟く。「とにかく、行ってみましょう」

 そう言われても走ることは嫌だったのか、先生は歩きながら別棟を目指した。建物が見えてくると、生徒が十人ほど集まっていた。ただ群れているだけにしては、数が多い。

 授業で使う教室、と船元は言った。もしかしなくても、今日の特別講義でせれな先生と使うはずだった教室のことを差しているのは、考えなくてもわかった。

 階段で上がった。その教室は二階にあった。いつも通っている道順を、せれな先生と歩いているのが不思議だったが、楽しさはなかった。

 教室の前に、船元。外で見たような、生徒の塊はいない。彼女が追い出したのだろうか。

「……見てよ」

 船元は、教室の中を指差した。

 先生は、恐る恐る覗き込んだ。鼠の死体でも確認するような動作だった。私も、念仏を唱えるような心の準備をして、その背中に続いた。

 そっと、彼女の眼鏡に、中身が映った。

「…………なにこれ」

 中は、教卓の周りが白く染まっていた。

 消化器の中身をぶちまけたみたいだ、と私は最初に思った。私が高校生の頃、誰がやったのかそういうイタズラが一度起きた事があった。犯人が名乗り出たのかは知らないが、その光景だけが頭に浮かんでいた。

「これ……小麦粉ね」

 先生はしゃがんで粉を指先で注意深く触った。私もそうしてみたが、小麦粉なのかどうか、そんなすぐに判断できるものなのかわからなかった。けれど確かに、消火器の中身の粉とは、質感が異なっている。

 構造は、いたって普通の教室だった。大学というものの、義務教育で見てきたような設備とほとんど同じだった。レトロ趣味だとも言える。

 教卓はほとんど真っ白になっており、黒板にもチョークとの判断がつかないくらい粉が付着していた。机もそうだった。教卓の近くにある最前列と二列目までは、座るのを躊躇いそうなくらいになっていた。

 そして、もう一つ異様な部分を、せれな先生は見つける。

 ゆっくりと、歩み寄った。

「文字が書いてあるわ。これは、赤いペンキかしら」

「読んで」船元が外から言う。「怖くて、ちゃんと読んでない」

 読み上げる先生の声が、誰もいない教室の中で響いた。

「『銀川せれなを大学に関わらせるな』ですって」

 それは、どう読んだって脅迫文としか思えないものだった。

「一体誰が……」私は、ぼそりとそう呟いた。

 せれな先生は、怒りよりも恐怖心よりも、もっと別の感情を胃から吐き出すように、大きなため息を吐いた。

「さあ……でも、こんな事になったんじゃ、特別講義なんて無理でしょうね」

 その言葉を聞いて、一番耐えきれそうにない顔をしたのは船元だった。



   ■犯人


 犯行時は、冷静だった。だって正気に戻ってしまったら、きっと辞めてしまうに決まっていたからだった。

 計画は、船元美空の口から特別講師に銀川先生を招く、と初めて聞いたその日から練り始めた。初耳だった。銀川先生は船元と旧友のギタリストで、音楽に明るく、人格や生活リズムが常人とは変わっていて、どこか頭が狂ったような女だと、船本は失礼な紹介をしていたが、そんなことは関係なかった。

 私にとって、銀川せれながこの大学で、ジャズ研究部や一般生徒の前で授業をすることが耐えられなかった。

 小麦粉は前日のうちに買っておいた。家には、それほど多くのストックがあるわけではなかったからだった。それに、撒くなら多めの量を使ったほうが、インパクトが出て授業は確実に中止になると思われた。

 撒いたのは授業当日、早朝だ。運動部が走り回っている時間ではあったが、私のような生徒がひとりふらふらしていたところで、特に気に留められるわけでもなかった。場所は知っていたし、鍵は予め船元が開けておくというのも、彼女の普段の様子から理解していた。

 それにこの別棟。なんらかのサークルに所属する部員ならいざしらず、職員は授業がある時以外はあまり立ち寄らない。授業も始まってしまえば自分の使う教室の他に用事なんてないはずだ。そしてあの教室は、船元が二時間目から用いる以外に、予定は存在しなかった。船元が銀川せれなと「前日から教材でも持ち込んでおく? ロッカーなら使えるけど」と相談していたのは知っていた。結局、今朝見たときには教材などのたぐいは教室にはなくて、部屋を間違えたような心配が湧いて出てきたが、杞憂だったらしい。

 無事に小麦粉を撒き終えて、赤ペンキで文字を書いている時に、どうしてこんな馬鹿なことをしているのだろうと、少しだけ思ったが、この部屋の惨状が私を後押しした。もう戻れない。抵抗したって、善人でいようとしたって、潔白でいようとしたって、無駄だった。

 ペンキは部分的に改装工事をしている本館の現場から、少しだけ拝借した。外壁を今度は赤にでも塗るのだろうか。そんなものに使うよりは、私の都合に費やされたほうがいくらか有意義だと本気で思っていた。

 どの程度のペンキが必要なのかはわからなかった。そもそも、ペンキを使って文字を書いたことすらなかった。だからといって、缶をそのまま運んで無事でいられるほど、別棟までの距離が近いというわけではない。広場の面積が、思ったよりも広いからだった。私は考えた。答えは、空のペットボトルにあった。これに必要な分だけ入れればいい。

 改装工事は早朝授業の前と放課後に主に行われている。これは予め、決行日の前に拝借して保管していた。

 全てを終えた私は、そのまま学校を出た。



   □奈津乃


 船元は手がつけられないくらいに、怒り狂っていた。さっきまで感じていた一定の恐怖が、時間経過で目減りした結果、それが全て犯人に対する憎しみへと変わったのだろうか。

 スマートフォンを取り出して、船元は警察を呼ぶと言い始めた。それをせれな先生が、なだめた。

「まあまあ、私って嫌われてる方だから、別にそこまでしなくても良いわよ」彼女は諦めたような口調で言う。「警察沙汰になったら、損するのは美空じゃないの」

「駄目よ!」船元は冷静さのかけらも失ってしまったのか、鋭くそう言った。「こういう馬鹿な輩は、法で裁かれないといけないのよ! 同じことを何度も繰り返すんだから!」

 怒った人間の剣幕というものに当てられると、何も言えなくなった。せれな先生は気圧されたのか、それきり黙ってしまった。部屋の外、廊下に出てきた先生の隣に私は立った。

 船元は、そのまま警察に電話を掛けた。通報というものを私はしたことがないのだけれど、話し声を聞くと、思ったよりもやり取りは簡素だった。船元は「器物損壊と脅迫です!」とばかり口にしていた。それでどれほど伝わったのかはわからないが、すぐに警官をよこすと返答があって電話が切れた。

 待っている間は、誰も一言も口にしなかった。生徒がこの階に上がってくることもなかった。授業は中止であることを船元が誰かに伝えて、受講者にはすでに連絡がいっているのかもしれなかった。

 せれな先生は、面倒臭さをにじませた態度を取って、窓の外を眺めていた。

 そして船元のスマートフォンに電話が掛かってくる。応答した彼女は頷いてすぐに切った。要件は「受講者を何処かに集めてくれ」だった。船元はすぐに私達を連れて外へ出た。生徒たちには既に、広場で待機しておいてくれと連絡済みだ、と彼女は言った。

 広場には、多くの生徒が集まっていた。ざっと五十人ほどだった。一つの申し込みの必要な授業にしては、受講者の人数がかなり多いみたいだった。せれな先生の名前が、私の知らない所で知られているのだろうか。そんなこと、彼女は一言も私には教えてくれなかったのに。

 ベンチに足をかけて登った船元は、演説でもするかのように言った。

「警察が来るから、みんなここで待機してて! 勝手にいなくなったら、犯人だと思うから」

「先生、どういうことですか」と尋ねたのはジャズ研究部部長の中兼由麻だった。彼女は心配そうな顔を見せて、尋ねた。「警察って……何かあったんですか?」

 事件のことを、船元が端的に説明した。教室に、小麦粉が撒かれていて使えなくなった。誰かがやった、悪質ないたずらだとも付け加えた。そう話す彼女は、まだ心の平穏を取り戻しているようには見えなかった。

 生徒の集まりから、どよめきが聞こえてきた。その中には私の友人である紗良と美保子も当然いた。私はせれな先生の隣から、彼女たちに手を振った。紗良も美保子も、気づいて返してくれた。

「今、名乗り出たら怒らないから、正直に名乗り出なさい」船元は生徒を、完全に犯罪者だと思い込みながら見回して、言った。「それとも、みんなの前では名乗り出たくない?」

「待ってくださいよ」由麻が口を挟んだ。さすが部長だ、と私は思う。「先生は、私達を疑ってるんですか?」

「そうじゃないわ! 尋ねてるだけよ!」どう見ても疑っているようにしか見えない表情だった。「今なら、教室を掃除するだけで許す。授業も再開する。警察にも帰ってもらう。それでも出たくない?」

 生徒からの反応はなかった。まあ当然だろうと私は思った。別に、船元も何か強力な証拠があって言っているわけではないからだ。そんなことは、私にだってわかる。名乗り出たほうが損だろう。

 そのまま警察が来るまで、私たちは一歩もこの広場から動けなくなった。

 私はこの中の人間を疑うよりも、外部犯のことを考えてほしいな、と考えていた。



   ■犯人


 警察が呼ばれることまでは、正直に言って想像すらしていなかった。綺麗にそこが、ドーナッツの穴みたいに抜け落ちているようだった。

 変なイタズラだと思って、銀川せれなを呼ぶことと授業自体を中止してくれる程度で済むだろうと思っていた。けれどそんなものは、自分で考えた都合の良い解釈に過ぎなかった。船元顧問は、私が思う以上にヒステリックで直情的な人間だったのかもしれない。普段の授業態度からそこまでを推察は出来ない。

 さて、警察を呼ばれ、さらには明確に疑われているこの状況を、どうやって切り抜ければいいのか。誰かに罪をなすりつけようか。五十人ほどいる生徒の中には、何かの不運が重なって、私よりも証拠が指し示す人間がいるのかもしれない。それを知り得て自分の立ち位置を決めていくのが、最もクレバーなやり方だと思う。

 そして問題はもう一つあった。

 あの部屋を、どうやって掃除するのかだった。

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