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「ふうん、奈津乃ちゃんが合宿かー」
私の話を聞いたせれな先生は、ソファに寝そべりながら、ずっと古いテレビゲームを触り、それでもまともな関心を保った返事をした。
紗良から誘われた、その六日後だった。合宿は、明後日からだと聞いていた。日程なんていつでもよかったけれど、何度聞いても、中兼が来るという現実は変わらないようだった。
「仲が良いなら良かったわ」ちらりと、机に延ばした腕に頬を乗せている私を、せれな先生は見た。「今のバンドが上手く行ってるって証拠じゃない。そういう交流もないバンドだと、ひどいもんよ」
テレビ画面を眺める。何が起きているのが、全くわからなかった。紗良の言っていた、スーパーファミコンという機械が、今先生が操作しているゲーム機だそうだ。元は綺麗な鼠色だったのだろうが、経年劣化でところどころが黄ばんでいた。それでも問題なく動いていること自体が、私にはどう見ても不思議だった。
ぼーっとしながら、私は先生の淹れてくれたコーヒーを飲んで、お菓子をつまんだ。
「楽しくないですよ。あんまり好きじゃない部長も、合宿に来るらしいんです」
齧ったお菓子を、コーヒーに投げた。破片が飛んだ。黒い液体の中に、クッキー状の物体が、私の力によって沈んでいった。
「でもゲームがあるんでしょ? 良いなあ」
とせれな先生は、何処かうっとりとした表情を漏らした。
「私、ゲームなんて全然知らないんですよね。それなのに、紗良に謎のゲームカセットのこと推理してくれって、どうしたら良いんでしょう」
「まあ紗良ちゃんに頼まれたのなら、とりあえず一度、その実物を見てみないわけにはいかないわね」せれな先生がコントローラーを置いた。「でも気になるわね。中身が違っているゲームソフトなんて。私こう見えてゲームとか好きなのよね」
「見たらわかりますよ」私は下らない冗談を言うせれな先生に呆れた。「じゃあ、先生も来てくださいよ。そしたら、心配なんていらないんですよ」
「駄目。仕事があるもの」
言いながら子供みたいに、ソファの背もたれに肘を置いて私を見ている先生。こんな美人がして良い体勢じゃなかった。
せれな先生の言う仕事の内容を、私は聞いたことがない。私のレッスン以外に何で収入を得ているのか、この散らかった部屋の様子を観察した所で、私にはなにひとつ読み取れなかった。
「まあ、ゲームのことで困ったら私に連絡してくれて良いわよ。スーパーファミコンとかメガドライブなら詳しいんだから」
「……まあ、考えておきます」
時計を見る。そろそろ、ここを出なければならない時間だった。
「先生、そろそろ帰ります。合宿の準備があるので……」
「奈津乃ちゃん」
せれな先生は、立ち上がろうとした私をソファから呼び止める。
「部長さんは、多分あなたのこと、嫌いじゃないわよ」
「……そうですか?」突然の言葉に、私は首を傾げた。「根拠は?」
「推測」
心の底からの笑顔を、そう言って向けられる。
合宿当日を迎えるとなると、私はいつも以上に眠れなかった。我ながら、わかりやすい身体をしているな、と感心してしまったくらいだった。
集合は、朝の九時にO駅だと既に決められていた。ここから都会の方面へ出て、途中の駅で乗り換えなどをすると、一時間半ほどで目的地にたどり着くと紗良はいう。そんなところ、本当に別荘なのだろうか。私は未だに疑っていた。
最寄り駅が隣なので、私が一番に、そして紗良が二番目に現れた。美保子の家は少し離れた場所にあるから仕方がないと私はわかっていたのだけれど、中兼が同じくらい遅れてきたのは、少しも納得できなかった。あいつの家が、何処にあるのかは全く知らないのだけれど。
晴れている。世界がひっくり返ろうとも、私の目の前には真っ青な青空に対応するように、夏が広がっていた。気温も高く、すでに目が回りそうだった。
紗良から乗り換えのプランを聞いて、気が滅入りそうになっていたところに、美保子と中兼が同時に現れた。
「待たせたわ」
中兼は変わった格好をしていた。何処か、男が好きそうなワンピースに、サングラスを掛けている。一瞬、誰だかわからなかったくらいだった。私は彼女を見て、どこか中兼の一端を知ってしまって後悔したような気分になった。
そのうえで、いつも巻いてある髪は後ろで結んでいて、片手にはトランペットのケース、そしてもう片方の手には青いスーツケース。真っ青な夏の空と比較すると、気持ちの悪いくらいよく似合っていた。
この女のオーラに、不本意ながら目を奪われそうになった。
「なによ、奈津乃。じろじろ見ないで」柄にもなく少し恥ずかしそうに、中兼は私に向かって言う。「あんたの服、いつもと一緒じゃない。なんで?」
「……めんどくさいからよ」
というよりも、そんな余裕がなかった。重いギターにスーツケースまで引きずるとなると、少しでも動きやすい格好を選びたくなった。その結果が、いつも学校に通っているときの格好に反映されただけに過ぎなかった。
「さ、乗るわよ」中兼が私を置いて、さっさと改札に向かった。気がつけば、紗良と美保子も既にいない。
置いていかれそうと言うよりは、私の席を中兼に獲られるような気がして、私は急いで改札をくぐった。
電車に乗り込むと、空いている席に腰掛けて、そこからただ時間がすぎるのを待つだけだった。暇をつぶす道具なら、本や音楽などを持ってきていたが、中兼に見られていると思うと、釘を刺されたように感じて、何もする気になれなかった。
移動時間の間は、紗良が合宿地の説明をしてくれた。
これから向かう場所は、住宅街にあるらしい。やっぱり避暑地なんかじゃないじゃないかと口を挟みたくなったが、大人しく黙った。一応、山にほど近い場所に存在しているためか、O駅近辺に比べると、いくらかは気温が低い傾向にある、と紗良は言った。それが本当なのかは、この肌で感じるしか無いのだろう。
住宅地であれば、近隣に対する騒音も気にしなければならないのか、と危惧していると、それも大丈夫だと紗良が付け加えた。隣家までに距離があるので、どれだけ騒ごうがさほど迷惑にならないらしい。これも、自分で調べるほうが確実だろう。着いたら、アンプの音量を最大にして弾いてみるほうが吉だった。
「まあ、別荘っていうかさ」紗良は電車の椅子に、座りづらそうに腰を動かしながら、それでも落ち着いていた。「爺さんたちが住んでた家を、お父さんが引き取って、趣味用に好き勝手にやってるっていうのが、正しいのかもね。お父さん、長めの休みをとったらそこでしてたよ。最近は、そんなに行かないけどさ」
「周りになにかあるの?」サングラスを邪魔そうに触りながら、中兼が尋ねる。
「ああ……川とか、神社とか? あとコンビニくらいかな……」
中兼がいようと、もはや関係がないくらいに、私の心はますます浮き足立っていた。一体どんなところなのか。紗良の説明を聞けば聞くほど、わからなくなるような感覚があった。
窓の外。
もう、あまり知らない景色に移り変わっている。ここで、どんな営みが行われているのか。どんな人間が住んでいるのか。誰が誰を嫌っていて、誰が誰を悲しませているのか。どんなCDやレコードが眠っているのか。まるで、新しい虫かごを手に入れたときみたいな、下卑た想像を、私は知らないところに来るたびにいつもしていた。
けれど、どんどんせれな先生の元から離れていってしまっているのを、実感するたびに悲しくなってしまった。
私は、先生なしでは成長もモチベーションも、手にしていられる自信なんてなかった。
目的の駅にようやくたどり着いた時には、これからバンド練習をするという想像すら億劫だった。
途中にあったコンビニに寄りながら、バスなどを使って別荘に向かった。駅前よりもずっと家屋の数が減って、田んぼや森の面積が広がっていった。私は、虫が出ないか急に心配になって、さっき思いつきで買った虫除けスプレーを、片手で弄びながらバスに揺られた。
どこか、疎外感を覚える。
私自身が、せれな先生の家以外で腰を落ち着けるところなんて、何処にもないからだろう。
バスを降りて五分ほど、森のそばにある整備されていない道を歩いていくと、別荘とも言えるのかわからないような、普通の一軒家が見えてきた。ちょうどそろそろ、蝉がうるさかったから、うんざりしていたところだった。
「あれが、我が別荘だよ。あの壁が白くて青い屋根の」紗良が指したのだから、間違いはない。
近くで見ると私の家よりも更に古く、何十年かの歴史があることがわかった。壁にはヒビが、窓枠には土埃が、そして家の屋根や、道路に面している溝にはクモの巣が張っていた。
「へえ、可愛いお家」金持ちの美保子がそう呟いた。
紗良は、鞄から取り出した玄関の鍵、戸口の穴に突き刺しながら言った。
「外はこんなだけど、中は、あのお父さんのことだから、綺麗なはずだよ、きっと」
「ここに、例のゲームが有るの?」
私が尋ねる。紗良は何を当たり前なことを訊いてるんだ、と思ったのかもしれないが、顔色ひとつ変えないで、私に答えた。
「お父さんも、人から貰ったは良いけど、そんなだから、なんだか自分のものに出来ないみたいで、家に持って帰らないでずっとここに置いてるんだよ。意味のわからないソフトだから、どこか気味悪がってるんじゃないかな」
玄関の引き戸を開けて、中に入った。複雑な一軒家と言うほどではなく、想像よりも中身はずっと簡素だった。
中に入ると、短い廊下を経てリビングにつながっていた。広い部屋だった。テレビとテーブル、近くには本棚。本棚には件のゲームが、機種を問わずに陳列されていた。教えてもらって覚えた、スーパーファミコンのゲームソフトと本体も確認できた。
この部屋から、奥に襖が見える。和室とつながっている、と紗良は言う。その手前の部屋は寝室、その隣にはキッチン。そこからつながったところに、風呂とトイレがある。生活に困るようなことは、とりあえずはなさそうだった。
「そうだ、部屋割りどうしようか」
キッチンの様子を真っ先に確認しに行った紗良が、思い立ったように言った。
「考えてなかったの?」と美保子が訊く。
「すっかり忘れてたよ」紗良は頭をかいた。「どうしようか。ちゃんと、人数分の布団はあるんだけど。それとも、みんなリビングで寝る?」
「私はパス」中兼は真っ先に首を振った「それも楽しそうではあるけど、夜はちゃんと眠りたいのよ、私。悪いんだけど、使っていい部屋はあるの?」
「えっとね、和室と、こっちの寝室は片付いてるから使えるってさ」紗良が指して言った。「じゃあ、二人ずつで別れようか」
その言葉に一番、苦虫を噛み潰した顔をしてしまったのは私だった。もし中兼と同じ部屋割りにでもされたら、合宿に楽しむ余地なんて、少しもなくなってしまうのは、言われるまでもなく予想がついた。
出来ることなら、せめて眠るときくらいは、この中兼を私の周りから取り去りたかった。
「私は和室を使うから、中兼は寝室に行ったら?」
小さく手を上げて、私がやんわりとそう提案しても、中兼は頑なに首を振った。
「駄目よ奈津乃。こういうのはじゃんけんで決めないと、後腐れが出てくるじゃない」
「でも……私、畳の上じゃないと眠れないのよね」
「嘘つきなさい。授業中によく寝てるじゃない、あなた」
結局、私がどれだけ文句を言っても、じゃんけんで決める手はずになった。勝った人間が、部屋と同室の人間を選ぶ事ができる、という取り決めに、誰も口出しをしなかった。私も、全員の意見に、ただ丸め込まれるしかなかった。
もう、神に祈ることしか出来ない。こういう時に完全に運のみで全てが決まるじゃんけんのことなんて、私は昔から大嫌いだった。
紗良の掛け声で一斉に手を出した。私と紗良と美保子が全員でチョキ、そして中兼だけがイカサマをしたかのように、見事にグーを握っていた。
中兼はガッツポーズすらしないで、淡々と自分の答えを口にした。
「じゃあ奈津乃で。和室でいい? 畳がないと寝られないんなら」
「ちょっと! よくないわよ!」私は追い詰められて、ついに叫んだ。「あんた、私に対する嫌がらせ……? それにしたって、程度があるでしょ」
「何言ってんのよ」中兼は、何処か呆れたような表情を向けた。「あんたが練習できるように、付きっきりで面倒を見てあげようっていう優しさじゃない」
「最悪よ、もう……」
音を立てながら中兼が、私の足元を粉々に破壊しているみたいだった。私は耐えきれなくなって、顔を覆ってしまう。
文句を言っていた私を見かねた紗良が、どこか仕方なさげに私に提案した。
「あんまり奈津乃をいじめちゃ駄目だよ、由麻。奈津乃、気に入らないって言うなら、代わってあげようか?」
「いいわよ紗良、そんなの」中兼が蚊でも払いのけるみたいに手を振った。「あんまり甘やかしちゃ駄目。奈津乃には期待してるんだから、ちゃんと練習させないと。今度の外部演奏会も、あなたが頼りなんだって、わかってる?」
「……じゃあ、あの出演順はなによ」私は食いしばりながら口にする。
「評価してるからよ。私達のバンドと張り合えるのは、あなた達しかいないから」
そうぬけぬけと口にする中兼の言葉を、私は一度だって信じたことはない。
リビングには、テーブルを隅に押しのけて、美保子のドラムセットが、まるで前からそうだったかのように置かれた。つい数分前にインターフォンが鳴って、玄関先に美保子のドラムセットが届いた。自宅から、ここにわざわざ梱包をして発送したらしい。電子ドラムだったが、練習するには十分だった。というより、ここまでしないと練習にも参加できないドラムという楽器に対して、少し同情を抱いた。
私と中兼は、これから一週間の寝床になる和室を覗いていた。
四畳ほどの小さな部屋だったが、布団がふたつ、きちんと押し入れに収納されていた。眠る場所としては、別に申し分なかった。中兼がいることだけが、最大の汚点だった。
畳の縁を越えて、中兼は自分の立っている足元を、虫でも見つけたみたいに指し示した。
「決めておかないと、あんたが怒りそうだから言うけど、ここからこっちが私の陣地だから、入っちゃ駄目よ」
「ちょっと待ってよ、なんであんたが窓際なの」
そう言いながら私は、中兼の引いた線より入り口側のスペースに、重たいギターを下ろして、一息を吐こうとしていた。
「どっちだって良いじゃないの」中兼はめんどくさそうに答える。片手でスーツケースを開けて、荷物の整理をしていた。「むしろ、そっちのほうが入り口に近くてトイレにも行きやすいんだから、私がトイレ行く時に、あんたを跨いでも文句とか言わないでよ」
「言わないわよ。勝手にすれば良い」
私はスーツケースや鞄から、バンド練習に必要なものを取り出していく。小型のアンプに、シールド。チューナー。ギターも、ここへ来るまでの間に、傷んだりしていることもなかった。そのくらいだ。エフェクターを使う趣味はないので、一つも持っていない。しかし、このアンプでどのくらいの音量が出るのか、家での練習にしか使ったことがないから、予想もつかなかった。これが駄目なら、私はもうここにいる意味がない。
疲れた。もう眠ってしまいたくなった。
「なにぼさっとしてんのよ、ほら行くわよ」
いつの間にか髪を解いて、いつもの見慣れた姿にほど近くなった中兼が、私の臀部を叩くように急かした。
「例のゲームソフト、見せて貰いましょうよ。紗良に頼まれてるんでしょ」
「……なんでその事知ってるの」
「聞いてたもの。あなたと紗良の会話を」中兼は私の陣地を無遠慮に跨いで、入り口の襖に手をかけた。「変なゲームソフトのこと、私も気になるのよ」
「あんたもしかして、それ目当てで来たわけ……?」
「それは内緒」
言って中兼は、襖を開けて出ていった。
彼女の持ってきたトランペットのケースは、開かれることなく部屋の隅にそっと置かれていた。中に、トランペットが入っていなくても、もしかすると私は驚かないのかもしれない。
リビングにあるテレビには、スパーファミコンからと思われる、全く見覚えのない映像と、聞いたこともないような音楽が流れている。
テレビ自体はそれなりのサイズの液晶で、私の家にあるものと、それほど年代に違いがあるようには見えなかった。なのに映し出されているもので、ここまで印象が変わるのか。レコードで初めて音楽を聴いたときよりも、ずっと過ぎ去った過去の時代というものを感じずにはいられなかった。
「ゲーム専用なんだよね、このテレビ」紗良が、リビングの椅子に座りながら、私に説明をした。「うちのテレビ買い替えて、余ったやつをお父さんがここに持ってきて、ゲーム用に使ってるんだけど、そのせいで地上波は映らないんだよね。なにか設定や配線で映ると思うんだけど」
「良いわ、別に。テレビ見ないもの」
私は首を振って画面を見つめた。ドット絵という概念は当然知っていたが、実際にそれをゲーム画面で見るのは、少し記憶の中にはなかった。私がかつてやっていたゲームは、もっと発達したポリゴンが動いていた気がする。そのうえ、携帯ゲーム機を触ったことがない。あまり詳しくもない。
今は、美保子がプレイをしている。彼女もこの時代の遺産に触れるのが初めてらしく、少しだけ興奮気味に操作していた。ゲームの名前を聞くと、ストーンプロテクターズだと紗良が教えてくれた。聞いてもまるでピンとこない。どこか馴染みを持てない西洋風のキャラクターが、気持ちの悪い生物を殴ったり蹴ったり、果ては刃物で切ったりしていた。
「お父さんがここでゲームしてるの、何回か見たことあるんだよね」
紗良は思い出を語るように口にする。そして立ち上がって、本棚の近くに置いてあった段ボール箱を開いた。私は傍に近寄って、中身を覗き込む。隣にいた中兼も、全く同じことをする。
「この箱に入ってるゲームは、全部貰い物だって言ってた。なんかあった時のために、自分のソフトと分けて置いてたみたい。例のソフトもここにあるんだ」
「どれ、見せて」
中兼が、私よりも先に箱を物色し始めた。悔しかったが、変に手を出すよりも、私は見守った。
「アクトレイザーって言ったわよね」知ったふうな口を、中兼が利いた。「これかしら」
「確かそれだったよ」紗良が頷いた。「起動してみる?」
「待って、端子が汚れてるわ。掃除する」
と言いながら、中兼がいつの間にか用意していた綿棒とアルコールで、カートリッジの金属端子を拭き始めた。随分準備が良い。
彼女の手元のソフトを観察した。前面に、聞いた通りシールが貼ってあった。黒い背景の中央に、アルファベットとふりがなで、確かにアクトレイザーと書かれていた。どこかエイジアのバンドロゴみたいなフォントだった。
「あんた、詳しいの?」私がたまらず尋ねた。
「まあ、趣味よ、ゲームくらい」
速やかに掃除を終えた中兼は、美保子に断って、ストーンプロテクターズを抜いて、アクトレイザーを差した。奇妙なほど慣れた手付きだった。一朝一夕に、インターネットでつけた知識だとは思えなかった。
「点けるわ」
中兼が電源を投入すると、テレビ画面が一瞬光った。それから二秒ほど経って、音楽が流れ始めた。そして、青い滝のような場面、会社の権利表示。
「本当だわ、これ、大貝獣物語よ」
中兼が、本当に幽霊を見たときのような声を上げた。
「なんでそこでわかるの? タイトルは?」釈然としなかった私は、中兼に訊いた
「大貝獣物語は、タイトル表示までが遅いの」彼女はボタンを押して、セーブデータ一覧画面に進んでいた。「オープニング画面で少し待っていないと出ないわ。けれどアクトレイザーは、すぐにタイトルが表示されるの」
「へえ……」私は隣で座っていた美保子と、同じような声を上げた。
彼女がそこまで言うのなら、間違いない気がしてきた。
本当に、紗良の言うように、ふたつのゲームソフトの中身が、入れ替わっていた。
「由麻、そんなに詳しかったっけ」と紗良。感心したように口を開いた。
「私……あんまり言いたくなかったけど、古いゲーム好きなのよ」中兼が少し恥ずかしそうに言う。「人に練習しろと言っておいて、こんな趣味があるの、特に奈津乃には知られたくなかったけど」
言いふらしてやろうかと思ったけれど、その後が怖いので私は胸にしまった。
「誰かやる? 私はもう昔クリアしたからいいわ」
「じゃあ、私がやっていい?」
美保子が手を挙げたのを、誰も止める理由がなかった。美保子はさっき得た操作の知識で、画面を進めていった。
大貝獣物語は、見ての通りのロールプレイングゲームだった。ゲームとして最もベーシックなジャンルだという知識くらいは、私にだってあった。美保子がそんなゲームをプレイしている姿が、写真に収めておきたくなるくらい意外に思えた。
一応考えてみるか、と私はゲーム画面を眺めながら、観察をする。
「私も、自分の記憶を疑ったことがあるんだよ」
紗良は、美保子の悪くないプレイングを見つめながら、私の隣に腰掛けて、呟いた。
「お父さんも、最初は間違いだと思ってたみたいだけど、何回電源を入れてもこんな状態だし。くれたっていう本人もはぐらかすし。なんなんだろうね、このソフト。奈津乃探偵は、わかる?」
私は一瞬だけ、深く考えるふりをしてから、ため息と一緒に答えを出した。
「ゲームは専門外だし、情報不足よ」
「そうだよね。由麻がこんなに詳しくて、驚いちゃったくらいだもん」紗良が面白そうに、美保子に指示を出している中兼を見て笑った。「聞きたいことがあったら答えるし、お父さんにも連絡してみるよ」
「うん。ありがとう」
そうして、胸に銃口を向けられる想像をする。
私は自分の保身のために、なんとしても解決しないといけないんだ。
でも、ゲームのことなんてわかるわけがない。音楽ならまだしも、それ相応のゲームの知識が必要となると、私は素人よりも、誰よりもこの事件に向いていないだろうとしか、言いようがなかった。
懐から取り出したスマートフォンを、私は触った。
やっぱり、せれな先生に、訊いてみるしかないか。本人も興味を持っていたことだ。謎に対して、非協力という立場は取らないはずだ。
メッセージでは説明が難しい。電話でもかけようか迷っていると、急に中兼が美保子から離れて、私の側に立った。
「紗良はこのゲームやったことあるの?」
中兼はそのままの格好で、紗良に尋ねる。彼女と雑談をしたかったらしい。
けれど、そんなところにあんたいられたら、せれな先生への連絡を、堂々と取ることが出来ない。中兼には、どうしても私がせれな先生の知恵を借りていることを、知られたくはなかった。
「トイレって、何処だっけ、紗良」面倒くさいな、と思って私は小さく手を上げて、彼女に尋ねた。
そのはずだったのに、中兼が間に割り込むようにして、代わりに答えた。
「ああ、案内してあげるわ。着いてきなさい」
「……ええ」
断るのも不自然だと思った私は、歩き始めた中兼の後ろについて行った。
キッチンの隣の扉を開けると、浴室の向かいにトイレと書かれたドアがあった。
「先に行っていいわ。待ってるから」
「なんで?」さすがにおかしいと思って、私は首を傾げた。「戻ってていいわよ。迷うわけ無いじゃん」
「私も行きたいから。でも先に譲ってあげる」
トイレでこっそり電話をしようと思ったのに、この女。
「……じゃあ、お言葉に甘える」
ドアを閉めて、鍵をかけた。
スマートフォンを眺める。電話をしようものなら、外で中兼が聞き耳を立てているに決まっている。メッセージで説明できるほど、私は文章が上手いわけではないし、長いメールを送って、せれな先生に変に思われたくない。
どうすればいい。
そんな状況になって、初めて気づいた。
中兼がこの合宿に来た目的。私と同じ部屋になった目的。トイレまで着いてきた目的。
せれな先生との連絡を封じて、私に推理能力なんかないことを、白日のもとに晒そうとしているのか。
合点がいった。
「なんて嫌な女なの、あんたって」
リビングでは、相変わらず美保子がゲームをしていた。今までの人生で、こういった娯楽に対して、あまり経験がないのかもしれなかった。
私が元の席に戻ると、程なくしてトイレから出てきた中兼も、姿を現した。
私は少し気になっていたことを、紗良に尋ねた。
「ねえ。アクトレイザーはどんなゲームなの」
「さあ、どんなだったかな」紗良は頬をかいた。「見たこと無いかも」
「横スクロールのアクションゲームよ」中兼が、楽しそうに割って入った。「だけど、町を発展させるパートもあるの。何より音楽が良くて、本物のオーケストラを聴いてるみたい。スーパーファミコンの最初期にあれって、相当なもんよ」
「へえ……」
時代を知らないゆえに、何が凄いのかいまいちピンとこなかったが、私はとにかく頷いた。けれど、アクトレイザーのことを知った所で、やっぱり謎に対するヒントが得られるわけもなかった。
そこで私は疑問に思う。美保子は、アクトレイザーに入った大貝獣物語をプレイしている。だというのに……
「ねえ、入れ替わっているって言うなら、アクトレイザーに入っていたアクトレイザーの中身は何処に行ったの?」
「え? そりゃ……大貝獣物語の方にあるのかな」
「確かめてないの?」中兼が問う。
「お父さんなら調べたかもしれないけど、私は知らないよ」
なにかある、と直感が言った。私達は、箱を三人でひっくり返した。
奥の方から見つかったのは、大貝獣物語のカートリッジだった。
「普通に考えれば、ここに、アクトレイザーが入ってるんじゃないかしら」そして中兼が、首を捻って言う。「美保子、ごめん、代わって」
美保子は名残惜しそうに電源を落として、ソフトを抜いた。中兼はそこに、今見つけた大貝獣物語を差し込んだ。
けれど、映し出されたのはアクトレイザーではなかった。
「うん? 普通に大貝獣物語よ、これ」わけがわからないと言った声色で、中兼が囁く。「ここには二本あるってこと? なら、アクトレイザーは何処に行ったわけ?」
「え? うーん、なんでだろ、わかんない」紗良も頭を抱える様子だった。「お父さん、なにか言ってたかな……。私、何も聞いてないと思うんだけど」
「あ、見て」
美保子が、驚いたようにテレビ画面を指差す。私達も釣られて、画面を凝視した。
「さっきと、レベルがぜんぜん違うわ。さっきは九十九だったけど、こっちは八十しかないわよ」
「プレイ時間は二十五時間か」
中兼がコントローラーを握りながら呟く。データを読み込むと、どこかの路上でセーブをしていたらしい。
「多分、一度はクリアはしてるみたいで、そこからちょっとレベル上げをやってたみたい。でも、じゃあアクトレイザーに入ってたほうをちゃんとやり込んでたってことよね」
「さっきちょっと見てみたけど」美保子が言った。「仲間も全員九十九だったわよ。それって、凄いの?」
「普通のプレイ範囲を超えるくらい異常にやり込んでる、としか言いようがないわ」中兼は、何も理解していなさそうな私の方を向いて、説明するように言う。「九十九は、それ以上は上がらない、成長しきった一番強い状態ってことよ。仲間が多いゲームなんだけど、それを全員だなんて、持ち主はよほどこのゲームが好きだったみたいね」
「……なんでそのアクトレイザーに入ってる方を極めてるの?」
「それは本人にでも聞かない限り、わからないんじゃないかしら」
私が紗良から受けた依頼を、腰からへし折るようなことを、中兼は口にした。
結局、夜まで全員でゲームをして遊んでしまい、バンド練習なんて私達の頭からは消えてしまっていた。私も、いざゲームをさせられると、それなりに楽しくて、ついのめり込んでしまった。
せれな先生からの宿題を思い出したのは、そろそろ晩御飯でも食べるかという時間だった。
「あ、ごめん、練習しないと」私は急にコントローラーを置いて、立ち上がった。「そういえば、せれな先生から宿題も出てるんだった。ちゃんとやらないと、次会った時に叱られるわ」
「真面目だねえ」紗良が茶化すように言った。「晩御飯は? どうする?」
「……後で勝手に食べるわ。ごめん」
「奈津乃探偵がいないのにゲーム進めちゃっていいの?」と中兼。
「良いわよ別に……どうせ、中兼のほうが詳しいでしょ」
「いや、それはそうだけど」
私は和室に戻った。ギターを取り出して、せれな先生から弾けるようになっておきなさい、という課題曲をとにかく練習した。
弾きながら、今だったらせれな先生に電話ができるなと思ったが、途中で中兼が入ってきたら嫌だったので、何も出来ずにいた。
それから二時間ほどが過ぎて、襖が開けられた。
中兼だった。手には、さっきからキッチンで作っていたらしい料理の載った皿がひとつ。そしてわざとらしくエプロンを掛けていた。
「奈津乃。ほら、作ったから食べなさい」
「……あんたが作ったの?」私は受け取りながら訊いた。
「意外?」
「……部長様は何でもできるわね」
「料理なんて誰でもできるわよ」
沈黙。ギターから出てくるノイズだけが、耳に蘇ってきた。
「……奈津乃は出来ないの? あはは、かわいい」
「なによ、笑うな。うちでは、そんな自由すら無いのよ」
自分のプライベートを攻撃に使ったことで、心が穢れていくような感覚があった。
「へえ。自由って?」中兼が、私の目線にしゃがんで、面白そうに尋ねてきた。
「……母親がうるさくて、なにもしたくないの。口を出されると、腹が立つのよ」
「……それは、悪かったわ」
中兼は立ち上がる。エプロンがふわりと動いた。
「あとでまたゲームのこと調べるから、煮詰まったら来なさい」
襖が閉じられた。変な空気が敷き詰められた和室に、一人で取り残された。彼女は強烈な印象だけを焼き付けて、消えた。
ギターを爪弾く気分に、もうなれなかった。
料理を見て、それから開けられてもいないトランペットのケースを睨んで、最後に私の指と、錆びた弦を、交互に見つめた。
「なんで、こんなに惨めになるの」
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